• 窪田順生氏、「調べはする」みたいだが、ピントはずれ。-【ダイヤモンド】生乳5000トン破棄問題 「みんなで飲む」より根本的な解決法

 下掲する記事を書いている「ノンフィクションライター窪田順生」って人は、確か以前日本の鉄道が時間に正確なのは、日本人のファッショ的傾向のせいだ」と「批判していた」人だ。どうも、大戦間期に書かれた「ファシスト政権下のドイツやイタリアでは、鉄道運行が時間に正確だった。」って本に感化だかインスパイアだかされたらしいのだが、その余りの「日本はダメだ論」に大いに反発し、反論する記事を書いて弊ブログに掲載した、覚えがある。
 
 下掲する記事も、やはりある種の「日本はダメだ論」の様だが、果たして?

 

  • 【ダイヤモンド】生乳5000トン破棄問題 「みんなで飲む」より根本的な解決法

 窪田順生 2021/12/23 06:00

   生乳5000トン廃棄問題、「みんなで飲む」より根本的な解決法とは(1/5)〈ダイヤモンド・オンライン〉 | AERA dot. (アエラドット) (asahi.com)

 

日常的に、大量の牛乳が廃棄されてきた

 

「大量廃棄を防ぐため、年末年始に牛乳をいつもより一杯多く飲み、料理に乳製品を活用するなど、国民の協力をお願いする」

 

 年末年始に生乳が5000トンも余って廃棄されるという懸念を受けて、岸田文雄首相が異例の呼びかけをおこなった。

 

 確かに、日本の人口の4分の1、約3000万人が年末年始に牛乳をコップ1杯飲めば、6000トンを超える。机上の空論ではあるが、理屈としては「国民の協力」で乗り越えることができる。

 

「さすが岸田さんだ!今年の正月は朝から晩まで牛乳ジャンジャン飲むぞ」という声が聞こえてきそうだが、仮にこのようなムードが盛り上がって国民運動になったとしても、この問題の根本的な解決にはならない。

 

 生乳5000トンの前に、日本では毎日かなりの数の牛乳が廃棄されているからだ。

 

 牛乳を毎日飲むという方はわかると思うが、スーパーやコンビニで牛乳が品切れするということは少ない。いつもしっかりと補充されていて、棚の奥から新しい牛乳が並べられ、手前にくるほど古くなる。こういう「新鮮な牛乳の安定供給」という体制を維持すると当然、廃棄品が大量に生まれる。

 

 では、いったいどれだけの牛乳が捨てられているのか。2015年、公益財団法人流通経済研究所がスーパーや生協を対象に食品ロスを調査した「日配品の食品ロス実態調査結果」(2015年3月6日)によると、廃棄される牛乳は、なんと推計で年間4723トンにものぼっている。

 

 これはあくまでスーパーと生協だけの数なので、コンビニや飲食店などで使う分をすべて合わせると、すさまじい量の牛乳が廃棄処分にされているということだ。

 

家庭でも日々、牛乳・乳製品が捨てられている

 

 そして、さらに忘れてはいけないのが、「家庭で廃棄される牛乳」がこれと同じくらいあるということだ。

 

 農林水産省及び環境省の「平成30年度推計」によれば、日本の食品ロス量は年間600万トンでその内訳は、返品や売れ残りなどの事業系が324万トンで、家庭系からが276万トン。つまり、半分近くは家庭での買いすぎ、食べ残し、消費期限切れなどが理由で廃棄されたものなのだ。

 

 そんな家庭から捨てられる食品の代表格が、実は牛乳である。

 

 2020年5月、生活情報誌「オレンジページ」が20歳以上の女性1081人を対象にアンケートをおこなったところ、61.9%が消費期限や賞味期限を過ぎた食品を「捨てることがある」と回答し、どんな食品を捨てるか質問したところ、「牛乳・乳製品」(59.2%)がトップだった。

 

 これは多くの人も思い当たるフシがあるのではないか。冷蔵庫に入れたままで気がついたら放ったらかしで、長期間放置してヨーグルトのようになってしまった、なんて話は珍しくない。

 

 つまり、今回の報道を受けて、「苦労して育てた牛の生乳が5000トンも廃棄されるなんて、酪農家の皆さんに申し訳がない」と心を痛めていらっしゃる方も多いだろうが、ちょっと視野を広げてみれば、常日頃から我々は5000トン以上に莫大な量の牛乳を廃棄しているという現実があるのだ。

 

 誤解なきように言っておくが、「だから生乳5000トン廃棄なんて大した問題じゃない」などと主張したいわけではない。岸田首相がおっしゃるように、国民一丸となった「年末年始、1億牛乳飲もう運動」を始めたところで、廃棄されている牛乳が減少していくだけで、生乳5000トンにはそれほど反映されず焼け石に水ではないか、と言いたいのである。

 

「せっかく、みんなで牛乳を飲もうという機運が高まっているのに水を差すようなことを言うな!」というお叱りが飛んできそうだが、別に意地悪で言っているわけではない。牛乳をめぐる「厳しい現実」を直視すればどうしてもそのような結論にならざるを得ないのだ。

 

 それは、若い世代を中心に牛乳の消費が減少しているという、いわゆる「牛乳離れ」である。

 

日本人の深刻な「牛乳離れ」は「数字」が引き起こしている

 

 この手の「離れ」系の話を聞くと、40代以降のおじさんたちは、「最近の子どもは牛乳を飲まない、俺が小さい時は給食で2、3本は当たり前だった」とか、「やっぱり子どもは部活でヘトヘトになって牛乳をガブガブ飲むくらいじゃないと」みたいなノスタルジックな思い出話とともに、今の子どもや若い世代の志向やカルチャーを問題視しがちだ。

 

 しかし、「牛乳離れ」とは、根性や精神論で解決できるものではなく、人口減少やそれにともなう経済の低迷と同じく「数字」が引き起こしている問題だ。

 

 日本の牛乳消費量は、日本の人口が右肩上がりで増えていた1990年代までは増加の一途をたどっていた。子どももまだそれなりにいたので、給食でもたくさん飲まれた。

 

 独立行政法人農畜産業振興機構によれば、牛乳の消費は1966年の201万キロリットルから1996年には505万キロリットルと30年間で約2.5倍に増加している。人口増と日本経済の成長とそのままリンクしているのだ。

 

 しかし、1990年代後半から「失われた30年」に突入したように、96年をピークに牛乳の消費もじわじわと落ち込んでいく。

 

 農畜産業振興機構によれば、2013年にはピーク時に比べ3割減少の350万キロリットルと、17年間で150万キロリットル減少。その後も350万台を推移している。

 

 日本では毎年、鳥取県1つ分に相当する人口が消えて、子どもも減っている。にもかかわらず、飲料市場は多様化が進み、最近ではオーツミルクなど穀物系のミルクも普通にスーパーに並んでいる。これらの「数字」の変化を踏まえれば、「牛乳離れ」が進行するのも無理はない。

 

 では、こういう厳しい現実がある中で、どうすれば日本の酪農を守っていけるのか。それはつまり、生乳の生産量を減少させることなく、廃棄も減らすことができるのか、ということだ。

 

 筆者は「牛乳以外」に活路を見出していくしかないと考えている。

 

「余ってるならバターを作ればいい」はマリーアントワネット的暴論

 

「牛乳以外」と聞くと、「その通り!やはりバターをじゃんじゃん作ることで、日本のバカ高いバター価格を下げて消費を増やしていくしかない」というようなことを主張する方もいるだろう。この問題が報じられた後、一部のコメンテーターから、「余った5000トンはバターに加工すればいい」という意見が出て、多くの人が「そうだ、そうだ」と賛同した。

 

 さらに、バターにしないで廃棄するのは、ホクレンなどの農協が既得権益を守っているからだというような批判を展開している人も少なくない。

 

 ただ、日本独特の指定団体制度にいろいろな問題があることは間違いないが、「余るならバターにしちゃいなさい」というのはあまりにも安易だ。実際にこの問題に関わる人からすれば、マリーアントワネットが言ったと伝えられる「パンがないならお菓子を食べればいいじゃない」と同じくらいの暴論だ。

 

 というのも、そのように外野に言われる遥か前から、業界としては余ってしまった生乳を廃棄しないように、バターや脱脂粉乳に回すという努力を続けているからだ。

 

 実は昨年、バターの在庫は20年ぶりの高水準となっている。「生乳の廃棄を回避するため、長期保存のできるバターの生産を増やした」(日本経済新聞2020年9月30日)からで、畜産産業振興機構によれば20年7月時点のバター在庫は前年同月日40.8%増の3万9057トン。バターとともに加工される脱脂粉乳の在庫も15年ぶりの高水準だった。

 

 こういう努力を1年以上続けて、工場もフル稼働でパツパツだ。在庫もさらに積み上がっている。いろいろな意味で限界なのだ。にもかかわらず、「生乳が余っているのにバターをつくらないのは、自分たちの利権を守るためだ!」と叩かれてしまう。その心中は察してあまりある。

 

「在庫が余っているのなら値段を下げて売れ、それが商売だろ」ととにかくバターの安売りを執拗に求めてくる人も多いが、それをやってしまうと回り回って、減少傾向にある国内の酪農業にトドメを刺すような形になってしまう。消費者は安いバターが買えてハッピーだが、だからといって、急にバターの消費が爆発的に増えるわけでもないので結局、大量の「廃棄バター」を生むだろう。そうなれば当然、乳業メーカーと酪農生産者(団体)の「乳価交渉」にも悪影響を及ぼす。

 

 廃棄される生乳が、加工したバターに変わるだけで、なんの解決にもならないのだ。

 

牛乳をファッションに!SDGs時代にも適した希望

 

 では、どうすればいいのか。今回の5000トンには難しいが、長期的な視点で、大手アパレルメーカーなどと組んで、生乳を用いたファッションの商品化を急ぐべきだと考えている。

 

 ご存じの方も多いだろうが、実は牛乳からは「ミルク繊維」というものができる。Jミルクのホームページの説明を引用しよう。

 

<牛乳から取り出されたカゼインというたんぱく質に、アクリル繊維の原料になるアクリルニトリルを結合させてつくられます。プロミックスと呼ばれる繊維です。シルクのような風合いと光沢があり、吸湿、速乾性に優れ、適度な保湿性があります。

 1970年代に、シルクの代用品として、着物地用に開発されました。

 

 現在でも、ミルク成分を配合した繊維は、タオルや下着など、肌ざわりの良さが求められる製品に生かされています>(Jミルク 牛乳からできる意外なもの)

 

 今、多くのファッションブランドが「サスティナブル」を掲げているようにアパレル業界は環境面で厳しい目で見られている。毎シーズン、新しい服を大量につくるためにさまざまな原料を使い、売れ残りは大量に廃棄する「過剰在庫問題」なども注目を集めた。

 

 そこで、「ミルク繊維」の出番だ。廃棄される生乳や牛乳から衣料品をつくってそれを販売する仕組みをつくって普及させれば、酪農生産者にとってありがたいことは言うまでもないし、アパレルメーカーにとっても立派なサスティナブルファッションとして消費者に訴求できる。実際、アメリカではスタートアップ企業が、廃棄牛乳からTシャツをつくるという試みが始めている。

 

 生乳やバターなどの需給バランスによって、調整弁としての役割が期待できる、この「ミルクファッション」が普及すれば、食品ロスなどの問題にも関心が集まるかもしれない。

 

 うまくブランドマーケティングすれば、企業イメージが向上するだけではなく、ダイエットのために牛乳を敬遠しているような若者たちに、牛乳の魅力を再発見させるなんてこともできるかもしれない。

 

 バカバカしい話だと思うかもしれないが、今の日本の牛乳を安定供給するシステム下では、「バターを大量につくって安売りしろ!」よりはるかに現実的だし、「日本の酪農を守る」という点でも貢献できるのではないか。

 

(ノンフィクションライター 窪田順生)

  • 「牛乳やバターなどの長期保存できる乳製品にするのも限界がある」と調べたは良いが、「衣服にする」で解決かぁ?

 緊急避難として「捨てるぐらいならば、繊維にして衣服にする」のは、「あり」かも知れない。

 だが、「繊維・衣服が、生乳の新たな需要喚起となる」のは事実としても、その喚起された需要が「捨てられる生乳を減らす/無くす」範囲ならば良かろうが、「従来従前ならば食用・飲用に供せる生乳を、繊維・衣服へと廻すことになる」ならば・・・本末転倒とは言わぬまでも、大いに問題視せざるを得まい。「飲める/食える牛乳を、衣服にして消費する」のだから、ある意味ある種の「飢餓輸出」だ。

 「飢餓輸出」とまでは言わずとも、「食い物を粗末にすると、罰が当たる。」ってのは、普通の日本人の感覚だろう。「捨てるぐらいならば、衣服にしてしまえ。」までは許容できても、「衣服にするために、乳牛を育て、搾乳し、生乳を繊維メーカーへ納入する。」ことを「歓迎できる」日本人は、少ないのでは無かろうか。例え「SDGs」だの「サステナブル」だののピカピカの美辞麗句を並べ立てたとしても。否。「ピカピカの美辞麗句を並べられているから」こそ。

 私(ZERO)何ざぁ、「老舗の日本人」だから、「緊急避難措置としての牛乳繊維化」ぐらいしか、認める気にはならないぞ。つまり「牛乳繊維による衣服」は「商業ベースには乗らない/乗せてはいけない」と言うことだ。
 
 「食い物を粗末にすると、罰が当たって目が潰れる。」と、教えられてきたから、な。

 

PS) 続報によると、2021年末の「生乳廃棄」は、なんとか回避されたとのこと。首相らによる「消費拡大のお願い」が、窪田順生氏の予想以上に有効であり、効果的だった、らしい。「みんなで飲む」が「正解だった」訳だ。

 これ即ち、窪田順生氏言う所の「根本的解決」たる「牛乳繊維による衣服の生産(及び生乳消費)」は「(少なくとも今回は)不要となった」と言うことである。