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【毎日社説】「昭和天皇侍従の日記 歴史を問い返す大切さ」
【毎日社説】「昭和天皇侍従の日記 歴史を問い返す大切さ」

昭和天皇侍従の日記 歴史を問い返す大切さ

毎日新聞2018年8月28日 東京朝刊

【】 昭和天皇に1974年から約15年間仕えた故小林忍侍従の日記が見つかった。特に目を引くのは、1987年4月7日の記述である。 

【】 「仕事を楽にして細く長く生きても仕方がない。辛(つら)いことをみたりきいたりすることが多くなるばかり。兄弟など近親者の不幸にあい、戦争責任のことをいわれるなど」

 【】 この2カ月前、弟宮の高松宮が亡くなった。また、この年の1月、戦時中の側近だった木戸幸一元内大臣の日記の未公刊部分を明かす資料集が刊行された。木戸日記には、天皇が51年9月のサンフランシスコ講和条約調印時、戦争責任をとる形で退位も考えていたと記されていた。 

【】 こうした状況と小林日記の記述から、天皇が晩年まで戦争責任問題を気にしていた様子がうかがえる。 

【】 当時の富田朝彦宮内庁長官や卜部(うらべ)亮吾侍従の日記に小林侍従からの伝聞は記されていたが、今回は天皇の嘆きを直接聞いた本人の記録だ。

 【】 法的な戦争責任は、日本を占領した連合国による東京裁判が、戦争指導者25人を有罪認定した。「勝者による裁き」との批判はあったが、日本は政治決着として受け入れ、独立を回復し、国際社会に復帰した。

 【】 昭和天皇が戦争の多大な犠牲に道義的責任を感じていたことは、長年の研究で明らかになっている。 

【】 一方で、法的責任を政治的に乗り越えた戦後日本再出発の微妙な成り立ちに、昭和天皇は人一倍敏感にならざるを得なかったのだろう。靖国参拝中止もその表れとみられる。

 【】 小林日記の記述の翌88年4月28日、富田長官は手帳に、昭和天皇が参拝をやめた理由として、A級戦犯合祀(ごうし)に強い不快感を述べていたメモを書き残している。昭和天皇が亡くなった翌年の小林日記にも、靖国問題についての長い記述が見える。 

【】 今の天皇陛下は、戦争への反省や戦没者慰霊に心を砕き、昭和天皇が切望しながら戦後訪問できなかった沖縄に思いを寄せ、靖国参拝を控えてきた。昭和天皇の強い心情を受けとめていたからであろう。

 【】 国民にとっても、戦争責任の問題は今なお論点として残り続ける。

 【】 間もなく平成の終わりを迎えるに当たり、こうした資料が出てくる度に、私たち自身が歴史を問い返すことの大切さをかみしめたい。


昭和天皇陛下が、”A級戦犯”の靖国合祀を問題視されたのならば、それは、陛下が間違って居られる。

 だが、それ以前に、昭和天皇陛下が、”A級戦犯”の靖国合祀を問題視された]とは、とても信じられない。

 当たり前のことだが、所謂”A級戦犯”の方々は、戦前戦中を通じて我が国の中心・指導層を成した方々(*1)であり、それ故に「A級戦犯」とされ、刑場の露とされ、さらには昭和天皇陛下と大いに接触・親交のあった方々だ。

 実に卑近な譬えで申し訳ないが、貴方は、貴方の知人が「A級戦犯」とされ刑死させられた後に「靖国神社に合祀された」ならば、その「A級戦犯合祀」を問題視するだろうか?「A級戦犯認定」は、貴方とその知人との交友・親交よりも、優先されるだろうか??

 私(ZERO)ならば、そんなことはしないだろう。また、昭和天皇陛下が「そんなことをする」とは、とても信じられない。

 さらに言うならば、上掲毎日社説が「歴史を問い返す大切さ」と銘打って題材にしている「故小林忍侍従長の日記」に記された昭和天皇陛下のお言葉は、

1> 「仕事を楽にして細く長く生きても仕方がない。
2> 辛(つら)いことをみたりきいたりすることが多くなるばかり。
3> 兄弟など近親者の不幸にあい、戦争責任のことをいわれるなど」

である。このお言葉が昭和天皇陛下の仰った通りだとしても(*2)、此処で陛下が「辛いこと」とされているのは、直接厳密には「近親者の不幸に会う」と並んで「戦争責任のことを言われるのを聞くこと」でしかない
 
 これを「昭和天皇陛下自身が戦争責任を自覚していた」とする解釈も(一応)成り立つが、「謂われのない罪を、繰り返し言われること」だって、相当に「辛かろう」。言い換えれば、上記1>~3>「昭和天皇陛下のお言葉」を「昭和天皇の戦争責任の自白」と、断定断言することは出来ない、筈だ。

 であるというのに、上掲毎日社説は、断言している。

4> 国民にとっても、戦争責任の問題は今なお論点として残り続ける。

・・・なるほど、上記4>の「断言」は、「昭和天皇陛下のお言葉」を「昭和天皇の戦争責任の自白」と断定したもの、ではない。

 だが、上記1>~3>の「昭和天皇のお言葉」と、史料としての価値は実に疑わしい「富田メモ」の引用、さらには小林日記の「靖国問題についての長い記述(*3)」と並べ立てた上での上記4>だ。

 毎日社説は、「昭和天皇のお言葉」を「昭和天皇の戦争責任の自白」かの如く印象操作したモノである。それ即ち、「昭和天皇陛下の政治利用」であろう。

 無論、私(ZERO)は、上記4>「国民にとっても、戦争責任の問題は今なお論点として残り続ける。などという毎日新聞社説の主張には全く賛同しない。否定する。大東亜戦争は、我が国にとっても人類史にとっても相応の意味・意義のある戦争であったと主張するし、「大東亜戦争の戦争責任」なんざ、講和条約と東京裁判で釣りが来て余りがあり過ぎるぐらいだ。

 「(大東亜戦争の)戦争責任の問題は今なお論点として残り続ける」奴バラがこの世に未だ数多居るのは事実だが、それは、「我が日本国民にとってではない。」とも断言しよう。

5>  間もなく平成の終わりを迎えるに当たり、
6> こうした資料が出て来る度に
7> 私たち自身が歴史を問い返すことの大切さをかみしめたい。

 Nutz! ふ・ざ・け・る・な。

 死してなお、昭和天皇陛下を政治利用して、東京裁判を糊塗しようなどと言う上掲毎日新聞社説は、「歴史を問い直す」ことなどしていない。

 「歴史を問い直す」ならば、問い直されるべきは、正に「東京裁判」であり、「A級戦犯」はじめとする「戦犯」とされた方々である。

 それはそうと、北朝鮮は滅ぼされるべきだな。
.

<注記>

(*1) その「指導」が、「平和に対する罪」及び「人道に対する罪」であるとして「A級戦犯」として訴追された、方々。 

(*2) それにしたって、伝聞であるから、裁判なら証拠能力はない、な。
 ああ、東京裁判は別だぞ。あれは、裁判ではない。 

(*3) 「長い記述」としか書かれていないので、何が書いてあったかは、この社説からは判らない。また、その記述が真実であるかどうかは、さらに不明だ。