片田舎の衛兵隊長、剣術師範になる。
 

 偶に居るのである。「死んで欲しくない、幸せに長生きして欲しいが、死んでしまう、ヒロイン」ってのが。

 一例を挙げるならば、シェークスピアの「オセロ」のヒロイン、オセロ夫人たるデスモテーナだな。あれだけ立派な貞婦を、オセロの馬鹿野郎は部下の口車にまんまと乗せられて、あろうことか妻・デスモテーナの不貞・不義を疑い、確信し、その勢いで手にかけて殺しちまうんだから、オセロの罪は万死に価する。自刃なんか許すべきではなかった。

 

 まあ、思い起こせば、私(ZERO)が「死んで欲しくない、長生きして欲しい」と願うのはヒロイン=女性ばかりで、余り野郎=男性に「死んで欲しくない、長生きして欲しい」と思うことは無いようだ。ある種の「性差別主義」かも知れないが、「だから、何?」である。

 

 さはさりながら、「死んで欲しくない、幸せに長生きして欲しいヒロインが、死んでしまう」からこそ悲劇であり、ドラマである、ってのはある種の真実だ。シェイクスピアに限らず「悲劇」とは古今東西そう言うモノであり、「末永く幸せに暮らしましたとさ。目出度し、目出度し。」って話ばかりではない、のも事実だ。

 

 だが、逆に、「末永く幸せに暮らしましたとさ。目出度し、目出度し。」が「昔話の定番のエンディング」であると言う事実は、「ハッピーエンドが、エンターテイメントの基本」という説を裏付けるモノである。悲劇は悲劇で、相応の需要も在るのであろう(*1)が、「登場人物達は、皆幸せになりました。」と断定断言したのは「るろ剣」こと「るろうに剣心」の和月和弘だし、島崎和彦も似たようなエンディングを描いている。

 

 であるならば、「片田舎のおっさん、剣聖になる」の漫画版6巻の「メインヒロイン(*2)である、ラフィ・アイレンテール嬢の死」を受け入れ難い私(ZERO)が、斯様な「ハッピーエンド」を小説として描き出すことは、許容されるべきであろう。

 

 否、許容しろ。

 

 否々、許容されずとも構わない。断行するのみだ。

 

 こういう時、テキストオンリーベースの小説って媒体は、便利だよな。漫画描くには画力も器材も要りそうだし、アニメや映画やドラマとなると途轍もなく手間も金もかかる。最近はCG動画って手もあろうが、これも相当な器材が要りそうだし、それ以上に、私(ZERO)自身に才能も訓練も無い。

 

 だが、小説ならば・・・私(ZERO)の土俵、私(ZERO)の主戦場だ。

 

 Now We START.

 

<注記>

 

(*1) ホラーモノとか、怪獣モノとかでは、斯様な「バッドエンディング」と言うか「これで最後じゃ無いぞエンド」が定番であるらしい。 

 

(*2) サブヒロインとしては、フィッセルとクルニが居る。が、メインはどう考えても、ラフィ様だろ。 


 

  • 小説「片田舎の衛兵隊長、剣術道場師範になる」

  • (1)察知(シュプール)

 危ないところだった.間一髪ってヤツだ。

 一寸前から妙な連中がウロチョロしていたことは知っていた.どうも、アイレンテール邸への侵入を狙った偵察・下見らしいことも、見て取れた。
 何故「見て取れた」かというと、似たような仕事を俺自身、嘗て経験したから、だ。
 一般的に盗賊とか強盗とかやる奴らは、世間一般が思う以上に組織化され、分業化されている。一件の「ヤマを終える」=「強盗なり窃盗なりの犯罪を完了して、分け前を分配して、解散・逃散する」までには、相当な準備と手間と時間をかけており、「対象とした家屋の下見・偵察」ってのはその一環だ。
 ウロチョロしているのを知りながら、それを放置して泳がせたのは、そいつらをふん捕まえても黒幕は割れない、と考えたから。こんなことが「判る」のも、嘗てこんなことをやったことがあるから。全く、世の中、何が役に立つか判らんよな。
 まあ、それだけ屋敷の警備にも、自分自身の腕にも、相応に自信があったから、でも在る・・・後から考えると、随分な慢心で、冷や汗ものだけどな。
 賊の目的は金品か、「何処の馬の骨とも知れず、当然平民出でしかないクセに衛兵隊長になり、今度は騎士の身分になって、領主令嬢の婿になる。ゆくゆくは、アイレンテール領主にさえなりかねない」俺自身だろう、と当りを付けていた。だが、こちらに向かってくるなら望む処では在るが、金品となると、ラフィやアイレンテール卿・・・「お義父さん」と呼ぶべきかも知れないが、まぁだ馴れない。「親父さん」の方が、しっくり来る・・・の身に危険が迫る事も、考えられた。

 ラフィに心配かけるのは心外だったので、「親父さん」には一言言うことにした。思えば、その「一言」が俺たちの運命を分けた、ことになるかな。
 屋敷へ侵入を企む輩が居るようなので、警戒し、万一の場合は即座に逃亡するなり隠れるなりするように言うと、「親父さん」は珍しいぐらいに険しい表情となり、ラフィも含めて「家族会議」を開く、と宣言した。
 その晩、夕食後の「家族水入らずの団欒」って事にして、徹底した人払いと厳重な警戒下で実施された「家族会議」で、「親父さん」は、「屋敷への侵入を狙う(らしい)連中」が、「実はスフェン教会の手先」である可能性を明言した・・・
 国教であるスフェン教の教会を、「危険視」どころか「敵視」していると解釈されかねないこの発言は、「スフェンドヤードバーニアの一地方領主の発言」としては、「不穏当」どころではない。然るべき所に漏れたら、それだけで宗教裁判沙汰になって、十中八九火あぶりだ。
 宗教裁判、特に異端宗教裁判は、「火あぶり」以外の判決を出すことは、滅多に無い。
 アイレンテール卿として、「模範的な領主」と言って良い親父さんは、スフェン教の熱心な信者としても知られている。無論、アイレンテールの領主としては、それも「模範的」の一環なんだが、それ故にこそ、親父さんの「反スフェン教会的発言」は、俺を驚かせた。

 だが、俺をもっと驚かせたのは、ラフィだ。このお嬢さん、教会が屋敷を狙っているらしい、と聞いた途端、アッサリと言ってのけたんだ。
 
 「じゃぁ、逃げちゃいましょ。」

 「どうせ大した財産は無い。」とか、「シュプールとなら、何処でも生きていける。」とか、甘い考えと甘ったるい科白に、俺が何も言えないで居る間に、ラフィの奴、すっかりこの「領外逃亡」論で盛り上がってしまい、遂には「旅の治癒士として国中を廻る」とまで言い出した。
 唖然、呆然。半ば以上途方に暮れる俺を尻目に、親父さんは何処か寂しげな微笑みを浮かべて、語り出す・・・親父さん、今日のこんな事態を予想し、覚悟していたのか。

 「ああ、ラフィ。よくお聞き。確かにこの屋敷も領地も大したモノでは無いよ。
 だが、このアイレンテール領に暮らす領民は、確かな宝だ。我がアイレンテール家が、代々守り通してきた、財産だよ。
 だから私は、此処を離れない。此処に暮らす領民を、守らねばならないのだよ。
 そう、時として、教会からも、ね。」
 そう語る親父さんの表情は、今まで見たこと無いようなモノで・・・俺は、親父さんの領主としての苦悩を垣間見た思いだった。

 今更ながら、ではあるが。
 そりゃ、単に「娘(ラフィ)に甘いだけの、育ちの良いボンボン」で無いことぐらいは、俺だって承知していた、のだが。
 
 「シュプール。ゆくゆくはお前にこの領地も領民も任せる心算だったが、どうやらそれは適わないようだ。」
 親父さん、俺の方に向き直ると、今度はヒドく厳めしい顔つきで語り始める。相変わらず俺は、返事すらロクに出来ない。そりゃ、ラフィと結婚する、それも「嫁に取る」では無く「婿になる」だし、アイレンテールの名を継ぐことも「次代の領主」と目されることも、想定はしていたが・・・正直、全然実感が無かった。
 それを言うなら、あのラフィが、俺の結婚相手となり、ラフィと晴れて夫婦になるって事自体が、未だに「実感が湧かない」ところなんだが。
 「だから、と言う訳では無いが・・・ラフィを、頼む。」
 「・・・拝命致します。領主様。」
 辛うじて出てきた俺の科白は、我ながらぎこちなく、しゃちほこばっていたが、これがその時点での俺の精一杯だった。
 そんな俺に、思い切り気合いを入れてくれたのは、親父さんだった。一寸近づいてきた、と思ったら、目にも止まらぬ早業で、俺の背中を一はたき、返す刀で胸ぐらを拳で小突いた。今思い出しても、あの時の親父さんの動きは、尋常ではない。
 或いは、それほどに俺が動揺していた、ってことか。
 「違うだろう。シュプール。お前の言いたいことは、そんなこと、そんな科白じゃぁ、無いはずだ。」
 イタズラっぽく、と言うよりは、悪賢く見えるような盛大な笑みは
、これも俺が初めて見る親父さんの表情だが・・・そう、この人は、ラフィの父親なんだよな。

 「・・・判ったよ。親父・・・・任せてくれ。」

 漸く出てきた俺の科白に、今度こそ親父さん、破顔一笑してみせた。
 ああ、俺は衛兵として、衛兵隊長として、この人に仕えながら、この人から学んでいなかったことの、何と多かったことか。「人を見る目」には、相当に自信があったんだが、一寸自信喪失だ。
 
 一頻り笑い終えた親父さん、今度はラフィの方に向き直って、また別種の笑みを浮かべながら、語りかけた。

 「ラフィ。お前の言う、"旅の治癒師として国中を廻る”と言うのは、危険すぎて非現実的だ。
 スフェン教を国教とするこの国で、教会の魔手を逃れることは、先ず無理だ。旅の先々で"治癒師"として活動するなら、尚更だ。」
 親父さんの笑顔に、悲しみ、寂しさの色が濃くなる。
 「・・・国外逃亡、しかない。レベリス王国へ行くが良い。」
 国外ってのは、流石のラフィにも想定外だったらしい。
 「お父様!」
 悲鳴にも似たラフィの叫びにも動じず、親父さんは静かに言葉を紡ぐ・・・多分、これも、昨日今日考えついたことじゃぁ無いはずだ。
 「かの国では、スフェン教会の言う”奇蹟”を、”神のみ技”では無く、自然現象として、学問の対象にし、研究している。
 そのため、魔術="奇蹟"を使う者は、国として手厚く厚遇されている。
 その首都バルトレーンで、魔法師団のルーシー師団長を訪ねると良い。ラフィほどの治癒師=治癒魔術の使い手ならば、徒や疎かにはしない、筈だ。」

 「連絡はしておく。一度お会いしたきりだから、少なからず心許ないが・・・最良の方法だと思う。
 どうかな。」
 ラフィの奴は、不満タラタラどころでは無い、爆発寸前のふくれっ面だが・・・暫くその爆発寸前を維持したまま、口を閉じて黙っていた。目には一杯に涙をたたえているが、あの可愛いお団子頭の下で、小さな灰色の脳細胞がフル回転していることは、付き合いの長い、もとい、深い、俺には判った。

 「・・・ルーシー師団長も、魔法師団も、少しは知っています。確かに、お父様の言う通り、最良の方法かも知れません。」
 呟くように返したラフィは、此処で一息入れると、声を張り上げた。
 「でも、お父様だけ置いて、シュプールと二人で国外逃亡とは!」 そう言いつつも、言葉を途切らせたのは、ラフィ自身が「最良の方法」と認めたって、ことだ。それぐらいは、俺でも判るんだ。親父さんなら尚更だろう。
 「効果十分」と認めのだろう。再び親父さんは俺の方に語りかける。今夜は、親父さんの独壇場だな。

 「シュプール、お前には悪いが、悪役になって貰うぞ。
 領主の娘を誑かし、金銀財宝、あわよくば領主の地位さえも狙い、殺そうとした、悪役だ。
 その陰謀が発覚して、娘だけ攫って逃走する、って役柄だ。当然、お尋ね者になるし、国内で捕縛されたら、死刑は免れないだろう。」

 ヒドい言われようだが、不思議なぐらいに腹は立たない。親父さんの言葉に、親父さんの覚悟が、感じられたから、かも知れない。
 
 「我がアイレンテール領の領地領民と、ラフィを守るため、だ。
 この筋書きなら、国外逃亡しおおせる以前に捕縛されても、ラフィだけは、助かる。当面は、だが。
 酷く損な、分の悪い役割だが・・・頼まれてくれないか。」

 「おーとーさーまー!」
 ラフィの科白は妙に陰に籠もっている。つい先刻までの「爆発寸前のふくれっ面」から切り替えて、「邪悪な怒り」を露わにしている。いつもながら、このラフィの表情の豊かさと瞬時の切り替わりは、見ていて惚れ惚れする。
 「シュプールが死んだら、わ・た・し・は・・・・」
 その先は想像が付くが、絶対に止めてくれ。俺は悲鳴を上げそうになった。
 が、親父さんの方が早かった。
 「無論、そうならないように全力を尽くすのが、私の役割だよ、ラフィ。
 私は、”娘を攫われ、命まで狙われた”領主として、その下手人たるシュプールを持てる限りの全戦力で追わせる。
 明後日の方向に、な。
 ああ、教会にも至急応援を依頼しよう。」
 この策には、さしものラフィも呆気にとられたらしい。驚愕の表情で固まっている。「呆気にとられたラフィ」ってのも、相当に貴重なシロモノだ。
 今夜は、驚かされることばかりだな。
 「さて、目的地は決まった。捜索・追撃は早い段階に始まる。誤誘導はするが、それを含めて、脱出路は慎重に選ぶべきだろう。
 地図が要るな。バルドレーンまでの。・・・ああ、これだ。」
 親父さん、壁際の書棚を引っかき回す、程もなく、必要な地図を広げ、並べて見せた。アイレンテール領ばかりでは無く、スフェンドヤードバーニア国にも止まらず、レベリス王国首都・バルトレーンに至る地図を。
 「万全を期するためには、な。”三重化”するそうだ。つまり、脱出路も三系統用意するのが望ましい。
 私の考えでは、その三系統とは・・・」
 親父さんの新たな面を目の当たりにしながら、俺は、「領主ってのは、とんでもない仕事だな。」と、妙なことに感心していた。

 いや、そりゃ領主に依るし、領地経営にも依るのだろうけれど。
 

  • (2)計画(アイレンテール卿)

  「屋敷を狙っている者があるようだ。」と、シュプールから聞いたとき、「来るべきモノ」とは言わないが、「想定された事態」が現実化した、と考えた。ラフィが、スフェン教会の誘いを断り、「奇蹟の対象」を自分で選ぶと宣言したときから、こうなることは、「ありうる事態」だった。
 スフェン教会が「奇蹟」と呼び、「神のみ技」とするラフィの才能は、スフェン教の支配及ばぬ異国の地では、「魔法」とか「魔術」とか呼ばれて、場所によっては学問・研究の対象になっている。
 斯様に公言するだけで、スフェン教会からは「異端」とされ、火炙りにされかねないのだが、「学問・研究の対象」となり、研究されているのは、紛れもない事実だ。また、その成果として、「魔術師」を集め、教育育成し、その魔力・魔術を強化して居る国もある。
 いや”魔術師を集め、教育育成強化している”と言う点では、スフェン教会も遜色ないが・・・異国で言う「魔術」を、スフェン教では「奇蹟」と言い替え、「スフェン神への信仰」と結び付け、それ故に「”魔術師”を集める」のも「”魔術師”を教育育成強化する」のも、スフェン教会が一手専売・独占している。

 そして、「”奇蹟”を一手専売・独占しているスフェン教会」としては、教会とは独立した「奇蹟」と言うのは、甚だ都合が悪い。

 ラフィの「旅の治癒師」構想も、「奇蹟の対象は自分で選ぶ」宣言も、教会からすれば「異端」って事になる。スフェン教が国教で、民も貴族も王も敬虔なスフェン教徒ばかりのこの国では、「異端」も滅多に無いし、「異教徒」はもっと珍しいから、無理もないのだが、異端・異教徒に対する教会の仕打ち・仕業と来たら・・・「筆舌に尽くし難い」とは正にこの事だ。

 そんな「教会の仕打ち・仕業」を、私が知っているのは、若い頃に国の内外を問わぬ、我ながら長い放浪の旅を許してくれた、前領主たる父のお陰だ。スフェン教会の支配及ばぬ異国や、比較的新しく我が国に併合された「元異教の地」を旅することで、「筆舌に尽くしがたい教会の仕打ち・仕業」も、数多の出会いや経験と共に、学ぶことが出来た。
 
 そのお陰で、ラフィの身に教会の魔手が伸びるであろうことも予測出来た。シュプールの報告は、その予測と、他の幾つかの情報を裏付けるモノで、決定打と言えた。
 その日の夜、夕食の後、厳重に人払いした「家族会議」の席で、スフェン教会が「賊」として我が屋敷を狙っている可能性を告げた。
 シュプールは、少なからず驚いているようだった。
 ラフィが驚かなかったのは、一寸した驚きだが、アッサリと「領外逃亡」を言い出してくれたことは、助かった。我が娘ながら頑固だから、「教会との全面対決」とか、「アイレンテール領全土全領民を挙げての蜂起」とか言い出さないかと、一寸、イヤかなり、心配していたのだ。
 ラフィが言い出せば、きっとそれは、実現してしまうから、でもある。
 以前から語っていた「夢」、「旅の治癒師」構想を語ってくれたのも、実に好都合だった。私としても少なからず言い出し難かった「国外亡命」構想を、かなりスムーズに切り出せた。
 その後のラフィの反発は、予想の範囲に止まった。何しろ頭の良い子だ。順に理を説いて聞かせれば、判らない筈は無い、とは確信していたが。
 その後の計画、特に逃走経路の三重化と精緻化には、ラフィの知識が大いに役立った。我が領地内なら未だしも、外国であるレベリス王国の内情まで、何処でどう知ったのやら。
 
 思わないではなかった。ラフィが教会の誘いを無碍に断らず、「教会の推奨する”奇蹟”対象に対する拒否権」程度で妥協して教会と折り合いを付けてくれていたら・・・領主夫人にして「大奇蹟の具現者」となり、シュプールと二人でアイレンテール領と領民の安寧をはかってくれたら、我が領地は、アイレンテール家始まって以来の繁栄を極めた、のではないか、と。
 「アイレンテールの聖女」なんて二つ名が、頭をかすめたことも、一度や二度ではない。
 
 だが、ラフィは、その技「奇蹟」の対象を、自らの意志で選ぶと
宣言し、教会の介入を拒否した。その「自由」の意味も意義も、私には理解できた・・・これも、再三の長旅を許してくれた父=先代領主のお陰、でもある。
 
 その「自由」は、スフェン教会との全面的対決を惹起し、国外亡命を余儀なくさせる。
 だが、ラフィの技、「大奇蹟」、異国で言う「治癒魔術」は、その国外亡命では大いに役立つ、可能性がある。
 そこから捻り出したのが、「レベリス王国への亡命」であり、「ルーシー魔法師団長を頼ること」である。
 前者は兎も角、後者は随分と無理のある、無茶な計画だ。何しろ魔法師団長とは「面識がある」という程の縁は無い。あちこちほっつき歩く旅の途中で、偶々魔法師団を見学し、その際「多くの見学者の一人」として、お目にかかったきり、なのだ。 
 ああ、「スフェンドヤードバーニアからも、見学者が来ております。」って案内役の言葉に、「ほう。此処で教えているのは、”神のみ技”ではなく、”人の知恵”としての魔術、なのじゃがのう。
 スフェン教会から”異端”扱いされぬよう、見学も、報告も、慎重に、な。」そう言って、高笑いされていたのは覚えている。
 見た目はどう見ても10才かそこらの、少女と言うより幼女なのだが、その迫力、貫禄。オーラとも魔力とも言い難いモノを、かなりの距離を隔てていても感じたこと、も。
 「あのお方が、ラフィとシュプールに助力して頂ければ・・・」言葉にするそばから、儚い望みだと思う。向こうはこちらの顔も名前も、覚えて居るどころか、ハナから知りさえしないだろう。
 だが、ラフィの「大奇蹟」とも言い得る強力な「治癒魔術」ならば・・・少なくとも「路頭に迷う」様なことはあるまい。

 決行は、シュプールの叙任式当夜、とした。アイレンテール領あげての大宴会、になる筈だ。領主たる私は、そこでしこたま酔っ払い寝入りばなを「賊」に襲われる。「賊」がシュプールだと気付いた私は、娘のラフィも居ないことを知って、怒り心頭。支離滅裂な指示を出し、「結果として」ラフィとシュプールの逃亡を助ける。そう言う筋書きだ。
 
.

  • (3)逃亡(シュプール)

 叙任式は無事に済んだ。やれやれだ。諸々の計画をこの日に合わせていたから、一晩延びても都合が悪かったし、それ以前に「賊」=スフェン教会の襲撃を受けてもマズかった。
 叙任式当夜、次々に差し出される祝杯、返杯をナントカ誤魔化してなるたけ飲まないようにして、打ち合わせ通りの時間にラフィの寝所へと走った。
「時間」は親父さんが渡してくれた機械仕掛けの時計であわせた。日の出と日の入りを基準にして、教会の鐘が知らせてくれる日常的な時間と、機械仕掛けで一定間隔(多分)の時計とは、「しょっちゅう調整しないといけない」のが常識だが、俺たちの間でタイミングを計るのには持って来いだった。
 行きがけに物陰から飛び出してくる奴があった。不意の殺気にとっさに放った一撃で、其奴は声もなく絶命した。が・・・いつぞや屋敷を探っていた「賊」の一人だった。
 それに気づいた俺は、少なからず慌てた。実際の襲撃と「計画実行」が重なったらしい。先ずはラフィの安全を確保して、その上で、親父さん、だ。
 ラフィの寝所に音を立てないように忍び込むと、俺は囁き声でラフィを探した。「ラフィ。起きろ。奴らの襲撃と重なった。先ずは逃げろ。次に親父さ・・・」
 俺の言葉は止まり、口は開けっぱなしになった。窓からさし込む月明かり星明かりから、ラフィが計画通りに闇夜に溶け込む暗色の衣服なのは知れた。が、問題は、その上、小さく乗った頭の、上だ。未だフードを被って居らず顔も頭もうなじも剥き出しのラフィの頭頂部に、「
お団子」が、無い。

 「大丈夫。襲撃が重なるのは想定内よ。父はああ見えて、若い頃結構なやんちゃしてたそうだし、起きて待ち構えていれば、そんじょそこらの夜盗ぐらいじゃ・・・ああっ、これ?」
 ラフィの言葉も耳に入らぬまま、バカみたいに口開けて固まっている俺の表情に、ラフィは自分の頭頂部に手を当てて、続けた。
 「逃げるのに、邪魔でしょ。
  それに、髪を切っていれば、”男”って言い張ることも出来るし。男女二人連れよりも、男同士二人の方が、旅では目立たないでしょ。」
 いや、それは、髪型だけの問題じゃないから、無理があるだろう。
 「”髪は女の命”って言葉もあるんだぞ・・・」俺の口から悲鳴のような科白が漏れたが、どうも今の状況には似つかわしくない。
 「何よ。髪なんて、放っときゃ伸びるわよ。伸びてから式挙げれば良いでしょ。 
 私の命は、そんなに安くありませんよぉっだ。」
 ベッと舌を出して見せるラフィも、やっぱり今の状況には似つかわしくないが。
 「さっ、当面生き延びないと、髪伸ばした私は拝めないわよ。サッサと逃げて、生き延びるわよ。」
 全く、このお姫様と来たら・・・・いや、このバイタリティ。この活気。このエネルギー。これでこそ、俺の嫁さんか。

 「よぉし。走るぞ、ラフィ。」
 俺は俺自身に気合いをかけるようにして小声ながらも檄を飛ばす。

 「了解、シュプール。」
 だが、ラフィはそれだけでは済ませなかった。

 「だ・ん・な・さ・ま・?」

 いや、一寸、今は止めてくれ、流石に。
 

  • (4)「発覚」(アイレンテール卿)

 「瓢箪から駒」とか「嘘から出た真実(まこと)」とか、東洋の島国では言うそうだ。何とも奇妙な言い回しだが、真実を言い当てているのかも知れない。
 二人の「逃亡発覚」のタイミングを計っていた私の寝所に、闖入者があった。無論、シュプールではない。それも、二人も、だ。
 私も寝入っていたら、到底ダメだったろう。だが、今夜はあいにく私は起きて居り、しかも随分と神経を高ぶらせ、張り詰めていた。「寝ている」事になっていたから寝所はろくに灯りも無く、第一私は寝台に横になってなど居なかった。「寝ている」かの如く見える様になっていたのは、半ば偶然、半ば用心だった。
 だから、闖入者達が放った「必殺」の一撃は、モノの美事に空振りで、高価な寝具を切り裂いただけに終わった上、一人は私にその首を差し伸べる形になった。
 無論、そんな首を落とすのに、躊躇も情けもない。何時聞いてもイヤな音を立て、その首は床に転がった。
 もう片方の闖入者は小さく悲鳴を上げ、逃げようとした、が・・・この場に「シュプールが居ない」ことを証言する口は、封じなければならない。背後からの突きは心臓を貫き、こちらももう一つ小さく悲鳴を放っただけで、絶命した。
 機械式時計を見ると、頃合だ。実に良いタイミング。襲撃してくれたスフェン教会に、感謝したいぐらいだ。
 いや、未だ賊や、賊のシンパが屋敷内にいる可能性はある。ちゃんと、仕上げはしないと、な。
 「誰や、ある!賊じゃ!!侵入者じゃ!!!」。
 大声を上げ、灯りを大きくする。闖入者共の流す血が、寝具も寝所も台無しにしてくれているが、仕方が無い。
 更に一段と大きく、私は声を張り上げる
 「シュプールが!!シュプールが!!!
  はっ、ラフィは何処じゃ、無事かぁぁぁ!!!」

 さて、これで騒ぎが大きくなる。我が衛兵隊の中に潜んでいる可能性が高いスフェン教会の手先も、そうおいそれとは手を出せなくなる。衛兵隊がスフェン教会に未だ完全掌握されていなければ、だが・・・そこは「賭け」だ。が、分の悪い「賭け」ではない、と思っている。
 第一、私は今や、起きて武装ししかも激昂している。そこらの剣士風情ならば、目に物見せてくれるぞ。
 

  • (5)逃亡2(シュプール)

 「シュプールが!!シュプールが!!!
  はっ、ラフィは何処じゃ、無事かぁぁぁ!!!」

 遠くに聞こえる親父さんの「悲鳴」に、俺は少なからず安堵していた。「兎も角逃げる。」「想定内だから、大丈夫。」とラフィに促され、半ば以上強制されるようにして早馬に跨がり、計画していた逃走路(正確には、逃走計画140A4。(*1) )に届いた親父さんの怒声は、親父さんの無事と健在を、何よりも明白に証拠付けていた。

 早馬で駆けながら、ラフィの馬に寄せて、可能な限り小声で俺は声をかけた・・・と言っても、走る馬上からだから、結構な音量だが。

 「襲撃が重なったこと以外は、今の所順調だな。」

 ラフィを元気づける、心算だった。親父さんは無事だし、此処までは順調。元気を出し、勇気を出さねば、この先やっていけない。
 装備も補給も万全なまま、士気崩壊して壊滅潰走する奴らを、俺は目の当たりに見てきたんだ。空元気も元気のウチ。空でも兵を元気にするのが、指揮官ってもんだ。
 俺みたいな「人の上に立つ」なんて柄じゃないのが、曲がりなりにも衛兵隊長様なんて勤められたのは、人より「元気にする」才が在ったから、或いはそう言う方向に努力を向けたからだと、俺は思っている。

 だが、ラフィは、ウチの嫁さんは、ハナっから「人の上に立つ」べく生まれ、育てられ、生きている、って事を、俺はちょっとの間忘れていたようだ。

 「今の所は、ね。
  でも勝負はこれからよ。油断しないで。
  行くわよ。バルトレーンへ。」
 そう言うとラフィは、こっちが心配になるぐらいの大声張り上げて、高らかに宣言して見せた。

 「なるわよ。"旅の治癒師"!!!」

 いや、だから、声、デカいって。
 全く、ウチの嫁さんと来たら。
 もとい、ウチの嫁さんだから、か。

  • <注記>
  • (*1) 他に幾つ逃走計画があったかは、聞かないでくれ。俺も覚えていない。 

 

  • (6)「棄教」/結婚(ラフィ様)

 逃亡生活は、苦難の連続だったわ。一晩中、馬を飛ばしたこともあったし。替えの馬が買えずに、盗み取ったことも。貧乏暮らしは覚悟していたけれど、盗人にまでなるとは、流石に想定外だったわ。
 それでも、その後襲撃を受けることも無く、誰かを殺す羽目にも陥らず、着の身着のままながらもレベリス王国首都・バルトレーンに到着できたのだから、かなりの幸運だった、と言えそうね。終盤の数日間は、路銀も使い果たして、野宿の連続。バルトレーン到着時には、二人とも餓死寸前って体だったわ。

 ルーシー師団長私邸は、すぐに見つかったわ。首都でも屈指の豪邸で、半ば観光名所になっていたから、即座に見つかったわ。
 到着したのは夕刻だったわね。当人が在宅かは不明だったけど、ダメ元よ。こっちは、「では改めて」なんて呑気なこと言ってられる立場じゃ無い。此処バルトレーンにもスフェン教会がある以上、一刻の猶予も無かったわ。下手すると、レベリス王国入国以来、後ろに手が回るようなことは控えて来た努力が水の泡となり、殺人だか傷害だかでこの国でもお尋ね者になりかねないのよ。それも、自分たちが死体になるって事を免れる幸運があったとして、よ。
 だから、私は真剣で大真面目だった。喩え傍から見たら、ざんばら髪の男か女かも判らない乞食が、豪邸の門前でイチャモン付けておこぼれを貰おうとして居る、としか見えなくても、ね。
 「スフェンドヤードバーニア国・アイレンテール卿が娘・ラフィ・アイレンテール。ルーシー師団長にお目通りの栄を賜りたい。取り継がれよ。」
 我が声ながら、空きっ腹に響いたけど、耐えたわ。
 逃走開始前に断髪して、お団子を切り落として仕舞ったことを、この時初めて悔いたわよ。あのお団子は、私の勇気と活力の貯蔵槽見たいなモノで、あれさえあれば、ネイムドモンスターとだって対峙出来る、と、今更ながら悔いたわ。

 当然の如く、何の反応も無い・・・どころか、門衛や守衛の姿さえ見えないのだから、「誰も聞いていない」と考えて、私は一段と声を張り上げ・・・様として、耳元で囁かれたわ。
 
 「大声出すでない。近所迷惑じゃ。
  話は聞いて居る。門は開いている。入るが良い。」
 思わず辺りをキョロキョロ見回したわ。シュプールも同じようなことをしていて、二人で顔を見合わせた、所へ、また声が囁いた。

 「声を飛ばす魔法じゃ。使いように依っては、便利じゃろ。」

 かなりイタズラっぽい笑いを含んだ声。声音は、幼女のモノ。だけど、科白はかなり傲岸不遜というか何というか・・・まあ、情報通りで、父の話通り、なのだけど。
 でも、父がお会いしたのは20年も前の話。「魔法で容姿を若く保っている」って話だけど、限度ってモノが・・・無いのかも知れないわねぇ。魔法師団長ぐらいになると。
 シュプールと互いにうなずき合って、門扉に手をかけたわ。勝手に動いたんじゃ無いかと言うぐらいに軽く・・・いや、実際勝手に動いたんだと思うわ。兎も角、扉は開いたわ。「魔法師団長」って肩書きは、伊達ではない、ってことね。
 「屋敷の入口に、案内の者を送る。先ずは風呂じゃな。それから食事。
 話は、その後で聞こうぞ。」
 同じ囁き声(三度目は、流石に馴れたわ。)の「食事」って単語を聞いて、お腹が鳴ったのは、かなり恥ずかしかったわ。それをシュプールと、それに多分、ルーシー師団長に聞かれたってのも。
 とは言え、取り敢えず「第一関門」突破ね。ルーシー魔法師団長。相手にとって不足無し、よ。

 ああ、でもやっぱりお団子、欲しかったなぁ。

ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

 屋敷に迎え入れられてからは主導権は握られっぱなしだったわ。
 
 最初は、風呂。屋内に風呂桶を設える王宮があることは知っているし、国や地域では毎日風呂に入る習慣があるところもある、とも知っているわ。
 でも、スフェンドヤードバーニアはそんな地域ではないし、風呂=入浴は、日常と言うより「イベント」に近いモノよ。風呂桶はあっても、そこにお湯を張るのは、並大抵のことではないわ。事情、習慣、気候は、レベリス王国でも、大差は無い、筈よ。
 で、あると言うのに、案内された地下にあったのは、浸かるどころか泳げそうな、最早「風呂桶」などでは無く、「池」と言って良い広さの所に、満々とたたえられた湯だったの。しかも、何処かからその湯が絶え間なく供給されているらしく、「池」のお湯は常に溢れ続けているのだから、驚異よねぇ。
 後に知ったのだけど、転移魔法で火山地帯の地熱で熱せられた地下水を「取り寄せて」居るそうよ。魔法を止めれば、お湯も止まる、のだそうね。だけど・・・理屈は判っても、未だにこの現象は馴染めないわ。
 風呂上がりには、用意された衣服に着替えたわ。今まで着て、馴染んでも居たボロ着は取り上げら得てしまったので、仕方なく着たけど、アイレンテール領では見たことも無い様な豪華絢爛たる衣装で、しかも誂えた様に私の身体にフィットしたわ。多分、これも魔法が絡んでいるのだろう、とは思ったけれど、どんな魔法がどう絡んでいるかは、当時の私には想像することさえ出来なかったわ。
 着替えの後は、食事よ。此処でやっとシュプールと再会出来たわ。風呂がシュプールと別だったのは、正直有り難かったけれど(未だ、「結婚前の乙女」、だったからねぇ。)、シュプールの方は「湯の溢れる池」では無く、蒸し風呂だったそうよ。
 って事は、この屋敷、若しくはこの屋敷から通じている場所には、あの「湯の溢れる池」以外に「蒸し風呂」もある、と言うことね。
 ここまで驚かされっぱなしだったから、食事の方は意外なくらいに普通、と言ったら怒られそうだけど、常識と知見の範囲に止まっていたわ。まあ、二人とも餓死寸前の空きっ腹だったから、スープやお粥程度の消化の良い食事から始めないと、トンデモナイコトになり得る、と知識としては知っていたから、出された料理は慎重に口に運び、じっくり噛み、シュプールにもそうする様に注意したけどね。
 食事が一段落し、二人とも食後のお茶・・・これも、アイレンテールでは余り飲んだことの無いシロモノだったけど・・・を喫していると、不意に、囁き声ではない、でも同じ声が聞こえたわ。
 
 「どうじゃ、人心地ついたかの?」

 食堂の入口から入ってきたルーシー師団長を、起立して拝礼して迎えながら、私は今度も驚かされ、主導権を握られていたわ。話にも聞いていたし、情報通りだし、声もその通りだから十分予想していたのだけれど・・・本当に十歳かそこらの幼女の姿なのよ。

 「お目通りの栄を賜り、ありがとうございます。スフェンドヤードバーニア国はアイレンテール卿が娘、ラフィにございます。
 これなるは、アイレンテールが騎士・シュプール。我が、近い将来の夫にございます。」
 口上は、入念に練り上げていたから、淀みなく口を突いて出てきたわ。シュプールの方もそれに合わせて、騎士としての礼を返す。コチラの方は、かなり付け焼き刃だけど、シュプールとしては良くやっていたわ。
 ま、情報によれば、ルーシー師団長は格式礼式にこだわる方では無く・・・
 「ああ、堅い挨拶は良い。そう言うのは、もっと上の方の王侯貴族用に取っておけ。」
 手をひらひらと振って、追い払う様な仕草をしながら、ルーシー師団長は、二人が食事を取っていた長大な食卓の一角に座ったわ。座るときに、勝手にイスが下がって座りやすくしていた様だけれど、もう驚かないわよ。
 「で、事情は聞いて居るが、直接当人の口から聞きたい。聞かせて貰おうか。ここに来た訳を。」
 私は、話し始めたわ。スフェンドヤードバーニアで「奇蹟」に目覚めたこと。教会の誘いを断ったこと。教会の手の者の襲撃が予想されたこと。国外逃亡計画。その実施の際に実際に襲撃されたこと。ルーシー師団長に会うためにバルトレーンまで来たこと。
 道中のいざこざは省略したわ。馬泥棒を数件重ねたことも。まあ、どちらもこの人の魔術にかかったら、隠しおおせるモノでは無さそうだ、と思いながら。
 「フム。遠路はるばる、ご苦労且つ難儀なことであったのう。」
 取り敢えず、合格点は貰えそう、と思ったけれど、未だ油断は出来ないわ。身構えて次の言葉を私は待ったけれど、ルーシー師団長の矛先は変わったわ。
 「所でそちらの、”将来の夫”シュプール氏は、先ほどから一言も発して居らぬが、何か言うことは無いのかえ?」
 シュプール、一寸マズいわよ。慎重に答えて。私は視線でシュプールに合図を送った・・・心算だったけど、そこまで細かく打ち合わせては居なかったわ。
 「俺は、口も悪ければ、育ちも悪くてね。偉いさんとの会話は、ラフィの方が絶対間違いな・・・あ、"俺"は訂正。”私”だ。」
 シュプールぅぅぅッ。「俺」を訂正したのは、シュプールにしては上出来だけど。こんな事態を余り想定せずに来た、我が不明が悔やまれるっ!
 「フム。一理、じゃがの。
  斯様な事態に、"未来の夫"君から一言も無いのは、チト、無責任では無いかえ?」
 ルーシー師団長の科白も口調も、悪意なんか欠片も感じられないけれど、私の方は自分が受け答えしていたときより数倍も緊張していたわ。なにしろシュプールは、自分でも言っていた通り、「お偉いさんとの会話」なんて殆どやってない・・・ああ、お父様は別だけど。
 でも、お父様は、私のお父様で、シュプールにとっても義父なのだから、(イヤ、正確には未だ義父でもないんだけれど。)、「お偉いさん」度が違うわ。
 相手は、魔法師団長。レベリス王国きっての「お偉いさん」。その容姿が「せいぜい10才ぐらいの幼女」だからって、油断はしない・・・だろうけれど、心配のタネは尽きなかったわ。

 「其れもそうだ。じゃぁ、お・・私の方から、補足説明させてもらおう。
 そもそも、今度の一件、今回の逃走劇は、皆、俺、もとい、私のせい、なんだ。」

 "何言っているのよ、シュプール!!!!"と内心絶叫している私を尻目に、シュプールは話し始めたわ。私が最初の「奇蹟」=治癒魔術を使った、あの日のことを。
 魔物討伐に出動したこと。想定外の被害に被害極限を優先したこと。部下の配置と作戦と命令。その際に、一番危険な部署は自ら引き受けたけれど、それでも相当な損害を覚悟しないといけない配置を決断したこと。
 実際には、想定ほどの損害は無かったモノの、それでも瀕死の重傷者を出してしまったこと。
 魔物を掃討して、急いで負傷者を救助し、運搬したけれど、最重症の一人は「死に臨んで、家族に遺言を伝えるため」と考えて連れ帰ったこと。

 「お・・・私が今少し有能な隊長だったら、あいつはあんな重傷を負わず、ラフィに奇蹟=治癒魔術を発動・覚醒させることも無かったろう。
 逆にもっと無能だったら、あいつは死体になって帰って来たろうから、やっぱりラフィは覚醒しなかったろう。」

 言葉を切ったシュプールは、一寸苦笑いの様な笑みを浮かべて、続けたわ。

 「だから、今度の件は、ぜーんぶ、俺のせいなんだ。
 だから、この身はどうなっても良い。お尋ね者としてスフェンドヤードバーニアに引き渡しても良いし、処刑して首だけ送り返してくれても良い。
 だがラフィは、ラフィだけは、ナントカ保護して貰えないか。コイツの奇蹟=治癒魔術は、誰にとっても絶対に役に立つ。
 それに・・・」

 シュプールの笑い顔が、一寸変わった。苦笑いから、晴れやかな笑みに。

 「・・・奇蹟や魔法なんぞ関係なく、コイツは、長く生きなきゃいけない。生きて、この世を、照らさなきゃいけない。
 そう言う、スゲぇ奴、なんだよ。
 アンタなら、判ると思うんだが。」

 「シュプールぅぅぅぅぅぅぅぅぅぅぅぅぅっ!!!」
 もう我慢の限界だった。内心続いていた絶叫が、とうとう口から零れ出た。と同時に、今回の旅が始まって以来肌身離さず付けていた袖口のバネ仕掛けを作動させて、右手の中に抜き身の短刀を滑り込ませた。
 散々練習したのは、此処から腕を振り抜いての一撃だけど、今回は目的が違う。手首を返して、左の頸動脈に刃を当てる。首筋に伝わる鋼の冷たさが、私の頭の芯まで冷やしてくれる。
 そう、私は冷静だ。刃を己が頸動脈に擬して、ホンの一動作で己が命を断てる(筈)って状態で。否、そんな状態なれば、こそ。

 「取り消して、今の言葉。強制送還とか、処刑とか。そんなこと、私は認めない。そんなことになるぐらいなら、その前に、死んでやる。」

 何のためにここまで来たのよ。とっ捕まったら死刑確実の冤罪まで背負って。獣道とも呼べそうに無い様な間道を突っ走って。スフェン教会なんて大権力に楯突いて、目を盗んで。
 「旅の治癒師」なんて、手段よ。目的は、本質は、二人で生きていく事、でしょうが。

 それが何?一人だけ強制送還?処刑?ふざけるのも大概にしてよ!!

 「ラフィ。まあ、落ち着け。
 俺がスフェンドヤードバーニアじゃ、死刑確実なお尋ね者なのは事実だ。だから、それを利用した方が、ラフィの安全を高めるのなら、これを利用するのも手だって話で・・・」

 「貴男が死んで、私が生きているって状態が、どれ程残酷だと思っているの?!」
 私の絶叫は、最早悲鳴に近かった。頭は芯まで冷え切って、冷静そのものなのに、言葉は熱を帯び、涙声になってきた。そう言えば、さっきから妙に視界がぼやけるのは、涙が溢れているから、らしい。

 「地獄よ。想像すらしたくない。」

 頭が冷静で、身体が感情的、なんてことがあるらしいわね。私の頭は心底まで凍り付きそうなぐらいに冷静なのに、涙は溢れ、手は激情のままに震えて来た。お陰で、首筋を一寸切った見たい。血の流れが一筋、短剣から、手首に流れて、垂れ落ち・・・る途中で、空中で静止したわ。

 序でに手の震えも止まったわ。

 何か異変が起きている、とは悟ったけれど、悟っただけ。指先どころか、眉一つ、動かせないで居る自分に気づいたわ。

 「止めよ。そこまでにしておけ。
 イチャつくのも大概にせいよ。長年の独り身には、目の毒じゃ。全く。」
 ルーシー師団長の声は聞こえる。でも私は、そちらの方に視線を向けることさえ出来ない。声を発することも。彫像の様に凝り固まって、序でに血の一筋さえ、垂れては居るが、落ちない。何らかの魔法・・・「時を止める魔法」かしら?でも、それなら、なんで私には意識も自覚もあるのかしら。ウーン、謎。でも人が使える以上、何らかの理屈がある、筈。一体どんな理屈か、その時の私には判らなかったけれど。

 「先ず、ラフィ。シュプールの言うとおり、落ち着け。
 アイレンテール卿からは、シュプールのことも頼まれて居る。御主の”未来の夫”を害する様なことはせん。」
 小さく溜息も聞こえる。余程呆れさせた、らしい。
 「全く、アイレンテール卿からの警告が無かったら、事故になったかも知れぬわ。
 今、術は解いてやる故、先ず短刀を仕舞え。良いな。」

 "良いな"と言われても、こっちは頷き様も返事のしようも無い。
 が、不意に首筋からの血はこぼれ落ちて、テーブルクロスに一寸した染みを作ったわ。手の震えは納まっていたのを幸い、首筋から刃を外し、手首の装置を操作すると、短刀は元通り、袖口の中に収まったわ。
 シュプールさえ生きていれば、他のことは大抵どうにかなるわ。極端な話、ルーシー師団長を介してレベリス王国上層部に食い込み、スフェンドヤードバーニア国内に巣くうスフェン教会を直接ぶっ潰すのだって、何らかの方策・方法はありそうに思えて来たわ。
 
 「ラフィ・アイレンテール。御主は、実に面白いのう。シュプールの言う通り、治癒魔術以外にも色々才はありそうだが、先ずは、その魔術、じゃな。
 我がレベリス王国では、魔術を使える魔術師はいつでも大歓迎じゃ。御主は暫く、魔術師学院の学生となるが良い。その治癒魔術に更に磨きをかけるが、良かろう。」
 やっと動かせる様になった視界に捉えたルーシー師団長は、心底楽しそうだった。なんだか、新しいオモチャを見付けた子供みたい、ッて感想・感慨は、あながちその外見のため、だけじゃ無さそうね。

 「それと、先ほど見せてくれた袖口の仕掛け。あれは一度ゆっくり見せてくれ。」
 「ありがとうございます。師団長閣下。魔術の研鑽に勤めます。」
 と言うより、魔術というか、魔術理論・魔術学ってものに、俄然興味が湧いてきたのよね。此処へ来て以来の、幾つかの魔術の実践・実演・実体験で。
 「この仕掛けは、予備がありますので、一つ差し上げます。が、ご利用の際は、くれぐれも慎重に。」
 かなり強いバネを使って居て、素早く動くから、変なところに指があると、スパッと切り落としかねないのが、欠点なのよね、この装置。

 「次に、シュプール。御主は残念ながら、魔術の才は無い様だ。剣魔法とか始められたら、結構面白そうだったのにな。
 だが、他の才はある様じゃな。それに御主自身が言うほどには、悪人でも悪党でも無いぞ。」
 シュプール、なんだかふて腐れてる。可愛い。
 ま、あの人が悪人でも悪党でも無いのは、私がこの世で一番良く知ってるんだけどね。
 「まあ、何か考えよう。剣術師範とか、良いかも知れぬ。どうじゃ。」
 「生きてられるなら何でもする・・・何でもします。師団長閣下。」
 シュプールは一寸改まって、神妙に答える。神妙なシュプールってのも、結構「見物」なのよねぇ。
 「実際、大抵のことはやってきましたし。」
 ほぅら、またそうやって、悪人ぶる。可愛い。
 「所で二人とも。魔術師学院の学生寮は、男女別と、家族の寮がある。所帯持ちの学生も居る故、な。
 じゃが、家族寮には家族でなければ入れぬし、男女の学生寮には学生自身しか入れぬ。」
 ルーシー師団長の笑みが更に盛大になる。「邪悪」と言っても良いぐらい。こう言う表情は、一寸10才の幼女のものじゃぁないわね。
 一体幾つなんだろう。師団長。
 「と言う訳でな、御主達は祝言を挙げぬと、住む場所にすら事欠く、と言う訳じゃ。特に、シュプールは、な。」
 事態の深刻さよりも、「祝言」なんて古い言い回しで表現された「結婚」という事態に、私は半ばパニックに陥っていた。そりゃ、私から言い出したことだし、そのための今回の国外亡命・逃避行、って部分もあるのだけれど、いざとなると、心の準備が・・・

 「しっ、師団長閣下ッかっ、ちょ、一寸お待ち下さい。
  私、今回の逃走に当たって髪を切ってしまいまして、その、髪が伸びるまでは・・・」
 言いよどむ私を尻目に、ルーシー師団長は心底楽しそうで・・・なんでシュプールまで笑ってんのよ!腹立つわぁ。
 「御主の目の前に居るのは、大陸随一とも言われる魔術師ぞ。
 髪の毛如き、ほれ。」
 師団長が指を一つ鳴らすと・・・草木の成長が著しいことを、「伸びる音が聞こえる」って表現することがあるわよね。そんな音、私は聞いたこと無いのだけれど、私はこの時、「自分の髪が伸びる音」を初めて聞いたわ。わさわさというか、もさもさというか、見る見るうちに髪の毛が伸びて、馴染みの長さに至るのを、半ば以上呆然としながら、唯、見ていた。口もあんぐり開けていたのに違いないわ。
 「先ほどの魔術の応用じゃよ。判るかな。」
 ルーシー師団長の心底嬉しそうな科白を聞きながら、殆ど思考停止状態の私は、思っていることがそのまま口を突いて出していたわ。
 「時を操る、魔法?・・・・」
 私の呟きに、師団長は破顔一笑と言った体。
 「その通りじゃよ。やはり、御主は、面白いのぉ。
 シュプール。御主の花嫁は、相当な逸材じゃ。良く儂の前に連れてきてくれたのぉ。礼を言うぞ。」
 シュプール、照れてる照れてる。可愛い。
 何はともあれ、これで私のお団子は復活出来る。

 お団子さえあれば、私はほぼ無敵だ。

ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

 私たちの結婚式は、魔術師学院で行われたわ。入学して早々の結婚も異例ならば、魔術師学院で挙式ってのは「前代未聞」らしいのだけど、師団長が強引に押し切ったのよ。「学院婚」等と言われ、私たちの後に続くカップルが、今も数年に一組ぐらい居るとか、居ないとか。
 式では、ルーシー師団長が司祭というか神父というか、式の司会進行役を務めたわ。これは、異例中の異例で、その後に続く「学院婚式」でも、師団長が司会進行役を勤めることは一度も無い、らしいわね。
 式自体は、スフェン教式で執り行われ、私たちはスフェン神に対して結婚の誓いを立てたわ。私たちが自分で考え、選んだ誓いの言葉とともに、ね。
 スフェン神に誓った結婚式だけど、スフェン教会はこの式に一切関わらせていないわ。これは、私たちと、スフェン神との間の誓いであって、スフェン教会は関係ないわ。形式的なしゃちほこばった「結婚の誓い」では無く、私たち独自の誓いにしたのも、その現れよね。
 謂わば、スフェン教会からの「独立宣言」よ。「宣戦布告」ではない、心算だけど、向こうはどう考えているやら。
 今でも、少なくとも私は、スフェン神を信仰しているわ。シュプールの方は一寸怪しいけれど、私の主神は今でもスフェン神よ。
 でもスフェン教会は、関係ないわ。言ってみれば「無教会派」とも言うべき「スフェン教の新たな宗派」を創立した様なモノだし、ある意味「棄教」とも言えそうだけれど、後悔どころか、逡巡さえした覚えが無いわ。
 あの後魔術を学び、私の治癒魔術はスフェン神とは無関係に使える、って理論も学んだけれど、今でもスフェン神に祈ることで、私の治癒魔術は発動するわ。
 だから、私は今でもスフェン教徒よ。但し、スフェン教会とは一切関係ない、ね。「スフェン教無教会派」と言う新しい宗派の、「信徒第1号」だと思っているわ。(因みに、「第2号」は、我が夫・シュプールよ。)

 「スフェン教無教会派」の「創始者」を名乗る、心算は無いし、名乗ったことも無いわ。本来、スフェン神とスフェン教徒との関係は、「対等」と言ったら極端だけど、「1対1のモノ」、と考えての「無教会派」だし、「1対1のモノ」と考え、教会の中継・仲介(と言うより、「介入」よねぇ。)は「必要ない」って考えて居るスフェン教徒は、「実は相当に、相応に、居る」ンじゃ無いかと、私は考え、期待している、からよ。

 私は、唯、公式に、公的に、「無教会派」と(事実上)名乗り、公言している、だけ。「隠れ無教会派」は今言ったとおり、「実は相当に、相応に、居る」。これはスフェン教会に対する、かなり強力な「武器」になるわね。
 まあ、未だ戦端を開いた訳では無く、「開戦した」訳じゃ無いけれど。「戦う」となれば。
 
 そう、「未だ」、ね。

 「無教会派」なぁんて事を公言した時点で、私も(シュプールも、)晴れて(スフェン教会の言う通り、)「異端者」に成れた訳よね。
 「教会の意に沿わぬ”奇蹟”を実施実現した」なんて姑息な理由よりは、余程正当で、堂々としているわよ。

 そんな訳で、私たち二人の結婚式は「異端のスフェン教」の儀式として執り行われたの。親類縁者を呼ぶ訳には行かなかったし、何よりお父様の出席が叶わなかったのは残念だけど。ルーシー師団長と魔術師学院の先生方と生徒(私の新たなクラスメイト含む)の列席を得て、意外なくらいに盛大なお式となったのは、ひとえにルーシー師団長のお陰よね。
 
 でも、結構な数の参列者や、学院付属合唱隊歌う聖歌や、巨大な吹奏楽器の演奏よりも何よりも凄かったのは、騎士として正装した「旦那」シュプールの勇姿よ。
 アイレンテールの騎士とは、一寸違ったけれど、騎士正装に颯爽と身を包んだシュプールの花嫁となった私は、この時、正真正銘掛け値無し、スフェンドヤードバーニアとレベリオを含む三国一の幸せ者だったわ。

 まあ、その「三国一」は、今も未だ続いている、と思っているけどね。