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【毎日社説】「自民党の9条改憲案 自衛権論議の密度が粗い」

自民党の9条改憲案 自衛権論議の密度が粗い
毎日新聞2018年3月15日 東京朝刊

【】 憲法9条改正をめぐる自民党の党内論議が集約段階を迎えている。

【】 自民党が目指しているのは、9条1項(戦争放棄)、2項(戦力不保持)を維持したまま、自衛隊の存在を明記することだ。自衛隊の合憲・違憲論争に決着をつけようと安倍晋三首相が提起した。

【】 自衛隊という実力組織を憲法でどう位置づけるか。その問題提起を私たちは否定はしない。

【】 ただ、9条に規定されているのは、日本国憲法の核心ともいえる平和主義だ。改正しようというなら、一語一語の解釈にあいまいさを残さない緻密な議論が必要になる。

【】 自民党憲法改正推進本部で示された七つの条文案をみる限り、そうした議論の積み上げが足りない。

【】 最も重要なのは「自衛権」という概念の範囲を明確にすることだ。

【】 同本部の執行部が有力視しているのは、9条とは別に「9条の2」を新設し、「自衛隊を保持する」と明記する案だ。自衛隊については「我が国の平和と独立を守り、国及び国民の安全を保つための必要最小限度の実力組織」と位置づけた。

【】 現行憲法下で自衛隊が9条違反とされないのは、「自衛のための必要最小限度の実力組織」であれば戦力に当たらないという政府の憲法解釈に基づく。条文案はこれに沿ったものだが、「自衛のため」との表現は避けた。自衛権の範囲をめぐる憲法論争に踏み込みたくないのだろう。

【】 「必要最小限度」に代えて「前条(9条)の範囲内で」と規定する別の案も示された。従来の9条解釈に自衛隊が縛られることを明確にし、改正後も自衛隊の任務や権限は変わらないと強調する狙いがある。

【】 いずれの案も、自衛隊が行使できるのは個別的自衛権に限られるとしてきた憲法解釈の変更前であれば意味を持ったかもしれない。だが、その前提を崩したのは安倍政権だ。

【】 集団的自衛権の限定行使を可能とした安全保障関連法の制定により、憲法上許される自衛権の範囲は揺らいでいる。自衛隊の違憲論争に決着がついても、自衛権論争は続く。

【】 自衛権の範囲をあいまいにしたまま「自衛隊」という固有名詞を憲法に明記することにも危険が潜む。自衛権の憲法解釈とは別次元の特別な存在となって独り歩きしないか。

 

「自衛隊を憲法に明記することは阻止できそうに無いから、自衛権論争に持ち込もう」ってことか?


 それも先頃めでたく「現・日本国憲法下でも限定的に行使できることになった集団的自衛権】以前の「我が国は集団的自衛権を有するが、その行使は現・日本国憲法違反であるから、集団的自衛権を行使できない」って何度聞いても読んでも訳の判らない状態を持ち出して、

1>  集団的自衛権の限定行使を可能とした安全保障関連法の制定により、
2> 憲法上許される自衛権の範囲は揺らいでいる。
3> 自衛隊の違憲論争に決着がついても、自衛権論争は続く。

ってやぁがる。その前のいくつかのパラグラフでは「集団的自衛権行使が憲法上認められなかった頃の、個別的に限定された自衛権であれば、改憲自民党案でも良かったろう。」って、恨みとも愚痴とも付かぬ文言が並ぶ。
 
 実にみっともなくも女々しいばかりだ。これが毎日新聞社の公的・公式な主張である。

 大体、現・日本国憲法には「自衛隊」はおろか、「個別的限定」もへったくれも無く「自衛権」すら明記されていない。状況によっては自殺自滅も同然の欠陥憲法だ。

 左様な「欠陥」を自ら悟ったのか、上掲毎日社説の〆は・・・

4>  自衛権の範囲をあいまいにしたまま「自衛隊」という固有名詞を憲法に明記することにも危険が潜む。
5> 自衛権の憲法解釈とは別次元の特別な存在となって独り歩きしないか。

・・・これは、以前弊ブログでも取り上げた毎日社説の「憲法9条改憲反対論拠」の一つ「”必要最小限”と記述しても、解釈で拡大されうる」と同根。要は「憲法に自衛隊を明記してはいけない」と言う主張だ。その理由が前回は「”必要最小限”の解釈変更の可能性」であり、今回は「自衛権の範囲不明確」である。

 理由は異なるが、主張は一緒。要は「何が何でも自衛隊を憲法に記載したくない/されたくない」ってことだろう。

6> 自衛隊という実力組織を憲法でどう位置づけるか。その問題提起を私たちは否定はしない。

等と、白々しくアリバイ作りに抜かりは無いがな。

 敢えて断言しよう。現行・日本国憲法をそのまま隻言半句変えること無く自衛隊は発足し、すでに半世紀以上も存在し続けている。その間に「現・日本国憲法は集団的自衛権行使を禁じている」から「現・日本国憲法下でも制約付きながら集団的自衛権は行使できる」に至る「自衛権の憲法解釈変更」があったが、自衛隊の存在そのものは左様な変更で小揺るぎもしていない。この紛れもない冷厳たる事実、「自衛隊はすでに、”自衛権の憲法解釈とは別次元の特別な存在である」事を証している。

 今次の改憲は「厳然と存在する自衛隊という現実に、あまりにも現実離れしている日本国憲法を、合わせる/少なくともその乖離を減らす」為の改憲だ。私(ZERO)に言わせれば、それで改憲理由としては十分だ。

 自衛権論争について言うならば、「集団的自衛権行使は現/日本国憲法違反」とされていた頃でも「我が国は集団的自衛権を有する」というのが政府見解であったのだから、今更・今頃「憲法に、“自衛権は個別的に限る”と記載する」なんて議論はナンセンスだ。

 大凡神ならぬ身の人が為すことに、完全完璧はまずあり得ない。自民党改憲案も、今後国会議論を経て国民投票にかけられる(と期待する)改憲案も、完全完璧では無いだろうし、問題点はあって当然/無ければ奇蹟というモノだ。

 だが、今出ている自民党改憲案のいずれも、「自衛隊も自衛権も一切何も書かれていない現・日本国憲法」よりは、マシであろう。

 完全・完璧を目指して現「自衛隊も自衛権も一切何も書かれていない」日本国憲法を是認・追認・黙認するのは、愚かというモノでは無いか。

 自民党改憲案に意義異論があるというならば、大変結構だ。ならば尚更、憲法議論をすべきであるし、「自衛権論議の密度が低い」ならば「大いに自衛権議論をすべき」であろう。

 さぁってっと、始めるとするか!ーラビニア姉御@戦場のバルキュリア3ー

 Now we START!!-名無し(クリント・イーストウッド)@夕陽のガンマン-

 それはそれとして、北朝鮮は滅ぼされるべきである。