首相って、どんだけ「偉い」んだよ。ー【週刊朝日】古賀茂明「安倍総理個人の倫理規範も継承した管政権」
そりゃ、日本国首相と言えば三権の一つである行政の長であり、且つ自衛隊三軍の最高指揮官である。一国民でしか無い私(ZERO)なんぞよりは「遙かに偉い」と言うのは「言うまでも無く明らか」ではあるが、元高級官僚たる古賀茂明氏によると「首相の倫理規範が日本官僚機構の危機を惹起する」のだそうな。
ま、古賀氏の「首相の倫理規範が日本官僚機構の危機を惹起する」説には、幾つもアラがあるのだが、それは後述としよう。
【週刊朝日】古賀茂明「安倍総理個人の倫理規範も継承した管政権」
【週刊朝日】古賀茂明「安倍総理個人の倫理規範も継承した管政権」
連載「政官財の罪と罰」
https://dot.asahi.com/wa/2020091400014.html?page=1
古賀茂明2020.9.15 07:00週刊朝日#安倍政権
安倍政権では、官僚たちが、良心も正義感も、不正と闘う勇気も失ってしまったのではないかと思わせるような事件が相次いだ。
【写真】安倍晋三氏と菅義偉氏。2人の関係を象徴する1枚はこちら
その原因はいくつかあるだろう。「官僚支配」もその一つだが、もう一つ大きな影響を与えたのが、安倍総理個人の「倫理規範」だ。
官僚たちは、常に自分たちの上に立つ最高責任者の言動を見ている。その安倍総理は、今度こそ終わりだと思われるような個人的スキャンダルが起きるたびに、非常におかしな言い訳をしてきた。最も典型的なのは、森友学園問題でよく出てくる「検察が捜査を行い、結果が出ている」という言葉だ。また、野党の追及に対して、「証拠があるのか」というような態度を示すこともよく目にした。
こうした言動の背景にあるのは、「政治責任や道義的責任はどうでもよい。捜査当局に捕まらなければ悪いことにはならない」、さらには、「証拠が見つからなければ許される」という安倍総理独特の倫理規範だ。一般人の感覚よりもはるかに不正へのハードルが下がった倫理規範だと言ってよいだろう。一国のリーダーとしては、信じられないレベルだ。
こうした安倍総理の言葉を聞けば、まじめな官僚たちでさえ、何か政権に都合の悪いことを見たときに、「安倍総理が逮捕されないようにしろ」「証拠は隠せばよい」と促されているように感じてしまう。今や官僚機構のガバナンスは崩壊の危機にあると言ってもよい。
幸か不幸か安倍氏の退陣が決まり、その後を菅義偉官房長官が継ぐことがほぼ確定した。これまでの問題がリセットされ一気に解決すると期待したいところだ。
先週号では、菅氏は、安倍政権の二つのレガシー、「官僚支配」と「マスコミ支配」を継承するだろうという話を書いた。
今回取り上げるのは、菅氏が安倍総理個人から「倫理規範」まで引き継ぐのかどうかという話だ。菅氏が官僚支配を継承し、しかも安倍総理の倫理規範を引き継げば、安倍政権の官僚機構の大問題はそのまま「継承」されることになる。仮に菅氏が健全な倫理規範の持ち主だとして、官僚が染まった安倍氏の倫理規範からどうやって脱却させることができるのだろうか。
最も大事なことは、菅氏が正義と公正を強く求めるリーダーであることを単なる言葉ではなく行動で示すことだ。
そのために、最も効果的なのは、森友学園問題の再調査だろう。原因究明と政治家を含めた責任者の特定、再発防止策の実施まで行えば、官僚の意識も一気に変わり健全化することが期待される。
ところが、菅氏は自民党総裁選立候補の会見で森友問題についての再調査を否定し、その理由に「森友問題については財務省で調査、処分が行われ、検察の捜査も行われている」ことを挙げた。「捕まらなければよい」という安倍総理の倫理規範の継承ではないか。
菅氏は、安倍総理の腐った倫理規範を是正するせっかくのチャンスをふいにした。官僚たちは、「安倍政権と同様、政権に都合の悪いことは隠し通せ」というメッセージだと受け止め、不正はさらにはびこることになるだろう。日本の官僚機構の危機は解消されるどころか、さらに深刻化することは確実になってしまったようだ。
※週刊朝日 2020年9月25日号
■古賀茂明(こが・しげあき)/古賀茂明政策ラボ代表、「改革はするが戦争はしない」フォーラム4提唱者。1955年、長崎県生まれ。東大法学部卒。元経済産業省の改革派官僚。産業再生機構執行役員、内閣審議官などを経て2011年退官。主著『日本中枢の崩壊』(講談社文庫)など
「政治責任」「道義的責任」「倫理規範」。言葉は格好良いが、魔女裁判・人民裁判以外のナンダよ。ああ、ワイドショーかぁ?
だが、魔女裁判・人民裁判やワイドショーで、我が国の政権が交代したり、政治が変わったりして良いのか?左様な事例先例が仮にあったとするならば、それは「悪しき前例」では無いのか。
「証拠に基づかず、政治責任及び道義的責任を追求する」とは、「言葉面は格好良い」かも知れないが(*1)、推定無罪の原則を丸無視した、魔女裁判・人民裁判にしか、なりようが無かろう。
「証拠に基づかず、政治責任及び道義的責任を追求する」ことを「正しい」と断定断言出来る者(恐らくは、古賀氏自身も)は、「高潔な倫理規範を持っている」と言うよりは、「政治責任・道義的責任と称して、魔女裁判・人民裁判を肯定する、ある種のキチガイ」と呼ぶ方が、私(ZERO)には至当と思われる。
これ即ち、私(ZERO)が、「証拠に基づかない政治責任及び道義的責任の追及よりも、推定無罪の原則を重視する」倫理規範を持つからっであり、古賀氏の言う「一国のリーダーとしては、信じられないレベルの倫理規範(*2)」だから、であろう。
幸い私(ZERO)は「一国のリーダー」では無いし、今の倫理規範で何ら困っては居ない。
まあ、私(ZERO)の倫理規範なんてのは、些事だ。安倍晋三前首相が「証拠に基づかない政治責任及び道義的責任の追及よりも、推定無罪の原則を重視する」倫理規範であり、その倫理機は何を管(すが)新首相も引き継ぐことを、上掲記事で古賀氏は大いに非難している訳であるが・・・古賀氏自身が高級官僚としてかなり間近に接した(筈の)安倍前首相以前の首相たちは(全員とは言わぬまでも)軒並み「政治責任及び道義的責任を重視した、高潔な倫理規範を持っていた」と、断定断言出来るだろうか?元高級官僚古賀氏の上掲コラムは、必然的に左様な断定断言を前提としている、筈なのであるが・・・
思い出せるだけでも、鳩山由紀夫は(「最低でも県外」から「Trust Me」に至る発言で普天間基地移設問題を惹起した政治責任は別にしても)「親から莫大な小遣いをもらっていた脱税」と言う当人も認めた犯罪をを犯しながら、首相の座に留まり続けた。菅(かん)直人は(尖閣沖「漁船」体当たりテロ対応及び福島原発事故対応や、そもそも福島原発水素爆発の遠因となったのでは無いかとの政治責任は別にしても)外国人献金疑惑を受けても平気で首相の座にあり続けた。
更に遡ると、麻生太郎氏が首相の座にあったのであり、その際に(当時現職高級官僚であった古賀氏自身を含めての)「日本官僚機構の危機」が生起していなかったのならば、上掲コラムの古賀氏自身主張に従えば、麻生太郎氏は間違いなく「政治責任及び道義的責任を重視した、高潔な倫理規範を持っていた」筈であるが、その麻生太郎氏は第2次安倍政権全期間から現・管(すが)新政権に至るまで、閣僚も閣僚、副首相兼財務相という重職の座にある。
であると言うのに、「安倍首相及び管(すが)新首相の倫理規範に依って日本官僚機構の危機となっている」とする上記古賀氏の主張を、「麻生太郎氏は首相に準じる副首相(副総理)でしか無いから。(=首相が官僚に与える影響力は、副首相の比ではないから(*3))」と、仮に「理解」したとしても・・・第1次安倍政権では(当時高級官僚の座にあった古賀氏自身を含めて)「日本官僚機構の危機」とはならなかった(らしい)事は「理解しがたい」。
「第1次安倍政権時代は、安倍晋三首相(当時)の倫理規範が露わにならなかった。」という仮説が一応成り立つが、その仮説は上掲古賀氏自身の記事の記述「官僚たちは、常に自分たちの上に立つ最高責任者の言動を見ている。」によってかなり強く否決否定されている。言うまでも無かろうが、第1次安倍政権時代に「上に立つ最高責任者の言動を見ていた」高級官僚の一人は、古賀氏自身である。
大体、「首相の倫理規範が、官僚機構に影響する(それも、副首相なんか全く問題にならない程絶大に)」とこの元高級官僚殿は主張されている訳だが・・・「首相が、そんなに偉い」のかね?
古賀氏が上掲コラムで主張する「首相が、そんなに偉い」説を信じ肯定するよりは、上掲コラム自体が「政治責任」「道義的責任」「倫理規範」等の美辞麗句をちりばめては居るが、「アベガーワルイー」と言うシュプレヒコールないしヘイトスピーチ並みの「中身の無い駄文」と考えた方が、余程「理解しやすい」し得心・納得がいくんだがね。
そんなシュプレヒコールないしヘイトスピーチ並みの「中身の無い駄文」に原稿料を払うのは週刊朝日の勝手ではあるけれど、左様なモノを金出して読むヤツの気が知れないよな。まあ、同教・同志の「アベガーワルイー」教徒になら、売れるんだろうな。
- <注記>
- (*1) その「格好良さ」と手、項は反部分に限られ、「証拠の基づかず」って恣意性・独善性は、どう考えても「かっこ悪い」ぞ。
- (*2) 安倍晋三前首相並みの、な。
- (*3) としか、「理解」のしようがないんだが・・・