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己が命が一番大事な奴ぁ、己が命以上のことは為せまい。-【沖縄タイムス社説】[「命どぅ宝の会」発足]戦争回避へ今こそ声を +1
「君たちはどう生きるか」ってのは、結構有名なロングセラー小説だが、その「ロングセラーたる所以」は「入試問題としてよく使われる/使われた」であるらしい。小説としては戦前の大戦間期に初版だそうだが、主人公を思春期の男子学生「コペル君(*1)」として、叔父さんとの交流を通じて「社会の見方」とか「人生観」とかを育んでいくという、「万古不易」とは言わぬまでも「戦前戦中戦後を通じて現代にも通用するテーマ」であることと、(一部?)左翼の先生方に結構な人気であるために、「入試問題としてよく使われる/使われた」上に、二十一世紀にもなって実写ドラマ化されたり漫画化されたりしている。漫画は、書店の結構目立つところに並べられたりしたから、読まれた方も相応に居るのだろう。
私(ZERO)はこの小説を断片的に、それこそ「入試問題の問題文程度」にしか知らないんだが、知り始めた当初から、そのタイトルからして、胡散臭くて適わない。主人公が中高生ぐらいの男子学生だから「青臭い書生論」に傾くのは「致し方ない」としても、元々学生相手の啓蒙書として書かれた(らしい)背景もあって、「キレイゴトの建前論ばかり」で、「青臭い書生論」通り越して「アホくさい書生論」になり果てている、って印象。その為、断片的に知るばかりで、「通して読んでみよう」なんて気は全く起きない小説だ。
そんな「アホくさい書生論ばかりの小説”君たちはどう生きるか”」を想起したのは、下掲沖縄タイムス社説が「命どぅ宝の会」なる「平和運動」を絶賛激賞しているから、だ。
- <注記>
- (*1) と呼ばれているが、純粋な日本人、らしい。
(1)【沖縄タイムス社説】[「命どぅ宝の会」発足]戦争回避へ今こそ声を
【沖縄タイムス社説】「命どぅ宝の会」発足]戦争回避へ今こそ声を
社説[「命どぅ宝の会」発足]戦争回避へ今こそ声を
https://www.okinawatimes.co.jp/articles/-/907325
沖縄タイムス社 2022/02/08 07:04
県内の研究者や市民運動家、ジャーナリストらが呼び掛け人となり、先月末、市民団体「ノーモア沖縄戦 命どぅ宝の会」が結成された。戦争への危機感が背景にある。
自衛隊と米軍が、台湾有事を想定し、新たな日米共同作戦計画の原案を策定していたことが昨年末、明らかになった。
自衛隊は奄美大島、沖縄本島、宮古島、石垣島などをつなぐ南西諸島に、自衛隊の対空・対艦ミサイル部隊などを配置する「南西シフト」を進めている。
一方、米海兵隊は「遠征前方基地作戦」(EABO)という名の新たな作戦構想を打ち出している。
EABOは、高性能ミサイルを持つ中国と島しょ部で戦うために編み出されたものだ。
小規模な部隊を離島に分散配置し、移動を繰り返しながら攻撃を加えていくのが特徴だという。
台湾有事の際、このような日米共同作戦計画が具体化すれば、南西諸島が戦場と化す可能性が一段と高くなる。
「歴史は繰り返さないが、韻を踏む」という言葉がある。「韻を踏む」というのは、似たような現象が起きることがあるという意味である。
中国との軍事衝突によって沖縄の主要な米軍基地が中国のミサイル攻撃の対象になった場合、だれが住民を守るのか。
「沖縄を戦場にしてはならない」という歴史体験に根差した思いには、戦場の記憶が深く刻まれている。
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北京冬季五輪開幕日の4日、中国の習近平国家主席とロシアのプーチン大統領が会談した。
両首脳は、米欧の軍事同盟である北大西洋条約機構(NATO)の東方への拡大に反対し、米英豪の安全保障枠組み「AUKUS(オーカス)」に懸念を表明した。
自由民主主義陣営を押し返すため、ウクライナ危機や台湾問題を取り上げ、共同戦線を張った形だ。
戦争につながる危険性は両地域で高まっている。切迫度は深刻と言うべきだろう。
日本は、米国との一体化を推し進めることによって、抑止力を強化し、事態に対処する方針だ。
だが、抑止力だけを強調すると、日中双方に相手国への敵対感情や反発心が広がり、それが外交の選択肢を狭める恐れがある。
軍事的な抑止力を高める試みが相手国の警戒心を強め、軍備増強を招くという「安全保障のジレンマ」が顕在化する懸念も拭えない。
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「命どぅ宝の会」は今後、幅広く呼び掛け人や賛同人を募り、「沖縄を戦場にしない」との思いを県民運動として広げていくという。
ここにきて浮かび上がってきたのは、県民が「平時の基地負担」だけでなく、「有事の基地負担」をも背負わされている、という冷厳な見通しである。
台湾有事はあってはならない。戦争回避という一点で沖縄から声を上げ、緊張緩和の動きにつなげていきたい。
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「開いた口がふさがらない」とは、この事だな。
あの、現存する日本の政党としては最も血に塗れた歴史を誇る日本共産党が、「何より、命」なぁんてキャッチコピーを掲げるぐらいだから、「命は大事」裏を返せば「死んで花実が咲くものか」って考え方には、相応の説得力や訴求力があるのだろう。「人名は、地球よりも重い。」なんて決め科白で、人質の命を救うために凶悪犯罪者を野放しにしてしまう「超法規的措置」が実施されて仕舞うぐらいだ。
定命の者の一人である私(ZERO)とて、「命は大事」ってフレーズを無碍に否定する心算は無い。「命が惜しい」って感覚・感情も理解するし、無論私(ZERO)自身にもそれはある。
だが、「命が一番大事」という主張には、異を唱えざるを得ない。「己が命よりも大事なモノが、普通はあるのが、人間だ。」と。
「己が命よりも大事なモノ」が何かは、人に依ろう。「名誉」かも知れないし、「家族」かも知れない。「祖国」と言うこともあろうし、「信仰/宗教」や「神」、或いは「イデオロギー」「思想/信条」と言うこともあろう。「家族」よりも広義広範な「子孫」って事もあるだろう。
逆に「自分の命が一番大事」と公言断言出来てしまう様な人間は、相当に薄っぺらな大間抜けかオッチョコチョイ。或いは自己保身の塊で、非人道的なまでに利己的とさえ評せそうだ。いずれにしても「誠にお気の毒」な状態であり、当人は気付いても居ないだろうが、「相当に不幸」な状態だろう。
「生きるべき時と、死すべき場所。」とは、映画「アラモ」の名科白
「二人の我が子それぞれに、死に所を得たるを喜べり。」とは、軍歌「水師営の会見」に於ける「乃木大将の名科白」。
「死すべき場所」も「死に所」も、「己が命よりも大事なモノ」を、「明示」と言いたくなる程はっきりと示唆している。
左様な「私(ZERO)の死生観」が、普遍的なモノとも「日本人としては一般的」とも、主張する気は無い。事実、先述の通り「日本共産党が”何より、命”をキャッチコピーにしてしまう」ぐらいであるから、「自分の命が一番大事」と考える者が「二十一世紀の日本では多数派である」可能性さえ、「無い」とは断じ難い。上掲沖縄タイムス社説が絶賛する「命どぅ宝の会」の名前もそれを示唆していよう。
或いは、そんな「自分の命が一番大事」と考える、お気の毒で不幸な日本人が多い(*1)、等と言う「単純な事象では済まない」可能性も、考えておくべきだろうな。即ち・・・
- <注記>
- (*1) これはこれで、「問題である」とは思うがな。
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「沖縄を戦場にはしない」は、スローガンにはなっても魔法の呪文ではない。逆に戦争誘因となる可能性さえ、ある。
「反戦平和」を声高に叫んだところで、平和になる訳でも無ければ、平和が近づく訳でも無い(*1)。「開戦が遅れる」事さえ想像を絶し、寧ろ開戦は早まるだろう。「攻撃対象国の反戦平和運動」は、戦争誘因となる可能性があるから、な。
「反戦平和運動」なるモノは、少なくとも一面「軍事活動の妨害」である。殊に、軍部増強や兵力増強に反対する「反戦平和運動」は、戦争誘因となりやすい。
忘れてはいけないな。中国は、沖縄に対して「核心的利益」なる侵略宣言を既に出している。これ即ち、少なくとも「沖縄に於ける反戦平和運動」は「中国の沖縄侵攻誘因となり得る」という「冷厳なる事実」を意味する。
言い替えるならば、「沖縄を戦場にしない」と言う、その訴え=「その声」が正に、「沖縄を戦場にする可能性を高める」と言うことである。
その訴え=「その声」が仮に、完全なる善意に基づいていたとしても、だ。
正直なところ、私(ZERO)は「命どぅ宝の会」なるヤツバラが「完全なる善意に基づいている」なんて全く思っていない。「中国の工作員」というのは一寸露骨すぎるから「先ず無いだろう」とは思うが、「中国の工作員に乗せられたオッチョコチョイ」って可能性は、相当に高そうだ。
無論、肝腎なことは、「沖縄を戦場にしない」と声高に叫ぶ「命どぅ宝の会」が中国の工作員や中国の工作結果であるか、否かではない。完全なる善意に基づく中国とは無縁の「反戦平和運動」であっても、「中国の沖縄侵攻誘因たり得る」という事実であり、認識である。
理の当然ではあるが、上掲沖縄タイムス社説には「”命どぅ宝の会”なる反戦平和団体が、戦争誘因たり得る」と言う認識が、欠片も見られない。
これは、先述の「『自分の命が一番大事』と考える日本人の多さ」を意味するのかも知れないし、『沖縄タイムス自身が中国の手先になっている』事を意味する、可能性もある。
反基地反軍反米軍の『日頃の行い』からすると、「沖縄タイムス=中国の手先』説の方が、有力だろうな。
- <注記>
- (*1) 昔「198X Future War」って第3次大戦モノのアニメが劇場公開されたんだが、米ソ冷戦から熱戦となって、互いに戦略核をぶっつけ合った後、「平和運動」が沸き起こってNATO軍WP軍双方が同時に自主的に武装放棄軍務放棄(って、敵前逃亡罪であり、軍法で銃殺刑なんだが)して「平和が実現する」ってオチに、呆れ返った覚えがある。
- 兵に、軍に、厭戦気分が蔓延したぐらいで、戦争が終わるなんて事は無い。厭戦気分に陥ったとしても、戦争は続くのが普通であるし、対峙した両軍が「同時に武装放棄して、敵味方が無くなり、互いに肩を叩き合う(そんなシーンが、このアニメにはあった)」なんて好都合なことも、先ず起こらない。
- 上掲沖縄タイムス社説記者の頭の中も、似た様なモノである、らしい。
一方その頃、琉球新報は・・・
【琉球新報社説】宮古など特別注視区 土地規制法は容認できず
2022年2月8日 05:00
https://ryukyushimpo.jp/editorial/entry-1466915.html
安全保障上重要な施設周辺の土地利用を規制する「土地利用規制法」の全面施行(今年9月)を前に、政府は対象地区の絞り込みを進めている。重要度の高い「特別注視区域」として全国200カ所を指定する方向で、宮古島や与那国島が含まれる。
この法律は、安全保障を理由に自衛隊基地や国境離島、原発周辺の土地を「注視区域」や「特別注視区域」に指定し、指定区域周辺の住民調査を可能にする。施設の機能を妨害する行為への中止勧告・命令を可能とする。
米軍基地や自衛隊施設が集中し、国境離島を有する沖縄は、多くの住民が調査対象になる。住民生活や経済活動への影響だけでなく、個人情報が国に収集され、思想信条や表現の自由、財産権を侵害する恐れが指摘されている。憲法に抵触しかねない法律の施行は認められない。
当初、法案がまとめられた背景として、外国資本による土地購入に対する懸念があった。しかし、日本が批准する「サービスの貿易に関する一般協定」(GATS)により、外国資本だけを対象とした規制は難しい。
このため政府は土地所有者の国籍を問わず「安全保障」を名目にすることにした。出来上がった法律は、外国人が土地を所有すること自体は規制せず、基地周辺で暮らす自国民を監視対象にする内容にすり替わってしまった。
しかも、これまでに重要な施設への機能阻害行為が国内で確認された事例はないことを政府は認めている。立法の必要性を裏付ける根拠のない法律を成立させた真の狙いは何か。
昨年の衆院内閣委員会で、自民の杉田水脈氏は名護市の辺野古新基地建設工事に対する反対運動を名指しした上で「一見して直ちに重要施設の機能を阻害しているように見えなくても、そこから派生する影響も十分に考慮し(防衛施設を守る法案の)本来の目的を果たしてほしい」と法案の適用拡大を求めた。「本来の目的」とは基地に反対する住民を排除することなのか。
この法律によって、土地所有者に対する調査は、内閣府に新設する部局が公安調査庁など関係省庁と連携して行い、個人情報を一元的に管理する。個人の思想信条の調査について政府は「条文上、排除されていない」との認識を示している。住民監視活動を法的に認めたのに等しく、看過できない。規制の対象となる違法行為も明確にされず、全て閣議決定や政令に任せている。国会軽視もはなはだしい。
「注視区域」や「特別注視区域」は米軍基地などの周辺1キロ圏内が対象となる。8割の土地が基地に収用されている嘉手納町は全域が規制対象になり得る。米軍普天間飛行場が市の中央にある宜野湾市は大部分が1キロ圏内だ。沖縄県民を監視下に置くような法律を全面施行させるわけにはいかない。
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矢っ張り『中国の手先」だろう。
何しろ琉球新報には「米軍基地周辺をドローン飛行禁止とすることは、基地内をドローンで撮影する”国民の知る権利”の侵害だ!」と堂々と社説に掲げて、『米軍基地内をドローンで撮影する権利を認めろ。』と主張した新聞社だ。上掲社説にせよ、『米軍基地内をスパイさせろ』社説にせよ、『ヒョッとして全面的に自発的なモノで、中国共産党とも中国スパイの工作とも、無関係』という可能性は未だ(辛うじて)残しては居るモノの、少なくとも「結果的に利敵行為」であり、「中国の沖縄侵攻に資する外患誘致」となりうることには、一寸疑義の余地は無さそうだ。
つまりは、章題にした通り、「矢っ張り中国の手先だろう。」と言うことだ。
前掲の沖縄タイムス社説も、上掲の琉球新報社説も、「中国の手先」って共通項で括れてしまうのだが、これを「偶然の一致」と片付けて良いとは、私(ZERO)には全く思えないのだが、どうかね。