• アカなんざぁ、不寛容の権化だぞ。-【東京社説】欧州の極右台頭 不寛容の広がりを憂う


 何度か繰り返す通り、私(ZERO)は、「殆ど生まれながらの右翼」である。戦争気違い(*1)とあだ名されたのは小学生の頃で、中学生の頃にははっきりと「右翼」呼ばわりされていた。故に、「殆ど生まれながらの右翼」と言うのは、些か誇張気味ではあるが、然程現実から乖離はしていない(と、思う)。
 
 更に言えば、私(ZERO)は相応に「古手の日本人」なので、「右翼」呼ばわりされ初めて頃には、スマホも無ければ、ネットも普及していなかった。従って、所謂「ネトウヨ」には当たらない。当たりようが無い。アリバイが成立している。

 私(ZERO)は、ネットがこの世に普及し始める以前から「右翼」なのだから、「ネトウヨ」なんぞに、なりようが無い。

 

  • <注記>
  • (*1) チョイと不思議、且つ大いに不当な事に、我が国では軍事知識とか戦史的教養とか言ったモノは、「右翼的」と見なされている。
  •  軍事知識も戦史的教養も、「知識」や「教養」は直接的には思想とは無関係であり、「左翼思想の権化」たるソ連共産党やソ連赤軍も軍事知識や戦史的教養の蓄積研鑽に余念が無い/無かった事に、疑義の余地は無いのだが、「軍事」とか「戦史」に関わる物事は須く「右翼的なモノ」とされ、十中八九非難批判嘲笑別紙の対象とされている/されて来た。
  •  平たく言って、ある種の「差別」なんだが、「差別」を言い立て騒ぐ者ほど「別種の差別」には鈍感乃至許容どころか「意識すらしない」事があるのも、良くある話だ。
  •  ある意味、「日本人の平和ボケの現れ」とも言えそうだし、恐らくは「左翼=平和勢力 なる左翼プロパガンダの成功事例」でもあるのだろう。 


 

  • (1)【東京社説】欧州の極右台頭 不寛容の広がりを憂

https://www.tokyo-np.co.jp/article/359323?rct=editorial

 

 

2024年10月9日 07時57分

 9月に行われたオーストリア下院選とドイツ州議会選挙で極右政党が大幅に議席を増やした。いずれも反移民政策を掲げ、国際協調に目を背ける自国優先主義の政党だ。欧州社会が変質し、不寛容が拡大する兆しでもあり、深く憂慮する。

 

 オーストリア下院選ではキクル党首率いる極右・自由党が得票率で約3割を占め初めて第1党となった。

 

 自由党は1956年、元ナチス将校が創立し、99年の総選挙で躍進し、初めて政権入りした。当時のハイダー党首(故人)は親ナチス的発言が目立ち、政権入りに欧州各国から批判が相次いだ。

 

 キクル氏はハイダー氏の側近の一人。選挙戦では移民や難民の受け入れ抑制を最優先に掲げ、反欧州連合(EU)姿勢も目立つ。

 

 第2党に転落した保守・国民党を率いるネハンマー首相は、キクル氏率いる政権への参加を拒否しており、連立協議が難航するのは避けられまい。

 

 ドイツでも極右の「ドイツのための選択肢(AfD)」がテューリンゲン州で初めて第1党となり、ほかの2州では第2党になった。3州はいずれも経済状況が厳しい旧東ドイツ地域だ。

 

 中東やアフリカからの移民が多いドイツやオーストリアでは雇用問題を中心に摩擦が常態化している。しかし、両国の政権を担う既成政党は、移民問題を巡る一部国民の不満に十分対処できず、極右の台頭を許してきた。

 

 欧州ではフランス、イタリア、オランダ、ハンガリーでも極右政党の伸長が著しい。極右は現状に不満を抱く層に巧妙に訴えかけ支持を伸ばすすべにたけており、もはや軽視することは許されない。

 

 極右を除く欧州各国の政党は、国民の声にこれまで以上に幅広く耳を傾け、融和を進めることで排外主義の根絶に努めるべきだ。

 

 日本は、同じ自由や民主主義の価値観を共有する欧州各国とは良好な関係を築いてきた。国際協調を基盤とするEUとの連携をより深め、あらゆる外交交渉の場で、多様性の意義を粘り強く訴え続ける必要がある。

 

  • (2)左翼は「移民に寛容」かも知れないが、そりゃ「革命の火種として歓迎している」のだろうさ。思想的不寛容と言う点で、「左翼の実績」には、目を見張るモノがあるぞ。

 スターリンの粛正。毛沢東の文化大革命。ポルポトの虐殺と、この三つの「不寛容」だけでも、相当なモノだ。相応な流血も人死にも含まれている。

 左翼思想の華」とも言えそうなロシア革命/十月革命に於ける、ロシア皇帝一族郎党に対する「不寛容も凄まじい。何しろ、「原則皆殺し」だ。それがある意味「革命の常道であり、常套手段である。」のは事実だが。「憎むべき前権力者/元支配階級」に対して「”正義の鉄槌”を振り回す」事で、現権力者/新支配階級たる共産党の威光・偉業を示すのは、「革命では良くある、ある種のデモンストレーション&パフォーマンス」である。とは言え、「左翼思想の不寛容性を、如実に表している」事に、一寸疑義の余地は無さそうだ。

 大体、冷戦華やかなりし頃や、それよりも遙か以前の19世紀末から20世紀初頭の「共産主義黎明期」には、空想から科学へ」とか「科学的社会主義」とかのキャッチフレーズが「真に受けられた」時代もあった。その頃、少なくともソ連共産党支配下のソ連(って事は、"社会主義の祖国"であり、本家本元お家元、って事だ。)では、人文科学は疎か自然科学まで「社会主義思想」が要求され、「社会主義的な自然科学こそ、正しい」とさえされたのだから、「不寛容」レベルでは済まない独善性の発露であり、端的に言えば「気違い」だ。
 
 そんな「気違いじみた不寛容を、実践・実施・実行した史実・実績」に事欠かないのが、左翼思想である。昨今の「フェミ(*1)」だとか「LGBTQナントカ(*2)」だとかにも、同様な傾向があるようだな。少し前からの脱原発」とか、沖縄に多い「オスプレイ沖縄配備(だけ)反対論」も、「同じ穴の狢」だろう。

 まあ、左翼思想に限らず、「ある思想に凝り固まる」ってのは、大なり小なり似たような傾向にはあるのだが。シベリア送りとかギロチン刑とか銃殺刑とか再教育キャンプ送りとか、手を変え、品を変え、思想を変えても、大差ないこともあるから、気をつけないといけない、のだが。


 さはさりながら、上記の通りの左翼思想と「同じ穴の狢」である東京新聞が、「欧州の極右台頭」に対して「不寛容の広がりを憂うッてんだから、まあ、「人の振り見て我が振り直せ」と言うべきか、「自分の背中は、自分では見えない」と言うべきか・・・

 左様なように「現状認識を致命的なまでに欠いている」からこその、「今時の左翼」なのだろうけどな。

 自衛隊発足以来70年以上にわたって、真面に「日本国憲法を現状のまま維持し、自衛隊も日米安保条約も無い状態(*3)での、我が国の主権保護と安全保障(*4)って根源的な問題を、全く議論も思考も討論もしてこなかったから、思考停止だかボケだか痴呆化だかしているんじゃ無いか、と、最近は思えてきた。

 もし、左様であるならば、それは、「現代の左翼」って思想集団が、「影響力を及ぼす程の新人も居なければ、新思考も無い」ってことだ。
 
 そりゃ、少なくとも「思想集団」としては、御前は既に、死んでいる。ってこと、じゃぁなかろうか。

 まあ、同情もしなければ、情状酌量の余地も無いけどね。自業自得だ。
 


  • <注記>
  • (*1) 本来の意味は「女性の権利を主張する思想」の筈、なのだが、単なる「我が儘」通り越して「優越思想と差別主義の塊」と化しているようだ。 
  •  
  • (*2) この後にもう4から5文字もアルファベットだか数にだかが続くらしい。要は「性的マイノリティ」って事、らしい、のだが・・・「多様性」と称して「LGBTQナントカの性的マイノリティを全部決定に参加させろ」と言う「一様性」を強制するものだから、性的マイノリティが、少数派であるにも関わらずやたらに発言力や影響力を多く大きくしてしまう。
  •  そうなれば、ロクな事にはならない。実際、なっていない事例は枚挙に暇が無さそうだ。 
  •  
  • (*3) 日本国憲法には自衛隊についての記載は無いのだから、日本国憲法上「自衛隊は、存在しない」。更には、その自衛隊の存在を前提に成立している日米安保体制も、「自衛隊状は、存在し得ない」条約であり、体制である。
  •  従って、そんな日本国憲法を「守れ、変えるな!」って主張は、自衛隊も日米安保も「無い状態」を、前提しなければ、成立しない、筈である。 
  •  
  • (*4) 我が国が主権国家である限り、如何なる憲法を持とうが、成文憲法を持たなかろうが、その主権、領土領空領海、国民の生命財産を、保全し守護し維持する、義務と権利がある、筈だ。