違うな。間違っている。少なくとも日本国首相と防衛相には、靖国神社に参拝すべき義務がある。ー【朝日社説】靖国神社参拝 閣僚は自重すべきだ
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タイトルにした「日本国首相と防衛相には、靖国神社に参拝すべき義務がある」という主張は、以下のロジックである。
- (1) 須く国家というモノは、戦時有事の際にその国のために犠牲となた人たち、所謂「英霊たち」に対し、敬意を表さなければならない。
- (2) 上記(1)の理由は、戦時有事というのは往々にして国家危急存亡の危機であり、その際に己が身命を国のために捧げる「未来の英霊」が居なければ、その国は忽ち滅んでしまうから、である。
- 従って国は、国の存続、自存・自衛のために、「未来の英霊」を涵養する事が必要である。言い換えれば「未来の英霊」を涵養する事は、国の義務である。
- (3) 「未来の英霊を涵養する」ためには、「現在の英霊たち」に対する国の公式公的な敬意が、不可欠である。
- 即ち、「現在の英霊たち」に対し国として公的公式の敬意を表することは、国の義務である。
- (4) 逆に国が現在の英霊たちに然るべき敬意を表さないというのは、「未来の英霊を涵養すること」に対する妨害であり、亡国の道である。
- (5) 我が国が「現在の英霊たち」を祀っているのは靖国神社である。靖国神社は、先の大戦はじめとする我が国のために犠牲となった方々を全て祀り、敬意を表する場であるから、戦犯だのA級だのは全く無関係に祀られている。また、今後も祀られ続けるべきである。
- (6) 日本の安全保障上の最高責任者たる日本国首相とそれに準じる防衛相は、靖国神社に制式に参拝し、現在の英霊たちに敬意を公式に表明し、以て「未来の英霊」を涵養して我が国の安全保障に資する、義務がある。
- (7) 近年数多の歴代日本国首相が上記(6)の義務を怠った居るのは事実であるが、それは上記(6)の義務が消滅したことを意味しない。寧ろ昨今の我が国のおかれた安全保障上の危機は、上記(6)の義務をより重要重大なモノとしている。
- (8) 我が国に対する侵略を目論む外国からすれば、我が国の「未来の英霊」は邪魔者である。従ってあれこれ難癖を付けても「未来の英霊の涵養」を妨害するであろう。
以上が私(ZERO)の主張であり、理の当然と言うべきか、下掲社説の朝日の主張とは全く異なっている。
異論・異説は己が思考の水平線を広げる切っ掛けとなる、可能性がある。それ故に異論・異説は貴重である。
それでは、朝日社説の主張する、私(ZERO)に対する異論・異説を、じっくりとっくり拝見拝読しようでは無いか。
それでは、朝日社説の主張する、私(ZERO)に対する異論・異説を、じっくりとっくり拝見拝読しようでは無いか。
Now We Start!ーby名無し(演 クリント・イーストウッド)@「夕陽のガンマン」
【朝日社説】靖国神社参拝 閣僚は自重すべきだ
2019年10月19日05時00分【1】 秋の例大祭が行われている靖国神社に、先月の内閣改造で初入閣した沖縄北方相の衛藤晟一氏と、総務相に再任された高市早苗氏が相次ぎ参拝した。閣僚が春と秋の例大祭や8月15日の終戦の日に靖国を参拝するのは、2017年4月の高市氏以来、2年半ぶりとなる。
【2】 衛藤氏は記者会見で「国の命令でお亡くなりになった方々の慰霊を申し上げた」と述べたが、閣僚による参拝は、遺族や一般の人々が手を合わせるのとは意味合いが異なる。
【3】 戦前の日本の対外戦争の戦死者らを祭神とする靖国神社は、軍国主義の精神的支柱となった国家神道の中心的施設だった。
【4】 戦後は一宗教法人となったが、現在の政治指導者が参拝すれば、日本が過去の過ちを忘れ、戦前の歴史を正当化しようとしていると受け止められてもおかしくない。中国、韓国両政府が「遺憾」「抗議」を表明したのもそのためだ。
【5】 靖国神社には、先の戦争を指導し、東京裁判で厳しく責任を問われたA級戦犯14人も合祀(ごうし)されている。サンフランシスコ講和条約で東京裁判を受け入れ、国際社会に復帰した日本の歩みを否定することにもつながりかねない。
【6】 安倍首相は第1次政権で靖国参拝をしなかったことを「痛恨の極み」と語り、13年末の首相復帰1年の日に参拝を行った。現職の首相としては、2006年の終戦の日の小泉首相以来7年ぶりのことだった。
【7】 しかし、その後は一貫して参拝を控え、春秋の例大祭は真榊(まさかき)の奉納にとどめている。であるなら、閣僚に対しても、自重を促すべきではなかったか。衛藤、高市両氏は首相の側近として知られ、これまでも靖国参拝を繰り返してきた。両氏の行動は首相の思いの体現とみられても仕方あるまい。
【8】 日韓関係は戦後最悪と言われ、両国の政治家が打開へ向けて知恵を絞ることが求められている。日中関係も来春の習近平(シーチンピン)国家主席の国賓としての来日を控えた大事な時期である。近隣外交の火種をつくるような振る舞いは賢明とはいえない。
【9】 首相や閣僚による靖国参拝は、憲法が定める政教分離の原則からみても疑義がある。衛藤、高市両氏とも「私人として」というが、閣僚という立場で公私は分かちがたい。
【10】 小泉政権時代の02年、当時の福田康夫官房長官の私的懇談会が「国立の無宗教の戦没者追悼施設が必要だ」との報告書をまとめたことがあるが、具体的な進展はなかった。誰もがわだかまりなく追悼できる新たな施設の検討こそ、政治家の役割ではないか。
朝日が「閣僚は靖国参拝を自重すべきだ」とする根拠・理屈は、以下の通り。
例によって例の如く、【】内はその根拠・理屈の元となって上掲社説のパラグラフ番号である。
<1> A級戦犯が合祀されているから、サンフランシスコ講和条約と東京裁判の否定ととられかねないから。【5】
<2> 安倍首相も靖国参拝は控えているから。【7】
<3> 閣僚の靖国参拝は「首相の思いの体現」と見られかねないから。【7】
<4> 近隣外交の火種を作るから。【8】
<5> 政教分離の原則から見ても疑義があるから。【9】
<6> 閣僚の参拝に限らず行動は、行使分かちがたいから。【9】
<7> 国立の無宗教の追悼施設を作るべきだから。【10】
・・・なぁんだか、「かき集められるだけ集めました」って感じだな。
<1> A級戦犯が合祀されているから、サンフランシスコ講和条約と東京裁判の否定ととられかねないから。【5】
ヒドい屁理屈もあったモノだな。何しろA級戦犯も数多のBC級戦犯も、東京裁判並びに極東裁判で刑場の露とされてかあら既に70年以上を経ている、仮に全ての戦犯の方々が「有罪」であり、それ故に死刑に処されたのだとしても、刑の執行はそこで完了・完結している、ってのが、普通の日本人の感覚であろう。
「死んでしまえば仏様」とは、日本では馴染みのフレーズだし、「死者に鞭打つ」所業は日本では相当に嫌われる。従って既に故人である各級戦犯の方々を、靖国神社に祀ろうが神様に祭り上げようが、日本人の感覚としては「東京裁判の否定」とは無関係だ。
大陸や半島には「死者に鞭打つ」蛮習があり、「罪人は死んでも罪人」という感覚があることは承知しているが、戦犯として刑死された日本jんを日本人がどう取り扱うかを、外国人たる中韓如きにとやかく言われる筋合いは、無い。
況んや、「東京裁判を受け入れたサンフランシスコ講話条約の否定と受けとられる」なんてのは、二重の屁理屈だ。サンフランシスコ講和条約は「東京裁判の判決」を受け入れただけで「東京裁判の正統性」なぞ受け入れていない。事実、サンフランシスコ講和条約締結後に、同条約に定めた正規の手続きに従って全ての戦犯を釈放している。
刑死され、靖国神社に祀られて英霊となっているA級、B級、C級瀬犯が釈放されなかったのは、サンフランシスコ講和条約成立以前に処刑されてしまったから、と言うのは、少なくとも一面の真理だ。
従って「サンフランシスコ講和条約による東京裁判の受け入れ」を「否定する」ためには、「刑死された戦犯の方々を蘇らせた上で、同条約の手続きを経ずに釈放する」事が必要である。
左様なことはしていないし、出来る目処も無い。従って「サンフランシスコ講和条約による東京裁判の受け入れ」は、「否定のしようが無い」のである。
<2> 安倍首相も靖国参拝は控えているから。【7】
<3> 閣僚の靖国参拝は「首相の思いの体現」と見られかねないから。【7】
この二点では、私(ZERO)の主張は朝日社説と真っ向から対立する。上記<2>に対して私(ZERO)は、「安倍首相が靖国参拝を控えたりするモノだから、朝日が図に乗って”首相が靖国参拝を控えるのだから、閣僚も靖国参拝を自重しろ”なんて屁理屈をこねるんだ。」と主張する。
朝日の主張上記<2>は、一見尤もらしいが、首相の行動が閣僚の行動を規制するってのは「忖度」とか「思想統制」とか、言わないのかね?
朝日の主張上記<2>は、一見尤もらしいが、首相の行動が閣僚の行動を規制するってのは「忖度」とか「思想統制」とか、言わないのかね?
上記<3>は、まあ、論外だ。首相当人の参拝では無く玉串料奉納にも文句垂れる中韓だ。上記<3>の通り「首相の思いの体現」と見ることは、大いにあり得ようが、「だから、何?」だ。
否寧ろ、「首相の思いの体現と見られる」ことこそ、「首相の靖国参拝」に準じた効果を上げ得るから、先述の通り「未来の英霊たちの涵養」に資するであろう。
<4> 近隣外交の火種を作るから。【8】
コイツも一見尤もらしい理屈だが・・・「日本の閣僚が誰一人安國さんぽいしなかった」時代があったのを、朝日は忘れているのだろうか?
他でもない、「悪夢のような」民主党政権時代だ。
而して、「悪夢のような」民主党政権時代の対韓中関係は良好であったろうか?
尖閣諸島沖で中国「漁船」が我が海上保安庁船に体当たりテロを実施し、その船長を逮捕したものの民主党政権の圧力で忽ち無罪放免し足り、韓国由来の文物(*1)を変換したりと、中韓を随分と重んじ、その分米国を刑死した民主党政権時代の対中韓関係は、良好だったか?
私(ZERO)にはそのようには思えない。閣僚が誰一人靖国参拝しなかった当時でも、やっぱり文句言われたことは、弊ブログでも記事にしたところだ。今回の閣僚靖国参拝以前に既に「首相の靖国玉串料奉納」でも、やっぱり非難されている。
韓国や中国(の一部?)のような輩は、どうせ何やっても、何もしなくても文句付けるに決まっているのだから、「近隣外交の火種」なんざぁ「気にするだけ無駄」というモノだ。
それどころか、「近隣外交の火種を気にする」事が、舐められ、付け入られる隙を作る事になろう。
それこそ正に、朝日の狙いではありそうだがな。
- <注記>
- (*1) それが今日現存するのは、”日本が保有保管していたから”と言うのが、少なくとも一面の真理であろうが。
<5> 政教分離の原則から見ても疑義があるから。【9】
<6> 閣僚の参拝に限らず行動は、行使分かちがたいから。【9】
屁理屈・イチャモンのネタも尽きてきたらしいな。
先ずは上記<5>政教分離の原則が「閣僚の神社参拝を禁じている」としたら、それこそ思想信条宗教の自由の侵害では無いのか?「玉串料が靖国神社への支援になる」って(屁)理屈だとしても、ポケットマネーで出す分には何ら問題あるまい。
上記<6>もヒドい屁理屈だが、それ以前の上記<1>から<5>が全て「問題なし」と私(ZERO)は主張するのであるから、行使分かちがたかろうが、一挙手一投足全てが公的であろうが、何ら問題はありはしない。
<7> 国立の無宗教の追悼施設を作るべきだから。【10】
結局朝日が主張したかったのは、コイツなのでは無いか?閣僚の靖国参拝だの「近隣外交の火種」だのは、ただのダシだったのではなかろうか。
而して、何度聞いても間抜けな理屈だな。「無宗教で追悼」なんて、一体何をどうするつもりなのか、説明しやがれってんだ。
「戦没者を追悼する」以上、たとえ追悼される戦没者ないし追悼する者が無神論で自称・無宗教だったとしても、「死者の霊魂」という物理的には「無い」モノを「あるかの如く考える」のだから、仏教とかキリスト教とか宗教名はつかずとも、何らかの信仰心が介在する。それは、何教とか何宗とかは断じ難くとも、「無宗教」ではあり得ない。
即ち、「無宗教の追悼施設」なるモノは、国立だろうが私立だろうが、「実は無宗教では無い」か「誰も追悼しない」か、何れかにしかなりようが無い。
大体、今首相や閣僚の靖国参拝に文句付けている中韓が「国立の無宗教の追悼施設」ならば文句言って来ないなんて、何故確信持てるんだろうね。そやつらの大半は日本神道の徒ではないのに、あれだけ盛大に文句付けているんだ。靖国神社ならざる「新たな国立の追悼施設」が、無宗教だろうが共産主義だろうが主体思想だろうが、イチャモンネタが必要となれば中韓は文句を付けてくるだろう事は、賭けても良いぐらいだ。
而して、朝日が「90年代から日本と北朝鮮のいずれが主敵か論じていた」と認める韓国や、「核心的利益」なる侵略宣言を既に為している中国が、日本弱体化を狙い、「未来の英霊たちの涵養」を妨害するのは、いわば「理の当然」であろう。
それに与する朝日ってのは、正真正銘掛け値無しの売国奴、と言うことだ。当人の意識、無意識に拘わらず、ね。