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「基地に弾薬があるのも、補給するのも、常識です。QED」-【沖縄タイムス社説】[宮古陸自に弾薬搬入]説明無く不信が広がる 【琉球新報社説】宮古島に弾薬搬入 住民の安全を置き去り
Jos某とか言うブロガーが、弊ブログへ妙なコメント攻撃を仕掛けてきたのも、随分と昔の話だ。まだYahooブログだった頃で、Jos某もYahooブロガーで、「丸腰の者は撃たれない」と、「丸腰の民間人が射殺されるシーンを描写しながら主張する」と言う、「二重の意味での気違い」であり、しょうもないコメントを付けてくるものだから、「公開質問状」を弊ブログ記事とし、「これらの質問に指定期日までに回答無ければ、以降、貴方コメントは無条件削除もあり得る」と宣し、答えなかったモノだから、以降「無条件コメント削除の刑」に処される事になったお人だ。
因みに弊ブログは、Yahooブログ時代から、「公序良俗に反するモノで無い限り、如何なるコメントも削除はしない」のをポリシーとしており、「コイツ、気違いだな。」と思う様な相手コメントに対しても、それなりに対応している。「無条件コメント削除の刑」に処された例は、このJos某が唯一である。
そんな「二重の意味での気違い」Jos某を思い出したのは、沖縄二紙もまた(やっぱり)ある種の気違いである、と再確認されたから、である。
【沖縄タイムス社説】[宮古陸自に弾薬搬入]説明無く不信が広がる
https://www.okinawatimes.co.jp/articles/-/863911
2021年11月16日 07:30
平良港に入港した自衛隊の輸送艦から、弾薬を積んだ大型トラックが次々と降りてきた。物々しい雰囲気の中、車両は列を成し市街地を走り訓練場へと向かった。
宮古島に新設された陸上自衛隊の「保良訓練場」に、地対空・地対艦ミサイルとみられる弾薬が運び込まれた。
宮古島市の座喜味一幸市長は、民間港の使用について、新型コロナウイルス感染拡大を理由に一度は「不許可」とした。だが今月5日、法令上や申請書類に不備がないとし「許可」の判断をした。
弾薬搬入を巡っては、過去に事実とは異なる説明が行われ、住民不信を招いたことがある。
陸自の宮古島駐屯地内に「警備に必要な小銃弾などの保管庫」と説明していた施設が、実は弾薬庫で、中距離多目的誘導弾や迫撃砲を保管していたのだ。当時の岩屋毅防衛相が謝罪し、島外へ撤去する問題に発展した。
今回の弾薬搬入でも、搬入の日時や弾薬の種類、輸送経路など住民が求める情報は開示されていない。
自衛隊配備の前提は地元の同意を得ることと、説明責任を果たすことである。その説明が果たされたとは言えず、住民の間には不安と不信が広がっている。
港の使用を許可した座喜味市長自身、「地域住民への説明は不十分だ」と指摘している。玉城デニー知事も「配備ありきで進めるのは遺憾だ」と語る。
住民の安全を守るのは市長や知事の仕事だ。毅然(きぜん)とした姿勢で臨むべきだった。
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中国の海洋進出をにらみ、防衛省は南西諸島への自衛隊配備を急ぐ。
宮古島駐屯地の開設は2019年。20年にミサイル部隊が配備され、保良訓練場は今年4月、運用が開始された。
ミサイル部隊はすでに奄美大島にもあり、来年度予算の概算要求に石垣島のミサイル部隊の経費が計上されている。さらに本島内の勝連分屯地に配備する方針も固まっている。つまりこれら地域が「最前線」となるのだ。
今年5月、河野克俊・前統合幕僚長は日本記者クラブで会見し「台湾有事になれば南西諸島が一つの戦域になるのは軍事的には常識」と語った。
力を背景にした中国の海洋進出、東シナ海・南シナ海での一方的な現状変更の試みは容認できない。
しかし抑止力が破綻し、中国のミサイル攻撃を受けたとき、犠牲になるのは誰なのか。沖縄戦体験者の不安を軽く考えてはいけない。
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米中対立の激化によって、米軍基地の過重負担に苦しめられてきた沖縄で、自衛隊も加わり「軍事要塞(ようさい)化」の動きが進む。東アジアで軍拡競争が起きるのではないか、それを危惧する。
対立をエスカレートさせない、このことが何よりも大事だ。
日本、中国、米国が3者協議の場を設け、平和のための自制を求める共同宣言を発することを期待したい。
緊張緩和の意思を行動で示すことが重要だ。
【琉球新報社説】宮古島に弾薬搬入 住民の安全を置き去り
https://ryukyushimpo.jp/editorial/entry-1423949.html
2021年11月16日 05:00
社説
自衛隊は、宮古島市城辺保良の陸上自衛隊保良訓練場に地対艦、地対空ミサイルなどの弾薬を搬入した。
防衛当局は、輸送経路など住民に対する丁寧な説明を欠いたまま弾薬搬入に踏み切った。あまりにも不誠実である。
弾薬搬入によって住民の安全は保障されるだろうか。むしろ逆だ。海洋進出を強める中国に対抗するためにミサイルを配備すれば、相手も対抗措置を取り、緊張を高めてしまう。その結果、島は攻撃対象になり住民の生命財産が危険にさらされる可能性が飛躍的に高まる。
76年前の沖縄戦の教訓は「軍隊は住民を守らない」である。日本は米軍と軍事的に一体化するのではなく、外交力を発揮して東アジアの安定に貢献しなければならない。
政府は当初、宮古島駐屯地内の保管庫について、ミサイルの弾薬は置かないと説明していた。しかし、それは虚偽説明だった。実際は、駐屯地に中距離多目的ミサイルや迫撃砲が保管されていた。地元への説明と食い違っていたとして、弾薬を島外に持ち出す事態となった。
陸自はミサイル改良も進める。現在の射程百数十キロから約900キロに伸ばし相手の射程圏外から攻撃できるようになる。改良ミサイルは中国大陸まで届く能力を持ち、「敵基地攻撃」に転用可能とされる。「敵基地攻撃」は憲法の原則によって掲げてきた専守防衛を逸脱する。
宮古島に搬入された弾薬は、いずれ「敵基地攻撃」が可能な改良型地対艦ミサイルに置き換わるだろう。その結果、有事の際に島が攻撃目標にされる可能性が高まる。
今回弾薬が搬入された保良訓練場は、保良集落に隣接している。陸自の部隊運用などに関する「教範」で、地対艦ミサイルが火災に巻き込まれた場合の対応として、約2分で1キロ以上離れることなどを指示している。
専門家によると、弾薬庫は安全性の観点から地中に造られるが、保良訓練場は地上に造って土で覆う地上覆土式である。有事ではすぐ破壊されてしまうとも指摘している。
このように自然災害や人的事故、有事の際の住民の安全確保を巡り疑問は尽きない。しかし政府は住民の避難について「自治体が示すもの」などとして明示していない。
住民保護を置き去りにしたまま、与那国から石垣、宮古、沖縄本島、奄美で自衛隊のミサイル配備が進む。琉球弧全体が軍拡の渦中にある。
1944年に沖縄に配備された第32軍司令部の神直道航空参謀は、かつて軍と住民との関係をこう語った。
「軍隊は敵のせん滅が役目。住民を守ることは作戦に入っていなかった。住民は大事だが作戦にとっては足かせになる。純粋に軍事的立場からは住民を守るゆとりはない」
軍にとって住民は眼中になかった。かつての惨劇の再来を許してはならない。
「基地に弾薬が無かったら、困る。」って想像が、全く出来ない、らしい。
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「基地に弾薬が無かったら、困る。」って想像が、全く出来ない、らしい。
もう随分前、実に小学生時代に読んだ、シャーロック・ホームズ・シリーズの「パスカビルケの地獄犬(*1)」に、こんなセリフがあった。確か、「地獄犬」と直接対峙しようと乗り込んでいく直前、ってシーンだ。
ホームズ「銃は持っているか?」
相手(*2)「足があれば、ズボンを履く。
ズボンを履けば、ポケットがある。
ポケットがあれば、中に何が入っているか、言わなくても判るでしょう?」
なかなかウイットに富んだ名科白だと思う(だからこそ、ウン十年経った今でも覚えている。)が、この名科白に準えて沖縄二紙に対して言うならば、こうなるだろう。
「基地があれば、部隊が居る。
部隊が居れば、銃砲・火器がある。
銃砲・火器があれば、弾薬を備蓄し補給し搬入するのは、理の当然でしょう。」
一体、何をどう考えると、「基地があり、部隊も居るが、弾薬を備蓄したり搬入するとは思わなかった/聞いてない。」なんて大間抜けな主張が出来るのやら。「基地/部隊は良いが、弾薬はまかりならん!」って主張は、その基地に居る部隊は「丸腰でいろ」と主張するのと同義である。銃砲・火器は弾薬があり、補給されるからこそ役に立つのであるし、基地・部隊が健全に抑止力を発揮するには、弾薬を含めての補給や補充が不可欠というのは、常識のレベルの話だ。
「住民の不安」だぁ?便利な言葉だな。「不安がる」分には大抵のモノが幾らでも「不安がる」事が出来るのだから。大体、「基地があり、部隊が居て、弾薬は無いのが安心」なんてのは、根っからの気違いだ。相手にするに値しない。たとえ本物の「住民」であってもであり、「住民以外」なんてのは論外だ。
「基地があるから戦争に巻き込まれる」と言うロジックは、「丸腰の者は撃たれない」と断定断言したJos某並みの気違いだ。
上掲琉球新報社説は「軍隊は住民を守らない」ってロジックを振り回しているが、自警団でも作って人民解放軍に対峙できる気なのだろうか。もしそうしたとしても「国家の指揮下にある軍隊では無い」のだから、犯罪者として扱われ、捕虜としての待遇は得られる根拠が無いのだが、その覚悟はあるだろうか。
「基地があり、補給もあり、部隊が機能しているからこそ、抑止力も働き、戦争を回避できる。」ってのは、抑止力の基本中の基本。
沖縄は対中最前線なのだから、そこから「兵を引く」のは戦争誘因。「補給切れで基地・部隊が機能しない」というのも「兵を引く」のと同じ事だから、戦争誘因だぞ。
「基地すらも無い」ならば、ヒョッとして「戦争には巻き込まれない」かも知れないな。戦争にすら至らず、タダ侵略され占領されてお終いだ。そうなったとしても、今度は沖縄は中国の対日最前線であり、ひいては対米最前線になるだけだから、米軍や自衛隊の代わりに人民解放軍が居ることになる。「軍隊の居ない、平和な沖縄」になんぞ、ならないぞ。
1> 東アジアで軍拡競争が起きるのでは無いか。それを危惧する。
って沖縄タイムス社説は書くが、なんと間抜けなのだろうか。ここ20年以上も人民解放軍の軍事費は二桁成長の爆上がりを続けている。「東アジアで軍拡競争」は、とっくの昔に始まっていて、最近漸く日本が「参戦」したに過ぎない。
2> 日本、中国、米国の3者協議の場を設け、
3> 平和のための自制を求める共同宣言を発することを期待したい。
4> 緊張緩和の意思を行動で示すことが重要だ。
と、上掲沖縄タイムス社説は「しめる」が、左様な寝言戯言は、「平和を愛する諸国民」なる虚構に我が国の安全を付託できてしまう様な「日本国憲法前文世界」ぐらいでしか通用しない。大体、「緊張緩和の意思」とやらが、日本、中国、米国の三者すべてに「ある」と、無条件に無邪気に思えるのだから、実におめでたい限りだ。
上掲琉球新報社説の〆は、もっと非道いな。
5> 軍にとって住民は眼中になかった。
6> かつての惨劇の再来を許してはならない。
その「かつての惨劇」ってヤツの相当部分が「沖縄二紙の偏向報道」であろう事は置いたとしても、だ。先述の通り「前線から兵を引くのは戦争誘因」であり、「仮に沖縄から完全撤兵」したら、待っているのは「人民解放軍の侵略占領」である。「住民は眼中に無い」という点では、人民解放軍の方が遙かに上だぞ。何しろ人民解放軍は「中国共産党の私兵」であり、中国共産党の利益のためには自国民虐殺すら躊躇しない。天安門事件でしっかり実績を作っている。更には、中国共産党の一党独裁制は民主主義ですら無いのだから、「沖縄の声」なんぞ、聞くフリすらしないだろうぜ。
- <注記>
- (*1) 多分、私が読んだ初・シャーロック・ホームズだ。
- (*2) 相棒のワトソン博士、では無かったと思う。誰だっけなぁ。