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万葉集という奇蹟 ー日本人、日本語と日本の文字についての一考察
「今、この瞬間、この本を開いて読んでいる貴方に、お目出度う!」って主旨の(細部は異なったと思う)、インパクト大なオープニングは、確か「人類が知っていることすべてのの短い歴史」って科学エッセーだった(と思う。)。コレに続いて、何故「お目出度う」かを縷々語ってくれるのだが、要は「この地球という太陽系第三惑星に、生命が生まれ、進化し、知性を得て、文字やら本やら印刷機やらを発明し、その過程で貴方の先祖が絶滅すること無く綿々と子々孫々を(*1)”生き延び”させて、今そこに居る/ある貴方、として結実させている。」ってことが語られる(余り「要は」になってないか。)。
かなりつづめて意訳するならば「貴方という奇蹟に、お目出度う。貴方の存在そのものが、奇蹟的なんです!!」って、まあ、ポジティブなオープニングだよな。
そんなインパクト大なオープニングを思い出したのは、タイトルにしたとおり、我が国最古の文献(の一つ)である「万葉集」が、「とんでもない奇蹟」と思われた、から。「奇蹟繋がり」って訳だ。
- <注記>
- (*1) ”繁栄”とは行かないかも知れないが、
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(1)日本という奇蹟
渡邊昇一氏と言えば、既に故人で、戦前の生まれ。大東亜戦争中は確か小学生だったと言うから、少なくとも「戦中派」で、「戦前派」かも知れない。まあ、大東亜戦争も今年で戦後80年だから、「戦後派」が世の大半を占めるようになって久しいし、「戦前派/戦中派/戦後派」って分類自体が最早「死語に近い」のかも知れないが。
その渡邊昇一氏の説によると、我が国・日本の歴史は「遡れば神話=”神代の昔”に至ってしまう」ってのが一大特徴であり、戦前戦中の日本人はコレを大いに誇りにした、とのことである。
「大いに誇りにした」って事の真偽は、「戦後派」である私(ZERO)には(少なくとも実体験としては)確かめることが難しそうだが、「ありそうなこと」とは言い得る。
また一方で、「遡れば神話=”神代の昔”に至ってしまう国史=国の歴史」と言うのは、「国の成立が、文字による記録よりも古いから」と言うことであり、「それほど国が古くからある」という事実の反面、「文字による記録が遅れた」と言うことでもあろう。
左様な事実・史実を、「それほど国が古くからある」と考え、誇るのが「戦前派/戦中派」であり、「文字による記録が遅れた」と「自省(*1)」するのが「戦後派」って言い方も出来そうだ。ま、どちらも「コインの両面」という、少なくとも一面はあるからな。
いずれにせよ、「文字による記録より以前から国が在った(且つ、21世紀の今日まで続いている)」というのは、中々無い事であり、ある種「奇蹟」と言っても、差し支えなかろう。
- <注記>
- (*1) と言うより「卑下」な気がするが・・・
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(2)万葉仮名という奇蹟
「我が国日本では、文字の導入が遅れ、文字による記録が遅れた。」と言うのは、少なくとも「一面の事実」であろう。だが、万葉仮名って、「結構ユニークな文字(乃至、文字の使い方)」を考えたとき、「文明が低い、遅れているから、文字の導入が遅れた」と、少なくとも断定断言すべきでは無いように、私(ZERO)には思われる。
言うまでも無かろうが、万葉仮名ってのは、一言で言えば「漢字を平仮名として使った文字」である・・・些かどころかかなり省略的・短絡的な言い方ではあるが。
それだけでも「表意文字を表音文字として使った」という、中々稀有な事例、と言えそうではあるが、厳密には日本語は大凡五十音であるのに対し、万葉仮名は「一音節を一文字で書く」原則は変えずに「同じ音節に複数の漢字を当てる」ことをしており、音は大凡五十であるのに対し、万葉仮名は千字近くの漢字が用いられていると言うから、チョットしたモノである。
文科相ご推薦の当用漢字は二千字足らず。当たり前だが、万葉仮名が表音文字として千字近くを使っているのに、表意文字としての二千字足らずの当用漢字で、"日本語が書ける"と主張する/している(*1)文科相(旧文部省)ってのは、「頭がおかしい」か、「日本語を知らない」か、「日本人ではない」かの、いずれかであろう。
それは兎も角、万葉仮名の本質は、「五十音を表すのに千字近い漢字(表意文字)を使う」と言う「表音文字としての不完全性」では無い様に、私(ZERO)には思われる。
万葉仮名の本質は、「千字近い漢字(表意文字)を、表音文字として使う」という荒技を使ってでも、「話語としての日本語を、文字で表そうとした」その執念というか、日本語愛というか、日本語に対する信念というべきモノ、なのでは無かろうか。
「中国・支邦・大陸伝来の文字である漢字は利用した」が、「日本語は、厳然として守り、漢語・漢文は”借り物”程度で済ました。」のであり、「話語としての日本語を、漢字で表記する方法をとった」のである。
コレは・・・「日本語という言語が骨身に染みた不抜のモノとして厳然としてあった」と言うことであり、それが、「相当に広範の日本人に見られた事象である」と言うこと、では無かろうか。
少なくとも「文字を我が国でも導入しよう」と考えた、当時の知識人や支配階級、恐らくは豪族とか貴族とか(或いは、僧侶や、宗教家、呪術的指導者なども入るだろう。)呼ばれるような日本人は、「強固頑迷と言って良いほどの、断固たる日本語話者であった」と考えるのが「妥当な推論」ではなかろうか。恐らくは、「文字を導入しよう」と考えて居る以上、漢字どころか漢文も読めて、書けるような日本人が、「話語としての日本語」は、断固として守ろうとした、のでは無かろうか。
推測ばかりで、些か歯切れが悪い感はある。が、「妥当な推測の積み重ね」で、斯様に考えられる。
「漢字という表意文字を借りて、表音文字として利用してまで、日本語を、日本語の音のまま表記し、"日本語を書く"ことを可能にしたのが、万葉仮名である。」と言えるから。
コレは・・・かなりの奇蹟、だと思うぞ。
- <注記>
- (*1) 「常用漢字」とかで、幾分増えはしたが、事態はさして変わらない。
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(3)「読み人知らず」という奇蹟
そんな「奇蹟の文字・万葉仮名」で書かれ、編まれたのが万葉集である。言うまでも無かろうが、我が国最古の文献にして、和歌を集めた歌集である。その和歌の読み手は、有名な歌人(*1)は勿論のこと、天皇、貴族、下級官僚、防人のような庶民まで含み、「読み人知らず」として「作者不詳」な和歌も相応にある。
とまあ、さらっと書いたが、コレって、良く考えたら、トンデモナイコト、では無かろうか。
先ず、「和歌を詠む」という習慣というか風習というかが、当時の日本人の相当広範囲に普及浸透していた、事を伺わせる。「読み人知らず」や「庶民の作」とされる和歌が、「実は皇族、貴族、歌人の”コスプレライト”である」可能性も、忘れるべきではないかも知れないが、「上は天皇陛下から下は一庶民に至るまで、和歌を詠む(事がある/事が出来る)」というのが、少なくとも「建前としては厳然とあった」と言うことである。
先にも引いた渡邊昇一氏は、斯様な「万葉集に見る和歌の普遍性、普及」を、「和歌の前の平等」と表現し、「誰が詠んでもその和歌は、和歌として評価され、詠み人の出自来歴に依らない」ことを、絶賛・賛美している。
その賛美を、「そのまま額面通りに受け入れる」心算は私(ZERO)には無いが、「和歌を詠むと言うことが、相当に相応に広い範囲にあったであろう」事には、チョット疑義の余地は無さそうだ。
「和歌を詠むと言うことが、相当に相応に広い範囲にあった」且つ、「優れた和歌は、和歌として高く評価され、詠み人の出自来歴は問わない」、逆に言うと「貴人や有名人の和歌と雖も、”貴人の和歌””有名人の和歌”だけでは、大して評価されない」であり、渡邊昇一氏の言う「和歌の前の平等」である。
コレもある種の、奇蹟であろう。
- <注記>
- (*1) 歌人は、当時の知識階級・インテリゲンチャ(ってのも死語かな)だったと、言えよう。
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(4)「万葉集」という大奇蹟
しかも、「和歌を詠むと言う風習・習慣」は、「文字の普及する以前から厳然として存在した」筈である。そうで無いと、「万葉集」は「日本最古の文献(の一つ)」として成立しない。
先述の通り、大陸伝来の漢字を「日本語の文字として活用」したのが万葉仮名。その万葉仮名が我が国初の文字であるならば、万葉集の背景である「和歌を詠む風習/習慣」は、文字の普及よりも遙か以前から厳然としてあった、と考えねばなるまい。
「文字の普及・伝搬と共に、和歌を詠む習慣が普及・伝播した」のでは、万葉集が我が国最古の文献にはなりようが無い。その場合、万葉集の成立は、日本書紀・古事記よりも数世代は遅くなったであろう。
それ即ち、「文字として書き記すことが出来ない(*1)和歌を、詠み、唱えると言う風習/習慣が、相当広範に、既に在った。」と言うことである。
此処で、和歌を「単なる文学」とか「趣味の芸事」と考えると、恐らくは誤るだろう。「天地をも動かし、鬼神をも泣かしむる」とは、優れた和歌の褒め言葉で在るが、恐らくコレは古代日本人にとっては「厳然たる事実」であり、「和歌を詠む」と言うことは、ある種の宗教的/呪術的儀式でも在った、と考えるべきだろう。
なればこそ、ある種の宗教的/呪術的儀式であるからこそ、文字なんぞ未だ無く、書き留め、書き記す事が出来なくても、「和歌を詠む」事は広く一般に普及し普遍化していた、のである。
「優れた和歌が、口伝で継承され、伝播する」こともあったろう。和歌は文学で在ると同時に、呪文であり、願文で在った。左様に考えるべきでは無かろうか。
左様に考えないと、我が国に文字が伝来して最初期に編まれた書物が、「日本書紀」「古事記」と言った歴史書(*2)と並んで「万葉集」という和歌集で在った事や、それも「大陸伝来の文字である漢字をそのまま使いながら、表音文字に使って話語としての日本語を表記する」万葉仮名で書かれていることは、左様に考えないと、説明がつかない、のでは無かろうか。
言い替えようか。古代日本人に、文字は無かった【多分事実】。文字は無かったが、日本語は話語として厳然として存在しており【推測】、その日本語で和歌を詠むことは、宗教的/呪術的儀式という点も含めて広く日本人の間に普及していた【推測】。
そこへ、大陸伝来の文字が入ってきた【多分事実】。大陸伝来の漢文のまま表記することも行われた【事実】が、それと同時並行して「表意文字である漢字を表音文字として使うことで、話語としての日本語を表記する」事も実践された(万葉仮名)【事実】。コレにより、当時既に多く読まれていた和歌を記録/表記できるようになり【推測】、「万葉集」へと繋がった【推測】。
「万葉集は、和歌を、漢文表記すると言うことをしなかった。」
これだけでも十分、大奇蹟ではなかろうか。 (*3)
況んや、その和歌の作者が「上は天皇から下は一庶民まで」包含している(事になっている)なんぞ、二重の大奇蹟であろう。
「奇蹟って奴ぁ、良く起こるらしいぜ。」byコブラ
- <注記>
- (*1) 「文字が無い」時代ならば、そうならざるを得ない。
- (*2) 歴史書は、言ってみれば「権力者の権力の根拠」で在るから、「文字として書かれた最初期の書物」としては、相応に一般的なようだ。
- それにしたって、日本書紀の「一書に曰く」って「異説併記」は、トンデモナイというか、凄いモノだが。
- (*3) それだけ、「話語としての、音声としての和歌が、重要重大であった。」と言うことであり、その背景が恐らくは「呪文・願文としての和歌」だったのだろう。