• そりゃつまり、「事故死者ゼロで64年」。-【沖縄タイムス社説】宮森小墜落事故64年 忘れまい冷戦下の悲劇

 「丸い卵も、切り様で四角。モノも言い様で角が立つ。」ってナぐらいなモノだ。下掲沖縄タイムス社説タイトル宮森小墜落事故64年 忘れまい冷戦下の悲劇から、「より一層、飛行安全に精進努力し、事故死者ゼロで百年を目指せ。」という主張だって、十分成立するのである。

 が、勿論、沖縄タイムス社説が「忘れまい」と言うのは、「飛行安全を讃え、推奨する」為では、無い。ある種の「ダブルミーニング」だな。

 

  • (1)【沖縄タイムス社説】宮森小墜落事故64年 忘れまい冷戦下の悲劇

  • 宮森小墜落事故64年 忘れまい冷戦下の悲劇

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  • 2023/06/29
  •  沖縄には、悲しみの記憶が深く刻まれた日付が少なくない。
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  •  疎開学童を乗せた対馬丸が米潜水艦の魚雷攻撃を受け沈没した1944年8月22日がそうである。
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  •  犠牲になった1484人のうち784人が学童だった。
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  •  石川市(現うるま市)の宮森小学校に米軍のジェット戦闘機が墜落、炎上した59年6月30日もそうだ。
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  •  児童11人、住民6人の命が奪われ、後に1人が後遺症で亡くなった。重軽傷者は210人に上る。
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  •  宮森小米軍機墜落事故からあす30日で64年になる。
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  •  事故はミルク給食の時間に起きた。喜納秀子さんは、2年生の男児を事故で失った。軍病院に駆け付け、「髪の毛も洋服も焼け、全身黒ずんでいた」わが子を見て激しいショックを受け、気を失った。
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  •  夫の福常さんは怒りを抑えることができず、遺体を引き取って家に戻り、仏壇をこぶしでたたいて号泣した。
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  •  「全身火傷で死んだ子を、二度と熱い火の中に入れられるか」。夫が反対して火葬をせず、野辺送りしたという(宮森六三〇会編「沖縄の空の下で(1)」)。
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  •  子どもの安否を確認するため親は教室を訪ね、校庭を走り、市内の病院や軍病院を探し回り、最後に探す場所が遺体安置所だった。
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  •  巡回教師の豊濱光輝さんは遺体安置所を担当した。「そこで我が子と対面した時の親兄弟の叫びと涙は、私はあの状況をどう証言していいかわかりません」(同「沖縄の空の下で(3)」)。
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  •  事故を起こした米空軍のF100ジェット戦闘機は、嘉手納基地を離陸した直後にエンジンの異常を感知し、午前10時40分ごろ、石川市の住宅地域に墜落した。その衝撃で機体が跳ね上がり、家々を引きずるように宮森小に激突、住宅と校舎3教室が大量のジェット燃料で炎上した。
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  •  事故の三つの特徴を指摘しておきたい。
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  •  第一に、多くの子どもたちが犠牲になったにもかかわらず、パイロットは墜落直前にパラシュートで脱出し助かったこと。
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  •  第二に、米軍側から提示された補償額があまりにも低く、完全賠償を求める運動が島ぐるみの取り組みに発展したこと。
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  •  第三に、米軍は当初、「エンジン故障による不可抗力」の事故と見なしていたが、米軍の内部文書で、整備不良による重大事故だったことが明らかになった。
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  •  対馬丸撃沈と宮森小墜落事故は、戦争中の子どもの犠牲と、戦後の米軍統治下の子どもの犠牲を象徴する最も痛ましい事例である。
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  •  それだけではない。復帰前の沖縄で、米軍の事件事故によって子どもが犠牲になったケースは数多い。
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  •  国家安全保障の名の下に戦後ずっと過重な基地負担を強いられ、住民の安全が損なわれてきたのである。
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  •  そして今もなお、私たちは「新たな戦争」の影に脅かされ続けている。冷戦下に起きた宮森小墜落事故は決して過ぎ去った過去の話ではない。
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  • c 株式会社沖縄タイムス社
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  • 2023年6月29日朝刊オピ5面

 

  • (2)事例として挙げられているのは、大東亜戦争中の対馬丸雷撃と、64年前の宮森小墜落事故のみである。

 何れの犠牲者に対しても、お気の毒と思う点では、私(ZERO)とて人後に落ちるモノでは無いが、上掲沖縄タイムス社説が64年前宮本小墜落事故を取り上げるのは、「それ以降に、斯くも大規模な民間人死亡事故が無い」事の裏返しであろう点は、指摘しない訳には行かない。対馬丸に至っては、80年以上前の大東亜戦争中の戦時下だ。

 それを、

1> それだけではない。復帰前の沖縄で、米軍の事件事故によって子どもが犠牲になったケースは数多い。

と、交通事故から犯罪まで十把一絡げに「米軍の事件事故」と一括りにして同一視した挙げ句、

2> そして今もなお、私たちは「新たな戦争」の影に脅かされ続けている。
3> 冷戦下に起きた宮森小墜落事故は決して過ぎ去った過去の話ではない。


と、上掲社説を「しめる」のだから、凄まじい。
 「新たな戦争」の脅威は、大抵常にあるモノだし、沖縄は大東亜戦争中に限らず、昔も今も、最前線だ。

 ああ、タイトルにした「事故死者ゼロで64年」というのが些か「書き過ぎ」であり、「誇大広告」であることは認めよう。だが、「航空機事故民間人死者数」という意味では、「64年」という数字は嘘ではない。冒頭に述べた通り、上掲沖縄タイムス社説タイトルで「飛行安全の努力を讃え、今後に期待する」社説だって「書ける」事にも、殆ど疑義の余地は無い。

 だが、御覧の通り上掲沖縄タイムス社説は、64年前の死亡事故と現在現状とを短絡直結させて、更には国防、安全保障とも結びつけて、死亡事故諸共、米軍基地も国家安全保障も、纏めて「葬り去ろう」と主張している。

 「新たな戦争の脅威」よりも、事故死の方が怖い、って主張でもあるな。いつもながら、凄まじいな。沖縄二紙の軍事忌避軍人差別の安保白痴ぶりは。