やっぱりチョウセンジンは、キチガイだな。ー【中央日報】秋夕を台無しにする対話の技術=韓国
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何しろ、週刊誌が「韓国はいらない」って特集を組んだら「ヘイトだ!」「差別だ!!」と批難され、謝罪に追い込まれる様な世の中だ。上掲タイトルも似た様な批難を惹起する可能性は十分にあろう。
だが、ヘイトだの差別だのと頭に血を上らせる前に、虚心坦懐、下掲中央日報コラムを読んで頂きたい。
因みに、再三繰り返す通り、私(ZERO)は「神ならぬ身に定命の者たる人の子が、不完全なのは当たり前だから、誰にだって”差別感情”はあろうし、私自身も“あるに決まっている”。
だが一方で、差別というのは「差別する側にとっても、誤判断を招くなどのデメリットをもたらすモノ」であるから、「私(ZERO)は、私自身の”差別感情”を把握し、認識し、抑制し、有害な“差別行動”とならない様に心がけて」居る。そこは前述の通り「不完全なのが当たり前の人の子」であるから、完全完璧な抑制なんぞ、望むべくもないが、な。
今のところ私(ZERO)が「私自身の差別感情の対象」と認識し把握しているのは、「バカとアカとチョウセンジン」とは、既に公言断言している所だ。
って事は、だ。本記事の様な「チョウセンジン差別感情に基づく、チョウセンジン差別感情が明白な記事を公開公表公言すること」を「有害な差別行動とは考えて居ない」ってこと、だがね。
「差別感情を公言公表公開することは、差別感情の助長に繋がる!!」って批判批難のロジックは成立しよう。だが、所謂「差別用語の禁止」に典型的に現れる(と、私(ZERO)には思われる)通り、「差別感情の公言公表を禁じることで、差別(感情)を抑制ないし廃絶しよう」って試みは、自己満足自己陶酔以上の効果は無い(と、私(ZERO)は断言・断定しよう)し、言論の自由を侵害し、魂の自由まで奪おうという強烈な思想統制としか思われない。そんなモノは、御免被るね。
【中央日報】秋夕を台無しにする対話の技術=韓国
【コラム】秋夕を台無しにする対話の技術=韓国(1)[? 中央日報/中央日報日本語版]【1】 秋夕(チュソク、中秋)が終わった後には「秋夕後に離婚が2倍に増えた」「家族が集まって殴り合いに」のような記事をよく目にする。そのため、「温かい対話のための7つの原則」「名節ストレスを減らす対話法」のような特集記事も名節の前に出たりする。【2】 しかし、普段通りすればいいものをやたらに穏やかな口調で共感のリアクションをしながら技術を駆使してみたところ、むしろ逆効果だ。これまでとは違う行動をするよりは今まで繰り返してきた、他人は知っているが自身だけ知らなかった、自身ならではの秋夕を台無しにする技術を振り返ってみたほうが良いだろう。ひょっとして秋夕をわざと台無しにするために以下の技術を改めて活用してはならないだろう。【3】 一つ目に、最も多く使われる秋夕を台無しにする技術は「忠告」だ。人は習慣的に自身の経験と知識に基づいて何かを話して満足する。残念なことに、このような忠告のほとんどはすでにみんなが知っている型にはまったものだ。【4】 特に、相手の話を十分に聞かずに最初の話だけを聞いて話を遮る技術と「忠告必殺技」を駆使する時、効果はさらに大きくなる。さらに、本人が優れていることを見せつけるために四字熟語などを添えれば、相手を恥ずかしくさせ萎縮させるため、秋夕を台無しにしたいなら考えてみる価値はある。【5】 二つ目に、間違った慰安だ。もちろん、良い意味を込めて言う意図は分かるが、現実を踏まえて慰めるべきなのにやたらに「うまくいくだろう。心配しないで」というのは無責任だ。【6】 相手は自身の問題に関心を持っていないと感じるかもしれない。「そもそもそんなことさ! 私も経験したが、何でもない!」。慰めるところか自身の悩みを軽く思われていると感じさせるかもしれない。特に、若干声を高めて軽く「それは大丈夫だといっただろう」といえば「そんなことを言うのはもうやめて」と伝えられる場合もある。【7】 三つ目、ひねった質問だ。「ちょっと真面目に生きてみようと思ったことはないのか」。これは誰が聞いても不真面目な態度をひねった表現だ。「このようにチヂミをうまく作る子が普段の行動もそうだったら良いものを」。このような皮肉る質問はチヂミをひっくり返すのでなく、テーブルをひっくり返させるかもしれない。今後、秋夕に会わないのが目的なら皮肉る質問が効果的だろう。【8】 四つ目に、問い詰めることだ。相手方が答えにくい質問で問い詰めることでさらに傷をつける行動だ。「君、成績は何番目なの? どの大学に行くつもり?」、学校卒業後には「就職はいつするつもりなの?」、就職後には「結婚はいつするの?」、結婚後には「子供はいつ産むの?」、出産後には「第二子はいつ産むの?」のようなものだ。ひょっとしてこのような限りのない質問をしながら他人が困っていることを楽しんでいるなら、本人に苛虐性向があるのではないか深刻に考えてみるべきだ。【9】 その他にも数多くの技術があるが、五つ目として自身だけが楽しいギャグは考えてみることだ。実際、オヤジギャグに何の罪があるだろうか。対話をして楽しい人とすれば何の問題もない。問題は聞きたがらない人々に果てしなく強要すうことにある。「こんなことを繰り返して悪いが」と言う必要もない。悪いと思うなら、しなければ良い。【10】 最後に、今回の秋夕には韓国の法務大臣任命に関する対話を避けられないだろう。多様な政治的見解が火花が散るようにぶつかるだろう。名節に政治の話をしてはならないと言われるが、筆者は反対だ。政治の話をするのが問題でなく、政治の話が上手くできないから問題だ。【11】 相手方の話を聞きながら「こんなふうにも考えることができるんだ」「時代的な状況でこんなふうに影響を受けることもあるんだ」と理解すればよい。他人の立場を理解するというのはその主張がすべて正しいと受け入れるということではなく、「こんなふうにも考えられる」ととらえて他人の視線から考えることだ。それでこそ対話と議論が始まるためだ。自身のごり押し主張を受け入れることを強要してはならず、相手方が間違ったとして自身の意見に屈服させてはならない。自身だけが正しいと強要すること、名節を台無しにする近道だ。【12】 秋夕はともに楽しむための時間だ。誰か機嫌のために、ひょっとして別の誰かが傷ついて犠牲になっているのではないか振り返ってみる必要がある。秋夕の雰囲気を台無しにしたければ、上の対話技術を活用してほしい。【13】 しかし、それでなければ自身の口から言葉が出ようとする瞬間、一呼吸おいて相手の話にもう少し耳を傾けた後、もう一度考えて話してほしい。思いつくまましゃべって、自分だけ楽しければいいというのであれば、次の名節があるという保証はないだろう。ソン・イナン/延世(ヨンセ)大学社会福祉学科教授
えーと、延世(ヨンセ)大学社会福祉学科教授殿が、秋夕に家族が集まる人へのアドバイスって、事なのだが・・・
先ずその「アドバイスの目的が」凄まじい。「(久しぶりに)秋夕出集まった家族が、殴り合いを始めないため」のアドバイス、である。しかも〆の一文に、
1> 自分だけ楽しければいいというのであれば、
2> 次の名節があるという保証はないだろう。
2> 次の名節があるという保証はないだろう。
からすると、その「秋夕で集まった家族が、殴り合いを始め、殺人ないし過失致死に至る」可能性すら、示唆されている。斯様な状態は、少なくとも「キチガイじみている」と評して批難される謂われは無かろう。「文化の違い」とか「民族性の違い」なんてレベルは超越している。
更に、「アドバイスの中身」たるや・・・(例によって【】内はパラグラフ番号)
① 「忠告」はするな。 【3】
② 「間違った慰安」はするな。【5】
③ 「皮肉な質問」はするな。【7】
④ 問いつめるな。【8】
⑤ 自分にだけ受けるギャグを言うな。【9】
⑥ 「相手にも一理ある」と考えろ。【10】~【11】
・・・以上6項目が、ソン・イナン延世(ヨンセ)大学社会福祉学科教授殿が、韓国屈指の大手新聞中央日報に寄稿した、「秋夕に家族が集まる人が殴り合いを始めないための対話術」なのだそうな。
繰り返す。
ソン・イナン延世(ヨンセ)大学社会福祉学科教授殿が、韓国屈指の大手新聞中央日報に寄稿した、「秋夕に家族が集まる人が殴り合いを始めないための対話術」だ・そ・う・だ。
何とも姑息な、枝葉末節に走った技術論、と考えるのは、私(ZERO)だけだろうか?
仮に「秋冬に集まる家族」とやらが、日頃疎遠で財産相続か何かでもめて険悪な仲であったとしても、上記⑥「”相手にも一理ある”と言う考え」がしっかりあれば、上記①から⑤なんて「自ずと実現」しそうだし、況んや「殴り合いを始める」なんて、日本人である(かつ、朝鮮半島には行ったことも無い)私(ZERO)には想像を絶するのだが。
逆に、上掲中欧日報コラムから見えてくる「韓国の姿」は、上記⑥「”相手にも一理ある”と言う考え」が殆ど(或は全く)無く、ために上記①から⑤の様な姑息な対話術を実行しないと忽ち殴り合いが始まる。それも、「久しぶりに会った家族の間で」だ。
ある種の地獄絵図だな。なるほど、「ヘル朝鮮」と自称するだけのことはある、か。
斯様な状態と想像できる韓国を、韓国人を、タイトルの様に「キチガイだ」と断じるのは、少々言葉が過ぎるかも知れない。
斯様な状態と想像できる韓国を、韓国人を、タイトルの様に「キチガイだ」と断じるのは、少々言葉が過ぎるかも知れない。
だが、つくづく思うね。
玄界灘の向こう側・朝鮮半島なんかに生まれず、日出ずる処の島国・日本に生まれたことの、何と幸運であることか!!!