【東京社説】「憲法公布の日にワイマールの教訓とは」
【東京社説】「憲法公布の日にワイマールの教訓とは」憲法公布の日に ワイマールの教訓とは2018年11月3日【1】 きょう十一月三日は日本国憲法が公布された日だ。世界史に目をやれば百年前、ドイツでワイマール憲法が誕生する契機となった事件の日でもある。【2】 ドイツ海軍は英国海軍に制海権を握られて、海上封鎖にあっていた。第一次大戦の末期のことだ。ドイツ北部の軍港は敗色が濃厚で、もはや水兵らは厭戦(えんせん)的な気分になっていたという。【3】 戦艦は港に眠ったまま。潜水艦の攻撃も成功の見込みはない。それでも海軍司令部は大決戦を挑むつもりだった。攻撃命令が出た。まるで特攻作戦である。ところが、大勢の水兵が命令を拒否してしまった。◆改憲は社会契約の変更【4】 水兵はただちに拘束され、キール軍港へ。軍法会議で死刑が予想された。緊張した空気の中、仲間の水兵らが釈放を求めた。そして、一斉に武装蜂起-。「キールの反乱」と呼ばれる、一九一八年十一月三日の世界史的な事件だ。【5】 ドイツ海軍の戦艦同士が大砲を向け合ったという。上官に従う艦と従わない艦と…。結局は水兵と労働者による評議会が形成され、キール市を支配下に置いた。【6】 反乱の火はドイツ全域に拡大し、九日には皇帝ウィルヘルム二世が退位に追い込まれ、オランダに亡命した。帝政ドイツの崩壊。そしてドイツ共和国が誕生した。【7】 帝政時代の憲法は鉄血宰相で有名なビスマルクらが制定した。だが、共和政へと国家の形が変われば新憲法がいる。それが一九一九年のワイマール憲法だ。つまり国民との社会契約が変わるとき憲法も変わる。【8】 明治憲法は帝政時代のドイツ(プロイセン)憲法を模範とした。戦後の日本国憲法も敗戦により、天皇主権から国民主権へと政体が変わったから、新たな社会契約として制定されたのだ。◆自衛隊をなぜ明記?【9】 日本国憲法は英国の「権利の章典」、米国の独立宣言や合衆国憲法、フランスの「人権宣言」などの思想を踏まえる。ワイマール憲法との類似点もある。【10】 例えば生存権である。「健康で文化的な最低限度の生活を営む権利」の条文だ。その他、ワイマール憲法では主権在民や男女平等の普通選挙。教育を受ける権利しかり、自由権しかり、労働者の団結権もしかり…。【11】 ワイマール憲法は当時、世界で最も民主主義的で、輝ける憲法だったのだ。「平和主義」の日本国憲法も今なお世界最先端をゆく、輝ける憲法だと考える。【12】 だが、臨時国会で安倍晋三首相は「自民党総裁として」と断りを入れ、九条改正を促した。持論は自衛隊の明記だ。「自衛隊員の正当性の明文化、明確化は国防の根幹だ」と答弁した。 【13】 不思議だ。自衛隊に正当性がないのか? 歴代政権は「合憲」と正当性のお墨付きを与えてきたではないか。国民の大半の支持がある。法制度も整っているのに。(*1)【14】 九条改憲案が国民投票で可決されても首相は「(現状に)変わりがない」と述べ、否決されても「(合憲に)変わりがない」と過去に言った。ますます不可解だ。改憲の動機が空疎なのだ(*2)。【15】 「平和主義」は戦後日本が国民との間で交わした最重要の社会契約である(*3)。しかも世界に、アジア諸国に向けた約束でもある(*4)。その社会契約を変更するには、説得できる理由がいるはずだ(*5)。【16】 首相がこだわる真の理由は何か。まさか「改憲したいから」ではあるまい。「国軍化」への一歩なのか(*6)。歴代内閣が守ってきた専守防衛の枠を超え、集団的自衛権さえ使う国になった。自衛隊の任務の境界が不明確になった。海外の戦争にまで踏み込むのか。【17】 平和主義を打ち壊そうとしているなら(*7)断然反対する。そもそも憲法改正には限界がある。立憲主義も国民主権も平和主義も基本的人権も権力分立も、憲法の根本原理だから改正不能でないのか(*8)(*9)。【18】 だが、憲法条文を無力化する方法が別にもある。緊急事態条項である。政府が「緊急事態」を宣言すれば、憲法秩序が止まる。【19】 輝けるワイマール憲法がわずか十四年で事実上、機能停止したのも、この規定のためだった。ナチス・ドイツ下では「民族と国家防衛のため」を口実に国家緊急権が乱用され、保障されているはずのさまざまな自由が奪われ、ユダヤ人の大虐殺も行われた。◆「国民のため」は要注意【20】 自民党が考える改憲案には緊急事態条項も含まれている。為政者は権力を強めるためにさらなる権力を求める。だから条文で厳しく制約し、権力を鎖につなぐ。それが憲法の役割である。【21】 ワイマール憲法を教訓にすれば、政府が「国のため」「国民のため」というとき、実は危険な兆候なのかもしれない(*10)。<注記>
(*1) ワイマール共和国憲法にも(理の当然ながら)軍隊は明記されているというのに、日本国憲法には自衛隊の「じ」の字すらない。軍隊を擁しながら、憲法に軍隊を明記しない国が、日本以外に何処かに、今までに、あるのかね?普通、軍隊は国の根幹の一つだ。憲法に明記されて居ろうが。(*2) 馬鹿抜かせ。憲法がどうあろうが、国民投票結果がどうあろうが、「自衛隊は必要」という点に変わりは無いから、さ。その「どうあっても必要な自衛隊」を否定するような憲法は、買えて当然。変えないのは不思議。何が「改憲の陶器が空辣」だよ。(*3) Negative! そんな社会契約を交わした覚えは無いぞ。(*4) Negative! 我が国の憲法は、我が国の憲法でしか無い。「憲法でアジア諸国に向けて約束した」なんて、何を以て断言するんだ??(*5) 自衛隊は必要で、厳然と実在するのに対して、空虚で空想的妄想的でお花畑の日本国憲法は自衛隊を「否定」している。だから、変える。QED(*6) 自衛隊を国軍化することの、何が問題なのか??(*7) それは、改憲案に自ずと現れるはずだ。「改憲案のココが平和主義に反する」と言う主張ならば、議論の甲斐もあろうが、「平和主義を壊そうという容疑だけで証拠も何も無しに、改憲反対且つ改憲議論反対」って、馬鹿なの?ごめん。訂正する。馬鹿丸出しの全開だったな。(*8) 「憲法の根本原理は改憲不可能」なんてこと、誰が何時決め何時公示明示したんだ?憲法学者?そりゃ憲法信者か憲法教徒の間違いでは無いのか??(*9) そりゃ憲法の一面ではあろうが、一面でしか無かろう。(*10) 警戒するのは東京新聞の勝手だが、「国のため/国民のため」の「議論をしない/議論に応じない」と言うのは、論外だぞ。そりゃある種の言論統制だ。「国のため/国民のための議論」を政府がするのは当たり前。しない政府は、銃殺モノの怠慢だろう。」
東京新聞が如何に憲法教徒、もとい、「憲法変えちゃぁいけない教徒」かが、良く判る社説だ。
最後まで読み通すつもりが、敵わず、思わずアレコレ突っ込みを入れてしまったのは、その「憲法変えちゃぁいけない」原理主義ぶりが、余りにキチガイじみていたから。
一例を挙げれば、パラグラフ【17】に登場する「日本国憲法の根本原理」だ。「立憲主義も国民主権も平和主義も基本的人権も権力分立も」と、一見尤もらしい項目が並ぶが、それら「変えてはいけない憲法の根本原理」ってのは、「不磨の大典」と何が違うんだろうね。「根本原理以外は変えても良い」って所かな。だとしても、大差は無いぞ。
大体、「局所的・不磨の大典」たる「憲法の根本原理」ってのは、誰が何時決めて、どう公示/明示/周知されたんだよ。そいつは日本国憲法自身に書かれた改憲条件とは、どう整合しているんだ??
私の読んだ限り、解釈の及ぶ限り、日本国憲法自身に「改憲してはいけない部分」なんて指定は無い。だから、改憲条件が明記され、それに則っている限り、「憲法総取っ替え」だって可能であるし、日本国憲法に合憲の筈だ。違うのかね?違うとしたら、何故かね???
・・・と、(私としては)素直に考えていたら・・・人間、一生勉強だねぇ。ウイキペディアの「日本国憲法」の項に「(日本国憲法の)基本理念・原理」ってのがあって、その記述によると(*1)上掲東京新聞社説が主張する「憲法の根本原理」は「ある」とし、「変えてはいけない」=「改憲には制限がある」って学説が「憲法学会の多数派」なのだそうだ。正直、驚いたねぇ。
もし左様な学説が憲法学会の多数派であるのならば、憲法学者ってのは、基本的に(或いは、部分的に)「憲法変えちゃぁいけない教徒」なのではなかろうか。
ハハーン。それで得心がいったぞ。「憲法変えちゃぁいけない教徒」が国会議席数の三分の一以下となり「改憲があり得る」状態になって久しいが、「何故、憲法を変えてはいけないか」とか「何故、憲法9条は現状のままが良いか」と言う私(ZERO)に言わせれば「至極まっとうで、議論相手となり得るような日本国憲法ないし日本国憲法9条擁護論」ってのが全く(少なくとも、朝日、毎日、東京新聞の社説としては)出て来ない理由は、こいつか。
☆ 「平和主義は日本国憲法の根本原理であるから、改憲では変えられない。従って、憲法9条は改憲できない。」って、正に上掲東京社説にある主張が、「憲法学会では多数派」なのだ(多分)。
だが、左様に主張する社説は初めて見た。そんな「憲法学会の多数派意見」が、今頃漸く出て来たのな何故かと考えると・・・「憲法学会で学者先生が唱える学説」としては上掲☆は良かろうが、「国会の改憲議論で国会議員が主張しても、全く説得力が無いから」ではないのかね。
事実、私(ZERO)に対して上掲☆なる主張は「学説、一節としては承るが、説得力はまるで無い。」
つまり、私(ZERO)に言わせるならば、朝日、毎日、東京はじめとするアカ新聞どもや野党議員は愚か、日本の憲法学者の「多数派」は、「憲法変えちゃぁいけない教徒」にとうの昔に堕していた、訳だ。
日本国憲法自身に明記されている通り、日本国憲法の改憲を発議するのは国会で、それを承認ないし否決するの国民だ。憲法学会学説も憲法学者の主張も、「参考意見」にしかならない。
言い換えれば、上記☆「平和主義は日本国憲法の根本原理であるから、改憲では変えられない。従って、憲法9条は改憲できない。」と言う主張は、国会や国民に対し説得力がなければ、「象牙の塔の中でしか通用しない」ってことだ。
で・だ・
そんな「象牙の塔の中でしか通用しそうに無い”学説”」が「憲法9条擁護論として東京新聞社説に登場した」事実に、「憲法9条擁護論の苦境/苦悩」を私(ZERO)は見るね。ま、自業自得だけどね。
さはさりながら、北朝鮮は滅ぼすべきだな。
<注記>
(*1) この記述自体が、全くのでたらめという可能性を、忘却すべきでは無い。ウイキペディアとは、その程度の情報源だ。否、凡そありとあらゆる情報源は、「デタラメである」可能性を排除すべきでは無いが。
諄いようだが、大変重要なので繰り返しておこう。
「日本国憲法に、改憲できない/変えてはいけない根本原理がある」とするならば、その「根本原理」は、正に国会が、改憲議論を通じて定め、明示/公示/周知すべき国家の重大事である。
「日本国憲法の根本原理」は、憲法学者如きが象牙の塔の中で幾ら議論討論しようが、精々「日本国憲法の根本原理の原案」を出せるだけである。憲法学者如きが「日本国憲法の根本原理」を決定できる訳が無い。決定されて、堪るモノか。
而して、現時点に於いて「日本国家法の根本原理を国会で議論」したことすらない(あるとしたら、憲法制定当時かぁ?・・・)のであるから、「日本国憲法の根本原理は、現時点に於いて決定/明確化/明文化/明示/公示/周知されていない。」
であるというのに、なぁに憲法学者の一学説(*1)にすがって改憲反対を唱えてやぁがるんだ東京新聞は。学説は、学説でしか無かろうが。
「憲法変えちゃぁいけない教の神官様」なんて地位や権威は、「憲法変えちゃぁいけない教徒」以外には、通用しないぞ。
それにしても・・・憲法学者というと、胡散臭い変な奴ばかりなのは、こう言う事なんだな。憲法学会からして、腐っているんだ。
<注記>
(*1) 学説は、多数派であっても、定説であっても、学説でしか無い。