• 誤射誤爆、戦争ならば、良くあること。ー【朝日社説】アフガン誤爆 犠牲防ぐ歯止め考えよ


 「戦う君の歌を、戦わない奴らが笑うだろう。」ってのは、中島みゆきの「Fight!」の一節。世の中、「戦わずに、戦う者を笑う」奴原は掃いて捨てる程あるが、朝日新聞はじめとするマスコミなんてのは、その筆頭だろう。
 
 で、「戦わずに、戦う者を笑う」奴ら筆頭たる朝日新聞が、アフガニスタンでの誤爆を題材に、こんな社説を掲げている・・・全く、新聞記者ってのは、気楽な商売だよな。

  • 【朝日社説】アフガン誤爆 犠牲防ぐ歯止め考えよ

アフガン誤爆 犠牲防ぐ歯止め考えよ

2021年9月22日 5時00分

 

 https://www.asahi.com/articles/DA3S15051172.html?ref=pc_rensai_long_16_article
 

  カブールで8月29日、米軍無人機による空爆を受けたゼマリ・アフマディさんの自宅=AP。アフマディさんと、7人の子供を含む計10人が誤爆の犠牲になった

 

 飢えや貧困に苦しむ人びとを助ける仕事を続けていた民間人と家族らが爆撃され、亡くなった。その理不尽な攻撃をしたのは、米軍だった。

 

 アフガニスタンの首都カブールで8月におきた誤爆事件である。子ども7人を含む民間人計10人が死亡した。米軍は無人機によるこの空爆が誤りだったことを認め、謝罪した。

 

 標的にされた男性は、米国に拠点を置く慈善団体の現地職員だった。米軍は男性の車をテロリストのものと考え、8時間にわたり追尾したという。

 

 立ち寄った団体の事務所を過激派の拠点と勘違いしたうえ、爆発物と判断した車内の荷物は水の容器だった。その作戦のずさんさに言葉を失う。

 

 謝罪や賠償で済む事態ではない。同様の惨劇を繰り返さないために、行きすぎた軍事力の行使に歯止めをかける方策を米国と国際社会は考えるべきだ。

 

 「差し迫った脅威を前に標的を見極める時間がなかった」と司令官は弁明した。だが、もし爆弾を積んでいたら、住宅密集地での爆撃は大勢の民間人を巻き添えにしただろう。その想像力は働かなかったのか。

 

 無人機や監視衛星に頼る情報収集の限界も露呈した。バイデン大統領は米軍撤退後も対テロ作戦は遂行可能と言うが、無人機攻撃への依存は再考せねばなるまい。まずは誤爆の原因究明と責任の明確化が必要だ。

 

 深刻なのは、今回のような民間人の犠牲が氷山の一角に過ぎないということだ。

 

 国連の報告書によると、2008~20年にアフガニスタンで米軍や政府軍の空爆で死亡した民間人は約3800人にのぼる。誤爆や巻き添えに遭っても、大半が泣き寝入りを強いられてきたのが実態だ。

 

 とりわけ無人機攻撃については「戦闘員と民間人をどう区別するのか」「司法手続きを経ない殺害行為ではないか」「他国での攻撃は主権の侵害ではないか」など、数々の問題点が国連機関などで指摘されてきた。

 

 米国はこの20年間、自衛権の行使を主な根拠にしてきたが、そのために失われた膨大な人命の重さを直視すべきだ。

 

 国際法上も人道上も問題のある一方的な軍事行動が報復の連鎖を招き、新たなテロの土壌を生んだ。その失敗から学び、軍事一辺倒ではなく地元との地道な協働で荒廃地域を立て直す努力に注力せねばならない。

 

 軍事目的で無人機を導入する国は年々増えており、日本も偵察用の配備を予定している。無人機を忌まわしい無差別兵器にしないためにも、ルールの確立に向けた国際的な議論を喚起してもらいたい。

 

 

  • 「戦略爆撃」を知らないのかよ。我が国が散々喰らっただろうがよ。

 さて、如何だろうか。

 「まあ、好き勝手にキレイゴト並べやがって。こんな文書書いて給料貰えるんだから、新聞記者ってのは気楽な商売だよな。」と言う、極めて否定的・批判的なモノが私(ZRO)の「感想」だ。皮相的な「お涙頂戴」の浪花節だけの平和ボケ。「戦争を知らない」にも、程があろうというモノだ。


 否、「戦争を知らない」でアフガン誤爆を題材に蘊蓄垂れよう何ざぁ、図々しいにも程があろう。

 先ず第一に、誤射・誤爆というのは殆ど「戦争にはつきもの」であり、「戦地の民間人を誤射・誤爆」どころか「味方の軍を誤射・誤爆」即ち「同士討ち」ってのも、ままあることだ。一説によると自軍の損害の1割程度は「味方の誤射・誤爆による」と言うぐらい。タイトルにもしたが、誤射・誤爆というのは「良くあること」だ。


 上掲朝日社説で取り上げられているアフガン誤爆は「誤爆だと軍が認め、謝罪した」点は珍しく、ニュース性もあるが、誤爆自身には「大したニュース性は無い」。
 
 第二に、誤射・誤爆を「防ぐ手立て」は、少なくとも「容易なことでは無い」。軍だって好き好んで誤射・誤爆する訳では無い。IFF敵味方識別装置なんてモノを付けてみたり、部隊相互間で位置情報を共有したり、「誤射・誤爆を防ぐ手立て」を講じている。それでも、「味方部隊に対する誤射・誤爆」すら「無くならない」のである。況んや「戦地に居合わせた民間人を誤射・誤爆しない手立て」なんて、想像を絶する超技術が必要だろう。
 
 第三に、アフガン戦争や対テロ戦争などの非対称戦争で「敵の戦闘員」と「非戦闘員・民間人」を識別することは極めて困難であり、ほぼ不可能である。上掲朝日社説が取り上げるアフガン誤爆においても、相応の時間をかけての判定が「誤り」だったことを示している。


 敵軍にせよ味方の軍にせよ、「正規の軍・軍人を敵味方識別する」のは、未だ容易な方だ。ハーグ陸戦協定で「捕虜と認められる」ためには、軍の指揮系統下にあり、軍としての明白な識別できる標識(最低限「腕章」。普通は「軍服」)が条件なのだから、なおさらだ。


 非対称戦争の敵である、非正規軍、テロリストは、外見や服装などで非戦闘員・民間人と区別し特定することは、出来ない。非戦闘員・民間人とふるまっていながら、武器を手にした瞬間テロリストに「早変わり」することだってありうる。そんな「敵」を「早変わりする以前に敵として識別する」のには、やはり想像を絶する超技術が必要だろう。

 つまり、呑気にキレイゴト並べて「犠牲防ぐ歯止め考えよ」なんて主張している上掲朝日社説は、「想像を絶する超技術」を期待している、訳である。

 「現状認識が出来ぬモノ。コレをバカという。」とは、故・立川談志の名科白。正に、至言だな。

 更に言えば、第四に、軍は、他ならぬ民間人そのものを攻撃目標とし、攻撃することがあり得る。章題に取った「戦略爆撃」が正にそうで、敵の部隊・軍人・軍事施設では無く、後背の都市・生産設備・社会インフラ・民間人・民間施設を攻撃し、破壊ないし能力低下させる事で戦争に勝とうと言うのが「戦略爆撃」である。大東亜戦争において我が国が散々喰らったヤツであり、広島・長崎に対する原爆投下も、戦略爆撃の一環だ。


 上掲朝日社説で取り上げたアフガン誤爆の目標となったのは、米国に拠点を置く慈善団体の現地職員だそうだが、慈善団体の慈善行為であっても戦略爆撃の爆撃目標となるのは、あり得ることだろう。そりゃ、「そんな戦略爆撃は批難される」だろうが、「批難されるから、戦略爆撃しない」なんて選択肢が、どれ程有力であろうか。

 今回のアフガン誤爆は米軍が謝罪したそうだから、米軍は「左様な戦略爆撃」を敢行する気は(今の所は)無かったらしい、とは言い得る。また、謝罪したぐらいだから、「実は慈善団体職員の肩書きを利用したテロリストだった」という確信まではないのだろう。

 だが、朝日が「考えよ」と主張するばかりで何ら代案も示さない「犠牲防ぐ歯止め」なんてのは、「攻撃敢行の判断基準を厳しくする」のが関の山であり、無論「想像を絶する超技術」なんて期待出来ないだろう。


> 無人機を忌まわしい無差別兵器にしないためにも、ルールの確立に向けた国際的な議論を喚起してもらいたい。

等と、実に尤もらしい「〆方」をする上掲朝日社説だが、丸っきり他人任せの丸投げ無責任な主張である、って自覚は、あるのかな。
 
 「戦う者を笑う、戦わない奴ら」に、そんな自覚が在る訳無いか。