• 反アベ芸人・古賀茂明の「政府批判」芸-【週刊朝日】菅原文太が危惧した落第国家 古賀茂明

 「反アベ芸人」ってのは、私(ZERO)が作った造語だ。一寸検索かけたぐらいではヒットしないので、「オリジナル」を主張できそうだ、と思ったのだが、「反アベやっている芸能人」とか「反安倍芸人」ってのはネット上に散見されるから、「オリジナルと主張する」のはチョイと難しそうだ。残念。

 但し、ネット上で散見される「反アベやっている芸能人」とか「反安倍芸人」と言うのは、「芸能人・芸人」が本職というか本体で、「反アベ/反安倍」はその「ネタ」に近い政府批判であるのに対し、私(ZERO)が「反アベ芸人」と言うのは、「反アベ・政府批判を売り物にしている、二流以下の言論人」を指す。つまり本職・本体は「言論人」であるが、その「反アベ・政府批判」が稚拙だったり説得力皆無であることから「二流の言論人」と断定し、「芸人」呼ばわりしているのである。つまり此処で言う「反アベ芸人」と呼称した際の「芸人」とは、ある種の「差別的表現」である。
 
 週刊朝日はじめとする朝日系雑誌には、私(ZERO)言う所の「反アベ芸人が跳梁跋扈して居る。典型的なところはタイトルにもした古賀茂明氏とか、前川喜平氏である。どちらも元高級官僚から「反アベ芸人」に転身し・・・どうも、前川喜平氏の方は「反アベ芸人」として上手く行ってないようだが、古賀茂明氏の方は相応の成功を収めている、らしい。
 
 そうは言っても、その反アベ発言・政府批判(コレは、第2次安倍内閣終了後も、連綿と続いており・・・其れも、同工異曲なら未だしも、一部には同行同曲(*1)であったりする。)が「箸にも棒にもかからない愚策・駄文」であるからこその「芸人呼ばわり」であり、「二流以下の言論人」との断定である。

である のだが・・・・まあ、今回の現政権非難は、いつにも増して凄まじいなぁ。
 

  • <注記>
  • (*1) 同曲」の一例は、モリカケである。もう4,5年も「同曲やっている」上、立憲民主党なんか「政権交代したら、最初の閣議で決めること」の半分がモリカケ桜シリーズだったりする。尤も、この「最初の閣議決定」の問題点は、「補正予算を組みます」が唯一真面な「政策」でしか無く、其れも「幾ら出す」は明言しても「何に出す」のかはサッパリ判らない、と言う点だ。「新型コロナ対策」と称して居るが・・・武漢肺炎って「金を出す」と、何とかなるモノ、今よりもマシになるモノ、なのかぁ?「賄賂が効く」とでも、思ってやぁがるのかな。 




【記事】【週刊朝日】菅原文太が危惧した落第国家 古賀茂明

  • 【週刊朝日】菅原文太が危惧した落第国家 古賀茂明
  • 菅原文太が危惧した落第国家 古賀茂明
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  •    https://dot.asahi.com/wa/2021102900067.html?page=1
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  • 政官財の罪と罰
  • 岸田政権
  • 2021/11/02 07:00
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  • 古賀茂明
  • 筆者:古賀茂明
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  • 菅原文太さん(C)朝日新聞社
  • 菅原文太さん(C)朝日新聞社
  •  衆議院総選挙が終わった。今回の選挙の特徴の一つは、ほぼすべての政党が、公約の中で、国民への直接給付を強調していた点だ。格差是正や成長か分配かについての議論も盛んだった。先進国の中で日本だけが労働者の給料が上がっていないという事実が、かなりの時間差を伴って、ようやく国民に知れ渡るようになったことで、与党と言えども、国民の所得の引き上げについて強く意識せざるを得なくなったのだろう。
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  •  ここまで議論が盛り上がったのだから、一人当たり○○万円給付という政策は実施される可能性が高い。しかし、事態は、そんな限定的な支援ではとても済ませられないくらい深刻化している。
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  •  テレビや新聞では、貧困にあえぐ人々のニュースを目にしない日はないと言っても良いくらいだ。例えば、あるテレビの報道番組で、フードバンクに食料をもらいに来たシングルマザーに連れられた小さな女の子にインタビューしている場面が流れた。正確ではないが、こんな趣旨のやり取りだ。
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  • 「お母さんのこと、好き?」「うん、大好き!」。
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  • 「どうして?」「優しいから!」。
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  • 「どんなふうにやさしいの?」「おかあさん、ご飯食べないの。食べると私の分がなくなるから」。
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  •  小さな子供がこんな言葉を口にする。思わず涙が出て来た。
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  •  これは、ほんの一例でしかない。ネットで検索すれば、親が食事を1日1食にしているとか、パンと水で飢えをしのいでいるというような話が、全国あちこちで報じられている。これが日本の現実なのかと、暗澹たる気持ちになるのと同時に、どうしてこんな事態が放置されているのだろうと不思議になり、そして憤りの気持ちが高まる。
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  •  今、私は、7年前の2011年11月28日に肝がんで亡くなった俳優の菅原文太さんのことを思い出している。もうすぐ命日だ。菅原さんは死の直前の11月1日、沖縄で演説を行った。文字通り、命を削りながらの訴えだ。
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  • 「政治の役割は二つあります。一つは、国民を飢えさせないこと、安全な食べ物を食べさせること。もう一つは、これが最も大事です。絶対に戦争をしないこと!」という冒頭の名文句は時代を超えて語り継がれるだろう。
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  •  ただ、沖縄での演説ということもあり、当時の私は、「戦争をしないこと」という言葉にばかり関心が向かい、正直なところ、「国民を飢えさせないこと」という言葉には、あまり注意が行かなかった。
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  •  しかし、菅原さんは、当時から経済大国日本にも満足に食べられない人がいることに深く心を痛め、危機感を抱いていたのだ。だから、国家の役割として、演説冒頭でこの義務に言及した。
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  •  そして、今日、私たちは、無数の人々が、飢えに苦しむ姿を見ている。それを放置する国家とは何か。菅原さんなら、最低限の役割を果たさない落第国家という烙印を押すだろう。
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  •  私たちはのんびり選挙を行い、どんな給付が必要かを議論していた。その間も、日々、命をつなぐのに必死の人々がいるというのに。
  • 何たる危機感のなさ。
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  •  選挙は終わった、もう議論などしている余裕はない。満足に食べることができない全ての人々に食料を届ける。政府には、全てに優先して、それを直ちに実現する義務がある。
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  • ■古賀茂明(こが・しげあき)/古賀茂明政策ラボ代表、「改革はするが戦争はしない」フォーラム4提唱者。1955年、長崎県生まれ。東大法学部卒。元経済産業省の改革派官僚。産業再生機構執行役員、内閣審議官などを経て2011年退官。近著は『官邸の暴走』(角川新書)な
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  • ※週刊朝日  2021年11月12日号
  • 古賀茂明(こが・しげあき)/古賀茂明政策ラボ代表、「改革はするが戦争はしない」フォーラム4提唱者。1955年、長崎県生まれ。東大法学部卒。元経済産業省の改革派官僚。産業再生機構執行役員、内閣審議官などを経て2011年退官。近著は『官邸の暴走』(角川新書)など
 

 

  •  ウーン、突っ込みどころだらけで、どこから突っ込んだら良いモノか、迷う程だ。

 先ず「戦争」については「置く」ことにしよう。古賀茂明氏にせよ、菅原文太にせよ、「戦争に備えることが、戦争を抑止する。」というある種の「常識」はお持ちで無い様だし、「常識のない相手」と議論するのは一苦労だ。此処では、「菅原文太のもう一つの論点」である「国家は、国民を飢えさせてはならない」の方に、焦点を絞るとしよう。
 
 こちらの点だけに絞ったとしても、上掲記事に現れている「古賀茂明氏のしょうもなさ」は、複数ある様に思われる。列挙するならば、以下の様になろうか。

 (1) 定量的評価の欠如。「イメージ」による断定
 (2) 「落第国家」の判定基準
 (3) 上記(2)判定基準の根拠・論拠


 先ずは「軽いところ」から。上記(3)「落第国家判定基準の論拠・根拠」は、上掲記事タイトルにあるとおり「俳優・菅原文太の言葉」である。其れも映画や劇中の(作られた)セリフでは無く、「生の声」であるらしい。「生の声」であるだけに「映画や劇中の(作られた)セリフ」よりも迫真的で説得力を持つ、可能性はある。が、如何に名優・大スターであろうが、「俳優の言葉」は「俳優の言葉」でしか無い。そこに真実とかイデアとかが含まれ、「的を射ている名言」である可能性は、一概に否定すべきではないが(*1)、「俳優の言葉にしか過ぎない」って言い方・判断も、あり得るのであり・・・先述の「戦争についての発言」にしても、後述の「落第国家判定基準」にしても、私(ZERO)としては「俳優の言葉にしか過ぎない」って判断の方に大いに傾くのである。

 そこは、まあ、古賀茂明氏が「菅原文太の言葉」に感銘を受け感動したのだ、と「大目に見る」としても、問題は無論、その「言葉の中身である」

 で、上記(2)「落第国家判定基準」へと焦点を移すと、コレが「国民を飢えさせる国家は、落第国家」って事らしい。一見尤もらしいし、思わず首肯してしまう人も多そう、ではあるが、頭を冷やして考えてみて欲しい。「国民の誰一人として飢えさせない国家と言うモノが、人類史上存在したことが、あっただろうか?」と。

 或いは、「国民の誰一人として飢えさせない国家が、現存するか?」と問うても良い。いずれにせよ、左様な上記(2)「落第国家判定基準」を以て「合格国家」と言うのは、現在であれ、過去であれ、「存在する/存在した」事があるか?と言う設問だ。

 私(ZERO)の承知している範囲では、「国民の誰一人として飢えさせない国家」などと言うモノは「人類史上、存在したことが無い」のであり、現存国家も過去の国家も、この基準からすると「全て落第国家」である。


 であるならば、「落第国家であること」は、特段に非難否定されるべきモノ、とはなるまい。

 あ、勘違いなり曲解なりするなよ。私は「国は国民を飢えさせても良い」などと主張する/主張した心算は無い。だが、「国民を飢えさせ無い」というのが「国家の一つの理想」であることには同意しても、「国民の誰一人として飢えさせない国家」などと言うモノは「人類史上、存在したことが無い」と主張しているのであり、「合格国家/落第国家」の判定基準とするならば、ある一定の(ゼロでは無い)「餓死者率」と定めるべきである、と主張しており、更には、我が国の現状が、その「餓死者率」において、「トテモではないが”不合格国家”なんて烙印は押せない」と考え、主張しているのである。

 コレは、残りの論点である上記(1)「定量的評価の欠如」にも、関わって来る。

 何しろ、古賀茂明氏と来たら、我が国を「国民を飢えさせている落第国家」と断言し、

1> 今日、私たちは、無数の人々が、飢えに苦しむ姿を見ている。

とも明記断言している、のである。その割には上掲記事で古賀茂明氏が揚げている「飢えに苦しむ姿」は一例しか無く、

2> ネットで検索すれば、親が1日1食にしているとか、
3> パンと水で飢えをしのいでいると言う様な話が、
4> 全国あちこちで報じられている。


・・・つまり、「ネットで検索」しないと「全国あちこちで報じられている」事すら「ご存知なかった」のが古賀茂明氏、だが・・・かかる根拠で「無数の人々が、飢えに苦しむ姿」と断定断言出来てしまうって事は、ウイキペディアの「餓死」の項さえ「検索しなかった」らしい。その項には、以下の様にある。

> 2017年人口動態統計による「食糧の不足(X53)」の死亡者は22人
> (男性:17人、女性5人)である。


 つまり、2017年1年間を通じての日本の餓死者が(たった)22人、なんだそうな。複数ではあるが、「無数」と言うには程遠かろう。

 無論これは「ウイキペディアからの引用」であり、私(ZERO)は人口動態統計の原典にすら当たっていないのだが、言論人たる古賀茂明氏が「公器」とも言うべき週刊朝日に記事を掲載する以上は「最新の人口動態調査による餓死者数」ぐらい確認してから「無数の人々が、飢えに苦しむ姿」などと表記すべき、であろう。

 賭けても良いが、古賀茂明氏は「最新の人口動態調査による餓死者数確認」なんかしていない。だとすると、上記2>~4>は「ネット検索結果のイメージ」だけで無数の人々が、飢えに苦しむ姿と断言断定していた、事になる。「定量的評価の致命的欠如」と言わずして、何と言おうか。

 或いはひょっとすると、最新の人口動態調査結果を確認した上で、上記上記2>~4>の「ネット検索結果のイメージ」だけで無数の人々が、飢えに苦しむ姿と断言断定した、可能性もあろう。この場合は「定量的評価の致命的欠如」と言う批判は免れようが(*2)・・・「悪意ある宣伝」と言う非難こそが、至当と言うモノだろう。

 大体「報じられている」事象は、「希少であり、物珍しいから、報じられる」のであり、「無数にあり、珍しくも無ければ、そもそも報じられない」のである。

 毒舌を以て知られ、一時期は国会議員になった(*3)落語家の故・立川談志師匠の「マクラ」に、こんなのがある。
 
 「”暗いニュースばかりだ。”と言いますがね。あれは、”暗いからニュースになる”んです。”明るいニュースばかり”になってしまったら、お終いですよ。
 “東京にも、親孝行な息子が居た”とか、ニュースになってご覧なさい。」


 コレは「落語家の芸の一つ」であり、「作られたセリフ」でもあろう。だが、「真実を突き、的を射る」という点で、上掲古賀茂明氏の記事なんぞより(*4)、随分マシに思えるがね。

 更に言えば、我が国を「落第国家」と断定断言している古賀茂明氏は、元高級官僚であり、10年程前までは並の人より遙かに我が国に関与し、責任を負っていた、筈の人である。

 我が国の現状が「落第国家」であるならば、元高級官僚としての古賀茂明氏自身の責任は、一体どうなっているのだろうか?言い換えるならば、「我が国を”落第国家”とした責任は、古賀茂明氏にも在るのでは無いか?」

 以上からして、上掲した古賀茂明氏の週間朝日記事は、「二流以下の現政府批判」でしか無く、其れを為す古賀茂明氏は「芸人呼ばわり」が至当というモノ。上掲記事は、意見・オピニオンと言うよりは「反政府芸」という一つの「ネタ」と断じざるを得ない。
 
 受ける相手には、受けるのだろうさ。だが、多分に、内輪受けだぞ。

 

  • <注記>
  • (*1) 後ほど、私自身が落語家・立川談志の「名言」を引用する、予定であるしな。 
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  • (*2) いや、その調査結果である定量的評価を、自らの表記表現に反映していないのだから、免れない、か。 
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  • (*3) そのまま国会議員を続けて、現在までご存命だったら、チョイと面白い事になりそうだったのだが・・・ 
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  • (*4) 或いは、お為ごかしのキレイゴトだけの菅原文太の言葉よりも。