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幾つも弊ブログにも記事にしているが、私(ZERO)は我が国が死刑制度を有することを肯定している。それは「冤罪の可能性は常にあるモノ」と知って、覚悟した上での肯定であり、「死刑制度を有する現状の日本」と「死刑制度を廃した場合の想像上の日本」を比較して考えた上で「如何なる非道極悪な犯罪を犯そうと死刑にされることはない」状況が「死刑されることがあり得る」現状よりも「優れている」とか「良い」とかなんて全く思えないからこその「我が国の死刑制度肯定」だ。
「死刑制度廃止の意味・意義」として私(ZERO)に考えられるのは、①流行であり新しいという格好つけと自己満足 ②死刑廃止を説く者自身ないしその縁者が死刑にされる可能性をなくせる ぐらいしかない。
そんな私が「法曹界に入るまで死刑制度に賛成していたが、法曹界に入って死刑制度反対になった。」なんて間抜けきわまりないブログ記事を見つけたら、そりゃ突っ込まざるを得ないだろう。「冤罪なんて、常に”ある”と考えるべきなのに、法曹界に入るまで”あると思っていなかった”なんて、トンデモナイ間抜けだ」と。
そんな私が「法曹界に入るまで死刑制度に賛成していたが、法曹界に入って死刑制度反対になった。」なんて間抜けきわまりないブログ記事を見つけたら、そりゃ突っ込まざるを得ないだろう。「冤罪なんて、常に”ある”と考えるべきなのに、法曹界に入るまで”あると思っていなかった”なんて、トンデモナイ間抜けだ」と。
で、そこからコメント応酬が始まったのだが・・・まあ、転載元も含めてとくとご覧あれ。
自分は法曹になるまでは、断然死刑賛成派だったけど、弁護士になり、警察、検察の怖さ(自白強要、人質司法)を肌身で感じ、人間は間違えると確信したので、今では死刑には極めて慎重にあるべきという立場に転じた。自分は法曹になるまでは、断然死刑賛成派だったけど、弁護士になり、警察、検察の怖さ(自白強要、人質司法)を肌身で感じ、人間は間違えると確信したので、今では死刑には極めて慎重にあるべきという立場に転じた。2018/7/20(金) 午後 2:36 死刑制度 事件弁護士 都 行志? @Miyako_Koji その他自分は法曹になるまでは、断然死刑賛成派だったけど、弁護士になり、警察、検察の怖さ(自白強要、人質司法)を肌身で感じ、人間は間違えると確信したので、今では死刑には極めて慎重にあるべきという立場に転じた。検察、裁判所だって完璧ではない。一度、死刑を執行して、間違えましたじゃ済まない。
【Z1】間違い、冤罪の可能性を含めて、死刑制度ですが、何か?
人間が間違えるなんて、弁護士になるまでわからなかったのかね?
2018/8/5(日) 午前 7:11 [ ZERO ] 返信する
【1】> ZEROさん
何が言いたいの?
2018/8/5(日) 午後 3:24 [ han**hi_ai ] 返信する
> ZEROさん
三権分立を散々破壊してる現政権が、死刑執行の根拠には三権分立を持ち出す不思議。
2018/8/6(月) 午前 10:46 [ han**hi_ai ] 返信する
【Z2】冤罪が常にありうる以上、冤罪による死刑執行があるのは理の当然。そんな当たり前のことに弁護士になって漸く気がついたのは、大間抜けとしか言いようがない。少なくとも、死刑執行に関する限り三権分立を実施していることは評価しない不思議。
2018/8/6(月) 午後 5:29 [ ZERO ] 返信する
【2】まあ、この弁護士さんは気づくのが遅かったってことでしょうね。
少なくとも恣意的な執行を、三権分立を根拠にするのは無理があると思うが。
2018/8/6(月) 午後 6:49 [ han**hi_ai ] 返信する
【Z3】死刑確定して執行待ちの死刑囚はまだ百人以上居るのだから、誰から執行しても「恣意的」との批判は免れますまい。免れるには、全員一斉死刑執行しかない。それに、オウムの逆徒共より先に執行すべき死刑があった。とも思えませんが。
2018/8/10(金) 午後 6:55 [ ZERO ] 返信する
【3】少なくとも慣例無視、三権分立を散々破壊してる現政権に三権分立を根拠にする資格はないね。
2018/8/11(土) 午前 0:09 [ han**hi_ai ] 返信する
【Z4】慣例を無視したとて、死刑執行に関する三権分立違反とはならない。
司法で確定した死刑は粛々と執行するのが三権分立。従って「三権分立に反する」のは、確定した死刑の執行を実施しないできた歴代の政府の方。
死刑に関するかぎり、現政権は歴代の大半の政権より三権分立に従っている。
他で「三権分立を無視」していたとしても、この点に疑義の余地は無い。で、現政権のどのあたりが三権分立無視なんてますかね?
全世界はこれを知らんと欲す。
2018/8/11(土) 午前 8:18 [ ZERO ] 返信する
【4】この方は自分や自分より大切な人が冤罪で死刑になっても甘んじてそれを受入れる覚悟があるという立派な尊敬すべき人物なんでしょう。
私ら凡人には遠く及びません。
2018/8/11(土) 午後 0:56 [ han**hi_ai ] 返信する
【Z5】死刑囚の立場で死刑制度を論じるなんて、論外だ。そんな立場からは、大凡「死刑制度廃止論」しか出て来ない。伝説のソクラテスは別だが。だが、死刑囚なんてのは、圧倒的に少数だ。死刑制度を論じるならば、「死刑制度のある日本の現状」と、「死刑制度を廃止した想像上の日本」の優劣であるべきだ。で、その優劣で、私は明白に死刑制度を肯定している。それは、幣ブログでも明らかにしているし、「超人」である必要なんかない。
常識人で十分だ。
2018/8/16(木) 午後 10:09 [ ZERO ] 返信する
【5】別に死刑囚の立場だけで死刑制度を論じてる訳でもないし、死刑に犯罪抑止効果なぞないことは犯罪心理学ではまったくの定説になっていることからして、「死刑制度を廃止した想像上の日本」が劣るとは考えられませんね。被害者(遺族)の感情を優先するから死刑を肯定するというのなら、そこに復讐以外の意味は客観的・論理的に見いだしようがない論理的帰結です。そのような感情論を法制度で担保する必然は法治国家において皆無であり、まして国家の名の下に殺人を正当化することなど不道徳極まりないので、死刑制度を維持する必要は一切ありませんね。
2018/8/17(金) 午前 0:17 [ han**hi_ai ] 返信する
まあそれはいいとして、貴方は自分や自分より大切な人が冤罪で死刑になっても甘んじてそれを受入れる覚悟があるという立派な尊敬すべき人物であるってことはよくわかりました。と同時に、異常にまで死刑執行、人を殺したがっている方のようにお見受けしました。
貴方のような方は、まず自分で死刑執行のボタンを押すボランティアをやって欲しいですね。殺したがっているんだから、他人にやらせるのは卑怯だと思いますよ。
最後に私は、貴方のように異常に人を殺したがってる異様な性格な方と交流を持とうとは思いませんので、どうぞお引き取りください。悪しからず。
2018/8/17(金) 午前 0:18 [ han**hi_ai ] 返信する
改めてコメント応酬を振り返ってみると・・・
当該ブログ主は「単なる反アベで、何となく死刑廃止論者」だった、のではなかろうか。安倍政権下で死刑が執行され,死刑制度に反対する弁護士(自称(*1))のツイッターを見つけて,ブログ記事にした.ブログ記事にはしたが,「何となく死刑廃止論」では大した根拠もないので,「三権分立違反を重ねる(何処でどう重ねているかは,不明)安倍政権が,三権分立を口実に死刑執行する資格はない」とか何とか、へんてこりんな理屈をこねた。
それでも、コメント押収を重ねる内に何処やらで「死刑廃止論」を学んだ、のではなかろうか。【4】で
1> この方は自分や自分より大切な人が冤罪で死刑になっても甘んじてそれを受入れる覚悟があるという立派な尊敬すべき人物
と言い出した。これは、以前弊ブログにいただいたコメント「貴方や,貴方の大切な人が死刑囚である場合を考えろ。」ってのと「同じ理屈」だ。
となれば、私(ZERO)の答えもそのときと変わりがない.「死刑囚の立場で死刑制度を論じるなんて論外だ【Z5】」。すると今度は、最終コメント【5】で、
となれば、私(ZERO)の答えもそのときと変わりがない.「死刑囚の立場で死刑制度を論じるなんて論外だ【Z5】」。すると今度は、最終コメント【5】で、
2> 貴方のように異常に人を殺したがってる異様な性格な方
とまで言い出した.これは瀬戸内淑徳の「殺したがる馬鹿」発言と相通じるモノがあるが、上記1>とは随分と齟齬来している。
一つ安心材料をあげるとするならば当該ブログ主が私(ZERO)のことを「異常に人を殺したがってる異様な性格」と断じた根拠が死刑制度肯定論にあるならば,世論長背結果では日本国民の八割以上が我が国の死刑制度に賛成しているから,「我が国民の八割以上は,当該ブログ主には”異常に人を殺したがってる異様な性格”に見える」筈である.それでは当該ブログ主様は日本では大変に暮らしにくかろう.まあ、余計な心配ではあるが。
それはそれとして、この最終コメント【5】に於いて,それまでのトンチンカンな三権分立論は何処へやら、「死刑に犯罪抑止効果がないのは犯罪心理学の定説」などと言い出して「死刑制度廃止論」をぶち上げている・・・私(ZERO)ははなっから死刑制度を肯定しているのだから、左様な「死刑制度廃止論」なら早々に登場しそうなモノだが、登場せずに妙な三権分立論に走った辺りが「元は只の反アベで、何となく死刑廃止論」だったのではないかと「邪推」する所以だ。
ああ、私(ZERO)もちょっと調べてたが、「死刑に犯罪抑止効果がないのは犯罪心理学の定説」ってのは確認できなかった。日本アムネスティも,日弁連も,そんな論拠根拠があれば飛びつきそうなモノだが、「死刑制度廃止前後のフランスで犯罪発生率は変わらなかった。(それって、どれぐらいのスパンで比較したの?単年度ならば,変動幅があるだろうし,たとえば5年平均というならば、5年間の時間経過は死刑制度の有無以外関係ない、なんてどうして断定できるの?)」「人工構成等が似ているカナダとアメリカでは,死刑制度を廃止したカナダの法が犯罪率が低い(その2国は随分と気象も歴史も異なるのに,簡単に比較できるの?)」などの、私(ZERO)にとって明白とは言えない根拠でしか「死刑制度に犯罪抑止効果があるという科学的根拠はない」を説明していなかった。
と言うより、ぶっちゃけ、「死刑制度に犯罪抑止効果がない」と言うのが「犯罪心理学の定説」であるならば、「その犯罪心理学とやらは、徹底検証すべき」ではなかろうか。あまりに常識や感覚とはかけ離れていて,それこそ「常軌を逸する」レベルだ。
それは兎も角、
当該ブログ主様が「元は単なる反アベで何となく死刑廃止論者で,今回にわか勉強して死刑廃止論を補強した」かどうか、なぁんてのは、些事だ.特に,「補強後の死刑廃止論」が、オッペケペーな「犯罪心理学の定説」とやらに依拠しているならば、尚更だ。
死刑執行スイッチのボランティアってのも、些事だね。私は死刑囚ではないし、死刑囚に知り合いも居ない.。死刑執行スイッチボランティアをやったこともないが、受けて立つつもりぐらいなら、あるさ。「死刑執行スイッチを押す」ってのは、いやな仕事だろうが、死刑制度がある限り、誰かがやらねばならない仕事(*2)、だ。
言い換えるならば、「死刑執行スイッチのボランティアを引き受ける覚悟も含めて,死刑制度の肯定だ。」とも言えよう。
もっとも,仄聞するところによると,死刑執行スイッチってのはダミーを含めて三個用意され、三人で一斉に押して「どれか判らないがそのうちの一つのスイッチ執行される」そうだから、「死刑執行人の心情にも一定の配慮は払われている」とも言える.が、これまた死刑制度論議の上では、些事だな。
前述の通り、また何度か繰り返す通り、「我が国の死刑制度の存否を論じる」には「死刑制度を有する現状の日本」と「死刑制度を廃して想像上の日本」の優劣・メリットデメリットに依るべきだ。
これに対し、日本アムネスティも、日本弁護士会も,当該ブログ主も、せいぜいが「日本が死刑制度を廃止しても,治安が悪化することはない.」としか言ってい居らず、その根拠は「少なくともとも明白とは言えない。」
「政府による死刑執行は,政府の強権だから否定されるべきだ.」ってのを、日本アムネスティや日本弁護士会はあげている様だ。が、私(ZERO)には「かっこつけの自己満足」としか思えない。「万死に値する罪」も「一死もて購えぬ罪」もあり得るのに、「国が死を命じる=死刑という刑罰」が「無い」なんて状態が「良い」などとは全く思えない。
左様な心情を、「異常にまで死刑執行、人を殺したがっている」と評するのであれば,別に評されてもさして気にしないまでだ.殺人鬼がごとき言われ方に腹は立つが、『「国が死を命じる=死刑という刑罰」が「無い」なんて状態が「良い」などとは全く思えない』と言う主張・心情は変わらないし、天地俯仰に恥じるところがない。
死刑廃止論者共は,日本の死刑を廃止したいのならば,「世界の流行」や「お為ごかしのかっこつけ」以上の説得力ある根拠・理由を持ってくるべきだ.「犯罪抑止力が死刑にあるという科学的根拠はない」なんて怪しい理屈では、話にならんぞ。
それにつけても、北朝鮮は滅ぼされるべきだな。
<注記>
(*1) ネット上の肩書きはすべからく疑ってかかるべきと言う意味での「自称」。(*2) 「死刑執行人の気持ちを考えて,死刑制度を廃止すべきだ.」って間抜けな暴論も別のブログで見たな。これも「死刑囚の立場で死刑制度を考えろ」ってのと同じぐらい暴論。愚論だ.死刑制度の要否が,「死刑執行人の気持ち」なんかで、決められてたまるかよ。