ある人の話だ。

 

その人はお金に困っていた。

 

借金があった。その借金には連帯保証人がついていた。親だ。その人の親は古い考え方をしていて、借金を踏み倒せるような人ではない。最悪、自殺をしてしまうかもしれない。借金を押し付けて親が死んだら、間接的な親殺しじゃあないか。なんとかしなくては。どんな手を使ってでも・・・・。

 

時が経ち・・・・。

 

できることをやってきた。ごまかしごまかし働いてきた。だけどもう限界だ。心身ともにボロボロだ。自己破産しかないのか・・・。

 

そんなとき、変なやつらに絡まれた。なんだこいつらは!さては悪い奴らだな!人が困っているときに!迷惑だ。消えてくれ。

 

時が経ち・・・・。

 

まだ粘着されている。こいつら、いつまでも粘着してくるな。うっとおしいな。よく飽きないな。私は働かなくてはならない。こんなやつらに粘着されていたら会社に迷惑がかかる。悪い噂とか流されていそうだ。なんか周囲の人が私を見る目がおかしいんだ。先にこいつらをなんとかしなくては。でもなんか、違和感があるな。なぜだろうか。この状況を壊してはいけないような気がするのは・・・?

 

さらに時が経ち・・・。

 

おかしいな。おかしいな。悪いやつらに粘着されているのに。悪口をいいふらされているのに。なぜか得をしてるようにも感じる。少なくとも借金は、引き延ばせている。この状況を壊してはいけないきがする。私にとって有利なのかも。でも、なぜだろう・・・。

 

さらに時が経ち、ようやく気がついた。人の価値。お金のことばかり考えている人には見えない領域。人の価値はお金とは別次元にある。

 

人の価値は、だれもが持っている。でも、その大きさや質、中身、種類などは人によって異なる。お金持ちよりも、貧乏人のほうがもっていることもある。社会的なステータスが高い人よりも、底辺の人のほうが持っていることがある。

 

借金に困って追い詰められていたその人は、お金のことばかりを考えるようになって、ますます追い詰められていたのです。底辺に落ちて、嫌な人たちに粘着されて、気がついたのでありました。なにに?さあね。こういうことは自分で体験するしかないよ。