こんばんわ
今回の回は、ニキ・ラウダさんについての話です
ニキ・ラウダさんはF1ファンでは
知らない方はいないと言ってもいいくらいの元レーサーです
チャンピオン獲得数3回
フェラーリ、マクラーレンといったF1の超名門でチャンピオンを取っている人物
中々に、ラウダさんもエリートな人生だと思われている過去には
苦労も多いようで、自分はこの人の生き方や、人生に
ひかれることがあったので、紹介をいたします
ニキ・ラウダさんは1949年2月22日生まれ
F1前にはレースを家族に内緒で走り、いきなり二位に入り
新聞にて非協力的な家族にばれて
家にあるものすべて置いて出て行けと言われ
その後のレース活動は自らスポンサーを獲得してジャンプアップという
なんとも、今では考えられないですね
F1に入りはじめ、これを知らない方もいるとは思いますが
最初は弱小チームのマーチからデビュー
マーチ711
1971年に一戦のみ三戦
残念ながらリタイヤに終わりましたが、次の年にはフル参戦
ですが、いきなり解雇され
1973年からはBRMにて参戦
フェラーリからの誘いがあり、1974年からフェラーリへ
312B3
1974年のフェラーリのマシンです
ラウダは南アフリカGPにて、ポールポジションを獲得
9回のポールを獲得しましたが
二勝のみ、チャンピオン争いもしましたが、残念ながら獲得ならず
翌年1975年

312T
1975年、名車と名高いマシンです
この年には恐ろしく速いマシンにて、ラウダは初のチャンピオンを獲得
そして、試練の1976年へと移行します
1976年、ドイツGPにて事故を起こしてしまい
全身大火傷の大けがを負い、生死をさまよう
が、6週間後にレース復帰
驚異的な回復にて復帰して、四位入賞
最後までジェームス・ハントとチャンピオン争いをしたが
1ポイント差でハントがチャンピオン獲得
もし、事故が無ければ、
チャンピオンは確実というような速さだったようで
なんとも、切ないですね
1977年

312T2
大けがの次の年、化け物的速さで
ある意味楽にチャンピオン獲得
この年、鬼才・ゴードン・マレーのデザインしたブラバムのマシンに惹かれ
翌年はブラバムから参戦
1978年開幕戦

BT46B
往年のF1ファンでなくとも、このマシンは皆さんご存知でしょう
有名なファンカーです
開幕戦のみですが、その理由は単純、速すぎたのです
この年はアンドレッティがロータスにてチャンピオンを取りますが
開幕戦はそれを予想させない走りをこのマシンは披露し、
圧倒的優勝飾るが、 一戦のみで禁止に
翌年もブラバムで走るが、チャンピオン争いはできず
80年、81年は休憩年
82年からマクラーレンから参戦(画像があまり手に入りませんでした)
そして、1984年

セナがモナコで活躍した1984年
プロストとのチャンピオン争いを繰り広げ、チャンピオン獲得
翌年の85年には引退
そのままフェラーリに乗っていれば、事故らなければと
チャンピオン獲得したであろう可能性は高くもあって
1978年、79年は、そのままフェラーリに乗っていればチャンピオンは取れていたでしょう
76年の事故の事を考えても
ニキ・ラウダというレーサーは、3回ではなく
6回チャンピオンになっていた可能性が高かった
それでも、この人物は、走りたいときに走り
速いマシンを手に入れた時の爆発的な速さは
恐ろしくもあった
不死鳥、ニキ・ラウダは
生死をさまよう事故に合いながらも、不死鳥の如く復活
この人に対して学んだこと
どんなに死にかけるような、気分が沈むようなことがあっても
生きている限り頑張れば、人生楽しく生きれるということです
自分も沈んでしまうことはたくさんありました
だから、自分はこの偉大なレーサーの生き方を
これからも見習っていきたいと思います
今回の回は、ニキ・ラウダさんについての話です
ニキ・ラウダさんはF1ファンでは
知らない方はいないと言ってもいいくらいの元レーサーです
チャンピオン獲得数3回
フェラーリ、マクラーレンといったF1の超名門でチャンピオンを取っている人物
中々に、ラウダさんもエリートな人生だと思われている過去には
苦労も多いようで、自分はこの人の生き方や、人生に
ひかれることがあったので、紹介をいたします
ニキ・ラウダさんは1949年2月22日生まれ
F1前にはレースを家族に内緒で走り、いきなり二位に入り
新聞にて非協力的な家族にばれて
家にあるものすべて置いて出て行けと言われ
その後のレース活動は自らスポンサーを獲得してジャンプアップという
なんとも、今では考えられないですね
F1に入りはじめ、これを知らない方もいるとは思いますが
最初は弱小チームのマーチからデビュー
マーチ711
1971年に一戦のみ三戦
残念ながらリタイヤに終わりましたが、次の年にはフル参戦
ですが、いきなり解雇され
1973年からはBRMにて参戦
フェラーリからの誘いがあり、1974年からフェラーリへ
312B3
1974年のフェラーリのマシンです
ラウダは南アフリカGPにて、ポールポジションを獲得
9回のポールを獲得しましたが
二勝のみ、チャンピオン争いもしましたが、残念ながら獲得ならず
翌年1975年

312T
1975年、名車と名高いマシンです
この年には恐ろしく速いマシンにて、ラウダは初のチャンピオンを獲得
そして、試練の1976年へと移行します
1976年、ドイツGPにて事故を起こしてしまい
全身大火傷の大けがを負い、生死をさまよう
が、6週間後にレース復帰
驚異的な回復にて復帰して、四位入賞
最後までジェームス・ハントとチャンピオン争いをしたが
1ポイント差でハントがチャンピオン獲得
もし、事故が無ければ、
チャンピオンは確実というような速さだったようで
なんとも、切ないですね
1977年

312T2
大けがの次の年、化け物的速さで
ある意味楽にチャンピオン獲得
この年、鬼才・ゴードン・マレーのデザインしたブラバムのマシンに惹かれ
翌年はブラバムから参戦
1978年開幕戦

BT46B
往年のF1ファンでなくとも、このマシンは皆さんご存知でしょう
有名なファンカーです
開幕戦のみですが、その理由は単純、速すぎたのです
この年はアンドレッティがロータスにてチャンピオンを取りますが
開幕戦はそれを予想させない走りをこのマシンは披露し、
圧倒的優勝飾るが、 一戦のみで禁止に
翌年もブラバムで走るが、チャンピオン争いはできず
80年、81年は休憩年
82年からマクラーレンから参戦(画像があまり手に入りませんでした)
そして、1984年

セナがモナコで活躍した1984年
プロストとのチャンピオン争いを繰り広げ、チャンピオン獲得
翌年の85年には引退
そのままフェラーリに乗っていれば、事故らなければと
チャンピオン獲得したであろう可能性は高くもあって
1978年、79年は、そのままフェラーリに乗っていればチャンピオンは取れていたでしょう
76年の事故の事を考えても
ニキ・ラウダというレーサーは、3回ではなく
6回チャンピオンになっていた可能性が高かった
それでも、この人物は、走りたいときに走り
速いマシンを手に入れた時の爆発的な速さは
恐ろしくもあった
不死鳥、ニキ・ラウダは
生死をさまよう事故に合いながらも、不死鳥の如く復活
この人に対して学んだこと
どんなに死にかけるような、気分が沈むようなことがあっても
生きている限り頑張れば、人生楽しく生きれるということです
自分も沈んでしまうことはたくさんありました
だから、自分はこの偉大なレーサーの生き方を
これからも見習っていきたいと思います
