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夜間は1Wも発電しないのに、「主力化」とは、片腹痛い。ー【朝日社説】再エネ出力抑制 「主力化」に向け対策を
「対策を」も何も、太陽光発電が「夜間は1Wも発電しない」のは、原理的に不可避だ。
更に言えば、以前「冷たい計算式」シリーズとして弊ブログ記事化した種々の太陽光発電所に報じられたデータからすれば、我が国に於ける太陽光発電の稼働率=「定格出力で24時間365日発電した”理想状態”に対する、実際の発電量の比率(*1)」は、「一声、1割」であり、「15%を超える事例は、見つからなかった」のである。
「メガソーラー」とか呼ばれる「定格出力1MW(以上)の太陽光発電所」とて、その発電量実績は「0.1MW(以上)程度」と言うことであるし、より重要なことは、「太陽光や風力の稼働率は、基本的に目一杯可能な限り発電しての、出来高である」事。これに対し、「原理力、火力、(貯水量が十分あるときの)水力の稼働率は、電力需要に応じた結果」であり、「必要とあれば或程度意図的に発電量を増やせる」事。実際、関西電力の原発では「定格以上の発電」を実施し、定義上「100%を超える稼働率を記録した」事例も在った。
こう言い替えても良かろう。電力は、基本的に生ものであり、電力需要に合わせて発電している。電力需要に応じて発電出来るのは、原発、火力、貯水量が十分なときの水力であり、故にこれらが「発電の主力」たり得ている。「電力需要に応じた発電」なんて芸当は、逆立ちしても太陽光や風力には出来ない。
であると言うのに、「太陽光や風力を、発電の主力にしろ」なんて主張は、電力配給制並みの統制的送電を必要とするはずであり、左様な事に触れもずに左様に主張するのは、極めて無責任である。
ま、無責任は、朝日の体質だけどね。
- <注記>
- (*1) この定義も、それを「稼働率」と呼ぶのも、弊ブログ、つまりは私(ZERO)の勝手な定義であり、用語である。また、昼間しか発電しない太陽光発電では、この「稼働率」は逆立ちしたって「50%は越えない」。一日の半分は、夜なのだから、当然だな。だが、「発電所の理想状態は、発電法士気に関わらず、定格出力・24時間・365日発電である」と考えるから、この定義の「稼働率」には意味・意義がある、と考える。
(1)【朝日社説】再エネ出力抑制 「主力化」に向け対策を
再エネ出力抑制 「主力化」に向け対策を
https://www.asahi.com/articles/DA3S15873066.html?iref=pc_rensai_long_16_article
社説
2024年2月27日 5時00分
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写真・図版
以前から出力制御の対象になっていたメガソーラー。今年は4月の売電収入が前年の55%まで落ち込んだ=2023年10月17日、熊本県
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太陽光や風力の発電を一時的にとめる「出力制御」が拡大している。電力の供給が需要を上回る時間帯が増えたためだ。存在感が増す再生可能エネルギーを有効利用し、今後の主力電源にしていくためにも、需給両面での対策を加速させる必要がある。
朝日新聞が大手電力の昨年の出力制御を調べたところ、その2年前の3倍以上に増えていた。太陽光発電が多く原発の再稼働も進む九州電力を中心に、西日本で実施が多い。ただ最近は、他の地域にも広がっている。
電気は発電量と使用量が一致しないと、周波数が乱れて大停電につながる。太陽光が強い晴天時の日中といった発電量が多い時は、まず火力の出力を抑えたり、揚水発電の水のくみ上げに電気を回したりして対応する。他の電力会社の地域にも送電する。それでも余る時に太陽光や風力の出力を抑える。
気象条件によって発電量に変動が起きる以上、ある程度は必要な仕組みだ。ただ、二酸化炭素を出さない再エネの設備を有効利用する観点からは、出力の抑制を減らすためのいっそうの工夫も求められる。再エネ拡大に向けた投資を図るためにも、そうした対策が欠かせない。
特に強化すべきなのは、需要側の調整を促す仕組みだ。
電気が余りそうな時に、電気炉など電力消費の多い工場設備の稼働を増やしたり、家庭や事業所のヒートポンプ給湯器を使ったりすれば、出力抑制を減らせる。そのためには、時間帯により電気を割安にする料金体系の整備や、細やかなオンライン制御のための設備投資を進めたい。
余った電気を蓄電池にためたり、水素に変えて蓄えたりする取り組みも大切だ。蓄電池は価格が下がり、世界的にも設置が拡大している。
供給側では、火力発電の最低出力の引き下げに加え、電力を融通しあう地域間連系線をさらに増強すべきだ。再エネの中では、気象条件による発電量で太陽光と補完関係にある風力発電の拡大を加速させたい。
一方、電力余剰時の「優先給電ルール」では、原発と水力、地熱の出力を抑えるのは最後になる。このため、原発の稼働が進むと太陽光などの出力抑制は増える。既存の原発は安全面で出力調整には適さず、やむを得ない面はあるが、柔軟性を欠く電源にも応分のコストを負担させる仕組みの検討も深めるべきだ。
喫緊の課題である脱炭素の実現には「再エネの主力化」こそ本道だ。そのための様々な努力を怠ってはならない。
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(2)脱炭素の本命は、原発です。QED。
1> 喫緊の課題である脱炭素の実現には「再エネの主力化」こそ本道だ。
2> そのための様々な努力を怠ってはならない。
Negative。その前提にある上記1>が、そもそも間違っている。脱炭素の本命は、原発だ。それを無視して「再エネの主力化」なんぞにしようとするから、「様々な努力」が必要になり、且つ、その「様々な努力」は、端的に言って「無駄な努力」である。
ああ、「電力配給制並みの統制的送電」の、端緒だけでも触れている点は、褒めてやって良かろうな。但し、随分と「甘い認識」ではある様だが。諄い様だが繰り返すが、太陽光発電は、夜間には1Wも発電しないのだし、「水素に替えようが、電池に貯めようが、余剰電力の蓄積には、必ず損失が伴う」。「発電に柔軟性が無い」のは、出来高発電しか出来ない太陽光や風力の方だ。
諄い様だが繰り返そう。「再エネの主力化」などと言うのは、水力(*1)ならば兎も角、太陽光や風力に関しては、寝言戯れ言戯言でしかない。
そんな寝言のために、「様々な努力を怠ってはならない。」などと主張するのは、暴論愚論というモノだ。
左様に主張するのであれば、朝日新聞は、「太陽光発電の出来ない夜間は完全休業する」事を、率先実行すべきであろう。
- <注記>
- (*1) 水力は、嘗て日本の発電量の半分を占めていた。
- 勘違いするなよ。「水力による発電量が減った」のではない。消費電力が増え、それを水力では賄えなくなったから、「水力の割合が減った」のである。