最早、「中央日報コラム」てだけで、わらいがこみあげるようになっているのだが。ー【中央日報コラム】【リセットコリア】絡まった日韓関係、文化平和で解決しよう
応援いただけるならば、クリックを⇒ https://www.blogmura.com/ranking.html
【中央日報コラム】【リセットコリア】絡まった日韓関係、文化平和で解決しよう
【リセットコリア】絡まった韓日関係、文化平和で解決しよう2019年09月09日07時54分
[? 中央日報/中央日報日本語版]【1】 韓国社会で最近のように平和という言葉が膾炙されたことはない。大学や民間団体を中心に平和研究所が雨後のたけのこのように生まれ、平和は国政の最優先価値になっている。これまで理論と実践で検証された平和理論は「民主平和論」と「経済平和論」だ。民主平和は民主主義が平和の土台という観点だ。政治体制が民主的であるほど平和的で、民主国家間では戦争が起きにくいという理論だ。経済平和は経済的相互依存が平和の核心条件だと主張する。民主平和と経済平和の哲学的根元がカントの「共和制平和」と「通商平和」にあるということは政治学の常識だ。【2】 1990年の国交正常化前の旧ソ連訪問時が思い出される。当時ソ連の平和専門家らが平和共存をイデオロギー共存と解釈するのに対し、私は平和共存を「平和的経済相互依存」と定義したことがある。政府が強調する平和経済も経済的条件としての平和とともに南北経済の相互依存関係が韓半島(朝鮮半島)平和に決定的に役立つという判断から出たものと理解する。【3】 私は経済平和とともに文化平和の必要性を提起しようと思う。文化交流が旺盛な国の間では対立と戦争の可能性が低く、文化外交が対立を解く解決策になれるという主張だ。どの国でも民族の文化が強力な政治イデオロギーになりアイデンティティの過度な形態として現れる場合、対立が激化しかねない。しかし国同士の持続的な文化交流は文化の閉鎖性を自ら拒否する相互学習過程であるため平和作りに寄与できる。【4】 驚くべきことに現代史で文化国家の指標として平和文化を最初に提示した人は金九(キム・グ)先生だ(『白凡逸志』)。21世紀の出発点である2000年はユネスコが平和文化の概念を提示した元年でもある。「文化平和論」は文化がソフトパワーである平和の象徴であり、文化交流が平和を作ることができるという歴史的経験に土台を置いている。【5】 韓日関係の絡み合いが解けないいま、文化平和を指向する公共外交を広げてみたらどうだろうか。幸い韓日は文化交流の拡充で和解・協力した良い先例がある。1998年に両国が反省と和解を相互に認める過程で当時韓国の80%の反対世論にも日本大衆文化に韓国市場を開放し、それが韓流の出発点になった。【6】 65年の国交正常化以来大小の対立を経てきながらも経済交流は対立解消の柱の役割をした。いまは日本の輸出規制で経済交流まで障害を受けており、韓国はこれに対応してGSOMIA終結措置で対抗している。【7】 いまや文化は韓日関係を支える最後の砦だ。文化交流は相互学習を通じた理解の幅を広げ、韓日対立要因を大きく減らしたことが立証されている。2005年に教科書問題で対立が深刻な状況で韓日はその年を「友情の年」と定め、750件に上る文化行事を行った。その後15年間毎年開かれてきた「韓日交流おまつり」は韓日関係の歴史上最も大きい規模の民間主導文化交流として、特に若い層の呼応が増加している。国交正常化以降で最大の危機と呼ばれる今年もソウルで盛大に開かれた。【8】 先月には韓日中3カ国の文化相が仁川(インチョン)で会い、相互尊重と互恵原則に基づいて文化の多様性を尊重するという共同合意をし、韓日文化交流・協力の共感を確認した。かなり前から東アジアの平和に向け韓日中BESETOオーケストラ創設を主張してきた者として望ましい動きだとみる。日本が韓国を侵略した7年、植民支配した35年は忘れることのできない過去だ。しかし日本が最初に認識した外国が韓国であり、その後1500年余りの文化交流を考えれば別れるにはあまりにも深い韓日関係ではないか。崔相竜(チェ・サンヨン)/元駐日大使
チョウセン紙には、斯様な「寄稿によるコラム」が、ままある。
ある意味「コラムの外注」であり、ある意味「丸投げ」。日本でも週刊誌なんかには良くあるスタイルだが、日本の新聞では滅多に見ない(「見えないだけ」かも知れないが。)。
日本の週刊誌には良くある、そんな「外注コラム」は、往々にして「それはそれはヒドいモノ」であり、その事は弊ブログでも幾つかの記事になっている。
私(ZERO)の見る所、チョウセン紙の「外注コラム」は「日本週刊誌の外注コラム」に輪をかけて「それはそれはヒドいモノ」なのが常態である。上掲の中央日報コラム、それも元駐日大使なんて結構な肩書きを持つ方のコラムも、「それはそれはヒドいモノ」の一例である。
私(ZERO)の見る所、チョウセン紙の「外注コラム」は「日本週刊誌の外注コラム」に輪をかけて「それはそれはヒドいモノ」なのが常態である。上掲の中央日報コラム、それも元駐日大使なんて結構な肩書きを持つ方のコラムも、「それはそれはヒドいモノ」の一例である。
タイトル「絡まった日韓関係、文化平和で解決しよう」だけならば、「平和」とか「解決」とかのキーワードだけで条件反射的に賛同してしまうような輩も居そうだが、殆ど生まれながらの右翼にして、「大凡あらゆる報道は、プロパガンダである、可能性がある」と考える意識的懐疑主義者たる私(ZERO)としては、「文化平和って、ナンダ?」って突っ込みも入れば(この点は、上掲コラム中に定義がある。後述)、「そんな怪しい”文化平和”如きで、今の”終わっている日韓関係”が復活し、改善するなんて、全く信じがたい。」と疑念も沸くのだが、「異論・異説は、己の思考の水平線を広げてくれる、可能性がある。」と想起して、さて上掲コラムを読みすすめると・・・
オープニング 「文化平和の定義」と「権威付け」 パラグラフ【1】から【4】
パラグラフ【1】から【4】、上掲コラムの前半をひと言で言えば、「文化平和の定義明確化」だろう。個人やら故事やらを総動員した挙げ句にチョウセンジンの金ナントカが「文化平和の先駆けだった!」と言いたいらしい。まあ、見るからにメッキでしか無い「権威付け」は、スルーしておけば良かろう。
肝心なのは、パラグラフ【3】で、
> 文化交流が旺盛な国の間では対立と戦争の可能性が低く、文化外交が対立を解く解決策になれるという主意だ。
ってのが『文化平和』と定義されるらしいこと・・・と、この定義が上掲コラムを書いた崔元駐日大使によるモノらしいこと。金ナントカとかユネスコとか引っ張り出して『文化平和』を権威づけようと躍起なようだが・・・私(ZERO)の見る所、「名前を出しただけで、全く権威付けになっていない」のだが。
だが、まあ、先述の通り「タイトルにある”文化平和”の定義を明記し明確にした」点は、誉めて良かろう。
パラグラフ【5】以降は、支離滅裂に近い程、バラバラな論旨
で、自らの定義した「文化平和」に、余程の自信があるのだろう。続くパラグラフ【5】で、殆ど思いつきのように(としか、私(ZERO)には読めないぞ。)、
1> 韓日関係の絡み合いが解けないいま、
2> 文化平和を指向する公共外交を広げてみたら々だろうか。
2> 文化平和を指向する公共外交を広げてみたら々だろうか。
と、「文化平和を指向する公共外交」が提案される。
で、パラグラフ【5】の後半は、「韓国世論が反対した日本文化解禁が、後の韓流に繋がった」とする「文化交流の成果・実績」な訳だが・・・はて、そいつは「文化交流の発展」とは言い得ても、「文化平和」なんて御大層なシロモノと言えるのだろうか?(イヤ、言えはしない)
で、続くパラグラフ【6】は「経済交流に支障がある」で、急に「経済交流」が登場し、前半にあった「文化平和と経済平和」の組み合わせに一応呼応はしているが、「経済交流」が現れるのはここだけで、以降は一切現れない。
また、上記1>~2>の通り「文化平和指向外交」という提言・断定・断言は、「経済平和指向外交に対する絶望・諦念」の裏返し、とも取れる。左様であれば、以降に「経済交流」が全く登場せず、「文化交流」一本槍なのも「理解はできる」処ではあるが・・・「経済交流はダメだけど、経済交流は盛んだ」なんて状態は、随分と奇異な状態では無いか。
或いはヒョッとして、今般の日韓関係終了の契機となった自称・徴用工問題が、「日本企業に対する賠償命令判決(とその放置)」という「正しく、経済平和に対する障害を成している」という認識が・・・まあ、チョウセンジンに、「ある」訳が無いか。
で、パラグラフ【7】以降は「日韓文化交流の実績の羅列」ばかり。それら「日韓文化交流」が「文化平和として結実した/していた」というのは、筆者の思い込み以上のモノでは無い。
で、上掲コラムの〆は・・・・
3> 日本が韓国を侵略した7年、植民支配した35年は忘れることのできない過去だ。
4> しかし日本が最初に認識した外国が韓国であり、
5> その後1500年余りの文化交流を考えれば
6> 別れるにはあまりに深い韓日関係では無いか。
4> しかし日本が最初に認識した外国が韓国であり、
5> その後1500年余りの文化交流を考えれば
6> 別れるにはあまりに深い韓日関係では無いか。
・・・韓国を「手首を切るブス」に喩えて、批難され、撤回と謝罪を余儀なくされた奴が居たが、上記4>から5>なんて正に「手首を切って、”死ぬ!””死ぬ!”と騒いで気を引こうとするブス」そのものでは無いか。
面倒だが、一つづつ突っ込むとしよう。
上記3> 「日本が韓国を侵略した7年」ッテのは、一体何のことかサッパリ判らない。我が国が朝鮮半島を統治したのは事実だが、それは当時朝鮮半島を統治していた政府からの要請に基づく統治であり、「侵略した」と言われる筋合いは無い。
上記4> 「日本が最初に認識した外国が韓国」ってのも、意味不明だ。「日帝支配35年」以前の朝鮮半島は、基本「大陸=支邦の植民地」であるから、「外国と認識」しようがない。
上記5>「その後1500年余りの文化交流」ってのも、嘘とは言い難いが、相当な誇張だな。その「文化交流」で「交流された文化」は、相当部分朝鮮半島の文化では無く、大陸/支邦の文化だ・・・と言うか「朝鮮半島の文化って、何があったっけ??」状態だ。
つまり、「1500年余りの文化交流」は、「日華文化交流」であって、「日朝/日韓文化交流」では無い。その文化交流で朝鮮半島が果たした役割は、喩えるならアンテナとかスピーカー程度でしかない。即ち、「さして深い訳では無い」
上記6>は、殆ど「泣き落とし」だな。
「だが、断る!!」と、言うべき所では無いかな。上述の通り、日韓(日朝)の文化交流は、「断った所でさして惜しくも無い」深さであるしな。
ああ、日韓関係に、国交断絶の危惧を覚えたらしいことは、誉めて良いかも知れない。
だが、日韓国交「正常化」以来、日本に対してのタカリ放題強請り勝手を通してきた韓国の実績は、ことにここ1年ほどの間に、自称/徴用工に対する日本企業賠償命令判決放置(およびそれに伴う日韓基本条約違反放置)、慰安婦財団の一方的解散による日韓慰安婦合意破棄、我が海自哨戒機に対する韓国海軍駆逐艦の射撃管制レーダー照射(およびその後の再発防止対策無策)、現職国会議長の天皇陛下に対する謝罪要求発言(およびその放置)と立て続けている「韓国の反日実績」は、上記6>の「泣き落とし」程度では、埒もあかないぞ。
そもそも、現状は至って平和的に粛々と「日韓国交断絶」へと向かっているのだから、「文化平和」も「経済平和」も、不要無用であり、出番は無いぞ。
「日本からの日韓開戦」の可能性があるならば、ナントカ平和も出番があるかも知れないさ。だが、半島統治なんざぁ二度とゴメンだ。恩を仇でしか返さない蛮人共は、蛮人のままでいるが宜しかろう。従って、「日本からの日韓開戦」の可能性は、無い。
であるならば、我が国が「平和的な日韓国交断絶」を求める限り、ナントカ平和の出る幕は無い。
再三繰り返しているが、「日韓基本条約を守らない韓国」は、最早「我が国の外交の対象とはならない」のだから、遅かれ早かれ、粛々と、確実に、「国交は断絶」する。
そりゃ、それによる不利益もあるだろうさ。だが、従来従前の「韓国の日本に対する強請り放題タカリ勝手」という、異常で異様な日韓関係を続けるよりは、遙かにマシであろう。
言い換えれば、「日韓基本条約を守ろうとしない韓国」に対する国交断絶は、真の意味での「日韓関係正常化への第一歩」なのである。
まあ、韓国って国が、当面存続するモノとして、だがね。
朝敵朝鮮、滅すべし。