-
今日の韓国は、日本人にとって「国を挙げての強請タカリで、キチガイ揃い。」です。ー【中央日報コラム】今日の日本は韓国人にとって何なのだろうか
「韓国紙の社説が非道い。が、コラムはそれに輪をかけている。」と言うのは、既に何度も記事にしているところであり、主として「非道い社説」を取り上げてはいるが、偶に「輪をかけて非道いコラム」を取り上げている。
今回下掲するのは韓国紙・中央日報のコラムで・・・筆者は詩人なのだ、そうだ。
「チョウセンジンの詩人が書いた、韓国紙のコラム」と言えば、まあ、大凡想像は付いて・・・多分、その想像は、裏切られない。
【中央日報コラム】今日の日本は韓国人にとって何なのだろうか
今日の日本は韓国人にとって何なのだろうか
? 中央日報/中央日報日本語版2021.04.27 13:57112 ?? ??
?? ??
【1】 旧日本軍「慰安婦」被害おばあさんが日本政府に対して起こした2件目の損害賠償請求に対して韓国裁判所が却下の決定を下しましたが、このことを報じた新聞に掲載されていた少女像の写真が私の胸をえぐります。雨に濡れた少女像の姿がまるで涙を流しているように見えたからです。今回の判決は今年1月に慰安婦被害者に対する日本の賠償責任を認めた1件目の訴訟第1審判決とは交錯した結論です。被害者の苦痛だけを大きくした結果になりました。李容洙(イ・ヨンス)おばあさんは「心底あきれる。国際司法裁判所に必ず行く」と言って涙を見せました。原告20人のうち生きている方は今では4人となりました。現政権が2015年朴槿恵(パク・クネ)・安倍政府の慰安婦合意を否定して、和解・癒やし財団を解散してしまった報いというでしょう。
【2】 日本政府の福島原子力発電所汚染水海洋放出決定も韓日関係の新たな障害物です。これの原因は隣国に説明と理解を求めなかった傲慢さです。日本メディアは「今年1月、福島近海の水深37メートルの漁場でとれたソイから放射性物質であるセシウムが検出されて出荷が禁止された」と報じました。昨年、日本政府の世論調査でも日本人の70%が汚染水が「身体に危険で有害」として海洋放出について懸念を示しました。放出反対デモが続くなど自国民でさえ納得できない決定をどのように強行できるでしょうか。コロナが猛威を振るう中で開催するという東京オリンピック(五輪)は果たして何の問題もないのでしょうか。米国と国際原子力機関(IAEA)、国際オリンピック委員会(IOC)が日本側に立つことも私たちを困惑させます。
【3】 韓国と日本は隣国として生きてきた数千年の間、愛憎が交錯する関係でした。古代文字解読の専門家キム・ヨンフェさんは日本人のアイデンティティと呼ばれる『万葉集』が新羅郷歌と同じ手法で書かれたという論証を最近の著書『万葉集は郷歌だった』に載せて人々を驚かせました。郷歌の漢字は当時の表音文字ではなく、表意文字として機能し、文字の配列は韓国語の語順に従っているとキム氏は主張します。郷歌は単なる歌ではなく祈りが込められた公演台本という解釈です。
【4】 西暦660年8月、百済の首都シビ城が新羅と唐による「羅唐連合軍」によって陥落すると、翌年1月に義慈王の息子・扶余豊と力を合わせて百済奪還戦争を準備した斉明天皇が作った歌が万葉集第一巻の8番目に登場する歌です。この歌の日本式解釈はこうです。
【5】 「熟田津で船を出発させようと月を待っていると、潮の流れも良くなってきた。今こそ漕ぎ出そう」
【6】 意味で解いたキム氏の郷歌解読法によるとこうなります。
【7】 「穀物の実った畑の渡し場であなたが冥土の船に乗り込む。月が浮かぶのを待っているが、満ちた潮が一緒に沼に押し寄せてくる。あなたが安らかにあの世に向かうことができるよう祈る」
【8】 死を覚悟して戦線に立ち向かう心境と戦場で朽ちていった人々に対する追慕が伺えます。しかし663年、倭と百済の復興軍は白村江河口で大敗を喫します。本土への攻撃を恐れた倭は667年に首都奈良を内陸の近江に遷都して国号も倭国から日本に変えました。
【9】 『万葉集』第一巻最後の作品である84番目の歌に「高野」という名前が登場します。この歌に対する日本式の解釈はこうです。
【10】 「秋になれば、今もわれわれが見ているように妻を恋しく思う牡鹿が鳴く山であるよ、高野原の上では」
【11】 キム氏の郷歌式解読はこうです。
【12】 「秋が過ぎてやっと今現れるのか。あなたが恋しかった。鹿がいつか泣くことになる山、高野原の家にあなたをお迎えするだろう」
【13】 この歌に出てくる高野は百済武寧(ムリョン)王の子孫である高野新笠です。
【14】 随筆家の岡部伊都子氏は著書『女人の京』にこのように書いています。「渡来文化が華やかに花咲いていた平安時代は百済出身の母親を持つ桓武天皇時から始まった…高野は第49代光仁天皇の皇后だった」。
【15】 日本の『万葉集』が新羅郷歌と同じ方式で詠まれたということを直接解読して立証したので、この後は日本学界の研究が続くべきでしょう。
【16】 急変する世界情勢は韓日関係の再確立を要求します。世界2強として崛起する中国とロシアという大陸勢力、そして世界最強の米国と日本につながる海洋勢力の間で、私たちのあるべき位置が韓民族の未来を決定することになるのです。さらに今は日米豪印戦略対話(QUAD=クアッド)体制で新型コロナウイルス感染症(新型肺炎)ワクチンの確保が急がれる時点です。ワクチンを自主開発できないせいでもあります。
ユ・ジャヒョ/詩人
-
チョウセンジンにはままあることだが、「タイトルにした設問に、全く答えていない」
上掲コラム。全部でパラグラフは16もある。韓国紙としては、コラムとしても社説としても珍しいぐらいにパラグラフが多い。
だが、その「パラグラフの多さ」故もあり、有り体に言って「支離滅裂」である。章題にもした通り、上掲コラムのタイトルになっている設問「今日の日本は韓国人にとって何なのだろうか」って設問に、上掲コラム全16のパラグラフを通じて「答えていない」どころか、「答えようとしているとさえ、考えかねる」コラムである。
冒頭から見ていこうか、先ず【パラグラフ1】は「慰安婦問題」から始まり、これに終始している。先日の「慰安婦損害賠償は日本国には請求出来ない」ってチョウセンジンには珍しいぐらい真面な判決を受けて、やれ「雨に濡れた慰安婦像が、泣いているように見えた」だの、「慰安婦のお婆さんは泣いていた」だの「お涙頂戴」フレーズが並んで・・・並んでいるだけ、だ。「自称・従軍慰安婦の損害賠償訴訟の被告」として、辛うじて日本は関わるモノの、当該判決も、最後に触れている「慰安婦財団解散」も、日本にも日本人にも関係ない話だ。従って、この【パラグラフ1】に、上掲コラムタイトルになっている設問「今日の日本は韓国人にとって何なのだろうか」に対する回答は、欠片も無い。
続く【パラグラフ2】は、一転して福島原発事故処理水の海洋放出決定の話、「福島近海で取れたソイからセシウムが検出されて出荷が停止された」って報道や、同海洋放出に対する世論調査結果やデモを揚げて、「自国民でさえ納得出来ない決定」と非難する。まあ、此処までは、一繋がりのロジックではある。
所が、行替えさえせずにこの直後に東京五輪に対する「懸念」が表明される。武漢肺炎禍と結びつける、と言うオマケ付きで。その更に直後に米国、IAEA、IOCが「日本の側に立っている」として、非難する。
まあ、此処【パラグラフ2】では、「今日の日本は韓国人にとって何なのだろうか」について、いくらか「回答している」とは言えるかも知れない。即ち「福島原発事故処理水海洋放出と、武漢肺炎禍の東京五輪開催に対する、懸念」が、記載されているから。即ち、「今日の韓国にとって日本は、福島原発事故処理水海洋放出と、武漢肺炎禍の東京五輪開催を、非難すべき相手」と、読み取ることが出来そうだ。
かなり間接的で、一読ぐらいでは全く「読み取れなかった」が。
所が、それに続く【パラグラフ3】~【パラグラフ15】は、偉く昔の歴史の話になる。何でも「日本の万葉集は、韓国語で書かれた郷歌だ」って説を唱えるチョウセンジンが居るそうで、その説を紹介し、その事例を挙げている、んだが・・・
1> 郷歌(万葉集の歌)の漢字(表記)は当時の表音文字では無く、表意文字として機能し、
2> 文字の配列は韓国語の語順に従っているとキム氏は主張します。
としているんだから、先ず「キチガイ」と思って間違いなさそうだ。何しろ万葉集には、上は天皇から下は「読み人知らず」ながら一般庶民(とされている)人まで、広範な読み手の歌を集めている。その「万葉集の歌」が「表意文字を使った、韓国語の語順に従う郷歌」であるならば、万葉集の読み手たちは尽く「(当時の)韓国語ペラペラ」でなければなるまい。そうで無ければ「郷歌」なんて歌の形式も、「韓国語の語順」も、判りようが無い/知り様がない。
更に言えば、万葉仮名は「五十音を表す五十文字」では無く、五十文字以上の漢字が使われては居るが、「表意文字として機能させるには、数が少な過ぎる」。表意文字として使うのに、万葉仮名のように「使う字数を制限する」って意味も意図も判らない。
もっと言うならば、万葉集を嚆矢とする「和歌」というスタイルは、その後続々と編纂される勅撰和歌集や、更には「純粋な表音文字」となる仮名表記によって、その後綿々と受け継がれ、引き継がれている。言い替えれば、仮に万葉集が「表意文字を使った、韓国語の語順に従う郷歌」だったとしても、「表意文字を使った、韓国語の語順に従う郷歌」は「万葉集限りで、断絶している」事になる。文明の滅亡でもあれば左様なこともあろうが、万葉集の読み手の幾人かは、今の今上天皇陛下の直接の御先祖様である当時の天皇だ。文明どころか王朝も血統も絶えること無く受け継がれているのに、「表意文字を使った、韓国語の語順に従う郷歌」は跡形も無く消滅している。そんなことが、一体どうやったら生起するのか。
上掲コラムには、「表意文字を使った、韓国語の語順に従う郷歌」の例が2例だけ記載されているが、他に一体何例あるのだろうか?万葉集ってのは全二十巻4500首以上の歌が収められているそうだ。それだけあればあれば、「表意文字を使った、韓国語の語順に従う郷歌」と解釈出来そうな歌も、幾らかあるかも知れない。だが、「万葉集は、表意文字を使った、韓国語の語順に従う郷歌だ」と主張するためには、4500首以上の歌の過半数が「左様に解釈出来る」必要があろう。
まぁた、上掲コラムに引用された万葉集歌の「表意文字を使った、韓国語の語順に従う郷歌」としての解釈っての、実に妙なのである。
有り体に言って、「沼に潮が押し寄せる」事は無い。潮の満ち引きで出来る泥濘地は「潟」とは言いそうだが、「沼」とは言わない。
また、「鹿が泣く」事も滅多に無い。「鳴く」事は実際にあるし珍しくも無いが「泣く」のは比喩的表現だけだ。表意文字を用いているのだから、「泣く」と「鳴く」は区別識別されている、筈である。
でも、まあ、極めつけは、【パラグラフ15】だろう。
3> 日本の『万葉集』が新羅郷歌と同じ方式で詠まれたということを直接解読して立証したので、この後は日本学界の研究が続くべきでしょう。
・・・つまり、「今後の検証は、日本学界に丸投げする。」って訳だ。それ以前に「直接解読して立証」に、多大な疑問符が付くのだが。万葉集全4500首以上のウチの、一体何首を「直接解読」したのか?
だが、まあ、此処は百歩どころか一億歩ほど譲って「日本の『万葉集』が新羅郷歌と同じ方式で詠まれた」ことにした、としても・・・これは、上掲コラムのタイトルになった設問「今日の日本は韓国人にとって何なのだろうか』とは、殆ど関係ない。「日本の『万葉集』は新羅郷歌と同じ方式で詠まれたのだから、今日の韓国人は日本に親近感を抱くべきだ!」って主張は一応成立しそうだが、上掲コラムが左様な主張をしているとは全然思えない。寧ろ「新羅郷歌が日本の万葉集の源流なのだから、今日の日本は韓国を敬い尊敬し傅くべきだ!」と主張しているようには、聞こえる/読める。仮にそうであっても、それはやはり、「今日の日本は韓国人にとって何なのだろうか』とは、関係ない。
で、もう最後【パラグラフ16】だ。「世界二強の中国・ロシアという大陸勢力」と「日米の海洋勢力」との対立と、その狭間の半島である韓国って「現状認識」には相応に説得力がある。
4> 私たちのあるべき位置が韓民族の未来を決定することになるのです。
って、随分な宣言も、まあ「その意気や良し」とは言い得よう。「朝鮮半島自身が、朝鮮半島の未来を決めた事って、あったっけ?」という疑問を封印したとしても、ここから辛うじて読みとれる、上掲コラムタイトル設問に関わる部分は「海洋勢力であり、米側である、日本」だけである。
「海洋勢力であり、米側である、日本」という認識そのものは、正しい。それを踏まえて「今日の日本は韓国人にとって何なのだろうか」を考えるべき、と言うのも、「正しい」と言えよう。
だが、上掲コラムは、そのような「結論」なり「回答」なりを出すこと無く、〆は「武漢肺炎ウイルスを自主開発出来ない」韓国を嘆き、どうも「日米豪印戦略対話(QUAD)体制」への参加だか擦り寄りだかを推奨している、らしい。
あ、そうか、判ったぞ!上掲コラムの【パラグラフ1】「自称・従軍慰安婦問題」と【パラグラフ2】「福島処理水海洋放出(&東京五輪)批判」は、「今日の日本」に付く「枕詞」というか「前座」というか「定冠詞」というか、「今日の日本を韓国で語る場合に避けて通れない通過儀礼としての批判非難」なんだ。日本に触れようとすると、必ずこの二点で日本を「非難しければいけない」んだ。本命・本題は【パラグラフ3】以降で、【パラグラフ1~2】は「本題とは無関係」。
【パラグラフ3】以降で、「日本の『万葉集』が新羅郷歌と同じ方式で詠まれた」ことにして、要は(最後の【パラグラフ16】)「武漢肺炎ワクチンを入手するために、日本に擦り寄れ」と主張している。が、直接的・あからさまにはそう主張できないから、上掲コラムの通りの回りくどい支離滅裂な「コラム」となった。ちょっとやそっと考えたぐらいではトンチンカンなタイトルも、そのため。そう考えると、あれこれと合点がいく。
やれやれ、どうやら「意味は通じた」ぞ。
だが、その上で、「お・こ・と・わ・り」だ。
再三繰り返している通りだ。先ずは、日韓基本条約と日韓慰安婦合意を守れ。話が出来るのはその後で、それができなければ、日韓国交は自然消滅する。自然消滅する以外に、道は無い。
「それができる」って事は、「日本に対する定冠詞」と化しているらしい、上掲コラム【パラグラフ1】を、完全否定することであるのも、忘れるなよ。
言い替えれば、上掲コラム【パラグラフ1】が「日本に対する定冠詞」である限り、「日韓国交再開は無い」と言うことだ。
無論、上掲コラム【パラグラフ2】が「日本に対する定冠詞」である事も、少なくとも「日韓友好」には、妨げになるぞ。