• 恐るべき、思考統制「女性蔑視」。「表現の自由」は何処へやら。-【朝日社説】麻生氏の発言 女性進出阻む旧態依然 +1


 まぁ、女性蔑視反対」に限らないのだが、大方の「差別反対」とか「差別を無くせ」とか声高に主張するお歴々ってのは、「表現の自由」「言論の自由」、更には「内心の自由」ってのを、一体どう考えているのか(或いは、「全く考えて居ないのでは無いか」)と、思うことが多々ある。

 もとい。差別を無くせ!」って時点で、「内心の自由」なんざぁ「蹂躙している」事は「明白である」と考えるべきか。「行動にも言動にも出さずに、内心密かに差別しているだけ」って状態すら許容しないのが、「差別を無くせ!」って主張なのだから、少なくとも差別意識・差別感情に関する限り、「内心の自由」なんぞ、在る訳が無い。
 かかる「差別反対論」を突き詰めるならば、ウソ発見器ならぬ「差別発見器」って脳内感情・意識センサを開発配備し、空港とか駅とか公共の場で不特定多数の脳内をスキャンし、「差別感情保有者」は強制収容して「再教育キャンプ」送りって、小説「1984」以上のデストピアが出現するだろう。

 であるが故に、私(ZERO)は、「女性蔑視反対」も「差別反対」も、「必ず、疑ってかかる」事にしている(*1)。なればこそ、下掲朝日&毎日社説で「女性蔑視」と攻撃されている麻生氏の発言に対しても、「その評価は慎重に行う」=「"女性蔑視"と即断しない」様、心する。

 そうすることで、「見えてくる」モノもある、ってことさね。

  • <注記>
  • (*1) まあ、それを言うならば、「この世の全ての報道は、プロパガンダである(可能性がある)」と考え、疑ってかかるように心掛けているのだが。 


 

  • (1)【朝日社説】麻生氏の発言 女性進出阻む旧態依然 

麻生氏の発言 女性進出阻む旧態依然

 

 

https://www.asahi.com/articles/DA3S15852027.html?iref=pc_rensai_long_16_article

 

社説

 

2024年1月31日 5時00分

 

国政報告会で講演する自民党の麻生太郎副総裁=2024年1月28日、福岡県芦屋町、中田絢子撮影

 

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 外務大臣としての能力と外見とは何の関係もない。言及すること自体が女性への差別と受け取れる、極めて不適切な発言だ。麻生氏は過去にも問題発言を繰り返してきた。こうした人物を自民党の最高幹部に据え置き、注意すらできないなら、放置する岸田首相の責任が問われる。

 

 自民党の麻生太郎副総裁が福岡県芦屋町での講演で、上川陽子外相について「そんなに美しい方とは言わんけれども、英語できちんと話をし、外交官の手を借りずに自分でどんどん会うべき人に予約を取っちゃう」と発言した。仕事ぶりを評する際に外見に触れる必要は全くなく、一般社会でも決して許されない。

 

 麻生氏はその前に「俺たちから見てても、このおばさんやるねえと思った」とも語っていた。旧来から権力を握ってきた男性政治家が、少数派の女性政治家を優越した立場から評価する意識があらわになったように映る。対等と思っているなら、「おばさん」などやゆするように聞こえる表現を講演で使うだろうか。

 

 岸田首相も昨年9月の内閣改造で上川氏ら女性閣僚5人を起用した際に「女性ならではの感性、共感力を十分発揮していただくことを期待したい」などと発言し、問題視された。自民党から、わざわざ性別を強調する発言が連発される背景には、女性の起用や擁立が大きく遅れる党の旧態依然とした姿勢がある。

 

 昨年の改造の時点では女性の副大臣・政務官はゼロだった。自民党の衆参国会議員に占める女性の割合は1割超。直近の衆院選では、当選者中の女性の割合は1割未満で、参院選でも約2割だった。

 

 女性がほぼ半数の社会全体を反映し、代表する政党とは言いがたい。昨年、「10年で国政女性議員比率30%」を目標にしたが、こうした指導者の下では本気度が疑われる。

 

 しかも麻生氏は、これまで2人の女性の外相がいたのに、「女性が日本の外務大臣になった例は過去にないと思う」と誤認している。政治家としての基本的な認識があるかさえ疑問だ。

 

 麻生氏には、ナチスを引き合いに「あの手口に学んだらどうか」など、国際社会ではおよそ容認されない発言もある。今回も党内で問題視する動きは見えない。背景には、麻生氏が多数の国会議員を従える麻生派トップとして、政権運営に強い影響力を持ってきた派閥政治の構造がある。

 

 ゆゆしき発言をしても放任されるとしたら、自民党の自浄能力はおよそ期待できないことになる。党の体質そのものが問われている。

 

  • (2)【毎日社説】麻生氏の発言と自民 女性蔑視放置する無責任

麻生氏発言と自民 女性蔑視放置する無責任

 

 

https://mainichi.jp/articles/20240204/ddm/005/070/054000c

 

注目の連載

オピニオン

 

朝刊政治面

毎日新聞

2024/2/4 東京朝刊

864文字

自民党役員会に臨む麻生太郎副総裁=国会内で2024年1月29日午後4時58分、竹内幹撮影

 女性蔑視発言について、謝罪もしなければ、誰も注意しようともしない。人権感覚に乏しく、女性の社会進出に不寛容な党だと見なされても仕方ない。

 

 自民党の麻生太郎副総裁が、福岡県芦屋町での講演で、上川陽子外相について「俺たちから見てても、このおばさんやるねえ」「そんなに美しい方とは言わんけど」と述べた。外相としての手腕を評価する発言だったが、性別も年齢も容姿も仕事には関係ない。

 

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 麻生氏は5日後にようやく、撤回するとのコメントを事務所名で出した。「表現に不適切な点があったことは否めない」としているが、謝罪の言葉はない。

 

閣議のため首相官邸に入る上川陽子外相=東京都千代田区で2024年2月2日午前8時52分、竹内幹撮影

 今回の発言からは、多数派の男性政治家による女性政治家への「上から目線」が感じられる。外相は女性の仕事ではないという偏見や、女性政治家を対等な存在として扱いたくないという「男性優位」の意識が、透けて見える。

 

 

 容姿に触れた発言は、人を見た目で判断するルッキズム(外見至上主義)という差別に当たる。

 

 民間企業なら、責任を問われるケースだ。政治家だけが懲罰を受けず、社会の常識とかけ離れているように映る。会場では、笑い声が出たが、言動を許容していると受け取られかねない。

 

 上川氏は「さまざまな意見や声があることは承知しているが、どのような声もありがたく受け止めている」と問題視しない姿勢を示した。だが本来、差別発言に抗議できないような社会はおかしい。

 

 

 麻生氏はこれまでも問題発言を繰り返してきた。2019年の講演では、少子高齢化を巡り「子どもを産まなかったほうが問題だ」と語り、撤回に追い込まれた。

 

 政治家の意識改革が必要だ。

 

 日本は世界的に見て男女格差が大きい。とりわけ政治分野が深刻で、自民党の取り組みの遅れが目立つ。

 

 岸田文雄首相は、一般論として「性別や立場を問わず、年齢や容姿をやゆし、相手を不快にさせるような発言をすることを慎むべきだ」と国会で答弁しただけだ。

 

 

 問題を放置せず、党総裁として麻生氏に厳重注意し、党の体質改革につなげるべきだ。このままでは、日本の政治は世界の潮流からますます取り残されてしまう。

 

  • (3)当人は、気にして無くても、「気にしろ!」と。げに恐るべき、思考統制。

 先ず、上掲①朝日&②毎日社説から、麻生太郎副首相が何と発言したかを、拾っていこう。本当はこういうときは「発言全文」とその状況詳細もあった方が良いのだが、上掲両紙社説からだけで拾っていくと・・・

①1> 「そんなに美しい方とは言わんけれども、
①2> 英語できちんと話をし、
①3> 外交官の手を借りずに自分でどんどん会うべき人に予約を取っちゃう」

①4> 「俺たちから見てても、このおばさんやるねえと思った」

②1> 「俺たちから見てても、このおばさんやるねえ」

②2> 「そんなに美しい方とは言わんけど」


・・・何というか、「我が目を疑う」とは、この事だな。コレが、「女性蔑視発言」とされて、現職の副首相を、

①5>  ゆゆしき発言をしても放任されるとしたら、
①6> 自民党の自浄能力はおよそ期待できないことになる。
①7> 党の体質そのものが問われている。

②3> 党総裁として麻生氏に厳重注意し、党の体質改善につなげるべきだ。


と、更迭しろと言わんばかりに非難している」上、「自民党の体質改善」さえ要求されているのである。朝日&毎日両紙が、新聞社としての公式公的な意見表明である社説で、だ。

 目糞 対 鼻糞 ぐらいの低レベルの争いだが、上掲朝日社説と毎日社説を比較するならば、毎日社説の方が「麻生副首相の発言をより細分化した断片だけ取り上げている」点と、「ハッキリと、首相からの厳重注意と党の体質改善を要求している」点で、「より悪質である」と言えそうではある。まあ、比較の問題で、目糞と鼻糞の差、だけどな。「自民党の体質」は、朝日の方も疑問視している訳だし。

 しっかし、毎日社説が求める「自民党の体質改善」ってのがどんなモノかと想像すると、空恐ろしいモノがあるのも事実だ。その点、朝日が言う「自民党の自浄能力」ってのも、似たようなモノで、婉曲表現になっている、と言うだけだが。

 改めて上掲両紙社説から、麻生太郎副首相の「女性蔑視発言を再現すると、以下の通りである。

(1) 「俺たちから見てても、このおばさんやるねぇと思った」

(2) 「そんなに美しい方とは言わんけれども、英語できちんと話をし、外交官の手を借りずに自分でどんどん会うべき人に予約を取っちゃう」


 上掲朝日社説と順番を入れ替えたのは、上掲朝日社説によると、時系列としてこの前後関係はこの様であったらしいから。尤も、上記(1)と(2)の間に幾つのセンテンスが入ったのか、全く無かったのか、等は不明だ。 
 そんなことを態々書くのは、「大抵の発言は、切り取って前後の文脈や状況から切り離すことで、問題発言化し得る」から。またその一方で、チョイと検索かけたぐらいでは、今回の麻生太郎氏「女性蔑視発言の全文」が出て来なかったから。随分前の森喜郎氏の女性蔑視発言全文は出て来るんだけどな。
 
 で、上記(1)では「おばさん」と表現したことが、上記(2)では「美しい方とは言わん」と表現したことが、「女性蔑視発言」とされた根拠・論拠なのだから・・・力が抜けるったらないな。

 先ず基本的事実確認から行こう。上記(1)から(2)の麻生副首相発言は、上川外相について言及した発言である。つまり、上記(1)から(2)の発言を「女性蔑視発言」とするならば、「蔑視された女性」とは、上川外相以外の誰でもあり得ない。

 ではあるが、上記(1)から(2)の発言は、縦から見ようが横から見ようが(*1)、「上川外相を、褒めている」のである。 
 「何を当たり前のことを」と思われるかも知れないが、上掲毎日社説のように「発言の一部だけ切り出して引用した」記事では、その「当たり前のこと」すら、判らないのである。上記②1>及び上記②2>の引用だけで、「麻生副首相は、上川外相を、褒めている」とは、判りようが無い。
 
 で、頭冷やして考えていただきたいのだが、「褒めながら蔑視する」ってのは、かなりの難事だ。不可能とは言わないが、随分と面倒臭くも捻くれている。上記(1)から(2)という麻生副首相の発言を「女性蔑視発言」と断定できるヤツバラは、そんな面倒臭い事を、いとも易々とやってのけている(乃至、「やれると思っている」)、筈だ。
 
 ああ、毎日新聞が引用したような上記②1>と上記②2>の「麻生副首相発言の断片」だけで「女性蔑視発言」と断定断言してしまうような奴ぁ、論外だ。底抜けの大間抜けのオッチョコチョイで、「気違い」と呼んで差し支えないレベルで、話にならない。上掲毎日社説を社説として公開できてしまう毎日新聞が、底抜けの間抜けでオッチョコチョイで気違いである可能性も、ありそうではあるが。
 
 で、少なくとも上記(1)から(2)の麻生副首相発言を承知で、当該発言を「褒めながら蔑視している」と断定断言し、当該発言を「女性蔑視発言」と考えて居る輩には、更に続けてお尋ねしよう。

 「上川外相は、”おばさんではない”し、”美しい”のかね?」

 無論、「おばさん」って判断基準は人に依るだろうし、「美しい」って判断基準はもっと人に依る。世の中には「上川外相は絶世の美女で、理想の女性だ!」って人もあるだろう。

 だが、世の中は、そんな人ばかりでは無い。

 「冷厳冷徹な事実」って程大仰なモノでは無いが、上川外相は「おばさん」と考える人間も、「美しいとは言えない」と感じる人間も、少なくとも一定数居る。たとえその様に考え、感じる人が「圧倒的少数である」としても、それが異常とも異様とも異端とも思えなければ、況んや「女性蔑視」などとは、私(ZERO)には全く思えない。

 いや、それどころか、上川外相は”おばさんではない”し、”美しい”と思え!」という主張がある種の「女性礼賛」とは言い得ようが、それは同時にトンデモナイ思想統制であり、内心の自由を「侵す」どころか「粉砕している」。1984の真理省も思想警察も、裸足で逃げ出すぞ。

 そればかりではないだろう。「上川外相は”おばさんではない”し、”美しい”と思え!」という主張は、突き詰めれば如何なる女性に対しても、”おばさん”とも”美しくない”とも思うな!って主張になるだろう。ここまで来ると最早「女性礼賛」と言うより「女性独裁」と言いたくなるな。

 で、朝日新聞と毎日新聞、世に溢れかえって居るらしい「麻生副首相の"女性蔑視"発言糾弾者」共に、敢えて問おうでは無いか。諸氏らは「如何なる女性に対しても、”おばさん”とも”美しくない”とも思うな!」って主張に、賛同し、実践・実行するのか、と。

 私(ZERO)は、御免被る。

 私(ZERO)が感じる女性の美醜も、「おばさん」も、私(ZERO)が決めることだ。私(ZERO)がそう感じ、考えたとて、「女性蔑視」なんぞに、されてたまるモノか。

 況んや、私(ZERO)が感じる美醜を、他人に強制されるなんざ、真っ平だ。

①7>  仕事ぶりを評する際に外見に触れる必要は全くなく
①8> 一般社会でも決して許されない。

 
と、上掲朝日社説は断定断言しているが、「仕事ぶりを評する際に外見に触れる」事が禁じられているなんて初耳だし、「一般社会でも決して許されない。」って一体何処の「一般社会」なんだぁ?朝日新聞社内かぁ??

 私(ZERO)が承知している我が国の「一般社会」では、「仕事ぶりを評する際に外見に触れる」事が推奨されては居ないかも知れないが、許容されては居るし、「おばさん」も居れば、「おじさん」も居る。その様に評され、呼ばれて、気分を害する人もそりゃあるだろうが、差別だぁぁぁぁ!!蔑視だぁぁっ!!!」と騒ぐ奴ぁ、そうは居ない(*2)。

 従って、私(ZERO)が承知している「我が国の一般社会の通念」に従って、麻生副首相の発言は、「女性蔑視と断定断言すべきモノでも、糾弾すべきモノでも無い。」のであり、「禁じる」何ざぁ、正気の沙汰ではない。

 その様な断定断言は、表現の自由、言論の自由、ひいては内心の自由をも蹂躙しかねない、デストピアへの、少なくとも入口である。

  • <注記>
  • (*1) ああ、上掲毎日社説がやったように「ごく一部分だけ切り取る」ならば、話は別だ。 
  •  
  • (*2) 一定数は居るのだろう。辻元清美とか。