「学問の自由を脅かす!」は、どうしたんだ?ー学術会議人事を巡る各紙社説の推移
先行記事「「学問の自由を脅かす」とは、片腹痛いー学術会議人事を巡る各紙社説のトンチンカン https://ameblo.jp/zero21tiger/entry-12630873289.html 」に於いて私(ZERO)は、「アカ新聞各紙社説のトンチンカンと大間抜けぶりを揶揄した」のだが、その後の推移もまた「実に興味深い」モノがあるようだ。
以下はその社説タイトルで、例によって丸数字で新聞社を表した掲載順のタイトル。丸数字の後のアルファベットは、後述する各紙主張の「状態」を示している。
- ①【朝日社説】学術会議人事 学問の自由 脅かす暴挙
- ①A【朝日社説】学術会議人事 説得力ない首相の説明
- ①B【朝日社説】学術会議問題 論点すり替え 目に余る
- ①E【朝日社説】学術会議問題 首相は説明責任果たせ
- ②【毎日社説】学術会議6氏任命せず 看過できない政治介入だ
- ②A【毎日社説】学術会議を巡る首相発言 これでは説明にならない
- ②E【毎日社説】学術会議人事と管首相 理由示せないなら撤回を
- ②E2【毎日社説】学術会議の「名簿見ず」誰が6人を除外したのか
- ②B【毎日社説】学術会議の行革論議 意図的な問題すり替えだ
- ③【東京社説】学術会議人事 任命拒否の撤回求める
- ③A【東京社説】学術会議問題 説明拒む政府の不誠実
- ③C【東京社説】学術会議改革 強権的手法許されぬ
- ③E【東京社説】学術会議人事 誰が6人を外したのか
- ④【琉球新報社説】学術会議に政治介入 学問の自由否定する暴挙
- ④C【琉球新報社説】学術会議介入問題 独裁への道を危惧する
- ⑤【沖縄タイムス社説】[学術会議任命拒否]学問の自由脅かす圧力
- ⑤D【沖縄タイムス社説】[学術会議人事介入]任命権乱用の疑義深く
- ⑤A【沖縄タイムス社説】社説[学術会議「推薦簿見ず」]首相の説明 矛盾だらけ
「学問の自由が侵されるぅぅぅぅ!」から始まって・・・
上掲社説、殊に社説タイトルに端的に表れている通り、各紙社説は以下の<状態#>に在るように思われる。
- <状態0> 学問の自由が侵されるぅぅぅぅ! (原点・スタート地点)
- <状態A> 管(すが)総理の説明は納得できないぞぉ!
- <状態B> 管(すが)総理は論点をすり替えて居るぅ!
- <状態C> 独裁への道だぁ!
- <状態D> 任命権乱用の疑いがあるぅ!
- <状態E> 任命拒否理由を説明しろぉ!
言うまでもなかろうが、上掲<状態#>の「#」は、上掲した各紙社説の丸数字の後に添え字として表記している。例えば上掲①朝日社説が<状態0>⇒<状態A>⇒<状態B>⇒<状態E>と、「順当に推移」している(まあ、<状態A>⇒<状態B>間の変化は、微少なモノであるが。)のに対し、上掲②毎日社説は<状態0>⇒<状態A>⇒<状態E>、上掲③東京社説が<状態0>⇒<状態A>⇒<状態C>と、「分裂した」形。まあ、<状態B><状態E>とも、<状態A>の「亜流」と言えそうなぐらいに類似しているから、基本的には①朝日②毎日の全国紙二紙は<状態E>に収斂収束した形だ。
これに対して沖縄二紙は、上掲④琉球新報が<状態0>⇒<状態C>で、これは上掲③東京新聞の「ショートカットコース」と言えそうな一方、上掲⑤沖縄タイムスは<状態0>⇒<状態D>であり、どちらも上掲①朝日および②毎日とは異なる方向に批判の矛先を向けている、様だ。
が、当初の<状態0>「学問の自由が侵されるぅぅぅぅ!」を「順当に継承している」のは、実は上掲③東京新聞と上掲④琉球新報の<状態C>「独裁への道だぁ!」であり、上掲⑤沖縄タイムスの<状態D>「任命権乱用の疑いがあるぅ!」が、これに準じている。
これに対し、上掲①朝日および②毎日の<状態E>「任命拒否の理由を説明しろぉ!」は、当初の<状態0>「学問の自由が侵されるぅぅぅぅ!」に対し、矛盾こそ免れているモノの、相当に「別の方向からの非難」になっているのである・・・こう言うのを、普通は「論点ずらし」とか「論点のすり替え」と言う、と思うのだが、なぜか朝日社説の<状態B>は「管(すが)総理は論点をすり替えているぅ!である。まあ、ある種の「自白」なんだろうな。
ああ、言い訳というか、アリバイづくりに抜かりはないらしいな。上掲①B朝日社説煮ては、
①B1> 加藤官房長官らは、学術会議の会員でなくても自由に研究はできるとして
①B2> 「今回の対応は学問の自由の侵害には当たらない」と繰り返す。
①B3> だが研究を踏まえて発表した内容や発言が政権の意に沿わず、不利な人事につながったのは疑いようがない。
①B4> これでは学者は萎縮し、学問の発展は期待できなくなる。
などと、堂々と「抜かして」やぁがる。
「学術会議への任命拒否」を以て「不利な人事であり、学者は萎縮し、学問の発展は期待できなくなる。」と断定できるならば、「大凡ありとあらゆる否定的評価は、”学者は萎縮し、学問の発展は期待できなくなる。”と非難し、拒絶することが出来る」だろう。それも、「学問の自由」成る、御大層な美名の下に、だ。
何しろ「学者の萎縮」と言う、極めて恣意的な判定基準なのだから、な。
更に言えば、先行記事にもした通り、日本学術会議は実に三回にわたって「軍事目的の科学研究を行わない」とする声明を出し、「軍事目的の科学研究を行う自由」を否定し、阻害しているのだから、呆れる他ないな。
それ故に、なのだろう。上掲の通り上掲④⑤沖縄二紙及び上掲③東京新聞が「学問の自由が侵されるぅぅぅ!」路線を(まだ)踏襲継承しているのに対し、上掲①朝日及び上掲②毎日が<状態E>「任命拒否理由を説明しろぉ!」路線へと「論点すり替え」を実施しているのは。「説明責任」ならば、「納得しない」事で、幾らでも如何様にでも引き延ばすことが出来る。相手が根負けして「自白」するまで、「疑惑はさらに深まったぁぁぁあ!」と言い続ければ良い。モリカケ桜でお馴染みの「野党の与党攻撃パターン」だ。
まあ、それを国会で国会議員が実施・実行しているよりは、上掲の通り新聞が社説でやっている方が、「幾らかマシ」とは思えるがね。
だが、左様な「論点ずらし」の政府「説明責任追及」は、少なくとも私(ZERO)には通用しないぞ。
「首相の説明不足/説明矛盾」と「学問の自由侵害」とは、全く別の問題ではないか?
単純な話。「管(すが)総理が十分な筋道だった説明を、今般の学術会議推薦拒否に対して実施した」ならば、「学問の自由侵害には該当しない」とする状態/状況があり得る、と言うならば、それは、「学問の自由侵害に当たらない」学術会議推薦拒否理由なるモノが「あり得る」と言うことである。これを言い換えれば、「理由によっては、学術会議推薦拒否は、学問の自由侵害にならない。」と言うことであり、左様に認めている/認識しているからこその<状態E>「任命拒否理由を説明しろぉ!」である。
即ち、上掲①朝日、②毎日、⑤琉球新報、各紙の社説の推移は、「学術会議推薦拒否 = 学問の自由侵害」と上掲五紙全てが挙って掲げていた主張が、崩壊したことを意味している。
まあ、私(ZERO)に言わせれば「ハナから自明」と言う処。先行記事「「学問の自由を脅かす」とは、片腹痛い」とした通りにね。
で、だ。<状態0>「学問の自由が侵されるぅぅぅぅ!」からスタートして、<状態E>「任命拒否理由を説明しろぉ!」に至っている現状は、当初随分大仰に振りかぶっていただけに、随分とみっともなくも情けない状態だと思うんだが、どうかね。
ああ、未だ<状態0>「学問の自由が侵されるぅぅぅ!」に踏みとどまっているらしい、上掲③東京新聞や④琉球新報には「無関係な話」ではあるけどな。
「心、此処にあらざれば、見るとも見えず。」と言う奴だな。以て他山の石としよう。
①【朝日社説】学術会議人事 学問の自由 脅かす暴挙
学術会議人事 学問の自由 脅かす暴挙
https://www.asahi.com/articles/DA3S14644624.html?iref=pc_rensai_long_16_article
2020年10月3日 5時00分
法の趣旨をねじ曲げ、人事権を恣意(しい)的に行使することによって、独立・中立性が求められる組織を自由に操ろうとする。安倍前政権と同じことを、菅政権もしようというのか。
「学者の国会」といわれる日本学術会議の新会員について、菅首相は、同会議が法律に基づき「優れた研究・業績がある」として推薦した候補者105人のうち、6人の任命を拒んだ。過去に例のない暴挙で、到底見過ごすことはできない。
科学が戦争に利用された戦前の教訓を踏まえて1949年に設立された同会議は、科学に関する政策提言や国内外の科学者との連携、世論の啓発などの役割を負う。政府内の組織だが、独立して職務を行う「特別の機関」との位置づけだ。
文系理系を問わず、国民生活に関わる様々な問題について報告書などを公表してきたほか、発足翌年の50年と67年には「軍事目的の科学研究を行わない」とする声明を出し、3年前にも継承する見解をまとめた。前会長の山極寿一(やまぎわじゅいち)京大前総長、新会長でノーベル賞受賞者の梶田隆章東大教授らが、政権の科学技術政策に批判的な姿勢を示したこともあり、自民党内には根強い批判や不満があるという。
今回なぜ6人の任命を拒んだのか、政府は理由を明らかにしていない。加藤官房長官は「人事についてはコメントを差し控える」と言うだけだ。
6人は濃淡の差はあれ、安倍政権が推進した安保法制や「共謀罪」法、改憲の動きなどに疑義を呈してきた。その任命を拒否することで、他の研究者、さらには学術会議の今後の動きを牽制(けんせい)しようとしているのではないかとの見方が広がる。
このままでは学者が萎縮し、自由な研究や発信ができなくなるおそれがある。今回の措置に対し、「学問の自由を保障する憲法に反する行為」との声があがるのも当然だ。
そもそも政府は83年に国会で、首相の意向によって会員の任命を左右することは考えていない旨の答弁をしている。その後の法改正で手続きに一部変更はあったが、国家は学問に干渉しないという理念は不変のはずだ。菅首相は直ちに、自らの誤った判断を撤回すべきである。
人事を通して霞が関を抑え込む前政権の手法は、忖度(そんたく)をはびこらせ、倫理を崩壊させ、この国の民主主義を深く傷つけた。「政権の方向性に反対する官僚は異動」と公言する菅首相の下で、その矛先が研究者にも向かってきているように見える。
健全な批判精神は学問の深化に不可欠であり、それを失った社会に発展は望めない。首相はそのことに気づくべきだ。
①A【朝日社説】学術会議人事 説得力ない首相の説明
学術会議人事 説得力ない首相の説明
https://www.asahi.com/articles/DA3S14647852.html?iref=pc_rensai_long_16_article
2020年10月6日 5時00分
前例踏襲を見直す――。そういえば何でも通用すると思っているのか。官房長官時代にみせた、説明を嫌い、結論は正当だとただ繰り返す姿勢は、首相になっても変わらないようだ。
日本学術会議が推薦した会員候補者6人の任命を拒否した問題をめぐり、菅首相は「そのまま任命してきた前例を踏襲してよいのか考えた」「総合的、俯瞰(ふかん)的活動を確保する観点から判断した」と述べた。総合、俯瞰などもっともらしい言葉が並ぶが、6人の拒否がそれとどう結びつくのか全く分からない。
法律は会員について、「学術会議の推薦に基づいて首相が任命する」と明記している。この規定が設けられた当時の中曽根康弘首相は「政府が行うのは形式的任命にすぎない」と国会で説明し、所管大臣も「推薦された者をそのまま会員として任命する」と答弁していた。
会員人事に政府が介入すれば会議の独立性・自主性が危うくなり、ひいては学問の自由が脅かされる。そんな懸念にこたえて、政府が国民の代表と交わした重い約束である。
その約束が簡単にほごにされた。前例や慣行にはそれを生みだし、存続させてきた相応の理由がある。変更すべきだと考えるのなら、正面から提起し、広範な議論に付すのが、当然とるべき手続きではないか。
しかもこの法律の理念を踏みにじる行為は、安倍政権の頃にも事実上行われていたことが分かってきた。沈黙していた学術会議側の対応も問われるが、何より政府はここに至る経緯を明確に説明しなければならない。
逸脱はいつから、どんな理由で始まったのか。推薦された人を「必ず任命する義務はない」とする文書を内閣府が18年に作成し、内閣法制局に示して了承を得たというが、なぜそうする必要があったのか。その際、過去の国会答弁についていかなる検討がなされたのか。
6人の任命を拒否した理由もはっきりさせることが求められる。研究・業績に問題があると判断したのなら、専門家でない政府がどうやって評価したのか。それとも、6人が政府に批判的な言動をしたことをやはり問題視したのか。
首相は「個別の人事へのコメントは控える」というが、今回の対応について人事の秘密に逃げこむことは許されない。説明を裏づけ、判断過程を検証できる文書をあわせて提示する必要があるのは言うまでもない。
7、8両日には衆参両院の内閣委員会で閉会中審査がある。国会と政府の関係、憲法が保障する学問の自由に関わる重大な問題だ。首相が出席して議員の質問に答えるべきだ。
①B【朝日社説】学術会議問題 論点すり替え 目に余る
学術会議問題 論点すり替え 目に余る
https://www.asahi.com/articles/DA3S14651912.html?iref=pc_rensai_long_16_article
2020年10月9日 5時00分
自分たちの行いについて説得力のある説明ができないことの表れだ。政府・自民党が論点のすり替えに躍起になっている。
日本学術会議の会員候補者6人の任命が菅首相に拒否された問題である。
記者に理由を問われた首相はそれには答えず、省庁再編時に同会議の「必要性」が議論されたことを持ち出した。これに呼応する形で自民党の下村博文政調会長も、組織の形態や役割を検討するプロジェクトチームを設ける方針を示した。
政府は、「学術会議から推薦された者は拒否しない」という過去の国会答弁に明らかに反することをしながら、理由を説明せず、答弁と齟齬(そご)はないと言い張ってきた。だがそれでは分が悪いとみて、学術会議の側に非があるという「印象操作」に走っているように見える。
しかも菅首相らの発言内容には誇張や歪曲(わいきょく)が多い。
たとえば首相は「会員が自分の後任を指名することも可能な仕組みだ」と、仲間内でポストを回し合っているように言う。だが実際は、新会員を推薦する際には性別や年齢、地域性などに配慮するようにしており、政府の有識者会議も5年前の報告書で「構成に大幅な改善が見られた」と評価している。
下村氏は「会議は07年以降、答申を出していない」と批判する。これも、政府が諮問していないのだから、答申が出ないのは当たり前だ。
一方で会議は、広く社会に向けた発信を活発に行ってきた。今年だけでも教育のデジタル化や移植・再生医療、プラごみ対策など83本の提言や報告をまとめ、公表している。運営経費を除く年間5億円の予算は、こうした見解をまとめる会議に出席する際の日当や国内外の旅費などに使われている。
むろん現在の組織運営や活動に改めるべき点がないわけではない。絶えざる検証と運用見直しは必要だが、それと今回の任命拒否とは全く別の話だ。
学問の自由をめぐるミスリードも人々を惑わせる。
加藤官房長官らは、学術会議の会員でなくても自由に研究はできるとして「今回の対応は学問の自由の侵害に当たらない」と繰り返す。だが研究を踏まえて発表した内容や発言が政権の意に沿わず、不利な人事につながったのは疑いようがない。これでは学者は萎縮し、学問の発展は期待できなくなる。
科学と社会・政治の関係はどうあるべきか。この重要で今日的な議論を深めることに異論はない。そのために、まず任命拒否という誤った措置を撤回し、議論できる環境を整える。首相は直ちに実行に移すべきだ。
☆①E【朝日社説】学術会議問題 首相は説明責任果たせ
学術会議問題 首相は説明責任果たせ
https://www.asahi.com/articles/DA3S14655642.html?iref=pc_rensai_long_16_article
2020年10月13日 5時00分
あまりに無責任な対応だ。日本学術会議の会員人事をめぐる問題で、菅首相は同会議から提出された105人の推薦者名簿を「見ていない」と述べた。目にしたのは、任命した99人のリストだけだという。
6人を拒否したのは任命権者である菅首相自身の判断だというのが、政府側の一貫した説明だった。「公務員の選定や罷免(ひめん)は国民固有の権利である」と定める憲法15条を持ちだし、首相は主権者である国民に責任を負わねばならない、だから首相に会議の推薦どおりに任命する義務はない――と言ってきた。
ところが、元のリストを首相は見ていないという。では誰が6人を除外したのか、という当然の疑問が浮上する。
加藤官房長官はきのうの会見で「決裁までの間に、首相には今回の任命の考え方について説明が行われている」と述べ、問題はないとの認識を示した。
「考え方」とは何か。それを踏まえて、いつ、どの部署の人間が、どんな権限で、いかなる資料をもとに6人を不適としたのか。首相にはどういう説明がなされ、首相はどんな検討をして、それを了としたのか。
「国民に対する首相の責任」を言う以上は、一連の経緯をつまびらかにする必要がある。加藤長官は「詳細は控える」と、例によって「人事の秘密」に逃げ込む構えだが、学術会議も当の学者たちも任命拒否の理由を明らかにするよう求めている。政府の明確な説明なくして、国民の疑念が晴れることはない。
何か答えるたびに新たな問題が生じ、ほころびが露呈する。安倍政権の森友・加計疑惑や桜を見る会と同じような展開になっている。人事を通して組織を操ろうという思惑が見え隠れする点では、東京高検検事長の定年延長問題を想起させる。
定年に達した後も現職にとどめる異例の閣議決定をし、過去の国会答弁に反すると指摘されると「今般、法解釈を変えた」と開き直る。そうした不誠実な対応の積み重ねが多くの人の不信と怒りを招いた。
検察が政治からの独立を求められるのと同様、学術会議もまた、政府からの独立・中立が組織を根底で支えてきた。
政府自らが設けた有識者会議も5年前の報告書で、学術会議が科学者の自律的な集団であることに存在意義を認め、「政府の諸機関との役割の違いを明確にし、あくまで学術的な観点からの見解を政府に提示するのが役割」と述べている。
首相は報告書にある「俯瞰(ふかん)的」という言葉を、任命拒否を正当化する理屈にしようと躍起だが、読みとるべきは報告書を貫くこの基本的な考えである。
②【毎日社説】学術会議6氏任命せず 看過できない政治介入だ
学術会議6氏任命せず 看過できない政治介入だ
https://mainichi.jp/articles/20201003/ddm/005/070/108000c
毎日新聞2020年10月3日 東京朝刊
学術会議任命拒否
朝刊政治面
学問の自由を脅かす、重大な政治介入である。
日本学術会議の会員改選で、推薦された候補者105人のうち6人を、菅義偉首相が任命しなかった。1949年の会議創設以来、極めて異例の事態だ。
6人はいずれも人文・社会科学の専門家だ。安全保障法制や「共謀罪」創設など、安倍晋三前政権の重要法案について批判的な意見を述べたという共通点がある。
過去の発言に基づいて意に沿わない学者を人事で排除する意図があったとすれば、憲法23条が保障する「学問の自由」を侵害しかねない。首相は今回の措置を撤回すべきだ。
学術会議は、優れた研究や業績のある科学者で構成される。全国87万人の研究者の代表機関であり、「学者の国会」とも呼ばれる。活動費は公費で賄われるが、日本学術会議法にその独立性が明記されている。
脅かされる学問の自由
会員を改選する際は、学術会議が候補を選び、推薦に基づいて首相が任命するというルールが定められている。政府は従来、改選時には推薦の通りに任命してきた。
学問の自由と自治を尊重するという思想に基づく。選考方法が選挙制から推薦制に変わった83年には、国会で学術会議の独立性について問われ、大臣は「任命行為は形式的なもので、推薦された者をそのまま任命する」と答弁した。
ところが今回、加藤勝信官房長官は「任命する立場に立って精査していくのは当然」と説明した。これは過去の国会答弁と矛盾する。法解釈を変えたのなら、経緯を国会で説明すべきだ。
学術会議は、任命しなかった理由をただす一方、6人を改めて任命するよう求めることを決めた。政府はきちんと回答しなければならない。
先の戦争で、多くの科学者が政府に協力させられた。軍部が湯川秀樹ら物理学者に原爆開発を命じたことは広く知られる。思想統制を進める上で障害となる学者は排除した。京都大の法学者が弾圧された滝川事件や、「天皇機関説」を唱える学者が不敬罪で告発された事件がその典型だ。
こうした反省に立って、学術会議は作られた。あらゆる分野の専門家が立場を超えて集い、政府への勧告などを行ってきた。
ノーベル賞受賞者の朝永振一郎が会長だった67年には、軍事研究に関与しないとの声明を出した。50年後の2017年にも、軍事転用が可能な研究への関与に慎重な姿勢を改めて示した。
政府は科学技術振興を国の成長戦略の柱と位置づける。一環として防衛装備庁は、軍事転用が可能なロボット技術研究などを支援する制度を創設した。だが、学術会議の声明の影響もあって、応募は思うように増えていない。
政府が今後、人事権を突破口に自然科学へも介入を始める可能性は否定できない。国立大の学長人事にも影響が及びかねないとの懸念が出ている。
危険な人事統制の拡大
安倍前政権は、内閣人事局を通して中央省庁幹部の人事を一元管理し、官僚統制を強めた。政権の意に沿う者だけが重用され、異論を唱えれば冷遇される。そんな空気に官僚は萎縮し、政と官の関係はゆがんだ。その中心にいたのが官房長官だった菅氏である。
象徴的なのは、内閣法制局長官の人事だ。集団的自衛権の行使を容認する憲法解釈変更に備え、内部昇格の慣例を破って外務省出身の容認派をトップに据えた。
検察庁の人事でも、「首相官邸に近い」と目された元東京高検検事長の定年を、法解釈を変えて延長した。
通底するのは「私たちは選挙で選ばれている」という、前政権から続く意識だ。選挙で勝てば全て白紙委任されているとの発想につながっている。だが、権力は本来、抑制的に行使すべきものだ。
菅首相は、政権の決めた政策に反対する官僚は「異動してもらう」と明言し、都合の良い人物を要職に就けることで政策を進めようとしている。
既に、強引な手法の弊害が明らかになっている中、学術界にもそれを持ち込もうとするなら看過できない。
科学は文化国家の基盤だ。異論や反論を排除しない自由な環境から科学は発展する。そうした環境が損なわれるようでは、日本の未来はない。
②A【毎日社説】学術会議を巡る首相発言 これでは説明にならない
学術会議巡る首相発言 これでは説明にならない
毎日新聞2020年10月7日 東京朝刊
これでは国民の納得は得られないだろう。
日本学術会議の新会員候補6人を任命しなかったことについて、菅義偉首相が内閣記者会のインタビューで答えた。だが「総合的、俯瞰(ふかん)的な活動を確保する観点から判断した」と語るだけで、具体的な理由は明らかにしなかった。
6人は、学術会議が「優れた研究または業績がある科学者」として推薦した。安全保障法制や「共謀罪」創設など安倍晋三前政権の重要法案に批判的だったが、首相は「(それは)全く関係ない」と述べた。そうであるなら、理由や基準を明確に説明すべきだ。
学術会議は設置法で「独立して職務を行う」と規定されている。政府が従来、会員候補を推薦通り任命してきたのは、人事に介入すれば独立性が脅かされるからだ。1983年に中曽根康弘首相は「政府が行うのは形式的な任命にすぎない」と答弁した。
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ところが、菅首相は「前例を踏襲してよいのか考えてきた」と語った。「前例踏襲の打破」というスローガンだけでは、歴代政権が維持してきた方針を覆す理由にはならない。
任命拒否を可能にする手続きは、前政権時代から進んでいた。政府は2年前に「推薦の通り任命すべき義務があるとまでは言えない」との見解をまとめ、首相が一定の監督権を行使できると内部文書に記していた。
内閣法制局は「法解釈の変更ではない」と説明する。だが、任命を「形式的」とした過去の国会答弁とどう整合性がとれるのか。
首相は、政府が年間約10億円の予算を支出していることや、会員が特別職の国家公務員になることを人事権行使の理由にしている。しかし、学術会議は一般の省庁とは異なる。予算や身分の問題と、任命権の話は別だ。
常識や既成概念を疑い、批判精神を持つことは、学問の基本だ。
首相は「学問の自由とは全く関係ない」と言うが、学術会議の独立性が脅かされれば、政府の政策を批判する研究を避ける風潮につながる。ひいては学問の萎縮を生みかねない大問題だ。
きょうとあす、衆参両院で内閣委員会が開かれる。首相は出席し、自ら説明すべきだ。
②E【毎日社説】学術会議人事と管首相 理由示せないなら撤回を
学術会議6氏任命せず 看過できない政治介入だ
https://mainichi.jp/articles/20201003/ddm/005/070/108000c
毎日新聞2020年10月3日 東京朝刊
学術会議任命拒否
朝刊政治面
学問の自由を脅かす、重大な政治介入である。
日本学術会議の会員改選で、推薦された候補者105人のうち6人を、菅義偉首相が任命しなかった。1949年の会議創設以来、極めて異例の事態だ。
6人はいずれも人文・社会科学の専門家だ。安全保障法制や「共謀罪」創設など、安倍晋三前政権の重要法案について批判的な意見を述べたという共通点がある。
過去の発言に基づいて意に沿わない学者を人事で排除する意図があったとすれば、憲法23条が保障する「学問の自由」を侵害しかねない。首相は今回の措置を撤回すべきだ。
学術会議は、優れた研究や業績のある科学者で構成される。全国87万人の研究者の代表機関であり、「学者の国会」とも呼ばれる。活動費は公費で賄われるが、日本学術会議法にその独立性が明記されている。
脅かされる学問の自由
会員を改選する際は、学術会議が候補を選び、推薦に基づいて首相が任命するというルールが定められている。政府は従来、改選時には推薦の通りに任命してきた。
学問の自由と自治を尊重するという思想に基づく。選考方法が選挙制から推薦制に変わった83年には、国会で学術会議の独立性について問われ、大臣は「任命行為は形式的なもので、推薦された者をそのまま任命する」と答弁した。
ところが今回、加藤勝信官房長官は「任命する立場に立って精査していくのは当然」と説明した。これは過去の国会答弁と矛盾する。法解釈を変えたのなら、経緯を国会で説明すべきだ。
学術会議は、任命しなかった理由をただす一方、6人を改めて任命するよう求めることを決めた。政府はきちんと回答しなければならない。
先の戦争で、多くの科学者が政府に協力させられた。軍部が湯川秀樹ら物理学者に原爆開発を命じたことは広く知られる。思想統制を進める上で障害となる学者は排除した。京都大の法学者が弾圧された滝川事件や、「天皇機関説」を唱える学者が不敬罪で告発された事件がその典型だ。
こうした反省に立って、学術会議は作られた。あらゆる分野の専門家が立場を超えて集い、政府への勧告などを行ってきた。
ノーベル賞受賞者の朝永振一郎が会長だった67年には、軍事研究に関与しないとの声明を出した。50年後の2017年にも、軍事転用が可能な研究への関与に慎重な姿勢を改めて示した。
政府は科学技術振興を国の成長戦略の柱と位置づける。一環として防衛装備庁は、軍事転用が可能なロボット技術研究などを支援する制度を創設した。だが、学術会議の声明の影響もあって、応募は思うように増えていない。
政府が今後、人事権を突破口に自然科学へも介入を始める可能性は否定できない。国立大の学長人事にも影響が及びかねないとの懸念が出ている。
危険な人事統制の拡大
安倍前政権は、内閣人事局を通して中央省庁幹部の人事を一元管理し、官僚統制を強めた。政権の意に沿う者だけが重用され、異論を唱えれば冷遇される。そんな空気に官僚は萎縮し、政と官の関係はゆがんだ。その中心にいたのが官房長官だった菅氏である。
象徴的なのは、内閣法制局長官の人事だ。集団的自衛権の行使を容認する憲法解釈変更に備え、内部昇格の慣例を破って外務省出身の容認派をトップに据えた。
検察庁の人事でも、「首相官邸に近い」と目された元東京高検検事長の定年を、法解釈を変えて延長した。
通底するのは「私たちは選挙で選ばれている」という、前政権から続く意識だ。選挙で勝てば全て白紙委任されているとの発想につながっている。だが、権力は本来、抑制的に行使すべきものだ。
菅首相は、政権の決めた政策に反対する官僚は「異動してもらう」と明言し、都合の良い人物を要職に就けることで政策を進めようとしている。
既に、強引な手法の弊害が明らかになっている中、学術界にもそれを持ち込もうとするなら看過できない。
科学は文化国家の基盤だ。異論や反論を排除しない自由な環境から科学は発展する。そうした環境が損なわれるようでは、日本の未来はない。
②E2【毎日社説】学術会議の「名簿見ず」誰が6人を除外したのか
https://mainichi.jp/articles/20201013/ddm/005/070/116000c
毎日新聞2020年10月13日 東京朝刊
日本学術会議の会員候補のうち6人が任命されなかった問題で、菅義偉首相の発言に新たな批判が出ている。
自分が決裁したのは99人の会員候補のリストであり、除外した6人を含む計105人の推薦者名簿は「見ていない」と毎日新聞などのインタビューで語った。6人を除外したのは自分ではなく、はじめから99人のリストだったと言いたかったのだろうか。
確かに、首相の押印がある決裁文書は99人のリストだ。しかし、学術会議は105人の名簿を内閣府に提出している。
首相が学術会議からの推薦者名簿を見ていないとすれば、「総合的、俯瞰(ふかん)的な活動を確保する観点から判断した」というこれまでの発言と矛盾する。
首相は学術会議人事への介入を始めた安倍晋三前政権の中枢にいた。前首相から引き継ぎはなかったというのも不自然だ。
では、6人を任命しないという判断を誰がしたのか。
日本学術会議法は、会員を「会議の推薦に基づいて首相が任命する」と定めている。任命権は首相にしかない。
名簿が首相に届くまでに、内閣府や内閣官房が削除したのであれば、会員候補を選考する学術会議の権利を損なうものだ。学術会議の推薦名簿に基づかずに首相が任命したのであれば、学術会議法に違反する可能性もある。
加藤勝信官房長官はきのう、決裁文書には参考資料として105人の名簿も添付されていたが、首相は詳しく見ていなかったという意味だと説明した。
資料を詳しく見ることなく、首相が言う「広い視野に立ってバランスの取れた活動」ができるのかを見極められるのだろうか。
決裁までの間に、首相は今回の任命の考え方について説明を受けているので問題はない、との認識を加藤氏は示している。そうであるならば、どのような考え方が説明されたのか。
政府の説明はつじつま合わせに終始しており、疑問が次々と生まれている。
問題の核心はなぜ6人を任命しなかったのかだ。いつ、どんな理由で決まったのか。首相は国民に説明する責務がある
②B【毎日社説】学術会議の行革論議 意図的な問題すり替えだ
https://mainichi.jp/articles/20201014/ddm/005/070/111000c
毎日新聞2020年10月14日 東京朝刊
日本学術会議を行政改革の対象と位置づけ、あり方を見直す論議を政府や自民党が提起している。会員候補のうち6人を菅義偉首相が任命しなかった問題をすり替えようとするものだ。
首相は年間約10億円の国費が投じられているので会議のあり方を検証するのは当然だと主張する。
しかし、予算の約4割は事務局職員50人の人件費だ。会員には、総会や分科会の際に旅費・交通費の実費と日額2万円弱の手当が支払われるが、固定給はない。
自民党の下村博文政調会長は、会議からの答申が近年なく、「活動が見えない」と批判する。だが、答申を出していないのは政府の諮問がないからだ。政策提言は今年だけで68件出している。
インターネット上では、学術会議が中国による科学者招請事業「千人計画」を通して中国の軍事研究に協力しているという言説も流れている。
自民党の甘利明税調会長のブログが発端だ。学術会議が千人計画に「積極的に協力している」と記した。甘利氏は「間接的に協力しているように映ります」と修正したが、修正前の情報を基にした学術会議批判が拡散している。
任命拒否への批判をかわし、学術会議に圧力をかける姑息(こそく)なやり方だ。呼応するように、政界以外からも事実に基づかない批判や「印象操作」とも受け取れる発言が相次いでいる。
民放の解説委員は「会員OBは死ぬまで250万円の年金をもらえる」と発言し、橋下徹元大阪府知事は米国や英国の学術団体には「税金は投入されていない」とツイッターに投稿した。
いずれも間違いだが、発信力のある人物の発言だけに見過ごすことはできない。誤った情報を基に、学者をおとしめるような風潮が広がることは避けねばならない。
問われるべきなのは、首相が6人を任命しなかった判断だ。
加藤勝信官房長官は、人事の起案は事務方に任せていたと説明した。杉田和博官房副長官が関与したとされるが、6人が除外された理由は依然はっきりしない。
なぜ外したのか。手続きは適正だったのか。この問いに答えることなく、政府が学術会議の行革論議を持ち出すのは筋違いだ。
☆③【東京社説】学術会議人事 任命拒否の撤回求める
学術会議人事 任命拒否の撤回求める
https://www.tokyo-np.co.jp/article/59386?rct=editorial
2020年10月3日 08時00分
憲法が保障する学問の自由に権力が土足で踏み込む暴挙だ。菅義偉首相は国の特別機関「日本学術会議」の人事で、政府方針に批判的だった新会員候補六人の任命を拒否した。判断の撤回を求める。
日本学術会議は、日本の科学者を代表する機関で、独立して職務を行うと日本学術会議法で定められている。
今回任命されなかったのは宇野重規東大教授(政治思想史)や加藤陽子東大大学院教授(日本近現代史)ら。特定秘密保護法などに反対の姿勢を示していた。
法では学術会議は「優れた研究又(また)は業績がある科学者」を推薦し、首相は「推薦に基づいて、任命する」とされている。行政実務上は、「基づき」という用語が用いられている場合、拘束力を持つと解釈され運用されている。
一九八三年、会員の選出をそれまでの選挙から首相の任命制に改める法改正をめぐる国会審議の中で、独立性、自主性が担保されるか懸念する質問が議員から出た。その際、政府側は任命は「形式的」なものと答弁している。
今回の任命拒否はこれまでの国の姿勢を覆し、法の精神を踏みにじるものと言わざるを得ない。
学術会議は二〇一七年、軍事応用できる基礎研究への防衛省の助成制度を念頭に「再び学術と軍事が接近しつつある」と危機感を示したうえで、「戦争を目的とする科学の研究は絶対に行わない」とした過去の声明を継承すると表明している。政府にとっては煙たい存在なのだろう。
今回の人事介入は、萎縮させることで方針に従わせるという、官邸が省庁に対して行ってきた手法の延長線上にあるようにみえる。もしそうでないというなら、首相自身がきちんと説明するべきだ。
多くの大学が軍事研究に踏み込まないのは戦前・戦中の反省に基づく。帝国大学の目的を「国家ノ須要ニ応スル学術技芸ヲ教授シ」と定めた帝国大学令により戦争に加担。幾度かの思想弾圧事件を経て、政府批判と受け取られる言説は影をひそめ、学徒動員で大勢の教え子たちを戦場に送り出した。
学術会議は二日、排除された六人を任命するよう、首相に求めることを決めた。研究者の自由な議論が、国の暴走を止める礎となる。研究者をひるませてはならない。学術会議や大学は、毅然(きぜん)とした対応で学問の自由を守るべきだ。社会全体でそれを支える必要がある。
③A【東京社説】学術会議問題 説明拒む政府の不誠実
学術会議問題 説明拒む政府の不誠実
https://www.tokyo-np.co.jp/article/60452?rct=editorial
2020年10月8日 07時24分
日本学術会議会員の任命拒否は、学問の自由を脅かすだけでなく国権の最高機関である国会への重大な挑戦だ。臨時国会の開会を待つことなく、菅義偉首相出席の下、徹底的に追及すべきである。
衆院内閣委員会の閉会中審査がきのう開かれた。新型コロナウイルス対策を審議するために与野党が合意したものだが、臨時国会は今月二十六日まで開かれない。新内閣発足後、首相の所信表明演説が五週間以上も行われないのは極めて異常な事態だ。まずは政府と与野党に猛省を促したい。
内閣委の審議は、喫緊のコロナ対策にとどまらず、日本学術会議が推薦した候補の会員任命を、菅首相が拒否した問題に多くの時間が費やされた。当然であろう。
野党側は任命を拒否された六人が「なぜ選に漏れたのか」「理由を説明すべきだ」と迫ったが、政府側は「総合的、俯瞰(ふかん)的な観点から日本学術会議法に基づいて会員の任命を行った」(大塚幸寛内閣府官房長)との答弁を繰り返し、任命拒否の理由説明を拒んだ。
同法は、会員は同会議の「推薦に基づいて、内閣総理大臣が任命する」と定め、政府はこれまでの国会答弁で、首相の任命は「形式的」なものと説明してきた。首相に裁量の余地を認めていない。
しかし、政府側は、首相が学術会議の推薦通りに会員を任命する義務はないとする内部文書を二〇一八年に作成していたという。
三ツ林裕巳内閣府副大臣は「学術会議法の解釈を変更したものではない」と強調したが、事実上の法解釈の変更である。政府側の説明には無理があり、不誠実だ。
この文書は、国会での議論も経ず、国会に報告もされていない。これまでの国会審議を通じて確立した法解釈を根底から覆すようなことを、政府の一存で、しかも内密に決めていいはずはない。
こうした政府の行為は、唯一の立法府である国会が有する立法権の侵害であり、主権者たる国民の代表で構成する国権の最高機関に対する冒涜(ぼうとく)にほかならない。
内部文書作成は首相官邸の指示で始めたものですらないという。官僚の暴走ではないのか。
菅政権が継承するとした安倍政権下では、集団的自衛権の行使容認や黒川弘務元東京高検検事長の定年延長など、政府による法解釈の一方的変更が相次いだ。
憲法は「法律を誠実に執行」することを内閣に求める。前内閣から続くこうした粗雑な法運用をこれ以上、許してはならない。
☆③C【東京社説】学術会議改革 強権的手法許されぬ
学術会議改革 強権的手法は許されぬ
https://www.tokyo-np.co.jp/article/60997?rct=editorial
2020年10月10日 07時44分
菅内閣が日本学術会議を行政改革の対象にする、という。菅義偉首相は会員任命を拒み、学問の自由を脅かすとの批判を浴びたばかりだ。人事権を盾に改革を迫るような強権的手法は許されない。
河野太郎行政改革担当相は九日の記者会見で、日本学術会議を行政改革の検討対象とする考えを示した。二百十人の学術会議の会員数や手当には踏み込まず、国から支出される年間十億円の予算や会議事務局の約五十人の定員を見直す。
すでに自民党は党内にプロジェクトチームの設置を決め、学術会議の改革に関する提言を年内にまとめる、という。
こうした政府与党の動きは、学術会議側が推薦した会員候補のうち、菅首相が六人の任命を拒否したことと無関係ではあるまい。
「学問の自由を脅かす」「違法な決定」などと厳しい批判を浴びたため、組織の在り方や会員選出方法について議論する姿勢を示すことで論点をずらし、批判をかわそうとしているのだろう。
六人はいずれも、特定秘密保護法や安全保障関連法など、菅内閣が引き継ぐとした安倍前内閣の政策に反対を公言した学者である。
学術会議も二〇一七年、安倍前内閣が進めた防衛省による軍事応用可能な基礎研究への助成制度を念頭に「戦争を目的とする科学の研究は絶対に行わない」とした過去の声明を継承すると表明した。
そのいずれも自民党政権には煙たい存在に違いない。だからといって、独断的な人事権行使が批判された腹いせに、組織改革を持ち出すのは筋違いも甚だしい。
自民党の下村博文政調会長は、学術会議が近年、政府への答申や勧告を出しておらず「活動が見えず、課題がある」としている。
確かに学術会議は法律に基づく政府への「答申」を〇七年以降、「勧告」を一〇年以降出していないが、それが組織の在り方に起因するものかどうかは、慎重に検証する必要があるだろう。
学術会議の組織を見直す必要があるとしても、それによって任命拒否が正当化されることはあり得ない。
任命拒否は、国会で政府が説明してきた法律の解釈に反する独断的で違法性を否定できない行為だからだ。菅首相は直ちに任命拒否を撤回するか、明確な拒否理由を説明すべきである。
その上で、日本を代表する学術組織としてふさわしい学術会議の在り方を検討すればいい。任命拒否とは切り離し、落ち着いた政治状況の下で論じる必要がある。
③E【東京社説】学術会議人事 誰が6人を外したのか
2020年10月15日 07時51分
一体、誰が六人を外したのか。日本学術会議の新会員任命拒否問題。菅義偉首相は推薦名簿を見ずに特定人物を除外していた。任命拒否が「総合的、俯瞰(ふかん)的な観点」だったとの説明には無理がある。
首相は内閣記者会のインタビューで、学術会議新会員の任命手続きについて、会議側が推薦した百五人ではなく、六人を除く九十九人が記載された内閣府作成の起案文書を、九月二十八日に決裁したと説明している。
つまり、首相に名簿が上がった段階では、すでに六人が除外されていたことになる。加藤勝信官房長官は六人を除外した起案段階の人選について「首相が一つ一つチェックするのではなく、事務方に任せていた」と説明している。
さらに、首相の決裁前に杉田和博官房副長官が首相に対して口頭で、任命できない人が複数いることを報告していた、という。
首相官邸サイドは、こうした手続きについて「通常のやり方にのっとって作業が進められた」「最終的には首相が決めている」として、問題はないとの立場だ。
日本学術会議法は、会員は同会議の「推薦に基づいて、内閣総理大臣が任命する」と定め、政府はこれまでの国会答弁で、首相の任命は「形式的」なものと説明し、裁量の余地を認めていなかった。
国会審議を通じて確立したこの法解釈を、政府は一片の内部文書のみで一方的に変更した。今回、六人の任命拒否を正当化するために挙げたのが「公務員を選定し、罷免することは国民固有の権利」とする憲法一五条の規定である。
しかし、首相が名簿を見ずに任命を拒否していたとしたら、「総合的、俯瞰的な活動を確保する観点」からの人選には程遠く、これまでの説明に疑義が生じる。
さらに、六人の除外を決めたのが国民を代表する国会で選ばれた首相ではなく、国民による選挙を経ていない官僚だったとしたら、官僚の暴走ともいえる違法行為であり、憲法の規定に反する。首相は厳しく処断せねばなるまい。
野党側は、杉田副長官を二十六日召集予定の臨時国会に出席させるよう与党側に要求した。与党側は応じるべきである。
法律の解釈を巡り、政府が国会に諮らず、一片の内部文書で変更したことは、唯一の立法府である国会への重大な挑戦だ。与野党を問わず傍観は許されない。
誰が、なぜ六人を外したのか、国会は国政調査権を行使し、真相解明を果たすべきである。
④【琉球新報社説】学術会議に政治介入 学問の自由否定する暴挙
学術会議に政治介入 学問の自由否定する暴挙
https://ryukyushimpo.jp/editorial/entry-1201364.html
2020年10月3日 06:01
社説
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学者の立場から政策提言する国の特別機関「日本学術会議」が推薦した新会員候補6人の任命を、菅義偉首相が拒否した。
6人は安全保障関連法や辺野古新基地建設など安倍政権の政策に異論を唱えた経緯がある。政権を批判した学者を、理由も明らかにせず排除するやり方は憲法23条が保障する学問の自由と、学術会議の独立性を否定する暴挙である。
立憲主義を否定する前例のない政治介入を、直ちに撤回するよう強く求める。
日本学術会議は1949年、日本人科学者の代表機関として設立された。定員210人。任期は6年で3年ごとに半数が交代する。日本学術会議法は、学術会議の「推薦」を踏まえ内閣総理大臣が「任命する」(第7条2項)と規定している。首相は、その分野の専門家でないので学問的業績を評価できない。このため推薦が尊重されてきた。
政府は「形だけの推薦制であって、推薦していただいた者は拒否しない。形だけの任命をしていく」(83年、参院文教委)と答弁していた。政府による干渉や中傷、運営の口出しはしないと明言した。
ところが今回、現行の制度下で初めて推薦者の任命を拒否した。しかし、加藤勝信官房長官は、任命拒否の理由は明らかにしなかった。おそらくできないのだろう。
加藤氏は「会員の人事を通じて一定の監督権を行使するのは法律上可能」として学問の自由の侵害には当たらないとの認識を示した。まったくの詭弁である。
なぜなら日本学術会議法は、首相の「所轄」であるが、組織の「独立」を規定しているからだ(第3条)。首相に「監督権」があるとは書いていない。独立しているからこそ学術行政について「政府に勧告」することができる(第5条)。加藤氏が言うように「人事を通じて」首相に監督されるのであれば、単なる政府の下請け機関でしかなくなり、存在意義を否定することになる。
安倍政権下の官房長官として菅氏が人事権を行使して官僚を支配したように、学者も監督下に置こうとするなら、学術会議法の趣旨からして違法の可能性がある。
そもそも学術会議は、アジア・太平洋戦争時に科学者が戦争に協力したり動員されたりした反省から、政府から独立した立場で数多くの勧告や政策提言を行ってきた。戦争を目的とする研究を拒否する声明を発表するなど、一貫して軍事と一線を画してきた。
任命拒否された6人は「共謀罪」法案や安全保障関連法案、特定秘密保護法案に反対した。このうち岡田正則早大教授(行政法学)は辺野古新基地建設を巡る政府対応に抗議する声明を発表している。
社会科学は、時の権力について耳の痛い知見を示すこともあろう。政権の意に沿わないから排除するというなら、学問の自由の侵害であり、憲法の否定である。
④C【琉球新報社説】学術会議介入問題 独裁への道を危惧する
<社説>学術会議介入問題 独裁への道を危惧する
https://ryukyushimpo.jp/editorial/entry-1204148.html
2020年10月8日 06:01
日本学術会議が推薦した会員候補6人の任命を政府が拒否した問題を巡り、2016年の安倍政権時代から官邸が継続的に関与していたことが明らかになった。
国家の意向に沿わない憲法学者を排除した戦前の天皇機関説事件をほうふつとさせる。民主主義を装いながら、秘密裏にルールを曲げて異論を排除するやり方は、学問への冒?(ぼうとく)に他ならない。かつての独裁への道を進んでいるのではないかと危惧する。
菅義偉首相は「学問の自由」への侵害との指摘に「全く関係ない」と強調した。しかし、なぜ「関係ない」のか、なぜ任命を拒否したのかなど理由を明らかにしていない。「総合的、俯瞰(ふかん)的」な判断という意味も不明だ。国民に納得できる説明が必要である。
日本学術会議法は、首相の「所轄」であるが、組織の「独立」を規定している。独立しているからこそ「政府に勧告」することができる。「学会から推薦された者は拒否しない」と国会答弁している。
しかし、首相官邸は16年の学術会議メンバーの補充人事で学術会議が示した候補者案の一部に難色を示し、欠員補充を見送ったことが明らかになっている。
学術会議は17年3月に研究機関による防衛省の軍事応用可能な研究への助成制度を「政府介入が著しく、問題が多い」と批判した。すると官邸は17年に改選会員105人を決める際定員より多い名簿を示すよう求めた。学術会議の「独立」の侵害といえよう。
翌18年11月に「首相に日本学術会議の推薦通り会員を任命すべき義務があるとまでは言えない」との内閣府見解をまとめていた。政権の都合でかつての国会答弁と食い違う法解釈をしている。
人事で官僚を掌握し法律を捻じ曲げるやり方は、安倍政権を踏襲している。今年1月、黒川弘務東京高検検事長の定年延長を巡り従来の法解釈を閣議決定で変更した。13年には「法の番人」と呼ばれる内閣法制局長を内部昇格の慣例を破り、外交官の小松一郎氏を起用。歴代政権が禁じてきた集団的自衛権の行使容認を含め、閣議で憲法解釈を変更した。菅氏は「方針に従ってもらえない場合は異動してもらう」と明言している。
1935年の天皇機関説事件で、美濃部達吉東京帝国大学名誉教授が唱えた通説を政府が排除した。天皇は法人としての国家の最高機関であるという学説が、「現人神(あらひとがみ)」とされた天皇の統帥権下で行動する軍部の反発を招いた。美濃部氏は貴族院議員を辞職し主著は発禁処分になった。天皇機関説をとっていた憲法学者は転向に追い込まれた。
菅政権で起きている学術会議への介入は、理由を示さず実行されている点で、より巧妙とも言える。民主主義を鍛えるのは多様な言論活動である。異論を封じ込めることは真理探究の道を閉ざしてしまうことを肝に銘じるべきだ。