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そのまま忘却土へ行くが宜しかろう。ー【AERAオンライン】「野党共闘をやめる選択肢はもうない」山口二郎・法政大学教授
下掲「AERAオンライン限定記事」でインタビューに答えている山口二郎って法政大学教授様は、チョウセンの新聞に時々投稿されている(*1)。「チョウセンの新聞に掲載」って時点で察せられるだろうが、一言で言って「反日教授」だ。だからこそ、チョウセンジンとも朝日とも気が合うのだろう。
そんな「反日教授」様が、未だに野党第一党ではある(*2)立憲民主党と共産党の「野党共闘」に、大いに期待しているそうだ。
- <注記>
- (*1) どころか、左翼系チョウセン紙であるハンギョレ紙には、山口二郎センセイ直々のコラムがあり、顔写真まで掲載されている。
- 下掲AERA記事の「実に上手く撮ったモノ、らしい」写真とは異なり、かなりの「迫力」なので、一度御覧になると良いかも知れない。
- (*2) 先日の衆院選挙では、「この際だから、議席ゼロになってくれないかな。」と、願望したのだがな。
- ま、願望なんてのは、そんなモノだ。願い、祈るだけでは、実現しない。
【AERAオンライン】「野党共闘をやめる選択肢はもうない」山口二郎・法政大学教授インタビュー
- 【AERAオンライン】「野党共闘をやめる選択肢はもうない」山口二郎・法政大学教授インタビュー
- AERAオンライン限定
- https://dot.asahi.com/aera/2021111500065.html?page=1
- 2021/11/16 11:00
- 菅沼栄一郎
- 筆者:菅沼栄一郎
- ついに実現した「野党共闘」。山口教授は「成果は明らか」と話す一方、立憲民主党の体質改善の必要性も指摘した photo gettyimages
- ついに実現した「野党共闘」。山口教授は「成果は明らか」と話す一方、立憲民主党の体質改善の必要性も指摘した photo gettyimages
- 10月の総選挙では、共産党を含む「野党共闘」が各党の戦略に少なからぬ影響を与えた。今後の野党共闘の行方は、来年7月の参院選でも大きな焦点になりそうだ。市民連合サイドから、共通政策のとりまとめなどを主導した山口二郎・法政大学教授に、総選挙の結果に表れた民意の読み方と野党共闘の展望を聞いた。
- 【写真】インタビューに答えた山口二郎さん
- * * *
- ――枝野幸男代表(57)の辞任に伴う立憲民主党の新しい代表選びは、19日告示、30日投開票の予定で、約10万人と言われる党員・党友も参加します。女性候補も名乗りを上げましたが、共産党との「野党共闘」には連合からの反発が強く、大きな争点になりそうです。
- 「野党共闘をやめる」という選択肢はもうない、と思います。立憲の代表選に意欲を示しているとされる4人=小川淳也(50)、大串博志(56)、泉健太(47)、西村智奈美(54)の各氏=の顔ぶれを見ても、いずれも「野党共闘」で当選した人たちです。共産党らとの共闘の力を身に染みて感じています。
- ■連合内部にある考え方の違い
- ――しかし、問題は深刻です。連合の芳野友子・新会長は「共産党との閣外協力はありえない」などと強く反発しています。7月の参院選でも、連合は「共産党を含めた野党共闘」に反対し続けるのでしょうか。
- 連合内部では、民間労組と官公労との間に考え方や路線の違いがありますが、新会長の芳野さんは、民間4産別(UAゼンセン、自動車総連、電機連合、電力総連)の支持で就任した方です。路線論争を続けるのは不毛だと思うので、連合は今後、ナショナルセンターであることをやめ、政治活動は「地域ごと産別ごと」に自由に行うという方針を出すべきだと考えています。
- 連合は結成以来、「非自民、非共産」でやってきましたが、2019年の参院選では、自治労、日教組とは別に、民間労組の独自の動きもあったので、産別や地域別に政党支持を打ち出すことは可能だと思います。今の連合指導部が「自民党政権を倒す」という政治的目標をどれだけ持っているのか、疑問はありますが。
- 一方で、来年改選を迎える参院議員のなかで、山形県と大分県は、国民民主党の現職を統一候補にしなければなりません。勝つためには、民間も官公労産別も市民連合も参加して、一本化調整をしなければならないという問題も出てきます(*1)。
- ――「民主王国」と言われた愛知県では今度の総選挙で、トヨタ労組がこれまでの立憲議員への支援を取りやめました。全国でも労働組合の保守化が目立っています。立憲ら野党と労組との関係も今後、変質せざるを得ないのでしょうか。
- 愛知県で、立憲は4,5議席を失いました。全国でも、連合系の民間労組が動かず、最後の数千票の勝負で及ばなかった選挙区があります。日本経済、製造業の衰弱を感じました。労働組合が政治活動をやっている余裕がなくなったんでしょう。政府にすり寄っていかないと、企業として生き残れない。そういう局面なのかな、と思いました。もともと、企業別組合は経営と一体だったから、不思議じゃないんですけれどね。正確に言えば、野党を支持する余裕がなくなった。これからは、例えば新潟県のように、地域レベルで信頼関係を作っていくしかないでしょうね(*2)。
- ――新潟県では今度の選挙で、六つの小選挙区のうち、立憲公認が3、無所属が1の計4選挙区を野党系がとり、地元の市民連合は「いち早く政権交代を果たした」と意気上がりました。
- 新潟県は日ごろの運動量が違いました。市民連合が、県の地方連合会や政党の地方支部と議論を重ね、選挙の経験を重ね、厚い信頼関係を築いた。連合が共産党との関係に異議を唱えるようなことはありませんでした。
- ■野党共闘の成果は明らか
- ――先の総選挙の「総括」はこれからですが、立憲は109議席から96議席に、13議席減らした。4党をまとめた「野党共闘」は失敗だったと考えますか。
- メディアがどうして「失敗」を強調するのかわかりません。共闘されるのがイヤだ、怖いと思っているからではないでしょうか(*3)。野党は、220近くの小選挙区で候補者を一本化しましたが、立憲はこのうち57議席で勝ち、前回よりも9議席増やしました。別会派を作った野党系の無所属(茨城や福島、新潟など)5議席を合わせると「14議席増」となります。野党共闘の成果は明らかです。
- さらに、このうち1万票差以内で負けた接戦区が29選挙区。ここでひっくり返っていたら、自民党を過半数割れに追い込めるところでした。200以上の小選挙区で野党の候補者を一本化して、自民・公明の候補とどっちを勝たせるか?と迫る初めての試みでしたが、残念ながら、ギリギリのところでいま一歩、力が及ばなかった。
- 一方で、比例区では22議席も減らしました。敗因はそこにあります。
- ――確かに、自民党幹部は、「一本化は脅威だった。もっと負けると覚悟していた」と胸をなでおろしていました。一方で、先日の朝日新聞天声人語は、「一本化を進めるべきか」に対し51%が「そうは思わない」と答えた調査結果を紹介しながら、世論の「冷ややかな視線」を指摘しました。
- 選挙前の読売新聞の調査では、一本化について52%が賛成していました。選挙後の調査で否定的な意見が多いのは、自民党支持層の反発の表れだと思います。野党側から言えば、もっと早い段階から態勢を作って、浸透を図っていれば、との反省もあるでしょう。「一本化」に時間をとられて、最後に息切れしてしまった。
- ――比例区での敗因の背景には、一桁から伸びることがなかった政党支持率が指摘されます。「頼りにならない野党」のイメージ、枝野代表の「トップダウン」体質、旧民主党時代以来「新陳代謝」がなかったことへの市民の不満も指摘された。その意味で、枝野さんの交代は、大きな転換点ともいえます。
- 例えば、静岡3区で当選した立憲・小山展弘議員(45)の詳しい選挙戦リポートが参考になります。前回は落選し、今回返り咲いた男です。民間労組ときっちり話をして、応援してもらうと同時に、共産党支持者もいる市民団体とつきあう。その一方で、連合には気を使って赤旗に載るようなことは避ける。農林中金(農林中央金庫)の出身だからJAからも推薦を得る。それだけまめにあちこち動き回って、信頼関係を作った。千葉8区の本庄知史議員(47)や宮崎1区の渡辺創議員(44)も、地元にしっかり根を張っている。こうした取り組みをみんなで共有して、組合頼り、風頼みの体質を転換していってほしいですね(*4)。
- 4年前の立憲民主党は、枝野さん一人で作ったベンチャービジネスみたいなものでした。それが、国会議員百数十人の大企業に発展しましたが、ガバナンスの仕組みはできていなかった。代表には、ぜひ若い人になっていただきたいですが、これを支える幹事長には経験ある人がいいですね。例えば、元代表の岡田克也さん(68)のような幅広い人間関係がある人に座っていただけると、頼もしいですね。
- ■自公に対抗する経済政策が必要だ
- ――共産党ももっと変わってもいいんじゃないでしょうか。志位和夫さん(67)は委員長になって21年。枝野さんが交代したのを機に、政策委員長の田村智子さん(56)や若手の山添拓さん(36)が新委員長や幹部に抜擢されると、共産党のイメージはずいぶん変わると思います。来年は党創設100年の節目でもありますし。
- 野党共闘はもともと志位さんが言い出したことです。この間ずっとぶれずに、共闘路線を進んできてくれた。共闘を実質的に支えてくれました。
- ――ニューヨーク・タイムズは、日本共産党を「ベージュのカーディガンくらいのradicalさ」と表現しました。外国からみれば、国内で喧伝されるほど急進的でないようです。欧州の社会民主党に似ている、とも聞きます。政治学者にはどう見えますか。
- 資本主義の枠組みの中で、より良い政策を目指しますといってくれればそれでいいわけですよ。でも、そう言うと、従来の支持者たちのエネルギーが低下しちゃうかな。例えば、アメリカ民主党のリベラル派、サンダースに似ています。ヨーロッパで言うと、北欧の社会民主党の路線と同じ、みたいな。そういう打ち出しも必要ですよね(*5)。
- ――新生「立憲民主党」は、支持層をもう少し広げたいですね。
- リベラルとは言えない有権者の票も集めるための「穏健・中庸イメージ」も必要でしょう。支持者に安定感、安心感をもってもらうためには、自公に対抗する経済政策を練る必要があります。
- 「安倍・菅政治の9年」は、円安で輸出企業が少しもうかっただけで、技術は衰弱するし、政府にぶら下がって利権をむさぼる中抜きビジネス、随意契約みたいなものがはびこっていた。そこをきっちり批判したうえで、エネルギーを中心としたイノベーションをしっかり起こして、ともかく日本人が食っていけるだけの産業を創り出す、というメッセージが必要です。
- 「新しい資本主義」も争点にしたい。自民党のほうは中身がない、途上国型の古くさい「クローニー(縁故)資本主義」です。本来の公平な市場を作って、大学で自由な研究を進めて、そこから次の新しいイノベーションを起こすべきだと考えます。
- (構成/ジャーナリスト・菅沼栄一郎)
- ※AERAオンライン限定記事
- <注記>
- (*1) 「連合は解体すべき」とは言っているが、質問に答えていない。精々が、「連合の中にも共産党との共闘を肯定する者も居る。」と言っているだけ。要は、誤魔化しだ。
- (*2) これは一応、「野党と労組の関係は、変貌する。」と答えており、「新潟と同様に、地域レベルの信頼関係を築く事が、労組の野党支持には必要。」とも「答えて」いる。
- 不思議なのは、「民主王国・愛知」って従来従前の関係が、「地域レベルでの信頼関係では無かった。」としている点だ。(いや、左様言明はしていないが。ロジックからすれば、当然そうなる。)「トヨタはじめとする自動車労組が、野党を支持していたので、結果として愛知が民主王国だった。」と考えれば、一応辻褄は合うが・・・「自動車業界としては野党を支持できない/出来なくなったが、地域レベルの信頼があるので野党を支持する」なんて状態が、果たしてどれ程あり得るのか?
- 言い替えれば「労組が、業界よりも地縁を優先する」なんて事が、どれ程あるのだろうか?確かにそうなれば「労組の変貌」ではあろうが・・・それって、本当に「労組」かぁ?地縁団体ではないのか?
- ま、それぐらいしか「期待し得ない」というならば、そうかも知れないが。
- (*3) 共産党もそんなこと言っている様だけどね。ま、そう思うならば、そう思っていれば良いさ。現状認識は先述の第一歩、だからねぇ。
- 普通は「負け惜しみ」とか「負け犬の遠吠え」と、言いそうだがねぇ。
- (*4) それって、「組合頼み」が「市民団体頼み」になっただけ、じゃぁ無いのか?「複数の市民団体頼み」だから「リスクを分散している」って言い方は、出来るかも知れないが。
- (*5) オイオイ。アメリカじゃぁ共産党は、政治団体かも知れないが、正式な党ですら無いぞ。
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行け!地獄の真っ只中へ!!
章題にした「行け!地獄の真っ只中へ!!」ってのは、チョイと古い戦争映画「Uボート」の劇場公開当時のキャッチコピー。第2次大戦下のドイツ軍潜水艦「Uボート」の苦闘を、徹底したドイツ軍将兵視点で描いた西ドイツ(当時)映画で、連合軍はソナー音(*1)、スクリュー音(*2)、爆雷音(*3)位でしか登場しない(*4)という「徹底的なドイツ軍目線」の映画だった。ドイツ軍人役以外の俳優は、新聞記者(*5)である主人公ぐらい、ではなかろうか(*6)。
そんな懐かしい戦争映画のキャッチコピーを思い出したのは、「立憲共産党」とも揶揄される、立憲民主党と共産党の「野党共闘」に対する私(ZERO)の呪詛に、このキャッチコピーがピッタリだから、だ。だが、上掲AERA記事の通り、山口二郎センセイはこの「野党共闘」に期待し、「激賞している」と言っても良さそうだ。
そんな山口二郎センセイをもう少し知るために、ハンギョレ紙のコラム記事を下掲してみた。
- <注記>
- (*1) コーン コーン コーン キーン コーンキーン コンキン コンキンコンキンコンキン
- (*2) ガッシュッガッシュッガッシュッガッシュッガッシュッ
- (*3) チュドドドドドドドドドーン!
- (*4) ああ、あと、ラスト近くの空襲シーンで、爆撃機がちらっと映るか。
- (*5) 軍の広報係、だったかも知れない。だとしたら、ドイツ軍人だな。
- (*6) ああ、出撃前の酒場のシーンには、民間人も、女性も映っていたかも知れないな。
【ハンギョレコラム】[山口二郎コラム]菅政権の終わりとこれからの日本政治
【ハンギョレコラム】[山口二郎コラム]菅政権の終わりとこれからの日本政治
http://japan.hani.co.kr/arti/opinion/41094.html
登録:2021-09-13 05:19 修正:2021-09-13 07:07
山口二郎|法政大学法学科教授
日本の政権政党、自由民主党の総裁は今月末に任期満了を迎える予定である。現職の菅義偉氏は、突如総裁再選を目指さないと発表し、総裁退任に伴い、首相の座からも退くという決意を明らかにした。
報道によれば、菅氏は9月初めまで再選に意欲を燃やし、様々な戦略を練っていた。しかし、新型コロナウイルス対策について的はずれの政策を繰り返し、政権支持率は今年に入って低下を続け、30%を割るところまで悪化した。8月に行われた横浜市長選挙では、首相の側近だった政治家が閣僚を辞職して立候補したが、野党の推す候補に大差で敗れた。自民党の衆議院議員の40%余りが当選3回以下の若手であり、これまでは弱体な野党のおかげで楽な選挙で勝ってきた。これらの政治家は、あまりに不人気な首相の下で、10月末に任期切れを迎える衆議院選挙を戦うことを恐れている。こうした恐怖が自民党の中で菅退陣を求める世論を形成し、菅氏もそれを乗り越えてまで権力を維持することはできなかった。
菅政権崩壊の最大の原因は、コロナ対策の失敗である。しかし、それは菅氏の個人的な性格に由来することではない。菅氏の政治姿勢や政治信条が政策的失敗をもたらした。さらに言えば、菅氏の前任者で8年近くの長期政権を続けた安倍晋三前首相以来の自民党の構造が菅政治の失敗をもたらしたというべきである。
菅氏の政治手法の特徴は、対話の拒否である。長年、安倍政権を支える官房長官を務めてきて、記者会見は日課であった。菅氏は常にぶっきらぼうで、政府の政策や政治姿勢に対する批判的な質問が出されても、「的確に対処している」、「批判は当たらない」などと、具体的な説明を拒否する答弁を繰り返してきた。首相に就任しても、野党の質問に対して説明責任を果たす意欲はまったく示さなかった。説明責任の拒否は、安倍政権からの特徴でもあった。安倍前首相についていえば、政府主催の花見の会に地元の支持者を大量に招き、違法な接待をしたのではないかという疑惑に対して、安倍氏は国会で118回虚偽の答弁をしたことが明らかになった。誠実に言葉を使う、国民に事実を知らせるといった民主政治の基本動作が破壊されたことが、9年間の安倍、菅政治の特徴である。
こうした特徴は、権力者について偉そうだという反感を招くだけではない。政府の政策的能力を大きく損なっているのである。コロナ対策で成功した欧米や台湾の事例では、政治指導者は情報を徹底的に公開し、政府の方針が率直に提示し、国民は政府に対する信頼を持つという好循環が存在した。日本はその真逆の悪循環が存在した。また、政府の外側での一般的な反感とは逆に、政府の内側では、政策立案の実務を担う官僚は権力を振りかざす指導者を恐れ、指導者の気に入るような政策を提出してご機嫌を取ろうとする。コロナ禍のような過酷な現実に取り組まなければならない状況では、そうしたご機嫌取りは的外れの政策を作り出し、問題を一層悪化させる。日本では、今、病床が満杯で、適切な治療を受けられないまま自宅に放置されるコロナ患者が東京都だけでも1万6千人存在する(9月6日のデータ)。これは、政府の従来の対策に批判的な専門家との対話を拒否し、旧来の方針に固執した結果である。
菅首相の辞意を受けて、現在、次の自民党総裁を選ぶ選挙に向けた政治家の動きが活発になっている。今まで閣僚や与党の有力者でありながら、安倍、菅政権の下で何らの政策的実績を上げてこなかった政治家たちが、ここに来て急に新政策を打ち出すというのは、実に奇妙な光景である。良いアイディアがあるのなら、なぜそれをもっと早く実行できなかったのか。自民党総裁選挙の候補者は、今までの菅政権の政治手法を自己批判することから議論を始めなければならない。事実を国民に知らせる、野党やメディアからの批判に対して誠実に応対する、まじめに言葉を使う、こうした民主政治の基本動作を回復することに今回の総裁選挙がつながることを願うばかりである。
山口二郎//ハンギョレ新聞社
山口二郎|法政大学法学科教授(お問い合わせ japan@hani.co.kr)
https://www.hani.co.kr/arti/opinion/column/1011418.html
韓国語原文入力:2021-09-12 21:43
【ハンギョレコラム】[山口二郎コラム]東京オリンピックと第二の敗戦
登録:2021-05-31 06:25 修正:2021-05-31 07:31
http://japan.hani.co.kr/arti/opinion/40133.html
山口二郎|法政大学法学科教授
目下、日本政治にとって最大の問題は、7月の東京オリンピックを予定通り開催するかどうかという選択である。新型コロナウイルスの感染が止まらず、変異株も広がり、ワクチンの接種も先進国の中では最も遅れている日本では、医療崩壊が現実化している。大阪、北海道などでは、感染しても入院することができず、ホテルや自宅で待機している間に亡くなる人も相次いでいる。こんな状態でオリンピックを開催すれば、貴重な医療資源がオリンピックに振り向けられ、国民の生命は二の次になるという疑問が広がっている。多くの世論調査で、オリンピックをさらに延期あるいは中止すべきという意見は、合わせて70~80%程度である。
しかし、菅義偉首相は、予定通り開催すると再三言明している。もはや日本政府は合理的政策決定ができなくなったと言うしかない。このような政治のありさまを見ると、第2次世界大戦敗戦直前の日本の指導者の姿を想像する。76年前と今の指導者には多くの共通する思考法が見出せる。
第1は、言葉の置き換えによる現実の隠蔽である。最近の日本のメディアでは医療崩壊という言葉は使われない。ベッドも医師も不足して自宅に隔離される人は自宅療養と呼ばれる。これは、敗北、退却を転進と呼んだ大本営発表と同じである。
第2は、既成事実への屈服である。戦争中、軍の指導者は中国大陸の占領地から撤退することはそれまでに払った犠牲やコストをすべて無駄にすることだとして、反対した。このように誤った方針を転換できない状態が既成事実への屈服である。
現在では、東京オリンピックをめぐって政治指導者は既成事実に束縛されている。今オリンピックを中止すれば、これまでの投下資金はすべて無駄になる。経済学ではそのムダ金をサンクコスト(埋没費用)と呼ぶ。サンクコストの発生は政策決定者の見通しの悪さを示す決定的な証拠である。しかし、サンクコストを恐れるあまり、失敗すると分かっている事業に資源の投入を続け、より大きな破局をもたらすのは、最悪の経営者である。首相もオリンピックに関しては最悪の経営者の行動を取ろうとしている。
第3に、空虚な国家目標のために国民感情を煽り、国家の威信を示そうとするところも、戦中と現在の共通点である。菅首相がオリンピックに執着することは、その後の政治日程と関係している。衆議院の任期はこの10月までなので、首相はオリンピックを開催し、日本選手の活躍で国民精神が高揚したところで、選挙を行いたいという野望を持っている。医学の専門家がオリンピック開催に伴う危険性を指摘しても、首相は大丈夫だという主観的信念を振りかざし、科学的データは無視する。このあたりの精神構造は、一億玉砕、本土決戦という戦中のスローガンを思い出させる。国民の生命を第一に考え、オリンピックを断念するという政治判断を示せば、政治家としての信頼性は高まるはずだが、首相にはそのような計算もできないようである。
76年前の敗戦で大きな犠牲を払った後、日本人は民主主義を確立し、民意に基づく政治、科学的合理性に基づく政策を進めるようになったはずである。しかし、日本人は誤った政策を決めた政治システムを転換したわけでもなかった。狂信の政治は帯状疱疹ウイルスのように日本政治の内側に潜んでいただけで、今また表面化したということができる。ただし、76年前と違い、今の日本には言論の自由がある。政策の誤りは批判することができる。またいくつかの新聞はオリンピックの中止を求める論説を出した。これからも議論を続けなければならない。
日本政治のこのような病理について、私が書いた『民主主義は終わるのか』という本が韓国語に翻訳された。日本に関心のある韓国の読者にご覧いただければ幸いである。
//ハンギョレ新聞社
山口二郎|法政大学法学科教授(お問い合わせ japan@hani.co.kr)
https://www.hani.co.kr/arti/opinion/column/997247.html
韓国語記事入力:2021-05-31 02:07
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と言う次第で、「管政権は武漢肺炎対策に失敗した」「東京五輪は第二の敗戦=失敗だ」と言う「現状認識」をお持ちらしいのが、山口二郎センセイ、な訳だ。
「管政権は武漢肺炎対策に失敗した」のならば、昨今の日本の武漢肺炎に対する「俄には信じがたい程の成功」は「基本的にすべて岸田政権の功績」って事になるのだが・・・どうせ山口二郎センセイの認識では、現状すら「武漢肺炎対策の失敗」なのだろう。
東京五輪どころかその後のパラリンピックまで完遂した現時点ではお笑いぐさにすらなりそうに無いが、「東京五輪中止論」も凄まじいよな。その東京五輪中心の論拠根拠を、①「医療崩壊を”自宅療養”と言い替えて隠蔽している」②「東京五輪開催は既成事実への屈服である」③「東京五輪開催は空虚な国家目標である」と三点揚げている訳だが・・・
先ず上記②「既成事実への屈服批判」であるが、「既成事実」なるモノが「相当に強いモノ」であるのは、大日本帝国にも大東亜戦争にも限った話では無い。「東京五輪を中止すれば、それまでの投資が無駄になる」のは紛れもない事実であるし、同様の判断は東京五輪にも限らない。要は「何処まで損失を許容し、何処で損切りを決断するか?」という問題であり、「損切りをしない=敢えて続行・決行」と言うのは一つの判断だ。
武漢肺炎禍って「近年希に見る悪条件」に見舞われた東京五輪が、赤字黒字で言うなら赤字であることは免れまいが、東京五輪中止していれば丸損であるし、東京五輪開催自身には「金銭以外の評価基準もある」という考え方もある。山口二郎センセイや朝日社説の口車に乗って「東京五輪中止」なんて事態に至らずに、本当の良かったと、私(ZERO)なんぞは思っている。
私の見るところでは、「東京五輪決行・断行と言う“既成事実への屈服”」は、「結果的に、相当の国民の支持を得ている。」。言い替えれば、「既成事実に屈服することは、東京五輪の場合、正しかった。」と、世の大半は考えて居る、のではなかろうか。
ま、「世の大半」なんてのは「多数派である」と言うだけだ。味方・同志の多いのは心強いが、「多数派だから正しい」訳では無い。私が知りたいのは、それよりも、山口二郎センセイが未だに「東京五輪開催は、既成事実への屈服である」と、非難し批判するか、だ。事実として既に「既成事実へ屈服した」のであるが、それが非難・批判されるべきモノであると、今でもお考えか、だ。
これは もう一つの上掲「東京五輪中止論の論拠」である、上記③「東京五輪開催は空虚な国家目標である」とも、関わってきそうだ。
即ち、「山口二郎センセイは、東京五輪開催は空虚な国家目標であったと、東京五輪開催後の今日も非難批判されるのか?」と言う疑問・疑義に集約出来よう。
もし本当に、東京五輪開催以前の時点で「東京五輪中止」が決定されていたら、「東京五輪は、開催中止を余儀なくされるぐらいに空虚な国家目標であった。」とのロジックが成り立っただろう。この場合、「否、東京五輪は国家目標に価したのだ。中止は間違いだった。」という主張は、かなり苦しい主張となっただろう。
だが、東京五輪は、事実として開催された。事実として開催された後の今日であれば「東京開催開催は空虚な国家目標であった」か否かは、事実を以て実証立証されている、筈だ。
そう言えば、東京五輪中止は共産党や立憲民主党も主張し、いよいよ東京五輪が始まってからもちょっとの間「今からでも中止しろ」と主張していた、筈だが・・・先の衆院選挙で「自公政権による東京五輪開催という暴挙を非難した」なんて話は聞いた覚えが無いし、東京五輪に引き続いてのパラリンピックを「中止しろ」って主張を、パラリンピック開始以降に聞いた覚えも無い。
って事は、「新聞やテレビ放送番組が売れれば何でもあり」のマスコミもさることながら、立憲共産党の夜盗共、もとい、野党共も、「東京五輪開始は空虚な国家目標であった」と主張し難くなっている、と言うことでは無いのかな。
で、山口二郎センセイは、今でも「東京五輪開催は空虚な国家目標であった」と、主張されるのかな?
否寧ろ。今こそ声高に堂々と、「東京五輪開催は空虚な国家目標であった」と、是非とも山口二郎センセイには主張して頂きたいんだがな。無論、突っ込みを入れる気満々で、手ぐすね引いた状態で、だが。
上記①「医療崩壊を”自宅療養”と言い替えて隠蔽している」って主張は、ひときわ凄まじいなぁ。「自宅療養」を余儀なくされると「医療崩壊」って認識らしい。まあ、「医療崩壊」をそのように定義すれば、「自宅療養を余儀なくされているから、医療崩壊だ!」と主張も非難も出来るだろう。
だけどさ。それって、「隠蔽になってない」のでは無いか?そりゃ「医療崩壊」の方が「自宅療養」よりもインパクト大な表現であるが、それは普通、「自宅療養を余儀なくされた」ぐらいでは「医療崩壊」とは言わないから、では無いのかな。
言い替えれば、常識的には「医療崩壊」と「自宅療養」との間には、相応の、相当な、ギャップがある。で、現実に起きていたのは、「自宅療養を余儀なくされた」と言うだけ。それは「入院療養出来ない患者がいる」と言うことであり、「自宅療養中に亡くなられた方も居る」のは事実であり、「入院していれば、亡くなられずに済んだ」かも知れないが・・・ハッキリ言ってしまえば、それは、程度の、割合の問題だ。
言い替えれば、「自宅療養中に亡くなられる方が少数に留まるならば、それは許容出来る範囲である」と言うことであり、左様な状態を”医療崩壊”とは呼ばないし、呼ぶべきでは無い、と言うことだ。
更に言えば・・・先行コラムのでは「管政権の武漢肺炎政策は失敗だった。」と断定断言される山口二郎センセイの考えでは、東京五輪開催前の状態で「自宅療養を余儀なくされるぐらいだから、医療崩壊していた。」のだとして、だ。東京五輪開催は今年の8月で、今が11月。その間に管政権は岸田政権に交代した、訳だが、僅か三カ月で「武漢肺炎による死者がゼロという日もある」程度に、我が国の武漢肺炎禍は沈静化している。この現状を、仮に「今でも自宅療養を余儀なくされる人が居る」としても「武漢肺炎対策が失敗している」とは、一寸言えそうにないし、「医療崩壊」とはもっと言えそうにない。
で、そのような状況にまで「武漢肺炎禍は沈静化」したのに、管政権は全く功績が無いのだろうか?だとしたら、その功績は全て(ないし殆ど)岸田政権に帰するのだろうか?(*1)はたまた、「政府の武漢肺炎対策は失敗だったが、民間の対策が奏功している(*2)」のだろうか?
ああ、現状もまた「武漢肺炎禍は沈静化していない!」と認識ないし主張すれば、管政権も岸田政権も「政府の武漢肺炎対策は失敗だ」と主張はしうるか(*3)。どんなロジックなのかは、誠に興味深いが、良くて「タダの屁理屈」。大抵は「気違いの戯言」しか、出て来ないだろうよ。
と言う訳で・・・私(ZERO)としては、山口二郎センセイの有する「現状認識」ってヤツに、大いに眉に唾つけて疑義疑念を抱くこと甚だしいのである。
- <注記>
- (*1) 管政権と岸田政権とで、武漢肺炎対策に有意な差は、無さそうなのだが。
- (*2) その民間の対策ってのは何?三密回避やマスクの着用なんかは、以前からやっているよな。ワクチン接種は国と地方自治体の施策だし・・・あ、「ワクチン接種率が高まったのは、地方時自体が努力したお陰で、政府の功績では無い!」ってロジックが、一応成立するか。ワクチンを用意し、配っているのは、国なんだがな。
- (*3) ”政府がマスコミをして「医療崩壊」を「自宅療養」と、言い替えさせている。”と主張出来てしまう山口二郎センセイならば、”新たな感染者数だとか死者だとかの数字は、デタラメだ!”位の主張は、朝飯前だろう。
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行け!忘却土(リンボー)の真っ只中へ!!!
「忘却土=リンボー」ってのは、日本では余り馴染みの無い概念かも知れない。「地獄・極楽」は仏教にもあるが、地獄の手前の「煉獄」とか、地獄の更に先(多分)である「忘却土=リンボー」ってのは、キリスト教の概念らしい。「地獄に落ちた亡者も罪を地獄で償えばこの世へ転生出来るが、忘却土へ落ちた亡者は永久に帰ってこない。」だったと思うが、余り自信は無い。まあ「地獄の上位互換」が「忘却土=リンボー」なのだ、と、私(ZERO)は理解している。
でまあ、先述の「懐かしの戦争映画Uボートのキャッチコピー」を捩ったこの章題は、無論、「立憲共産党」と揶揄される立憲民主党&日本共産党の「野党連合」と、それを賞賛激賞する山口二郎センセイへ送る、ある種の「捨て台詞」だから、だ。
言うまでも無かろうが、前掲AERA記事にて山口二郎センセイは「野党連合」の利点を吹聴し、これを非難する声が(何と驚くべき事に)マスコミにもあるのを「野党連合が怖いからだ。」と言い放って居る。全く、大した自信と言うべきであろう。
で、だ。山口二郎センセイとも、無論立憲共産党とも意見を大いに異にし、先述の通り「先の衆院選挙では、立憲民主党の議席壊滅を願った」「殆ど生まれながらの右翼」である私(ZERO)は、実は山口二郎センセイ(並びに日本共産党の)の斯様な「現状認識」を、大いに歓迎してしまうんだな。
「現状認識は先述の第一歩」と言う、斯様な「“実は野党連合が怖いのだろう”と言う現状認識」からは、それに応じた戦術しか出て来まい。それ即ち、来年予定の参院選挙も、その先の選挙も「立憲共産党は負け続ける」事が期待出来る、と言うことだ。
そりゃぁ、大いに期待してしまうな。参院選挙は衆院選挙とは違って「議席数の半数の選挙」だから、「全取っ替え」には「(少なくとも)二回の参院選挙が必要」であり、「立憲民主党の議席ゼロは、少なくとも次の次の参院選挙まで待たねばならない」から、な。
左様、私(ZERO)は、次の参院選挙にも「立憲民主党の議席壊滅」を、願っているのである。