• 「日本人に出来ることなら、韓国人なら簡単」と考えている、らしい。-【朝鮮日報コラム】【萬物相】「クルマの墓」に再挑戦する現代自動車

 「日本人の『出来ません』、韓国人の『出来ます』、中国人の『出来ました』は、信用するな。」ってジョークがあるそうだ。バリエーションが幾つもある様で、韓国人が『出来るまでの追加費用を算出』したり、中国人が『特許料を提示』したりもする様だが、言わんとしていることは大凡一致している。
 
 即ち・・・
 日本人は、『出来ません』と言うが、『実は出来る』し、大概のことが出来る。
 韓国人は『出来ます』と言い、中国人は『出来ました』と言うが、どっちも嘘で『実は出来ない』し、いつまで経っても『出来ない』。


 ある意味「差別的なジョーク」であり、「ポリコレ」とやらに引っかかりそうだ(*1)が、血の赤い日本人の一人としては「なかなか心地よい冗句」ではある。まあ、「心地よい」だけに、十分警戒が必要なのだが。

 そんな「ポリコレ的には問題視されそうな”差別的”冗句」を、下掲朝鮮日報コラムは(恐らくは図らずも)「裏書き」してくれている、様だ。
 

  • <注記>
  • (*1) なればこそ、ポリコレ=政治的に正しい」なんて評価基準は、「全然信用できない」のである。
  •  政治的に正しい」と言うのは、「正しくない」と同義だろう、とさえ、私(ZERO)は考えて居る。本当に「正しい」ならば、「政治的に」なんて限定詞は不要で、単に「正しい」と言えば済む。それをポリコレ=政治的に正しいと表現すると言うことは、「政治的に、正しい。」と言っているのであり、「政治的にしか、正しくない。」とか、「常識的には、普通に考えれば、正しくない。」とか、暗に言って居り、自覚もあれば、白状もしている様なモノである。 



 

  • 【朝鮮日報コラム】【萬物相】「クルマの墓」に再挑戦する現代自動車

  • 【萬物相】「クルマの墓」に再挑戦する現代自動車

  

 

 

http://www.chosunonline.com/site/data/html_dir/2022/02/11/2022021180057.html

 

 「看羊録」は朝鮮王朝時代の儒学者、姜沆(カン・ハン)が壬辰倭乱(文禄・慶長の役)の際に日本に連行された際に経験した苦難の体験記だ。ところが、当時首都だった京都に対する記述には感嘆が込められている。倭人が珍しい物を好み、通商を立派なことだと考えていること、あらゆる技術に加え、必ず天下一の物を作り上げ、そうした品物を金銀で高値で取引する慣習があること、そして、日本市場が朝鮮で知られているよりもはるかに大きいことだった。

 

 日本の「天下一」への執着は近代以降さらに強くなった。紡織、鉄鋼、造船、鉄道、機械、光学をはじめ、戦闘機、空母などの兵器産業でも世界最高の物を作った。戦後には電子・自動車産業で頂点に立った。一時はスポーツ用品までも席巻した。何でも天下一に到達しなければ気が済まない国民性だ。世の中が「アナログ」に留まっていたならば、日本の相手になる国はドイツぐらいしかなかったはずだ。

 

 中でも日本人の長所が最も凝縮された製品が自動車だという。長期不況以降、日本の産業は大半が不振だったが、自動車だけは今でもトップだ。トヨタ、ホンダ、日産、マツダなど7つの世界的ブランドが国内で争っている。ところが、日本の国内需要は長期不況と高齢化で30年前の60%にまで落ち込んだ。高齢者の自動車離れは「卒車」という新語まで生まれるほどだ。若者の自動車離れが起きてからは20年以上が過ぎた。それだけに日本市場は世界で最も競争が激しい「レッドオーシャン」と言われる。世界の「クルマの墓」と呼ばれて久しい。

 

 現代自動車がこのほど、そんな日本市場に参入すると発表した。電気自動車(EV)と燃料電池車など次世代カーをオンラインで販売する構想だ。新たなチャレンジと言える。日本の自動車市場の現実を知らないはずはないのに進出するのは、日本の自動車市場が世界で最もレベルが高く、複雑な市場だからだという。BTS(防弾少年団)が米国に向かうように、自動車は日本市場で認められてこそ世界最高だ。日本市場で競争すること自体が財産になり得る。

 

 現代自の日本進出は再挑戦だ。2001年から9年間、1万5000台が売れただけで撤退した経験がある。「ヨン様」ペ・ヨンジュンを広告モデルに起用したが反応は冷ややかだった。韓流を好むからといって、韓国車を買ってくれる消費者はいなかった。現代自の張在勲(チャン・ジェフン)社長は「再び原点に立ち戻り、真剣に顧客と向き合う」と述べた。現代自は米国市場でホンダを凌駕(りょうが)するほど技術力が発展した。EVであれ燃料電池車であれ、内燃機関車であれ、「天下一」という原点を執拗に追求すれば、「クルマの墓」日本でも生き残ることができるはずだ。

 

鮮于鉦(ソンウ・ジョン)論説委員

 

朝鮮日報/朝鮮日報日本語版

 

  • 「現代自動車の品質は、日本車に負けない」ってのが前提なのだが、どうしてそんなことを前提と出来るのか、理解に苦しむぞ。

 「『天下一』と言う原点を執拗に追求」した結果が、ストライキばかりやってろくに製造もしない工場&労働者と、雨漏りもすれば比喩ではなくて炎上もする自動車なのかね?

 大体、「勤務時間中にスマホを見るから、工場内Wifiを切るのはケシカラン!」と労働者が主張し、その主張が通って勤務時間中にスマホを見られるwifi環境完備の工場と、その環境を活用する(って事は、勤務時間中にスマホを見ている)労働者」で、何をどうすると「天下一を追求」出来るのか、私(ZERO)にはサッパリ理解できない。

 ああ、無論、韓国車を生産しているのは韓国の工場ばかりではないから、Wifi環境もストも無いような「韓国国外の工場」で生産する韓国車で「天下一を追求する」ならば、未だ可能性があるのかも知れない・・・の・だ・が・・・・
 
 本国本社である韓国の工場が左様な体たらくで「韓国国外の韓国車工場」に、どれ程の品質が期待できようか。


 私(ZERO)なんぞは、無論チョウセンジンに対する差別感情もあるし、昨今の日韓関係終了を惹起したのは全面的に韓国だって認識もあるし、「韓国製」ってだけで、車に限らず「購入対象外」ではあるがな。

 更に「驚くべき」と、私(ZERO)には思えるのが、

1> (現代自動車が、)米国市場でホンダを凌駕(りょうが)するほど技術力が発展した。

と言う上掲記事【パラグラフ5】の断定断言だ。多分、「現代車の販売台数が米国市場でホンダを上回った」というのが根拠なのだろうが、「米国市場で数が売れたからとて、技術力が上とは限らない。」だろう。
 あるいは、何処かの雑誌なりメディアなりのランキングで「現代自動車がホンダよりも上位になった」とか言うのも、在るのかも知れない。が、それとて「技術力の指標」とは限るまい。

2>  EVであれ燃料電池車であれ、内燃機関車であれ、
3> 「天下一」という原点を執拗に追求すれば、
4> 「クルマの墓場」日本でも生き残ることができるはずだ。


ってのも、なかなか「大した自信」ではある。が、現代に限らず韓国自動車メーカーが「『天下一』という原点を執拗に追求」「した」という記憶も無ければ、「している」という現状認識もないし、「するだろう」という予想どころか想像さえしかねる。
 
 ストやって働いていない時間も給料を(それも、かなりの高給を)払え。」と要求するような労働者が、その製品である自動車で「『天下一』を追求」しているだろうか?ストが極希ならば、未だ可能性はありそうだが、「ずっとストやっている」ってのが、私(ZERO)の韓国人自動車メーカー労働者のイメージであり、なればこそ、ルノーもGMも韓国にある自動車工場を店仕舞いせんばかりとなり、「韓国製自動車に絶滅の危機」を訴えるコラム(その割にかなり呑気で悠長で間抜けなコラムだったが)が同じ朝鮮日報詞に掲載されたのではないか?(政府が介入すると、労働者はストしなくなるのかぁ?ー【朝鮮日報コラム】絶滅する「メイド・イン・コリア」の自動車 https://ameblo.jp/zero21tiger/entry-12722908688.html 

 



 まあ良いさ。

5> (今回の現代自動車日本再進出では、)電気自動車(EV)と燃料電池車など次世代カーをオンラインで販売する構想だ。
6> 新たなチャレンジと言える。

 
とも、上掲コラムにはあるから、販売店やディーラーも試乗車すらも無しの「日本市場再参入」らしい。「いつでも即座に撤退できる」という利点はありそうだな。

 だが、「試乗車にすら乗らずに韓国車を買う日本人が、どれだけいるのか?」とか、「販売はオンラインでも良かろうが、点検やメンテナンスはどうするんだ?」とか、疑義は多々あるし、そもそも「オンラインで車を買う」=所謂「ポチる」事で「韓国車を購入」ッてのからして、古手の日本人である私(ZERO)の「想像を絶する」に近い。従って、「予想しがたい」のも事実だ。

 一体どんなことになるのか・・・コレで、矢っ張り日本では売れ無かったら、「差別だ!」とか、騒ぎ出しそうだな。