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「核廃絶のビジョンがある。」なんて政治家は、鳩山由紀夫急の嘘吐きだろう。-【毎日社説】岸田首相と広島 核廃絶のビジョンが必要だ
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【毎日社説】岸田首相と広島 核廃絶のビジョンが必要だ
【毎日社説】岸田首相と広島 核廃絶のビジョンが必要だ
岸田首相と広島 核廃絶のビジョン必要だ
https://mainichi.jp/articles/20211109/ddm/005/070/127000c
毎日新聞 2021/11/9 東京朝刊 English version 836文字
岸田文雄首相は、核軍縮を「ライフワーク」に掲げている。
就任直後の所信表明演説では「被爆地・広島出身の首相として、『核兵器のない世界』に向け、全力を尽くす」と語った。
意気込みは前向きに受け止めたい。だが、その本気度が早くも疑われている。
象徴的なのが、1月に発効した核兵器禁止条約への態度だ。開発から使用、威嚇までを禁じた国際条約だが、米国の「核の傘」に依存する日本は批准していない。
来年3月の締約国会議は、オブザーバー参加も認められている。唯一の戦争被爆国である日本が世界に発信すれば、核廃絶の機運を高める効果があるはずだ。
ところが、首相は後ろ向きだ。核保有国が参加していない条約は実効性がないという理屈である。背景には、米国が反対しているという事情もある。これでは安倍晋三元首相や菅義偉前首相と同じではないか。
首相は外相時代、核軍縮を進めるための国際的な「賢人会議」の設置を提案した。日本に加え、核保有国と非保有国の有識者が一堂に会して意見を交わした。
今は首相の座にある。核廃絶の大きな構想を示し、実現に向けて戦略的な外交を進める時ではないか。国家安全保障会議や有識者会議で議論を重ね、「岸田ビジョン」を世界に打ち出してほしい。
来年1月には、核保有国を含む「核拡散防止条約(NPT)」の再検討会議も予定されている。NPTと核禁条約という二つの会議を「橋渡し」する役割を果たすべきだ。
オバマ元米大統領の広島訪問実現に尽力したのは首相だ。当時副大統領だったバイデン大統領は、「核なき世界」の理念を継承する立場を示している。
バイデン政権は新たな核戦略の指針を策定中だ。核兵器の役割を「抑止」と「報復」に限定することを検討しているという。
首相はバイデン氏の取り組みを後押しすべきだ。被爆国として日本が独自の外交を進めることへの理解を求める必要もある。
核廃絶に向けた動きを国際社会の大きな潮流にすることができるのか。被爆地選出の首相として、覚悟が問われる。
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「ライフワークが核軍縮」ってのは、「趣味としてやっています」って意味では無いのかね
或いは、「一生かけたところで、核廃絶になんか至りません」という意味とも解釈でき、真実・現実はこちらの方が近そうだ。上掲毎日社説が期待する様な「核軍縮から核廃絶へ向けて、全身全霊で邁進する」なんて、日本国首相に、岸田首相に、「期待する」方が「どうかしている」ってのは、常識的判断だと思うぞ。
核軍縮は、日本国首相の余技ではあっても本義では無い。況んや、核廃絶をや。
大体、「核なき世界」が現状の「核兵器が厳然としてある世界」よりも「無条件で良い」なんて信じ込める、単細胞さというか脳天気さというか浅はかさというかバカ丸出しは、全く「手前ぇ、何歳(幾つ)だぁ?」と言いたくなるレベルだぞ。
「核なき世界」とは「タダ一国の核兵器保有国によって、全世界が支配されて仕舞いかねない世界」だ。その「タダ一国の核兵器保有国」に我が国がなって「全世界を支配してやろう」なんて意図・目的が無い限り、「核なき世界は、無条件で、良い」なんて断言は、しかねる筈だ。
言い換えるならば、「核廃絶へのビジョン」とやらは、「核廃絶を維持するビジョン」と表裏一対で無い限り、「核なき世界」なんてのは「忽ち崩壊して仕舞うだろう。」と言うことだ。その「核なき世界」後が「タダ一国の核兵器保有国に支配される世界」となるか、「複数の核兵器保有国が割拠する」”新冷戦”状態になるかは、議論疑問の余地はあるが(*1)、「核なき世界が長続きしない」事には、一寸疑義の余地が無い。
大体、「核廃絶を維持するビジョン」なしの「核廃絶へのビジョン」ですら、持っているヤツがこの世に現存するとは、私(ZERO)には一寸信じがたい。タイトルにもしたが、「核廃絶へのビジョンが、私にはある!」と断言する政治家は、先ず「嘘吐き」と断定して間違いなかろう。
言い替えるならば、上掲毎日社説は、「岸田首相に”核廃絶へのビジョンがある”と、嘘を吐け」と、意識的にか無意識にか知らないが、要求要望しているのである。そりゃ「首相が嘘を吐く」ならば「政府政権攻撃の格好の材料」になるからな。
「核廃絶へのビジョン」に近いモノとして、「原理的な核起爆の阻止(*2)」とか「国際機関による核兵器の一括管理(*3)」とかがSF小説にはあるが、前者は文字通り非現実的で、後者も「核廃絶では無い」。
SF小説家(乃至マニア)や、思想家、宗教家ならば、ヒョッとして「核廃絶へのビジョン」を有しているかも知れない。だが政治家が、現実の政治的課題として「核廃絶へのビジョン」を有しているなんて、非現実的としか思えない。平たく言って夢物語。もっとハッキリ言えば、寝言だ。
1> 核廃絶に向けた動きを国際社会の大きな潮流にすることが出来るのか。
2> 被爆地選出の首相として、覚悟が問われる。
等と尤もらしく上掲毎日社説は「締める」が、上記1>は即ち「核廃絶へ向けた動きは、国際社会の大きな潮流では無い」と言う、ある意味「極めて正しい」現状認識の発露である。而して左様な現状は「日本国首相の覚悟」如きで、変わるモノでは、無い。
なるほど日本は「被爆国」ではある。だが、「核兵器保有国ですら無い」のである。現状の核兵器保有国からすれば「被爆国首相の覚悟、だから何?」でしかない。
それを「首相の覚悟」一つで「なんとかしろ」というのは、凄まじいばかりの精神主義かつ他力本願の無責任であろう。一体毎日新聞は「岸田首相が覚悟を決めた」暁には、一体どんな「核廃絶へのビジョン」が出てくるモノ、期待してやぁがるンだぁ?
そんな「核廃絶のビジョン」は、「鳩山由紀夫の腹案」レベルだろうぜ。
「再エネで脱炭素」もそうだけどさ。どうしてマスコミってのは「自らは描くことすら出来ない餅を、政府には”描け”と要求」出来てしまうのだろうか。報道機関乃至プロパガンダ機関としては、それも「あり」なのかも知れないが、言論人やオピニオンリーダーとしては、無責任極まりないぞ。
- <注記>
- (*1) 而して、「複数核兵器保有国割拠」は現状とさして変わらず、「唯一の核兵器保有国による全世界支配」は現状よりも悪そうだぞ。
- (*2) 西ドイツのスペースオペラ、ペリー・ローダンシリーズのごく初期の頃に、異星人の超技術でこの方法で文字通り「核兵器を無力化」するエピソードがある。
- (*3) ロバートAハインラインの「栄光の宇宙アカデミー」とか、「SF戦争15のスタイル」と言う短編集の一つとかに、この方法が描かれている。