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本末転倒とは、このことか。-【東京社説】海外客見送り 五輪何のため、説明を
そもそも「五輪とは、何のために行うのか?」という問題意識を持って、以下の東京社説を読んで頂きたい。私(ZERO)の自説は、その後に。
【東京社説】海外客見送り 五輪何のため、説明を
海外客見送り 五輪何のため、説明を
2021年3月23日 08時03分
東京五輪・パラリンピックの新型コロナ対策として、海外からの観客受け入れ断念が決まった。経済効果は薄れ、世界の多様な人々との交流の機会も減る。何のための開催か、説明を求めたい。
海外からの観客受け入れの見送りは日本政府が主導し、東京都、大会組織委員会、国際オリンピック委員会(IOC)などとの五者協議で合意した。
最大の理由は新型コロナウイルス変異株への懸念である。世界保健機関(WHO)が危険視する英国など由来の株は従来型より感染力が強かったり、ワクチン効果が減ったりする懸念がある。
国として厳しい水際対策に取り組む中、大会の観客だけを特別扱いにできず、入国見送りはやむを得ない。ただ、影響は甚大だ。
海外からの観客は百万人とみられ、経済損失は宿泊や飲食などを中心に二千億円を超えるとの試算もある。地方も含め、特需を見込んで設備投資を進めたところは多く、落胆は大きいだろう。
大規模な異文化交流の機会が失われることにもなる。外国人の案内を楽しみにしていたボランティアの意欲低下につながらないか。
日本社会全体にとっても、価値観の異なる人々とのコミュニケーションが、国際化や活性化のカギになり得ただけに、残念だ。
開幕四カ月前になってようやく固まった大会の形は、当初の期待とは大きく異なる。大会の恩恵や付加価値、得られると思っていた果実が次々にしぼみ、「何のために開催するのか」と、多くの人が疑問に思うだろう。
大会は「スポーツには世界と未来を変える力がある」をビジョンに掲げ、政府や都、組織委の幹部らは「復興五輪」「コロナに打ち勝った証し」などと時流に合わせて美辞麗句を振りまいてきた。
しかし、東日本大震災の被災地では人口減少が続き、事故原発の廃炉作業も遅れている。新型コロナの克服も道半ばだ。
一兆六千億円もの巨費を投じる大会だ。政府や都、組織委は、開催の意義を国内外にあらためて説明する必要がある。
二十五日には聖火リレーが福島県から始まるが、大会開催へのハードルは依然として高い。
政府が昨年十二月に打ち出した大会の感染防止対策は、変異株への懸念によって更新を迫られよう。「感染第四波」の恐れがある中、多くの選手、国内の観客が安心できる、より実効性のある対策を講じることが急務だ。
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五輪の本質は「競技」にあって、「観戦」にはなかろう。
世界中から選手が来て、競技が出来れば、それで五輪だ。現代の技術を以てすれば、競泳やマラソンなどは「リモート競技」とすることが出来そうだが、その場で並走/並泳することにも、「風等の条件を揃える」以上の意味/意義はあろう。況んやレスリングなどの「相手に対して勝敗を決する競技」は、現代技術を以てしても「リモート競技」は不可能だ。
その「リモートではない競技会場」が、喩え無観客であり、更には中継も報道も実施されなかったとしても、それはやはり五輪だろう。国際競技大会こそが、五輪の本質であり、観戦も観客も、その本質からすれば些事である。
であるならば、「海外客見送り」は、何ら「五輪の本質を損ねる」モノでは無い。上掲社説タイトルにある「五輪何のため」等という疑問は、愚問というモノだ。
1> 当初の期待とは大きく異なる。
2> 大会の恩恵や付加価値、得られると思っていた果実が次々にしぼみ、3> 「何のために開催するのか」と、多くの人が疑問に思うだろう。
等と上掲東京社説は「煽る」が、観客が減ったり居なくなったりしたぐらいで萎んでしまう「大会の恩恵や付加価値、得られると思っていた果実」なるモノは、元々「五輪の本質」ではなかろう。それに対して「何のために開催するのか」との疑問は、私(ZERO)に言わせれば「公言することさえ恥ずかしいぐらいの愚痴」であろう。
有り体に言って、左様な「疑問」の大半は、「五輪で儲け損なった/儲け損ないそうだ。」でしかない。国際交流だの文化交流だの「儲け」以外の「恩恵や付加価値」も、そりゃ期待されたこと、ではあろうが、五輪そのものからすれば、それは「オマケ」だろうが。
で、喩え無観客・無中継・無法道の「秘密五輪」であっても、「スポーツには世界と未来を変える力がある」「復興五輪」「コロナに打ち勝った証し」、何れの「美辞麗句」に対しても、一定の成果は挙げておろうが。
更には、「説明を」って、日本政府、東京都、五輪組織委員に、一体何を「説明しろ」と要求しているのか?「なぜ海外客見送りにしたのか?」ならば、「武漢肺炎禍」の一言でお終いだ。「当初の期待とは大きく異なる」事に対して、何の「説明」が要るんだ?
左様な「説明要求」は、端的に言えばイチャモンであり、ひょっとすると強請りタカリですらありそうである。で、これが、東京新聞の新聞社としての公式公的な主張である、社説である。
そりゃ、東京新聞が標榜する、脱原発原理主義よりは、マシな社説ではあるけどね。