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から続く
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(7)安住(おっさん/シュプール)
「剣術道場?」
明日はいよいよ故国、レベリス王国へ入るって日の宿で、アリューシャと二人だけで明日からは別行動を取って一寸寄る所があり、2,3日逗留するかも知れない、と聞かされた。アリューシャの「予定変更」ってのはかなり珍しい。大抵のことは用意周到準備万端、一分の隙も無い計画を、寸分の狂いも無くやってのける、って性分で、実に頼もしい限りなのがアリューシャ騎士団長だが、それだけに、当人もかなり困惑している様だ。
「はい。ルーシー師団長のご依頼で・・・まあ、あの人のことですから、実質”命令”ですけどね。」
何でも、昔魔術師学院で剣魔法の剣術部分だけ教えていた旦那と、学生だった嫁さんの二人でやっている小さな村の剣術道場、だそうだ。
アリューシャは一寸・・・かなりイヤそうな顔しているけど、「村の剣術道場」って聞いただけで、おじさんは無茶苦茶親近感を感じちゃうね。俺自身、ついこの間まで片田舎で剣術道場の師範だったのだし。
今でこそ、レベリス王国の首都バルトレーンで、王国最強のレベリオ騎士団の指南役、なんてモノになっているけれど、俺の本質・本分は、故郷の、片田舎の剣術道場で、親父の後継いで、通ってくる子供達に「剣の楽しさ」を教える、「剣術道場主」、だと思う・・・いや、確信している。絶対にそうだ。そうに違いない。そうに決まっている。
等と、内心勝手に盛り上がっているおじさんを尻目に、アリューシャは補足説明を続けている。何でも、魔術師学院で初めて結婚式を挙げたカップルで、結婚式の「神父役」をルーシー師団長が務めた、とか。
「魔術師学院で結婚式」なんて出来ることも知らなかったが、ルーシーが、「神父役」だって?まあ、本物の「神父」では無く(それは多分、正式正当な資格が必要だろう。)「神父役」だから、「誰でも出来る」のかも知れないが・・・それだけそのカップル、もとい、夫婦を、ルーシーが高く評価したってこと、だろう。
なんか、凄い夫婦なんじゃぁなかろうか。
まあ、旦那さんの方は、「魔術師学院の剣術の先生」って意味では、俺の先輩って事になるし、フィスには剣術を教えている可能性もあり、もしそうならば、その点では俺の方が先輩か。
あ、でも向こうは結婚しているんだな。その点では、こっちが圧倒的に不利、だよなぁ。
等と考えて居たら、続けているアリューシャの説明に、一寸看過できない単語があって、思わず突っ込んでしまった。
「スフェン教徒?スフェン教徒が、魔術師学院の生徒になれるのか?」
正直、スフェン教についてはここのところイヤな話ばかりで、印象は相当に悪い・・・と言うより、最悪に近い。
まあ、それは兎も角、スフェン教徒は魔術を「神のみ技=奇蹟」として、人の扱う学問としての魔術を拒否してた、筈だ。
アリューシャは珍しいぐらいに困惑した顔で、すまなそうに答える。
「詳しくは判らないのですが、何でも、”異端者”として故国・スフェンドヤードバーニアを追われた、とか言う噂もあり、その辺りが関係あるか、と。」
どちらが因で、どちらが果かは判らないし、噂の域を出ないそうだが、何か「訳あり」ってこと、らしい。
「時間が無くて、この程度のことしか判りませんでした。申し訳ありません。
それと、ルーシー師団長からは、その剣術師範と試合をしろ、との伝言です。”胸を貸してやれ”だ、そうです。」
全く、徒手空拳の格闘技じゃないんだから、と、アリューシャは、今度こそ本当に済まなさそうに続けた。
いや、魔術師学院の剣術の先生の先輩ならば、こちらから一手ご指南お願いしたいぐらいだから、それは良いんだけど・・・
「”時間が無くて”って、この話、何時ルーシーから聞いたんだい?」
「昨日です。鳥がメッセージを運んで来ました。」
いやいや、「鳥がメッセージを運ぶ」ぐらいは、魔法師団長なら朝飯前だろうけれど、昨日の今日で、この情報量って何?
アリューシャも、ひょっとして魔法を、それもかなり特殊な奴を、使えるんじゃ無いかと、おじさんは疑っちゃうよ。
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「バルトレーンからの、来客?」
子供達との稽古が一段落して、一息ついているところに、ラフィが嬉しそうに駆けてきた(こういうときのラフィは、今でも子供の様だ・・・イヤ、子犬かな。当人は怒るだろうけれど。)と思ったら、意外な事を告げたので、思わず聞き返した。
「そう。正確には、バルトレーンへ帰る途中に寄るのだから、”バルトレーンから”ではないけどね。ルーシー師団長の紹介よ。断る理由も無いでしょ?」
いや、俺たちの大恩人であるルーシー師団長を徒や疎かにするつもりは無いが、珍しいことなんで一寸驚いた。
「メンバーも一寸したモノよ。一人はね、レベリオ騎士団の団長さん。”神速”って二つ名持ちの。ねぇ、興味あるでしょ?」
ラフィの剣術好きは、相変わらずだ。魔術師学院に通っていた頃も変わらなかった。新しい流派だの、旅の剣豪だのの話を聞き、「自分の目で確かめる!」と言い出して聞かなかったことも、何度もあった。
時々思うのだが、このウチの嫁さんの汲めども尽きぬ好奇心と探究心こそが、ラフィが魔術師学院で「ほぼ人知の及ぶ限りを極めた」と賞賛された治癒魔術なんかよりも、余程「大奇蹟」なんじゃぁなかろうか。
「しかも、銀髪長髪三つ編みの美人だって。ウリウリ、興味出てきたでしょ。」
だから、そう言う「大人の冗句」は、子供達の前では止めろって・・・まあ、子供達ももう、馴れたモンだが。
「でねでね。こっちが本命。何ともう一人は、”片田舎の剣聖”だって。噂は聞いてるでしょ。」
「そりゃ、聞いた噂もあるが、”実在しない”説が有力じゃぁなかったか?」
俺としては、スフェン神並みに「実在すると思っている」レベルだったのだが。つまり、「居たら良いなぁ」に近い。
「どうも、実在したらしいわよ。ルーシー師団長のお墨付き。」
まあ、師団長閣下がそう言うなら、其奴が・・・男とは限らないな・・・「片田舎の剣聖」なのだろう。多分。
すると何か、ウチのアイレンテール道場に、「神速のレベリオ騎士団長」と「片田舎の剣聖」が来る、ってのか。
そりゃ大事(おおごと)だな。村を挙げての大騒ぎになるかも知れないな。
そんな呑気なことを考えて居たら、ラフィの奴はトドメの一撃とばかりに、目を輝かせて宣言した。
「でねでねでね。こっちこそが大本命。その”片田舎の剣聖”にルーシー師団長が伝言したそうよ。貴方と、試合をしろ、と。」
まあ、待て、落ち着け、ラフィ。その剣聖と師団長がどう言う関係か知らないが、幾ら魔法師団長の伝言でも、「片田舎の剣聖」が、こんな田舎の剣術師範を相手にするとは限らないだろう。寧ろ「相手にしない」公算が・・・
「どうする、シュプール。この試合、勝ったら、私たちが、”片田舎の剣聖”よ!」
そんな道場破りみたいなことが、あるかよ。
「そうだとすると・・・負けたら道場の看板、持ってかれるんじゃないか?」
冗談交じりに混ぜっ返した心算だったが、ラフィの奴、途端に表情を変えて口を閉じ、黙り込み、何やら思案顔になった。
あっ。マズい。こう言うラフィは真剣にマズい。恐らく、イヤ確実に「片田舎の剣聖を打ち負かす方法」を考えて居る。
それも尋常一様じゃぁ無い。試合前日に売春婦集めた色仕掛けで足腰立たなくするとか、食事や飲み物に何やら混ぜ込むとか、その他俺では全然想像できない様なことも含めて。凡そこの世の森羅万象ありとあらゆる事を総動員して、「片田舎の剣聖に対する必勝法」を考えて居る。非常にマズい。
何より恐ろしいのは、そう言う思考思案の相当部分を、普通なら、「考えついただけ」で終わってしまう様なことを、ラフィなら実行実践してしまうこと、だ。
「ま、待て。待てラフィ。
頼むからっ。頼むから、何もするな。しないでくれ。
勝っても負けても、何事も無い様にするから。必ずするから。な。なっ。」
ラフィの奴、今度は美事なまでのふくれっ面になって答えた。
「わたしィ、何も言ってませんけどぉ。」
いや、言わずとも判る。判っちまうんだよ。
夫婦だから、な。
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その剣術道場に着いたのは、昼過ぎの午後の早い時間だった。どこからか、子供達の掛け声が聞こえてくる、と思ったら、外観は畜舎その物の建屋からだ。畜舎を改造して稽古場にしているらしい。
成る程「片田舎らしい」なぁ。ウチの道場の方が「立派な稽古場」と言えば言えるけれど、あれは親父の代に建てたんだよなぁ。
俺も「独立して、道場も自分で持て」とか言われたら、畜舎を改造ってのは考えたろうなぁ。ああ、今でも「独立しろ」と言われている様なモノだけれど。嫁さん見付けないと、あの道場へは帰れないんだよなぁ。
と、一寸センチな気分になっていたら、そんな気分を吹き飛ばす様な元気な声が聞こえた・・・イヤ、轟いた。
「バルトレーンからのお客様ですねぇっ!ようこそ、アイレンテール道場へ!!当道場主の妻、ラフィ・アイレンテールですっ!!!!!」
稽古場の隣に建つ母屋から駆けだしてきた小柄な女性が、走りながら叫んでいた。長い髪を頭頂部で「お団子」にまとめて、その下にキラッキラに輝いた大きな目と、大声を発するに適してそうな大きな口があり、全身で歓迎の意を表している。
その女性が、俺たちの馬の前で立ち止まると、姿勢を正し、一つ深呼吸した。すると、心機一転。不思議なぐらいに落ち着きと気品を見せて、恭しく正式な礼を送って来た。
慌てて答礼した俺なんかより、よっぽど板についている。こりゃ、相当良いところのお嬢さんだったに違いない。
「失礼致しました。レベリオ騎士団長、神速のアリューシャ・シトラス様と、片田舎の剣聖・ベリル・ガーデナント氏とお見受け致します。アイレンテール道場を代表し、道場主が妻・ラフィ・アイレンテールが歓迎の意を表します。」
口上も美事に礼式に叶っている・・・多分。イヤ、おじさんはその方面、疎いんだけど。この圧倒的な気品は、きっとそうに違いない。
「ご丁寧なご挨拶、痛み入ります。仰せの通り、アリューシャです。こちらが、レベリオ騎士団特別指南役・ベリル・ガーデナント氏。しばらくの間、ご厄介になります。」
アリューシャが馬から下りたので、慌てて俺も後に続く。イヤ、本当は俺も何か言うべきなのかも知れないが、変な事言って格式礼式を壊すよりは、と、黙っている。欠礼は、無礼よりマシ、に違いない。これも多分、だけど。
「馬はお預かりします。主人は稽古場の方ですので、勝手に入ってって下さい。」
じゃ、後ほど、と言いながら、女性は・・・ラフィさん、って呼べば良いのかな?・・・二頭の手綱を取って馬を厩舎の方へ引っ張っていった。
いや、「引き摺って行った」という方が正しいかな。凄まじい勢いで馬を引いて居て、ひょっとすると馬引き摺って馬よりも速く走り出すんじゃ無かろうかって勢い。馬二頭を相手に、あの小さな身体で。何とも、パワフルな人だ。
やっぱ「凄い夫婦」なんじゃ、なかろうか。
「先生、参りましょう。」
ラフィさんの勢いに気圧されて、一寸茫然自失としていた俺は、アリューシャに急かされて我に返り、稽古場の方へ向かった。先ほどからの子供達の声を揃えた掛け声が変わって、先ほどの素振りから、剣戟の稽古へと変わった、らしい。
でも、なんか、音が軽いな。打撃の音が。
稽古場へ足を踏み入れると、案の定剣戟の稽古をしていた・・・のは良いが、俺は一寸唖然としていた。
稽古に来ているのは子供ばかりの様だが、皆が皆、甲冑を着けている、様に見えた。
騎士が、特に儀式の際に身につける完全装備の甲冑は、相当に値が張る、ばかりではなく、相当に重い。身につけて馬上にある分には良いけれど、馬から下りたら、立って歩くのがやっとで、走るなんて余程の怪力で無いと、無理だ。
だというのに、目の前の子供達は、「甲冑」を付けたまま元気に走って、打ち合っている。「見慣れない」と言うよりは「異様な」光景に、俺が呆気にとられていると、子供達に混じって唯一人の大人、自動的に当道場主のシュプール氏が気づいて、近づいて来た。
「ああ、バルトレーンからのお客様ですね。アイレンテール道場へようこそ。道場主の、シュプールです。師範って事になってますが。何、年を経てるだけでね。今でも子供達に、教えられてばかり・・・ああ、これですか?」
シュプール氏は、自分も付けている甲冑・・・と言うには、一寸簡略すぎる気がするが、その胴体の辺りを拳で叩いて見せた。明らかに金属ではない音・・・ってぇか、木製か?
「木ですよ。頭に被っているのも、面の格子を除いたら厚い布。見た目ほど、重くないんです。」
それから、一寸自慢げににやり、と笑って見せた。一寸茶目っ気の多い人、らしい。
「完全武装の甲冑みたいに見えるでしょ。夏は一寸、暑いですけどね。」
「剣の方も、工夫がおありのようですね。」
アリューシャが尋ねる。そう、音が違うのは、「木の鎧」だけでは、説明がつかない。剣も、唯の木剣では無い・・・筈だ。
シュプール氏は自分の使っていた稽古用の刀・・・「木剣?」を、礼に従って柄の方を先にして、アリューシャに渡す様に差し出した。アリューシャがそれを受けとり、間近にじっくり見てから、同じように俺の方に差し出した。
遠目では判らなかったが、近くで見ると、単なる木剣では無い事が判る。何本もの細い板を束ねた様な見た目だ。
「薄く切った細長い板を、中空の円筒になる様に束ねたモノです。この独特の木剣と、木製の鎧などの防具のお陰で、本当に打ち合っても、まあ、打撲以上の怪我には先ずなりません。
子供達に、”寸止め”とか、一寸無理ですからね。
ラフィによると、”東洋の島国”での稽古の工夫だ、とか。この工夫のお陰で、その島国の大人は皆、とんでもない剣士ばかりなんだとか。」
まあ、伝説とは言わぬまでも、噂に尾鰭の類い、でしょうけどね。と言ってシュプール氏は笑っているけれど・・・
「アリューシャ、これって・・・」
”結構凄いことなんじゃ無いか?”って意味を込めて、アリューシャに振る。
「ええ。大人の騎士団には無用な工夫、かも知れませんが。子供や、素人にならば、かなり有効・有用かと。」
うん、流石はレベリオ騎士団団長様だ。騎士団でもよくやる寸止め稽古じゃぁ、「間一髪で躱す」ってのは判定が難しい。それこそ、相当に手練れの審判が相対する二人につきっきりで、判定できるかどうか。それでも、揉めるときには、揉める。
だけど、このアイレンテール道場の方法なら、当たったか、躱せたかは、少なくとも自分自身には良く判る。試合している二人に、審判がつききりでついている必要が無い。今シュプール氏自身がやって見せている様に、子供達同士で試合することで、どんどん「実戦経験」が溜まって行く。
「先生ぇ~、ケントの奴が、一本を認めませぇ~ん。」
「一本じゃねぇし!入ってねぇし!!」
ウン、そう。中にはズルする子も居るよね。
シュプール氏は訴えた子とその相手の子の方に向き直り、数歩近づいた・・・と思ったら、持っていたあの独特の稽古用木剣で相手の子の右脇腹を小突いた。音はしなかったから「打った」訳では無いだろうが、素早い、良い動きだった。
「見てたぞ、ケント。右脇腹への一撃、躱そうとして、躱し損ねたろう?」
「うっ・・・」
相手の子はうつむいて黙り込んだ。そう、打たれたか、躱せたかは、他でも無い、打たれた自分自身が一番良く判る。この稽古の、真骨頂、と言うべきだろうな。
「なあ、ケント。此処は道場で、稽古場だから、認めなければ”一本”が無くなる、って事も、そりゃぁあるかも知れないさ。
だけど実際の剣戟、実際の戦場で、そんな誤魔化しは効かない。下手な一撃を食らえば、お前は死んじまう。幾ら認めなくても。な。
判るよな。」
シュプール氏、子供相手にそれは一寸・・・イヤ、冷厳なる事実、ではあるのだけれど、未だ年端のいかぬ子供に「戦場の現実」は、一寸キツいンじゃぁ・・・
「負け続けで、悔しかったか?」
「ウン。一昨日から二十連敗中。ナントカ、ここらで一勝ぐらいしないと・・・」
「その悔しさは、判るぞ。俺の記録はな、十日間負け続けってのがある。」
「先生がぁ?!!」
「ラフィには内緒な。あいつに出会う前の話だ。
だから、二十連敗ぐらいで、凹むな。」
「はい!!」
子供は切り替えが早い。もう気を取り直して、さっきの子へリターンマッチを挑もうとしている。そんなケント少年にシュプール氏は声援を送る。
「ああ、今日中に勝てない様なら、明日は一番にラフィに剣を見てもらえ。何かヒントになる、かも知れん。」
途端に、ケント少年の元気が一寸無くなるのは、何故だろう。
「えーっ、女先生の"ヒント”って、キツいんだよなぁ。」
「気持ちは判るが、前から言っているだろう。当アイレンテール道場は、・・・」
「"俺とラフィで、一人の師匠だ。"ね。もう、耳タコだぜ。」
「そう言うこった。イヤなら勝て。」
今度こそリターンマッチに臨むケント少年を尻目に、シュプール氏はこちらに再び向き直リ、近づく。
「いや、お見苦しい所をお見せしました。何しろ、子供相手の剣術道場なのでね。」
シュプール氏は謙遜してるが、俺もアリューシャも、感心していた。感銘を受けた、と言っても良い。特に、魔術師学院でも剣を教えている俺は、背筋の伸びる思いだった。流石先輩、と言うところかな。
「いえ、真摯な稽古と美事なご指導。感服致しました。
良い道場と、良い子供達ですね。」
アリューシャの言葉に、お世辞はない。実際の所、大したモンだと思う。
そうこうする内に、道場の入口にラフィさんがひょっこり現れた。何やら、シュプール氏に合図を送っている、様だ。
「ああ、判ってる。今日は稽古は早仕舞いにして、会場設営を手伝え、だろ。」
頷くラフィさん。更に何やらハンドサインめいたモノを送る・・・
「ああ、それも判ってる。シュプール氏との手合わせは、明日、な。」
ウンウンと大きく頷いたラフィさんは、大声で続けた・・・さっきまでの無言劇は、何だったんだろう。
「今、村中に伝令走らせてるから。
久々の”興業”よ。村人全員参加は、先ず間違いないわよねぇ。」
「そりゃ良いが、この前みたいに”賭場”なんか開くなよ。この道場は、子供達の"学校"でもあるんだぞ。」
「えーっ、私、シュプールに賭けて大儲け、する予定だったのにぃ。」
「だから、ヤメロって!」
一喝するシュプール氏に、何やらふくれっ面のラフィさん、何かブツブツ言っている。「前売り券」とか「返金」とか言って居る様な気もするが・・・
「あの、”興業”とは?」
アリューシャが不審感丸出しで尋ねる。答えによっては抜刀しかねない勢いだ。俺とシュプール氏の試合を、「見世物」にされるらしいのが、余程カンに障る、らしい。
「いや、田舎なんでね。屋根も床もあって、村の大人全員が入れる様な建物は、この稽古場ぐらいしかないんですよ。
で、偶に来る旅芸人なんかは此処で芝居する、って訳で・・・”興業”ってのは、"言葉の綾"ですよ。都仕込みの剣技、レベリオ騎士団の実力、田舎者の村人に、見せてやってはくれませんか。」
シュプール氏も、なかなか上手いなぁ。
「先生の剣は、見世物ではありませんわ・・・」
と、矛先を鈍らせたアリューシャに、ラフィさんが追い打ちをかける。
「でも、見物ではあるでしょ!!!
私は見たいなぁ。村の人達も、屹度。」
大きな目をキラキラさせながら、そう出られると、アリューシャも怒りづらいだろう。ラフィさん、なかなかの策士だ。
「ああ、それで、会場設営。」
一寸困ったアリューシャを助ける心算で、俺が助け船を出すが・・・一寸違った様だ。
「それもありますが・・・此処は、村で一番デッカい宴会場でもあるんで・・・」
言いよどむシュプール氏に、ラフィさんが突っ込む。本当に、良いコンビネーション、良い夫婦だなぁ、この二人は。
「お二人を主賓としての”歓迎会”ですぅ!都の話とか、聞かせて下さいっ!!!」
「前夜祭、だろうが!」
さしものアリューシャも、すっかり毒気を抜かれて形無し、って感じだ。小さく首を振って一寸肩をすくめて、俺の方に微笑んで見せたから、とうとう、諦めた、らしい。
天下のレベリオ騎士団長を、全面降伏させるとは・・・恐るべき策士だな。ラフィさん。
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歓迎会だか前夜祭だかは、本当に盛大に開かれた。夕方前に稽古に来ていた子供達を返すと、ラフィさんとシュプール氏、それに集まった村人が食卓やらイスやらを稽古場に運び込み、忽ち出来上がった「宴会場」に、待つほども無く三々五々村人が集まり。「主賓」となる俺とアリューシャは上座の真ん中に二人並んで座らされた。俺の右隣が、シュプール氏とラフィさんの席だ。尤もラフィさんは、宴会開始早々、あちこちの席にお酌と盛り上げと酒と食事の差配に飛び回って、殆ど席には居ない。
で、3人並んだ俺たちの前に、村人が次々と来ては、酌をしたり、一頻り盛り上がったりしている。
こう言う形の「歓迎会」は、アリューシャは苦手だろうと思ったんだが、途中やってきたラフィさんが、アリューシャにお酌しながら、
「ナンダか、結婚式みたいですねぇ。」
と言ったら、それで機嫌が直ったのか、妙に大人しく、しおらしい。
勢い、村人の「標的」は俺になる訳で、今も「村一番の大工(他に何人居るかは、知らない。)」が俺の前に陣取り、隣のシュプール氏を肴に、盛り上がっている。
「なぁにしろ、この先生が村に来て開口一番言われたのが、”豚小屋に床を作れ”だからねぇ。驚いたのなんの。」
この稽古場が元畜舎とは言え、「豚小屋」は一寸酷い気もするが、その前は「牛小屋」だったそうだから、広さの点では、稽古場に持って来いなんだろう。
「剣術なんてのは、こう、屋外で棒きれ振ってりゃ良い、ぐらいにこっちは思ってたッてぇのに・・・」
「だぁかぁらぁ、ゲンさん、それ最初に説明したろう?土砂や石ころで怪我するのを防ぐためだ、って。」
シュプール氏の所にも酌に来る村人は多く、こっちも相当に「出来上がって」居る。まあ、それだけこの道場主夫婦が村に溶け込んでるって事だ。
そうでなきゃ、自分とこの子供を、剣術道場に通わせたりしないだろう。
「んぁっ?判ってるよ。あの"木の鎧"共々、怪我を減らす工夫だってのは。何だっけ、”東洋のナントカ”とか、カントカとか・・・」
「おう、”木の鎧”がどうしたってぇ?ゲンさん、俺の仕事にケチつけんのかぁ?」
いや、「村一番の大工」よりも出来上がっていそうなのも来た。こっちは「村一番の木工職人」か何か、なのだろう。
勝手に盛り上がり始めた二人を尻目に、シュプール氏が横で一寸小声で言う。
「申し訳ありません。何しろ田舎者なので、”レベリオ騎士団団長”とか言われても、その偉さが理解できないんですよ。」
まあ、バルドレーンは此処から遠いからねぇ。騎士団の栄光も、此処までは及ばず、か。
「私は別に構いません。が、先生は?」
反対側からアリューシャが、これも一寸小声。
「俺?俺なんか、アリューシャの”レベリオ騎士団・団長”に比べたら、ものの数じゃぁないよ。」
村人の評価なんか、気にする訳が無い、と言おうとしたんだが、アリューシャは何か不服そうだ。
「先生は、そのレベリオ騎士団の、特別指南役ですよ。」
団長なんかより、余程偉いんです、とかナントカ、アリューシャは言うけれど、イヤイヤ、そんなこと、在るはず無いでしょう。
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「明日がある」って事で、比較的早めに「歓迎会」がお開きになったのは有り難かった。下手すると、二日酔いのフラフラ状態で、明日の「模範試合」を迎えることに、なりかねなかった。
就寝前の一時を、母屋の食堂で、ラフィさんが用意してくれたお茶を喫しながら、俺とアリューシャは暫く寛いでいた。
「良い、道場。良い生徒達、ですね。」
道場に通う子供達を、「生徒」と呼ぶのも変ですけど、とアリューシャは笑うが、気持ちは判る。子供達相手に教えるとなると、「剣術道場」と言うより「剣術学校」って言う方が相応しいことは、ままある。
俺の道場も、そういう所あったからねぇ。
「休日だけ通ってくる、村の大人もいるそうだから、その人達の稽古も見ていきたかったけどねぇ。」
2,3日の逗留では、休日までは居られない。明日の試合を終えて、明後日には出発する、って予定だから、尚更だ。
アリューシャは手にしていたカップをそっと卓上に置くと、一寸真剣な表情で聞いてくる。
「先生は、どう見ます?」
「ウン、シュプール氏のこと、だよね。」
俺は一寸言葉を切って、思案する。
「相当に、強いね。でないと、あんな指導は出来ない。」
今日見せて貰ったのは子供達も稽古の指導だけだが、ケント少年を指導した「一撃」は、思い返しても惚れ惚れする様な動きだった。相当に鍛錬していないと、あんな動きは出来ない。
「そうですね。私もそう見ました。
・・・でも、勝つのは、先生ですわ。」
何故か得意げに断言するアリューシャ。
そうだと良いんだけどねぇ。まあ、みっともない負けだけは避けよう。そう思うのも、いつものことだが。
「道場も”生徒”も良いけど、良い夫婦、だよねぇ。一寸羨ましいかな。」
俺、嫁さん見付けないと、帰れないし、なぁ。
ン、アリューシャ、どうした?様子がおかしいぞ。
「せ、せ、せ、せ、先生はっ、ああいう女性がっ、タイプですかぁ?
レベリオで言えば、クルニが近いかとっ、思いますががががががっ!!」
クルニ?そうか、似ていると言えば似てるかな。思わず笑ってしまう。
あれ、アリューシャ、更に様子がおかしいぞ。声も一寸裏返ってたし。
「いや、タイプとか、じゃなくて・・・シュプール氏とのコンビネーションが、ね。”最強のコンビ”って言ったら良いかな。
互いに長所を活かして、支え合って、って形がさ。」
アリューシャは一寸落ち着いた様だ。何かあったのかな。
「ああ、そうですね。」
でも、それを言うなら自分だって、先生の支えにはなりますよ、とか言って、一寸むくれている様にも見えるが・・・
気のせいかな。
気のせいだろ。
気のせいに、決めた。
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「イヤァ、流石は王国の首都・バルトレーンのレベリオ騎士団長。噂以上の美人で、洗練されてたわよねぇ。
目の保養だわぁ。」
とても妙齢の女性の科白とは思えんな。お前は、おっさんか。
「明日があるから」って「歓迎会」は早仕舞いしたってのに、ラフィの奴ぁ寝所に入ってもまぁだ興奮冷めやらぬ様子で大はしゃぎだ。
そりゃ、久々に見る、しかも初めて見る「剣豪」と言ったら語弊がありそうだが「剣の達者」だから、興奮するのも無理は無いが。
「はしゃぎ過ぎだぞ、ラフィ。一寸落ち着けよ。」
こういう時、いつも俺が宥め役、冷まし役だ。まあ、馴れたけどな。
「で、実際の所、どう?勝算は??」
まぁだ興奮してやぁがる。遠足前の子供かよ。
「ベリル氏のこと、だろ。ま、お前にゃ釈迦に説法だろうが、強いな。間違いない。」
流石は「レベリオ騎士団の特別指南役」で、聞けば騎士団長の師匠にも当たる、とか。そりゃ、強い訳だ。
暫く思案顔で黙っていたラフィは、これで漸く静かになった、と思ったが・・・
「でも、勝つのは、シュプールよ。」
断定断言してくれる。キッパリと。
「お前のその自信は、一体どこから来るんだよ・・・・」
俺は毎度の事ながら、ラフィの凄まじいまでの自信に、最早「呆れ」を通り越して、感動すら覚えている。
「誰も、”明日勝つ”とは言ってませんよぉっだ。」
ラフィは一転してふくれっ面になる。全く、忙しいことだ・・・いつものこと、だが。
「明日試合するでしょ。手の内が幾らかでも判るでしょ。
そうなれば、もうこっちのモノじゃ無い?私が絶対に、”必勝法”の”必殺技”を、考え出してあげるから。
明日は無理でも、いつか、必ず勝つわよ。」
ラフィは、もう夜も遅いってのに、且つ、一つ屋根の下に当人がいるってのに、結構な大声で宣言する。
「あの、"片田舎の剣聖"に!!」
イヤ、その考え出した”必勝の必殺技”を実現実践するのは、この俺なんだけどな。
ラフィの捻り出す”必殺技”は、完成し実現すれば、( 更には「図に当たれば」、 )凄い威力を発揮する、んだが・・・「人間じゃ、無理だろ。」ってのも、ままあるからなぁ。
「ああ、判った。だから、明日は、なるたけ粘って、”負けない”立ち合いを、だろ。」
再三打ち合わせた「キャッチフレーズ」を確認する。これこそ正に「耳タコ」だな。もう、何十回確認したやら。
「そう。判ってるじゃ無い。」
そりゃ、もう、付き合い長いし、夫婦だから、な。
だけど、その自信の程、その揺らぎの無い確信が、また魅力であり、可愛さ、なんだけど、な。
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シュプール氏との「模範試合」は、「無制限一本勝負」ってことになった。「実戦さながら」と言えなくもないが、「試合が長引きすぎると、観客が暴動を起こしかねないから。」なんじゃ無いかと、おじさんは一寸疑っちゃうよ。
何しろ、平日の昼間だってのに、村人でここに来てない者は居ないんじゃないかってぐらいの大盛況。後で一寸聞いたが、この時間は村中の店が店仕舞いしていて、試合の後に営業再開した、とか。「村を挙げてのお祭り騒ぎ」って訳だ。ラフィさんの予言通り、とも言えるな。
昨晩は宴会場に使った稽古場を、今日はその真ん中部分だけ稽古場に戻し、昨晩はあった長机なんかは片付けて長椅子だけにしている。が、椅子には何段階かに段差を付けて、後列でも或程度「試合が見える」様にしてあるから、一寸した「闘技場」だよな。
審判として、主審は、アリューシャが勤める。で、副審としてラフィさんがついているから、公平は期せるだろう・・・と言うか、この二人以上の審判の適任者なんて、この村には居ないだろう。レベリオ騎士団でも、果たして、何人居るか。
つまり、此処の道場主夫人たるラフィさんは、剣術理論と評価に関する限りは、レベリオ騎士団長・アリューシャに比肩しうる、って事で・・・これがルーシーの言う「逸材」の一環って事、らしい。
アリューシャの合図で、シュプール氏と、互いに一礼・・・したと思った、シュプール氏、糸の切れた人形みたいにだらりと前屈みになった。
病気の発作でも起こした、かの様に見えるが、剣気・闘気は全く衰えない・・・と思う間もなく、強烈な突きが飛んで来た。
辛うじて躱したモノの、ギリギリで間に合った、だけ。全身を脱力させた状態からの、全身の筋肉を使って一気に爆ぜさせる、渾身の突き。
いや、速度と言い威力と言い「射程距離」と言い。凄まじい。と言うか、見たことも聞いたことも無いぐらいだ。
凄いな。
「凄い」としか、言い様も表現も何も無い。
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『初見で、これを躱すかぁ?!』
ラフィの編み出した「必殺技」の中でも、特別に完成度が高く、俺も気に入っている「ダランからのドバッ(*1)」を躱されて、俺は内心舌を巻いていた。『流石、剣聖。』と。
これが実戦ならば、サッサと尻尾巻いて退散して居たろう。模擬試合で、互いに防具「木の鎧(*2)」を付け、剣も練習用の「細く薄く切った木を中空の円柱に束ねた」剣(*3)だから、「試合続行」しているが、これが実戦だったら、こんなの相手にしたら、いくつ命があっても足らない。「三十六計、逃げるに如かず」とか、言うらしいじゃぁ無いか。
言い替えれば、この初手の一撃を躱された時点で、俺は「片田舎の剣聖」ベリル・ガーデナント氏に敗れていた、訳だ。
だが、今は実戦じゃない。試合は続行している。
ならば、これは、どうだ?
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「全身脱力からの全力刺突」は、謂わば奇襲戦法だ。詭道とも言えるだろう。
だが、シュプール氏は、そんな詭道・奇襲だけの剣士では無い。それは、何合か斬り合うだけで、イヤと言うほど感じられた。
突きの正確さ。斬撃の早さ。どちらも相当なモノだ。ナントカ躱し、逸らし、受けては居るが、反撃の機会を掴むのさえ難しい。
偶に繰り出す反撃も、尽く躱される。
それだけじゃない。躱して、大きく体勢を崩しても、その体勢から、今まで見たことも無い様な反撃が来る。驚異的な体幹、というべきだろう。
いや、やっぱり凄いや。
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喉・・・肩・・・これもダメか。
右腕・・・と見せて頸!!!・・・もやっぱりダメだ。
一体どんな目ぇしてやがるんだ、この「剣聖」は。こっちの攻撃は尽く読まれ、対応され、反撃されている。色々手を尽くすが、全然通用しない。
ここまで通用しないと、返って清々しいな。何というか、人では無くて、水の流れか、流れ落ちる滝を相手に剣振るっている様な、妙な感覚だ。そう気づくと、妙なことだが笑いがこみあげて・・・
おや。ベリル氏も笑っている、様だ。
この防具「木の鎧」で被る「兜」は、基本的に厚い布製で、顔面を金属の格子で守っている。格子は剣が突き入らない様、結構細かく、対戦する相手の表情を見るのは難しいのだが、馴れてくると、案外判るモノだ。カンみたいなモンだな。
その俺のカンが、ベリル氏の「微笑み」を感じ取って、いや、「見て」いる。
そうだな、楽しいや。
こんな感覚は久しぶりだ。互いに振るい、躱し、逸らす剣が、丁々発止と息の合った掛け合いの様に思えて来る。
何時までも、続けていたい、位だが・・・
『だが、これなら、どうだ!!!』
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一際大きな剣戟の音が響いた。
ベリル・ガーデナントの斬撃は、シュプール・アイレンテールの踏み込んだ片足を捉えていた。
シュプール・アイレンテールの突きは、ベリル・ガーデナントの「木の鎧」胸部を突いていた。
「それまで!
両者、引き分け!」
主審を務めるアリューシャ・シトラスの判定に、副審を務めるラフィ・アイレンテールが同意の首肯を返す。
稽古場内の客席を埋める村人達は、喝采の声を上げ、拍手を送る。
「イヤァ、凄かった。もっと見てたかったなぁ。その剣。」
ベリル・ガーデナントが頭部を保護する防具を外し、シュプール・アイレンテールに歩み寄り、右手を差し出す。練習用の剣は、アイレンテール流に従い、左手で防具と共に左腰の辺りに持ち、携えている。
「ご指南ありがとうございます・・・感服しました。」
シュプール・アイレンテールも同様に防具を外し、剣と共に持ち、右手を握り返す。
二人の握手に、場内の歓声と拍手は一層大きくなった。
「イヤァ、凄かったねぇ。おらぁ、剣術のこたぁナンも知らねぇが、今の試合が凄い、ってのは、判るべや。」
「私も、当道場で剣術を初めて学ぶ程度の若輩ですが、今日は今まで見たことの無い先生の技を幾つも拝見しました。
それを全て躱された、”片田舎の剣聖”殿も、凄まじい、かと。」
見るからに農夫然とした老人と、中年の男性も、興奮冷めやらぬ様子。
「すると何か。おらが村の先生は、”片田舎の剣聖”様と引き分けるぐらい、スゲぇ、っちゅうことかいな。
オラ、ぶっ魂消たなぁ。」
賛嘆を重ねる「見るからに農夫」に、背後から小さな影が忍び寄る・・・いや、急速に接近する。
「何々?入門をご希望ですかぁ?運が良いですよ。今なら入門料無料で、三ヶ月は月謝無料の特別コースがありますぅ。」
営業を始めるラフィ・アイレンテールに茶々を入れるのは、「村一番の大工」ゲンさんだ。
「その”無料の三ヶ月”だけで止めよう、って思ってんなら、ハナっから始めない方が良いぞ。
俺なんざ、その”三ヶ月”の後、止めるに止められずに、ズルズルと・・・」
愚痴る大工のゲンさんに、ラフィ・アイレンテールは容赦が無い。
「えーっ、ゲンさんの入門した頃は、無料期間は1カ月でしたよぉ。
それにゲンさん、今じゃ道場の古株じゃぁ無いですか。稽古も毎週の様に来てるし。」
「そりゃ、お前ぇ、俺が止めようかと思う頃に、決まって女先生が誉めるモンだから・・・」
言いよどむ大工のゲンさんに、ラフィ・アイレンテールトドメの一撃。
「それだけ当アイレンテール道場が、稽古が、居心地の良い場所、楽しい時間、ってこと、でしょ?」
ゲンさん、渋々頷くしか無い。
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「先生のお言いつけ通り、”勝敗が誰の目にも明らかで無い限り、引き分けに”、と言うことで、”引き分け”にはしましたが・・・」
昨日と同様、就寝前にラフィさんが淹れてくれたお茶を喫しながらも、アリューシャは不満タラタラ、って感じだ。
「これが実戦なら、先生は勝ってました。」
まあ、試合会場から今まで、それを口に出さずにいただけに、不満も溜まった居たのだろう。気持ちは判るよ。けどねぇ。
「それが判らないシュプール氏、だと思うかい?」
そう問われると、何とも返しようが無い、らしい。「それが判る」のは、あの場では当のシュプール氏と・・・ラフィさんぐらいだろう。
「逆に考えて御覧よ。判定が微妙な所なのに、アリューシャが俺の勝ちを宣言しても・・・見ている村人達は、納得しないよ。判らないから、ね。」
流石にアリューシャは事態を察した、らしい。
「そうなると、主審たる私が、”先生を贔屓した”ことになる。
レベリオ騎士団にも、先生にも、不名誉なことになる、訳ですね。」
小さく吐息。一寸可愛い、アリューシャ。
「そこまでは思い及びませんでした。
未だ未だですね、私は。」
でも、シュプール氏やラフィさんは、一寸判りませんよ、と、まぁだアリューシャは拗ねている様子。
いやぁ、そりゃぁない。そりゃぁないよ。
だって、あ・の・シュプール氏だよ。
おじさんはその点、大安心してるんだけどね。
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「シュプール・・・・」
明日は出発するベリル氏とアリューシャ騎士団長を送る「送別会」も切り回して大忙しだったラフィが、寝所に入ったらかなり静かだったから、流石に寝たかと思っていたのだが、そうでは無かった様だ。囁く様に小声で、済まなそうに、言って来た。
「ああ、判っている。実戦なら、俺の負けだ。」
ベリル氏の俺の脚への斬撃の方が、俺の突きが届く一瞬前だった。あの一瞬で、脚を切られては、バランスが崩れて、俺の突きは、当たらない。
イヤ、今日は防具を着けていたから、胸回りも生身より幾らか太くなっている。ベリル氏ならばあの一撃、喩え俺が脚を斬られていなくても、躱したんじゃ無いか、と思える。
つまりあの時ベリル氏は、俺の脚へのベリル氏の斬撃が入るのを確信して、俺の刺突を敢えて防具の胸部に受けた。躱さなかった、訳では無いが、ワザと躱し損ねた、疑惑は大いにある・・・・と言うより、「ワザと躱し損ねた」と、確信できる。
恐るべし、「片田舎の剣聖」。
そう言えば、ベリル氏は今や王国の首都バルトレーンで、王国一のレベリオ騎士団の特別指南役だ。いつまで「片田舎の」なんて変な修飾語がついているんだろうな。
いや、どこに居ようと、田舎で剣術教えていようと、あれこそ正に、「剣聖」と呼ぶに相応しい人、じゃぁなかろうか。
そう思えるって事は、俺の完敗って事だ。ラフィがあの後妙に陽気にふるまっていたのは、この事態を糊塗するため、だったのだな。妙に納得すると共に、やたらに愛おしい。本当、ウチの嫁さんは、可愛いよな。
「シュプール・・・」
「それも判ってる。明日から特訓だろ。
で、今度は何をどうすりゃ良いんだ?」
尋ねるが、ラフィの奴、珍しいぐらいに元気が無い。歯切れが悪い。それだけ、「片田舎の剣聖」が、凄い、って事だけどな。
「未だ、判らない・・・・未だ。」
ホントに珍しいな。これだけしおらしいラフィは。
こんなラフィを久々に鑑賞できるのも、ベリル・ガーデナント氏のおかげ、だな。
「でも、なんか考えるわ。
待ってなさいよ、"片田舎の剣聖"。次に勝つのは、ウチの旦那、なんだからぁ。」
あ、割り切りやがった。切り替えやがった、ラフィの奴。
こうなりゃ、もう心配は要らない・・・ラフィは、だが。
今度は一体どんな無理難題を言い出すか、それは一寸心配、ではあるが・・・
「まあ、俺としても、ベリル氏との再戦は、楽しみだな。あれだけ楽しい試合は久しぶりだった。
だが、バルドレーンへ行くとなると・・・スフェン教会が、厄介だな。」
元々、俺たちが田舎暮らしを始めたのは、スフェン教会の影響力が首都バルトレーンよりも大分小さいから、だった。
それなのに、こちらからバルトレーンに出掛けていったのでは、田舎暮らしを始めた意味が、「無い」とは言わないが、薄く、小さくなる。
まあ、此処の暮らしの方が、俺には性に合ってるけどな。
「ウーン、スフェン教会の方は、打つ手はあるんだけどねぇ。その手を今打つかは、一寸疑問なのよねぇ・・・」
いや、「打つ手」が「ある」のかよ。あの、スフェン教会相手に。
イヤイヤ、訂正。ラフィが「打つ手がある」と言ったら、絶対確実に「ある」のだろうが・・・とぉんでも無い「打つ手」である可能性は、否定出来ない。
じゃないな。とぉんでも無い「打つ手」に違いないんだな、これが。
一寸、勘弁して欲しい。無茶な特訓の方が、まぁだマシだ。
「オイ、ラフィ。大事(おおごと)も、暴力沙汰も、刃傷沙汰もゴメンだぞ。
俺は此処の暮らし、結構気に入ってるんだから、な。」
ラフィの奴も此処の暮らしは、相応に気に入っているから、流石に反応は鈍い。
「そうねぇ・・・"大事"は避けられそうに無い、かなぁ。
じゃぁ、この手は”無し”ね。」
どんな「手」か知らないし、知ろうとも思わないが、是非、そうしてくれ、頼む。
って、俺の心中の声が聞こえたかの様に、ラフィの奴、ニヤリと笑いやぁがった。
「そう。今は、ね。」
あ、こりゃダメだ。
スフェンドヤードバーニア国内では国教として絶大な権威を誇り、レベリス王国内にも相当な影響力を誇るスフェン教会も、こりゃ、長いこと無さそうだな。
全く、ウチの嫁さんは、おっかないや。
「シュプール・・・」
三度呼びかけてくるラフィだが、流石に俺ももう思い当たることが無い。
「今度は何だ?」
仕方なく問い返した。明日からの特訓メニューでも思い付いたかな。
「・・・・大好きっ!」
・・・そう来たか。
『おっかないや』なんて思ったのが、顔にでも出たかな。イヤ、カミさんなんて、男ならば誰でも、おっかないモンだろう。
その「おっかない」と、カミさんが愛おしいってのは、別に矛盾もしなければ、相反的ですらない。否、寧ろ、相補的でさえ、ありそうだ。
だから、言ってやったんだ。柄にも無く、な。
「・・・俺もだよ。」
途端にラフィの奴、電撃でも喰らったみたいに急に起き上がった、かと思ったら、次の瞬間寝具の奥深くに沈み込んじまいやぁがった。何だ、その反応は。
で、その寝具奥深いところから、分厚い寝具を貫通する様な大声で、続けた。
「な、なな、ななななななな、なぁんてこと言うのよ、いい年したおっさんがっ!ああ、恥ずかしぃっ!!!」
いや、寝具を貫通するどころじゃないな。こりゃ屋敷中に聞こえてるな。当然、「片田舎の剣聖」氏にも。寝てるとこ起こしてなきゃ良いけれど。
「いや、お前もそろそろ、良い年したおばさんだって、自覚した方が良いぞ、ラフィ。」
そのお前が、言い出したことでもあるし、な。
「”トモシラガ”ってんだろ。お前の好きな、東洋の島国では。」
男女が一緒に白髪になるまでと、末永い愛を誓う、とか言う。
「永遠の愛」とか言う、明らかな絵空事より、余程現実的で、だからこそ、俺たちの「異端的スフェン教式結婚式」にも「誓いの言葉」に取り入れたフレーズ。
ルーシー師団長も酷く感心していたっけ。何とも不思議な表情を浮かべながら、それでも面白がって。一寸懐かしい。
そんな、ちょとセンチな記憶を、ラフィも思い出していたらしい。寝具の底から再浮上したラフィが、顔を寝具から出して続ける。
「”お前百まで。わしゃ九十九まで”ね。私たちの結婚の誓いにも使ったわ・・・
でも、そんなんじゃダメ!!」
ラフィの奴は身を起こした。今度は、寝具の上に立ちあがらんばかりの勢い。
「それじゃ、シュプールが私より先に死んじゃうじゃ無い。
そんなの絶対、許さないんだから!」
その大声じゃ、村中が目を覚ましそうだな。「死者が目覚める」までも、もう一歩、でしか無さそうだ。
「ああ、長生きする様、気をつけるよ。」
俺がウッカリ死んじまったら、この嫁さんは、禁忌とされる「死者蘇生魔術」に手を出す・・・どころか、没頭しかねない。
更にウッカリすると・・・いや、多分、確実に、其奴を実現しかねない。
いや、責任重大だな。俺。
『こうして二人は、末永く幸せに暮らしましたとさ。めでたし、めでたし。』
- <注記>
- (*1) このネーミングばかりは、気に入っているとは言い難い。「ネーミングで、正体がばれる」って点も含めて。
- だが、ラフィの奴、頑として「改名・改称」を許さない。こういう時、あいつは全く頑固だ。
- (*2) 他に名前が無いのか、とこれも思うが、皆そう呼ぶんでね。
- (*3) 東洋の島国では「シナイ」とか呼ぶそうだ。これも何か、良いネーミングが欲しいのだが。
. ラフィ様。大きく、お強くなられて・・・爺は、嬉しゅう御座います(*1)。
元々、ラフィ・アイレンテール嬢が生き延びて、「末永く幸せに暮らしました。」と結論づけたいために書き始めた小説である。そのために、アイレンテール卿には若い頃に放浪の旅をしてもらったし、剣の腕も相当に立つ、事にした。魔法師団も見学して貰った。
章題にした通り、ラフィ・アイレンテール嬢も、特に(本小説上は明記していないが)バルトレーンは魔術師学院にて、「治癒魔法の極意を極める」ぐらいの才を発揮した上、「旅の治癒師」にこそなれなかったモノの、「正体不明の仮面治癒師」として、レベリス王国内外を含めて神出鬼没の活躍をしている(*2)・・・ってしょうもない裏設定まで作った。
ラフィがシュプールに出会ってから15年後の設定(*3)だから、ラフィ様も30代に手が届こうって所。ではあるモノの、そのバイタリティと好奇心は益々磨きがかかり、「仮面治癒師」、「アイレンテール道場の女先生 兼 女経営者」、果ては「スフェン教会に対する宗教改革者(の卵)」って盛りだくさんの設定も付けた。
正直、ラフィ様がここまで強く、たくましく、強かになるとは、書き手である私自身が予想していなかった。
だが、これならば・・・スフェン教会相手でも、充分勝算が成り立つだろう。
やっぱり、ラフィ様、凄ぇ。
<注記>
(*1) 「誰が、”爺"じゃぁ!」って、突っ込み希望
(*2) で、治癒魔術を使ってぶっ倒れるラフィを担いで逃げおおせるのが、「従者」シュプールの役目、って裏設定も。
(*3) 漫画版で、シュプールとベリル氏が直接対決する時点。