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そりゃ、「秘密にする」ことが抑止力だろうが。-【東京社説】敵基地攻撃能力 行使の例示をなぜ拒む
例え話とか比喩とか言うモノには、「果たして、その例え・比喩、チョイと気障な言い方をすれば”モデリング”が、正しいか?」と言う懸念・疑問が常にあるし、あるべきなのだが、こんな例え話は、どうだろうか。
貴方に、普段は温厚だが、背も高く力も強く、ケンカとなれば滅法強そうな知り合いが居る、としよう。この人、普段は温厚だが、ある一線を越えると「切れて」殴りかかってくる、と仮定しよう。
その「越えると切れる一線」が、長い付き合いとか経験則とかで判っていれば、貴方は「その一線を越えないように」、俗に言う「地雷を踏まないように」その人に接するだろう。
貴方が図々しい人間ならば、「その一線を越えない」様にしつつ、その人を馬鹿にしたり揶揄したり借金したり踏み倒したりする、可能性はある。「その一線」が判っているのだから、揶揄も借金も踏み倒しも、ある意味「安心して」出来るだろう。
その「越えると切れる一線が、不明」ならば、「切れると怖い」とは判っているのだから、貴方のその人への対応は、慎重に丁寧になる、だろう。
逆にその人が、「どんな事をしても、殴りかかっては来ない。」と判っていて、貴方が図々しい人間ならば、その人への揶揄も借金も踏み倒しもそれ以上のことも、勝手気まま、自由自在だろう。
であるならば、「越えると切れる一線を、明確にしない。隠す。」と言うのは、「抑止力を高める効果がある。」。その事がメリットばかりとは言わないが、「メリットがある」と考えることは、出来る。
言うまでも無かろうが、「切れて殴りかかってくる」というのは、「敵基地攻撃能力の行使」の比喩であり、「ケンカに(実は)強そうな、温厚な人」は「我が国・日本」の比喩である(*1)。冒頭に述べた通り、比喩・例え話には、「”モデリング”は正しいか?」と言う疑念がつきまとう(と言うよりは、「全ての比喩・例え話は、"モデリングは正しいか?"と言うことを幾許かでも念頭に置いて、見る/聴く/読むべきである。」。今回の私の比喩/例え話を含めて、な。)。国家間の関係を、個人同士の関係に準える「モデリング」にも、無論「問題ない」とは言わない(*2)が、「敵基地反撃能力の行使」を考える、一助となろう。
- <注記>
- (*1) で、「何をしても殴りかかっては来ない」状態が、「敵基地攻撃能力を、行使すると明言しない」以前の状態の我が国の比喩、である。
- (*2) 国家間の不当不正な行動は、極希にしか「裁判で裁かれる」事は無い。その点、少なくとも我が国に於ける個人同士の関係とは、大いに異なる。
【東京社説】敵基地攻撃能力 行使の例示をなぜ拒む
敵基地攻撃能力 行使の例示をなぜ拒む
https://www.tokyo-np.co.jp/article/233827?rct=editorial
2023年3月1日 06時56分
二〇二三年度予算案が衆院を通過した。過去最大の約六兆八千億円に上る防衛費や敵基地攻撃能力(反撃能力)保有の是非が予算案審議の論点となったが、どのような場合に敵基地攻撃を行うのか、野党が求める例示を岸田文雄首相は拒んだ。「丁寧な説明」を尽くしたと言えるのか。
政府は昨年十二月に閣議決定した安全保障関連三文書に、相手国領域を攻撃して日本へのミサイル発射を阻む敵基地攻撃能力の保有を明記。敵基地攻撃に使える長射程の米国製巡航ミサイル「トマホーク」の取得費二千百十三億円を二三年度予算案に計上した。
敵基地攻撃能力の保有は憲法九条に基づく専守防衛を形骸化させる上、国際法違反の先制攻撃につながりかねない。台湾を巡る米中対立が軍事衝突に発展すれば、自衛隊が米軍を守るために集団的自衛権を行使して中国を攻撃する事態も想定される。
立憲民主党は敵基地攻撃能力の行使例を示すよう求めたが、首相は「きめ細かく具体的な例を示すことは安全保障という課題の性格上、適切ではない。個別具体的に判断する」と拒んだ。
立民は具体的な国名や軍事機密を含む想定までは求めておらず、首相はなぜ例示を拒否するのか。肝心な情報を示さないのなら、敵基地攻撃の判断を政府に白紙委任するよう強いるに等しい。
首相はトマホークの取得数を、野党の求めに応じて四百発と明らかにしたが、根拠は不明だ。
浜田靖一防衛相は「米国側の説明では最大四百発」と答弁しており、日本自身の防衛に必要な装備の数を積算したというよりは、供給する米国側の事情で取得数が決まったとの疑いは晴れない。
そもそも防衛費を五年間で四十三兆円とし、二七年度に関連予算を含め国内総生産(GDP)比2%に倍増する根拠すら疑わしい。
岸田政権は安保政策の大転換と「軍拡増税」方針を国会での議論なく決めた。その上、政府与党の方針通りに認めろと言わんばかりでは幅広い理解は得られまい。首相には傲慢(ごうまん)な姿勢を改め、誠実な態度で審議に臨むよう求める。
(2)中国とロシアと北朝鮮を、同時に一手に相手にするには、GDP比2%でも不足です。QED。
「二国標準主義」ってのは、パックスブリタニカ「英国の平和」華やかなりし頃、そのパックスブリタニカの中心たる英国が掲げた国家安全目標。平たく言えば、「世界第2位の海軍と世界第3位の海軍が、タッグを組んで攻めて来ても、勝てるだけの世界第1位の海軍を保有する。」って目標であり、英国はこの目標を大凡「パックスブリタニカ=英国の平和」と謳われた頃には実現し、維持できていた。
ああ、これは、話が逆だな。英国が「二国標準主義」を守れるだけの「世界第1位の海軍」を保有していたからこそ、「パックスブリタニカ=英国の平和」は実現し、維持できた、のである。
翻って、21世紀の今日。世界第1位の海軍を保有するのは米国であり、米国流の「二国標準主義」を一応達成している。だが、海軍だけで海洋の覇権、特に海外貿易通商路を完全に制御できる時代ではなくなった事もあり、今日の世界は「パックスアメリカーナ=アメリカの平和」とは呼びかねる。一方で「かつては米国に対抗していた」ソ連がロシアとなって没落しつつあるのは未だしも、中国がその経済発展と共に大軍拡を続行中。一方で海軍はショボいが核兵器とミサイルで恫喝を繰り返す北朝鮮も、我が国に近い「潜在的敵国」として、中露共々存在する。
かてて加えて、何かというと日本を敵視し、軍艦から射撃管制レーダーを我が海自哨戒機に照射しながらナンの善後策も講じない韓国も、「潜在的敵国」と見なしておくのが、安全側と言うモノだろう。
事ほど左様に我が近隣には、「潜在的敵国」が多いのである。「潜在的敵国が多い」現状は、昨日今日現出したモノでは無いが、「防衛費の対GDP比1%縛り」は、「強大な潜在的敵国はソ連(ロシア)ぐらいしか無かった頃」から連綿と続き、我が国防を逼迫させ続けてきたのである。ようやっとそれを打破しようという「GDP比2%」とて、「遅い!」「足らない!」と批判することは出来ても、「根拠がない」などと非難される筋合いは、無い。
我が国が、中国、ロシア、北朝鮮を、一度に一手に「引き受けねばならない」というのは、悪夢であるし、そうならないように外交政策、例えば「中露離間策」等をとるべきは当然であるが、国家安全保障上、国防上は、「一度に一手に引き受けること」も想定し、それに備えるべきである。