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映画「レッドバロン」二代
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邦題は、必ずしも「原題の日本語訳」に非ず
一言で「洋画」と括られることもある「外国製の映画」ならば、当然タイトルは「その国の言葉」で付けられている。輸出を意識してか「英語の原題」を付けた映画も散見されるのだが、「日本への輸出を意識して、日本語の原題を付けた洋画」なんてモノを、私(ZERO)は知らない。と言うことは、日本で劇場公開なり地上波放送なりされる場合に「映画の和名」とも言うべき「邦題」が付けられる。映画ならば映画を配給する配給会社が定める場合が多いようだし、地上波放送ならば放送局が決める、のだろう。いずれにせよ「邦題を付ける」方は、当該洋画を売りたい/売り込みたいのだから、覚えて貰いやすかったり、聞き馴染みがあったり、流行語なり流行しているモノ、はたまた先行する大作映画に似せたりして、「売れるように図る」・・・ともすると、「原題なんか無視しても」。
無論、逆もある。「博士の異常な愛情 または私が如何にして心配するのを止めて水爆を愛するようになったか。」と言う、私(ZERO)の知る限り「最長タイトルである邦題」は、「Dr Strangelove」という固有名詞(人の名前(*1))を「博士の異常な愛情」と「意訳」している以外、ほぼ原題の直訳(*2)であり、逆にその事で「タイトルを印象づけている」・・・・まあ、モノクロとは言え、インパクト大な戦争映画、なんだが。因みに、戦闘シーンは殆ど無い(*3)。
一方で、「洋画の邦題」は、往々にして「原題の日本語訳」とは大いに事なり、丸っきり別物と言うことも、珍しいことではない。私の知る限り(*4)では、「the Battle of the Bulge」が「バルジ大作戦」になったのは十分許容範囲としても、類似した原題の「the Battle of Britain(*5)」は「空軍大戦略」にされているし、「Kelly's Heros(*6)」なんざぁ「戦略大作戦」なんてすんごい邦題にされている。かと思うと、「the Dirty Dozen(*7)」は「特攻大作戦」で、コチラはシリーズ化されて何作も作られたが、「戦略大作戦」との共通点は「第二次大戦下の欧州戦線での米軍が主人公」って事ぐらい。この共通点は、「バルジ大作戦」とも(ほぼ)共通する(*8)
であるならば、「邦題は全く同じでも、原題は異なる洋画」ってのも存在して、今回取り上げる洋画「レッドバロン」はその例だ。
あ、その他に特撮巨大ロボットモノに「レッドバロン」ってのがあることは知っているが、「知っている」と言うだけなので(見たことすら、無い。)、今回は取り扱わない。タイトルにもした通り、今回の対象は、洋画(基本的に実写映画(*9))である「レッドバロン」だ。
- <注記>
- (*1) 映画の中でピーター/セラーズが演じる役の一つで、ドイツ系アメリカ人であり、「アメリカ国籍を取る時に、元のドイツ名を英語に意訳した。」とか言う設定で・・・端的に言って「ナチのマッドサイエンシスト」だ。
- (*2) ああ、「The Bomb」を「水爆」とするのも、意訳ではあっても、直訳ではない、か。
- (*3) 空軍基地で若干の銃撃戦と、ラストの「連続核爆発」ぐらい。B-52の飛行シーンとラスト近くの「原爆ロデオ」もあるけど、「戦闘シーン」とは言い難い。これほど戦闘シーンの少ない戦争映画も珍しい。ま、ブラックコメディ映画、と言う方が、本質なのだろうが。
- 原作たる「破滅への二時間」は、超弩シリアスな第3次大戦モノSFなんだけどね。
- (*4) って事は、戦争映画と西部劇が中心で、広範とも一般的とも多数とも言い難い。ハッキリ言って、「サンプリングに偏りありまくり」だ。
- (*5) 直訳すれば、「英国の戦い」で、実質は「英国上空の戦い」。「英国本土防空戦」が、妥当な訳だろう。
- (*6) 直訳すれば「ケリーの英雄達」だが、適正な訳は「ケリーと野郎共」って所か。ケリーは、クリント・イーストウッドが演じる本作主人公で、仲間と共謀して敵軍(ドイツ軍)の金塊を盗みに行く、話。
- (*7) 直訳すれば「汚れた十二人」だが、「汚れ稼業の十二人衆」ぐらいが、適正な訳か。
- (*8) 個人的には、「バルジ大作戦」の主人公は、ドイツ軍戦車隊長ヘスナー、だと思うが・・・
- (*9) 後述するが空戦映画なので、特撮もCGも、相応に入っている。
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新旧「レッドバロン」
新「レッドバロン」空戦シーンなど
旧「レッドバロン」
邦題で「レッドバロン」とされる映画は、私の知る限り二本ある。一つは2008年(って事は、もう15年も前か・・・)のドイツ映画で、原題はDer rote Baronだから、英語表記で言えばThe Red Baron。この邦題は(珍しく)原題に忠実だ。
もう一本は1971年のアメリカ映画で、原題はVon Richthofen and Brownだから、コチラは一寸(だけ)意訳された邦題だな。
どちらも実は同じく第1次大戦の空前を描いた空戦映画で、「レッドバロン」というのは両方の主人公(少なくともその片割れ)である、第1次大戦ドイツ軍最高の撃墜王(撃墜スコア80機で当時世界最高位)であるマンフレート・フォン・リヒトホーフェン男爵の活躍から最後まで、を描いている。
「同じ主人公」なのは道理で、「第1次大戦ドイツ軍最高の撃墜王マンフレート・フォン・リヒトホーフェン男爵」は実在の人物である。つまりは「史実に基づいた空戦アクション映画」が、新旧「リヒトホーフェン」である。
史実をもう少し追おうか(其れは、新旧両映画のバックグランドであり、バックボーンを成す)。そもそも、第1次大戦ってのは日本人にとって余り「馴染みの無い戦争」ではあるが、「人類初の総力戦 Total War」とも言われ、「全ての戦争を終わらせる戦争(*1)」なんて断定的にして大胆な異名も持つ(*2)、「(少なくとも昔の)欧米人にとっては忘じがたい戦争」である。史実・戦史的には「人類初の世界規模の総力戦」ってのが大きいが、俗受けしやすい所では「三種の新兵器・戦車、戦闘機、毒ガス」ってのがある。
然り、第1次大戦は、人類史上初めて大規模に航空機が戦争に投入された戦争である(*3)し、国によっては「空軍」が創設されている。其れも、当たり前だが、固定翼の「重航空機(*4)」を中心としているのだが(*5)、人類初の「重航空機」たるライト・フライヤーが初飛行したのは、第1次大戦勃発の僅か10年前だ。
しかし、第1次大戦5年間の航空機の技術的進歩は実に目を見張るモノがあり、最初はライトフライヤーを一寸改良したぐらいの機体もあって偵察ぐらいしか出来なかった航空機が、木製骨組み羽布張りから、木製モノコック、鋼管枠組み羽布張りを経て全金属製機まで(極少数だが)実戦配備に至る。単葉機は(実は)大戦初期から既にあったが、機体外に張線が無い(*6)厚翼単葉(しかも低翼(*7))まで出現する。
技術的進歩と共に性能も向上し、地上攻撃含めた戦術爆撃や、飛行船に続いての戦略爆撃、これらを迎撃し、更には「制空権(*8)」を争う戦闘機と、航空機の任務も多種多様となり、其れに応じた設計も成されるようになった。
一言で言えば、空戦専業の「戦闘機」の登場である。
と、ほぼ同時に、その戦闘機のパイロットに、虚実取り混ぜた羨望や賞賛が、戦時下にあった(否、戦時下にあればこそ、か。)当時から集まった。ラジオは既にあったがテレビは無く、ネットなんざ影も形もない当時のことだから、主として新聞記事を通じて「Ace 撃墜王」の物語が紡がれ、拡散した。
その物語の主人公の一人が、「赤い男爵Red Baron」こと、マンフレート・フォン・リヒトホーフェンである。ある時期から乗機を深紅に塗った事からこの異名があり、某アニメに登場する「赤い彗星」の元ネタともなっている【確信】。ドイツ軍のトップエースであり、戦闘機隊指揮官。自らの機体を深紅に塗ったほか、配下の機体もカラフルに塗装したので目立ち、「リヒトホーフェンサーカス」と呼ばれた・・・・ってのは、小学校の頃に読んだ本が元ネタだから、一寸出典がアレだが、どうも本当のこと、らしい。男爵って爵位も持っている貴族様なので、「空の騎士道】などと喧伝され、数多の伝説にもなっている(*9)。
ウーン、「史実を追う」と言いつつ、「数多の伝説がある」なんて紹介になってしまったな。だが、かかる「数多の伝説」あればこそ(*10)、史実・実在の撃墜王リヒトホーフェンを主人公とした映画が作られるのだろう。
章題にもしたが、便宜上、1971年アメリカ映画「Von Richthofen and Brown」を旧「レッドバロン」。2008年ドイツ映画「Der rote Baron」を新「レッドバロン」と呼ぶことにしよう。
どちらもマンフレート・フォン・リヒトホーフェンを主人公としており、どちらもリヒトホーフェンの戦死で幕を閉じる。主題は第1次大戦の空戦であり、異様なほどにカラフルな複葉機&三葉機が乱舞する。「リヒトホーフェンサーカス」のカラフルな塗装も中々楽しい。
唯、「カラフルなリヒトホーフェンサーカス飛行隊」の理由の描き方は、新旧で微妙に異なっている。「騎士たる者が、隠れて戦うような真似が出来るか!」とし、「安全の確保よりも、敵に恐れられる、目立つことが重要だ。」とリヒトホーフェン自身が宣言して、「規則違反を事後承諾」させてしまう新「レッドバロン」に対して、旧「レッドバロン」では「航空機を多色(multi color)塗装とせよ」 と「迷彩塗装を命じる(心算の)」命令を逆手にとって、リヒトホーフェン自身の愛機の赤をはじめとして、青やら黄色やら「各機ほぼ単色塗りの、編隊/飛行隊でMulti Color」と言う、とんち話のようなリアクションをしている。
まあ、「フォッカーの懲罰」とか「血の4月」とかで、ドイツ軍航空隊(未だ「空軍」ではない。)の方が優勢だったころは、これで良かったのだろうが、米国(*11)の参戦もあって劣勢となってくると、リヒトホーフェンの配下でも「機体を英軍のように茶色に塗らせてくれ。」と言い出すシーンが、旧「レッドバロン」にはある。
新旧「レッドバロン」とも、伝説にある通り「リヒトホーフェンは、英軍のブラウン大尉に撃墜された」事になっている。旧「レッドバロン」の原題「von Richthofen and Brown」にも、端的に其れを表している。
一方で、ブラウン大尉とリヒトホーフェンとの個人的関係は、新旧「レッドバロン」では大部異なっている。新「レッドバロン」では、比較的早い時期から「リヒトホーフェンが、ブラウン大尉機を撃墜しながら、その墜落した機体からの脱出をリヒトホーフェン自身が手伝う」等、個人的接触があり、二人揃って不時着した「無人地帯(*12)」から揃って脱出したりと、「戦時下の敵国同士の軍人同士」ながら「奇妙な友情」状態を描出し、ラストではブラウン大尉自身がリヒトホーフェンの墓へ、リヒトホーフェンの恋人を案内している。
一方、旧「レッドバロン」では、両者の個人的関係は殆ど無く、寧ろ二人は好対照的に描かれる。貴族であり、「騎士道精神」への傾倒を露わにする(でも、徹底は、出来ない)リヒトホーフェンに対して、自らを「敵機を粉砕する職人」と公言・宣言し、英軍内には未だ色濃く残る「騎士道精神」を真っ向から否定してみせる「職業軍人」たるブラウン大尉。「騎士道精神に対するロマンチシズム」を対立軸として、両者を対比・対峙させている。「台頭する"職業軍人” 対 最後の騎士道」って「判りやすい」図式だが・・・史実通りに「レッドバロン」リヒトホーフェンは撃墜される。「伝説」通りに、ブラウン大尉との空戦の結果。
旧「レッドバロン」の方は、「リヒトホーフェンの死」を以て「騎士道精神の終焉」を示唆している、様に思われる(*13)。
また、リヒトホーフェンの死後、後継の戦闘機隊指揮官となったウーデット(だったと思う)の「アレコレ怪しいところ」は「騎士道物語という、”判りやすい戦争”の終焉」を示唆しており、やはり「騎士道精神の終焉」と同根の「時代の流れ」を示唆してる、と思われる。
一方、新「レッドバロン」の方は、この「リヒトホーフェンの撃墜死」自身は殆ど描かれない。映画としては「空戦アクションシーン最大の見せ場」としそうなモノだが、「不利な戦況を推して、淡々と死地へと仲間(同僚戦闘機パイロット)達と向かうリヒトホーフェン」らの離陸シーンこそ丹念に描かれるが、次のカットではリヒトホーフェンの恋人がリヒトホーフェン自身の墓参り(で、そこまでブラウン大尉が案内する)シーン、となっている。
「撃たれて血まみれとなりつつ、徐々に高度を下げ、飛行を続けるリヒトホーフェン」を延々と描く旧「レッドバロン」との対称性は、恐らくは意図的なモノなのだろう。
- <注記>
- (*1) 「裏の意味」は、「西欧列強同士の植民地分配が決着すれば、最早戦争は起きない」という欧米中心史観・・・と言うより「白人優位主義」だな。平たく言って、人種差別だ。
- (*2) 他に「Machingun War(機関銃戦争・・・ギャング映画の邦題みたいだな。)」とか、一声「The Great War(大戦争、だろうが、”偉大な戦争”って含意も、ありそうだな。)」ってのもある。
- (*3) 単に「航空機が戦争に投入された」ならば、確かナポレオン戦争に気球が用いられた事例が、ある。
- (*4) 気球や飛行船のように、浮力で浮く「軽航空機」に対し、空気力を使って主翼や回転翼で飛ぶ航空機を「重航空機」と称する。
- (*5) 無論、ドイツのツェッペリン飛行船が、人類初の戦略爆撃を敢行したことも、忘れてはいけないんだが。
- (*6) 大戦初期の単葉機は、フォッカーE1も含めて一枚の翼を胴体上下から張った張線で支えている。
- (*7) という意味では、第二次大戦機の基本的フォーマットが、第1次大戦末期には登場している、訳だ。
- (*8) って概念が登場するのも、第1次大戦が嚆矢と言えよう。
- (*9) 私(Zero)が小学生時代に読んだ本では、空戦に入ろうとした敵機が機銃故障を起こしたのを察して、攻撃を中止して手を振って別れた、ってエピソードがった。と思う。
- 松本零士の戦場漫画「ベルリンの黒騎士」にて、主人公「黒騎士」ことリヒター大尉が「攻撃能力を失った敵機は攻撃しない(当初は)」って設定なのも、多分、この「伝説」が元ネタだろう、と思う。
- (*10) それこそ、元ネタにして「赤い彗星」なんてのがSFアニメに登場してしまう程の。
- (*11) 「ドイツにとって、無慈悲なまでの工業力」と言われたのは、第1大戦下だ。
- (*12) 長大な塹壕戦となった第1次大戦西部戦線の、連合軍側とドイツ軍側との両軍塹壕の間に出来た、人跡希なる地帯。下手に動くと両軍&両側から銃撃砲撃喰らう、剣呑な地形・地勢。
- (*13) 逆に、「リヒトホーフェンを撃墜した後の、ブラウン大尉のふて腐れたような態度」に、「リヒトホーフェン死すとも、騎士道は死せず。」とする解釈も、あるそうだ。
- ま、芸術の価値は受け手が決定し、受けてしか決定できない以上、受け手がどうあるか、誰であるかで、「芸術の価値」は大いに異なる、と言う見本でもあろう。
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新旧「レッドバロン」登場機体の再現性
別の意味で新旧「レッドバロン」を好対称的に際立たせているのが、章題にした通り、「登場する飛行機・機体」である。ナニしろ、舞台は第1次大戦下であり、リヒトホーフェンもブラウン大尉もその仲間達も、搭乗し駆るのは第1次大戦機の複葉機や三葉機である。空戦映画の大金字塔「空軍大戦略」は未だ第2次大戦からさして経っていなかったから、「実機の第2次大戦機を大量動員する」なんて「豪快なワザ(*1)」が使えたが(*2)、旧「レッドバロン」ですら第1次大戦後60年を数えている。当時の機体の大半が「木製骨組み羽布張り」だったこともあり、「飛行可能な第1次大戦機」なんてモノは、もし仮にあったとしても「映画の撮影に使えるほどの数は、既に無い。」
そこで旧「レッドバロン」が映画に使ったのは、レプリカ(復元機)である。「明らかに、第1次大戦機を模した復元機」もあれば(リヒトホーフェン最後の愛機となったフォッカーDr1三葉機は、今でも人気のある機体で、レプリカが相応に流通している様だ。)、「塗装だけは第1次大戦機にしました」程度の複葉機(主として、大戦間機)もある。
「レプリカであっても、実際の航空機を使って、リアルな演出・撮影」ってその「意気」は、買うべきだろう。
これが新「レッドバロン」となると、レプリカも数少ない性もあろうが、「第1次大戦機を"演じる"ことができる、複葉機」の絶対数が、恐らく絶望的に不足しているのもあろう。「技術の進歩」によるCGコンピュータグラフィックスが「実際には無い第1次大戦機を、スクリーン上に再生・再現」している。お陰で、アルバトロスDⅡ(DⅢ?)の「木製モノコック構造流線型の胴体」とか、「フォッカーDrⅠ三葉機の、始動するとプロペラと共に回転を始めるロータリーエンジン(*3)」等が、スクリーン上に描き出される。
異に、プロペラと共にエンジンのシリンダ列も回転を始める「ロータリーエンジンの始動」は、往時のような「ロータリーエンジン(回転式空冷エンジン)」が絶滅してしまっている現代では、「レプリカ機を使っても再現できない(レプリカ機が積んでいるのは、空冷星形エンジンであり、気筒は回転しない。)」シーンである。其れを含めて、「CGと言う新技術のお陰で、第1次大戦機の再現性が、向上している」のである。
コレは、空戦映画ファンにして、航空機ファンでもある、私(ZERO)のような人間には、誠に喜ばしい限りである。
- <注記>
- (*1) その「豪快なワザ」の前には、「ドイツ軍機に扮したのが、スペイン軍のイスパノメッサーだったモノだから、エンジンが英国製で、機首廻りだけスピットファイヤにソックリ」なんてのは、「些事」とすべきだろう。
- (*2) 其れもまあ、第2次大戦後までスペイン空軍が「ドイツ設計の戦闘機や爆撃機」を装備し、大量保有していてくれた、お陰ではあるが。
- (*3) 第1次大戦当時は、熱伝達率の高いアルミ合金は未だ量産できず、空冷エンジンは鉄製で「気筒を放射状に星形に並べて風に晒す」だけでは冷却が足りず、「プロペラをエンジン本体に固定し、回転軸先を機体・胴体に固定し、エンジン本体はプロペラと共に回転する」のが一般的であった。この様な当時の空冷エンジンを、「ロータリーエンジン」と呼ぶ。
- マツダ自動車搭載の「長円形空洞内で偏心したお結び形が回転する」ロータリーエンジンとは、作動方式が異なることに、注意。第1次大戦機の「ロータリーエンジン」は「プロペラと共に回転する」点はユニークだが、作動原理は自動車のガソリンエンジンと同じ、ピストンエンジンだ。
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航空機映画の新たな可能性
第1次大戦終結からは、既に100年以上を経過している。航空機は、当時最先端に近い「科学技術の結晶」と言い得そうだが、木製骨組みに羽布張りって構造の機体も多く、後に主流となる全金属機(これまた、第1次大戦中に初めて実用化(*1)された。)に比べると、経年変化に弱いことは否めない。
即ち、今回取り上げた新旧「レッドバロン」の様な「第1次大戦空戦モノ」と言うのは、「実機を使った撮影」は既に限りなく不可能に近く(第1次大戦以降に結構作られているレプリカを、使うぐらいしかない。)なっている。
かかる「時代の流れ」に抗しうる手段(の一つ(*2))が、新「レッドバロン」で大いに活用されたCG=Computer Graphicsである。前述の通り、「CGの活用により、旧「レッドバロン」の様な実機を使った空撮よりも、新「レッドバロン」の方が再現性が向上している。」と言う、一種の「逆転現象」さえ生じている。
コレは即ち、第1次大戦モノに限らず、航空機映画(空戦映画)なるモノの製作が、CGと言う新技術・技術の進歩により、「嘗てよりも容易になった」と言うことであり、第1次大戦モノに限って言えば「再び可能にした」と評しても良さそうなぐらいだ。
だからと言って、航空機映画(空戦映画)が続々と作られ、公開なり配信なり(最近は、劇場公開も地上波放送も衛星放送もされず、ネット配信のみって作品も、多い。)される、訳ではないんだけどね。所詮、マイナーなジャンルだ。
だぁが、空戦映画ファンにして、航空機ファンとしては、否が応でも「期待してしまう」モノがあるのも、確かだ。
- <注記>
- (*1) 「実用化された」程度で、量産機も登場したが、普及したのは大戦間期だ。
- (*2) 他は、実写ではなくアニメ化するってのも、手ではある。
- だぁが、最近のアニメって、詰まるところCGなんだよね。