即ち「大した破壊では無い」だな。ー【ハフポスト】安倍政権とは何だったのか。この約8年で壊されたものは?
【ハフポスト】安倍政権とは何だったのか。この約8年で壊されたものは?
安倍政権とは何だったのか。この約8年で破壊されたものは?
https://www.huffingtonpost.jp/entry/story_jp_5f4f3bd2c5b6250f655cab87
この7年間は、“公的な制度に守られている”ように見える人々へのバッシングが繰り返された。それは、「失われた30年」の果ての地獄の光景だったーーー。
雨宮処凛作家・活動家
安倍晋三首相=2020年08月28日
7年8ヶ月続いた安倍政権が、終わった。
突然の幕引きだった。
2012年12月に発足して8年近く。思えば、長い長い時間だった。諦めや無力感を植え付けられるような、反対意見を言えば「晒し者」にされかねないような、常にそんな緊張感が頭の片隅にあるような年月だった。ということを、終わって初めて、意識した。自分はどれほど萎縮していたのか、8月28日、辞任の会見が終わってしばらくして、改めて感じた。
さて、第二次安倍政権が真っ先に手をつけたのが「生活保護基準引き下げ」だったことは、この連載でも書き続けてきた通りだ。もっとも貧しい人の生活費を下げるという決断は、「弱者は見捨てるぞ」という政権メッセージのようにさえ思え、貧困問題に取り組む私は発足そうそう、足がすくんだのを覚えている。
そうして13年から生活保護費は3年かけて670億円削減。もっとも引き下げ幅が大きかったのは子どもがいる世帯だ。13年、「子どもの貧困対策の推進に関する法律」が成立したものの、その影で、生活保護世帯の子どもはそこから除外されるような現実があった。
引き下げ後、生活保護利用者から耳にするようになったのは「一日一食にした」「どんなに暑くても電気代が心配でエアコンをつけられない」という悲鳴だ。この夏も数万人以上が熱中症で救急搬送され、すでに100人以上が亡くなっているが、その中には、節約のためにエアコンをつけられずにいる貧しい人々が確実にいる。
こんなふうに弱者を切り捨てる一方で、安倍政権は「アベノミクス」を打ち出し、ことあるごとに経済政策の効果を喧伝してきた。が、その実態はどうなのか。私たちの生活は、果たして楽になったのか?
例えば、「非正規という言葉を一掃する」と言いつつも、12年に35.2%だった非正規雇用率は19年、38.3%に上昇した。また、12年から19年にかけて、正規雇用者は154万人増えた一方で、非正規雇用者は352万人増えている。
金融資産を保有していない単身世帯は12年では33.8%だったが、17年には46.4%まで増えた(18年以降は質問が変わったので単純比較できず)。また、アベノミクスで「400万人を超える雇用を増やした」と胸を張るが、その中には、年金では生活できない高齢者や、夫の給料が上がらず働きに出た女性も多い。
現在4割に迫る非正規雇用の平均年収は179万円。働く女性の55.3%が非正規だが、その平均年収は154万円。安倍政権は「女性活躍」と打ち出してきたが、多くの女性が求めているのは「活躍」よりも「食べていける仕事」だ。結局、この7年8ヶ月で潤ったのは、ほんの一部の大企業と富裕層だけだ。
そんなこの国を今、新型コロナウイルスが直撃している。
この連載でも触れているように、現在、私もコロナ経済危機による困窮者支援をしているが、8月の今も連日「もう何日も食べてない」「3月からなんとか貯金を切り崩して頑張ってきたがとうとうそれも尽きた」「日雇いの仕事にどうしてもありつけず、今日から野宿」などの深刻な相談が寄せられている。真っ先に切り捨てられたのは非正規やフリーランスや自営業。リーマンショックの時との一番の違いは、女性からの相談が多いということだ。それもそのはずで、コロナの影響を真っ先に受けた観光、宿泊、飲食、小売りなどのサービス業を支えるのは非正規雇用の女性たちである。また、「夜の街」と名指された場所で働く女性からのSOSも止まない。相談内容は「近々寮を追い出される」などの深刻なものだ。
そんな人々が餓死しないために使える制度のひとつが生活保護だ。
しかし、利用を勧めても、「生活保護だけは受けたくない」と頑なに首を横に振る人も少なくない。そんな光景を見るたびに思い出すのは、自民党が野党だった12年春の「生活保護バッシング」。お笑い芸人家族の生活保護受給が報じられ、不正受給でもなんでもないのに一部自民党議員がこれを問題視。片山さつき議員は厚労省に調査を求めるなどオオゴトにしていった。そんな中、同議員は生活保護について「恥と思わないことが問題」などと発言。このような報道を受け、制度利用者へのバッシングがあっという間に広がった。
今年6月、安倍首相は国会で、生活保護バッシングをしたのは自民党ではない、などの発言をしたが、今書いたことからもわかるように、生活保護バッシングをしていたのは思い切り自民党である。自民党の生活保護プロジェクトチームの世耕弘成氏は12年、雑誌のインタビューで、生活保護利用者に「フルスペックの人権」があることを疑問視するような発言までしている。このように、ちょっと調べれば誰でもわかることなのに「すぐバレる嘘をつく」のが安倍首相の癖だった。
さて、自民党が政権に返り咲く半年前の生活保護バッシングはメディアにも広がり、テレビ番組の中には「生活保護利用者の監視」を呼びかけるものまであった。当然、生活保護を利用する人々は怯え、外に出られなくなったりうつ病を悪化させていった。
なぜ、あれほどまでに生活保護利用者という弱者が叩かれたのか。
当時野党だった自民党にとって、それはコスパがよかったからなのだと思う。どれほど叩いても、生活保護利用者はさらなるバッシングを恐れて声を上げたりはしない。当事者団体もなければ、彼ら彼女らの声を代弁するような団体もない。そうして利用者を叩けば叩くほど、「自分たちはこんなに働いても低賃金なのに」という層からは絶大な支持を得る。
生活保護バッシングは、リスクを最小に抑えて「仕事してるフリ」「やってる感」が出せる格好のネタだったのだ。そうしてバッシングによって溜飲を下げた人々からは拍手で迎えられる。このような状況の中、自ら命を絶った生活保護利用者もいたが、彼ら彼女らがその死を知ることは一生ないだろう。そして12年12月、自民党は「生活保護費1割削減」を選挙公約のひとつに掲げて選挙戦を戦い、政権交代。
そうして実際に保護費はカットされた。
その後も、生活保護バッシンクは続いた。それだけではない。16年には「貧困バッシング」もあった。子どもの貧困の当事者としてテレビ番組で取材された女子高生の部屋に「アニメグッズがあった」などの理由で「あんなの貧困じゃない」というバッシングが起きたのだ。このことが象徴するように、この7年間は「声を上げた人」が徹底的に叩かれるようになった7年間でもあった。
「貧しくて大変」と声を上げれば「お前よりもっと大変な人がいる」と言われ(こういう物言いには「犠牲の累進性」と名前がついているのだが)、政権を批判する声を上げれば時に非難を浴び、「炎上」する。
同時に、この7年間は、「公的な制度に守られている」ように見える人々へのバッシングが繰り返された。生活保護バッシングや、「安定した」公務員に向けられるバッシングだけでなく、おなじみの「在日特権」はもちろん、「公的なケアが受けられる」障害者が「特権」として名指しされたりもした。同時に「子連れヘイト」も広がった。
このような人々が「守られている」ように見えるのは、障害も病名もない人々が「死ぬまで自己責任で競争し続けてください。負けた場合は野垂れ死ってことで」という無理ゲーを強制されているように感じているからだろう。「失われた30年」の果ての地獄の光景がそこにはあった。
もうひとつ、書いておきたいことがある。
それは安倍首相が何度も「敵」を名指してきたことにより、この国には分断とヘイトが蔓延したということだ。
その被害を、私も一度、受けている。
それは「悪夢狩り」。安倍首相が「悪夢のような民主党政権」と発言した少し後のことだ。「悪夢狩り」は、スマホにTwitterの通知が怒涛の勢いで表示されるということから始まった。見知らぬ人々から「雨宮さん、一体これはどういうことなんですか?」などの質問が次々に届き、あっという間に数百通にも達した。「私、何かやらかしてしまったんだ」と全身から血の気が引いた。それはどう考えても「炎上」が始まった瞬間に思えた。もう終わりだ。心臓がバクバクして、全身に冷や汗が滲んだ。その間も通知はすごい勢いで届き続ける。あの時、電車のホームにいたら飛び込んでいたかもしれないと今も思う。
そんな「リプ攻撃」は一時間ちょうどで終わった。人生で、あれほど長い一時間はなかった。のちに、それが「悪夢狩り」というものだと知った。「悪夢のような民主党政権」と関係があった人物が次々とそのようにしてSNS上で「狩り」に遭っていたのだ。何月何日何時からと時間を決めて、大勢が一斉にリプを送る。参加する方にしたら軽い気持ちでも、やられた方は追い詰められる。自ら命を絶ってもおかしくないほどに。民主党政権時代、私は厚労省のナショナルミニマム研究会に所属していた。それ以外にも、民主党政権とは、貧困問題に取り組む中で様々なつながりがあった。
私にとってこの「悪夢狩り」の経験は、第二次安倍政権を象徴するものだ。国のトップが、誰かを「敵」と名指しする。それを受け、「安倍政権が敵とみなした者には何をしてもいい」「自分たちが成敗せねば」という思いを持った人々が誰かをみんなで袋叩きにする。トップは決して手を汚さない。このような忖度のもとで、いじめや排除が正当化され続けてきた7年8ヶ月。「言論弾圧」という高尚なものですらなく、もっともっと幼稚な、子どもが小動物をいたぶるような感覚に近いもの。
安倍首相は、そんなことを繰り返してきた。自らを批判する人々を「左翼」「こんな人たち」と名指し、また国会で「日教組日教組?」とからかうような口調で言ったのを見た時、怒りや呆れよりも、恐怖を感じた。
クラスの中の、人気も信頼もないけど偉い人の息子でお金持ちという生徒が、「今からみんなでこいついじめよーぜ」と言う時の表情にしか見えなかった。
そんな子どもじみたやり方で進められる分断は、時には誰かを殺すほどのものになるのではないか――。安倍首相が誰かを名指すたびに、総理大臣が「誰かを袋叩きにしてもいい」という免罪符を発行することの罪深さを感じた。しかし、それに異を唱えたら自分がターゲットになってしまうかもしれない。ターゲットにされてしまったら、終わりだ。そんな恐怖感が、私の中にずっとあった。
そんな安倍政権が終わるのだ。
冒頭に書いたように、私はどこかほっとしている。今までずっと緊張の中にいたのだと、終わってから初めて、気づいた。「悪夢狩り」のことだって、今だからこそこうして書ける。いつからか息を潜めるような思いで生きていたことに、終わってやっと、気づいた。
7年8ヶ月。その間には、特定秘密保護法、安保法制、共謀罪など、多くの人が反対の声を上げてきたことが強行採決された。私たちの声が踏みにじられ、届かないことを突きつけられるような年月だった。声を上げることによって、見知らぬ人たちからネット上で凄まじい攻撃も受けた。そんなことを繰り返しているうちに萎縮し、無力感に苛まれるようにもなっていた。
この約8年で破壊されたものを修復していくのは、並大抵の作業ではないだろう。
政治は私物化され、自分の身内にのみ配慮するやり方がおおっぴらにまかり通ってきた。災害の中で「赤坂自民亭」が開催され、沖縄の声は踏みにじられ、福島は忘れられ、公文書は改ざんされ、そのせいで自死する人が出ても知らんぷりする姿は「民主主義の劣化」などという言葉ではとても足りない。
だけど、ここから始めていくしかないのだ。なんだか焼け野原の中、立ち尽くしているような、そんな気分だ。
(2020年9月2日の「雨宮処凛がゆく!」掲載記事「第531回:安倍政権、終わる。?格差と分断の7年8ヶ月?の巻(雨宮処凛)」より転載。)
「弱者切り捨て(生活保護カット)」と「敵を名指しての分断策」が非難されているが・・・
後者「敵を名指しての分断策」については、何かと言うと「アベガー」しか言わない「反アベ」勢力のヘイト主張に、些かなりとも「反撃した」ってだけであり、充分に「正当防衛の範疇」だと思うぞ。
逆に「反アベ」側は「アベ勢力」を名指しして、再三「分断策」を、それも説得力皆無且つ感情的な殆どスローガン級の攻撃で実施して居るでは無いか。「I am not アベ(*1)」も、「アベ政治を許さない」も、「敵を名指しての分断策」以外の何であろうか。而して、左様な「敵を名指しての分断策」を反アベ側は多用頻用しているが、安倍首相は非難されてしまう理由は、ナンなのだろうね。
その理由が如何なるモノかは知らないが、安倍首相の「敵を名指しての分断策」を非難することは、即ち「安倍政権は、非難されても反論反撃するな。」と言う事では無いのか?反論反撃するには、「こんな人たち」のような抽象名詞であっても「敵を名指しする」必要があるであろうし、反論反撃がある意味「分断策」である事も先ず不可避だろう。「敵と名指しせず、ひたすら融和策をとれ。」という主張は、主張としては成立しそうではあるが・・・そりゃ安倍政権攻撃側に非道く好都合である上に、真面な議論が成立せず、全く建設的では無いぞ。
安倍首相&安倍政権とて無謬な訳は無く、それを質すのは正しく国会の仕事であり、それを質すのは真面な議論に依るのが王道・正道。真面な議論には時に対立もあって当然、無ければ不自然なのだから、「敵を名指しての分断策」は、少なくともある程度許容されるべきであり、許容されてこそ真面な国会が成立する、可能性がある。
今の野党には、そんな可能性が無いから、「ひたすら融和策をとれ。」と主張したくなりそうではあろうが、そりゃ国会としても、野党としても、自殺自滅以外のなんなのだろうね。
前者「弱者切り捨て(生活保護カット)」については、そりゃ非難する人は非難するだろうし、非難する事で「格好つけ」「良い顔」も出来るだろうが、私(ZERO)としては「安倍政権の8年間で破壊したこと」として非難される理由とは、全く思えない。「そう言う非難をする人も、あるんだろうね。」ぐらいなものだ。
前者「弱者切り捨て(生活保護カット)」について斯様に断言するのは、私(ZERO)が「飢えて死ぬ心配が無い者を、貧困とは呼ばない。」という(私(ZERO)に言わせれば常識的な)感覚を持っており、且つ武漢肺炎禍だのナンダのの「経済的苦境下」にあるにも関わらず、我が国では「餓死者なんてのは極めて珍しい」状況と認識し左様な状況を相当部分肯定しているから、ではある。
つまりは、上掲ハフポスト記事が縷々非難している「安倍政権による弱者切り捨て」は、「充分に許容範囲にある」と、私(ZERO)は考えて居るからである。一納税者としては、次の首相にも「安倍政権による”弱者切り捨て"」を継承して頂きたい、と希望しているから、でもある。
で・だ。
曲がりなりにも8年近く続いた安倍「一強」政治を「総括」するに、上記二点ぐらいしか「非難できない」のならば、そりゃ相当に「スゴいこと」なんじゃぁなかろうか。
8年近く続いた安倍「一強」政権下で、「非難批判のネタが尽き果てた」とも考えられるがな。「緊急時に病気になる癖」だの「首相としてもう少し知的に」だのの、有り体に言って「箸にも棒にもかからない様なアベ批判」ばかり目につくのは、その性かな。
ああ、第2次安倍政権発足当初に、再三「日本軍国主義復活!!」と非難キャンペーンを張った中共が、安倍首相の辞意表明に対して「アベ批判」所か「惜しむような」反応を見せたのは、社交辞令や「隠された意図」の分をさっ引いても、チョイとしたこと、であるな。
そいつは、上掲ハフポスト記事より遙かに雄弁に「安倍政権の8年間」を総括していないだろうか。仮に第2次安倍内閣が(それ以前の幾つもの内閣(*2)と同様に)1年かそこらの短命内閣に終わったら、「安倍政権は、日本軍国主義の復活だった。だから短命に終わったのは日本にとって幸いだ!!」などと、中共は主張し続けたろう。
左様な事態に陥らなかっただけでも、安倍政権8年間の功績は、絶大であろうが。
序でなので、私(ZERO)が考える「安倍政権8年間の功績」を、思い付くまま揚げておこう。
① 日本版NSC国家安全保障局の設立
② 特定秘密保護法成立・執行
③ 安保法成立・執行 及び集団的自衛権の(部分的)行使正当化
④ 「戦後レジームからの脱却」を決定づけた安倍談話
⑤ 「開かれたインド太平洋構想」と、その具体化(インドとの兵站協定など)
憲法改正と、靖国公式参拝は果たせなかったが、安全保障上の功績で安倍首相に匹敵しうるのは、吉田茂ぐらいでは無いか。
- .<注記>
- (*1) 日本国首相たる安倍晋三氏はタダ一人なのであるし、全国の安倍、安部、阿倍等姓の人以外は”I am not アベ”なのは、当たり前なのだが、何故か「アベ政治反対」の標語として、一時期流通した。(流行した、とは思わない。)
- ナンダって、I am againt アベ とかにしなかったのかね。インパクトの問題かな。
- (*2) って事は、あ・の・「悪夢の民主党政権」時代を含むんだが。