応援いただけるならば、クリックを⇒ https://www.blogmura.com/
【朝日社説】「天皇即位儀式 憲法の理念に忠実に」
【朝日社説】「天皇即位儀式 憲法の理念に忠実に」(社説)天皇即位儀式 憲法の理念に忠実に2018年2月16日05時00分?ref=editorial_backnumber【】 天皇陛下の退位と新天皇即位に伴う儀式をどう執り行うか、政府が検討を進めている。
【】 昭和から平成への先例を踏まえ、憲法に整合し、皇室の伝統に即したものにするとの方針に異論はない。その中で最も重視すべきは憲法との関係である。改めて言うまでもない。
【】 前回の代替わりは象徴天皇制の下で初めての経験とあって、さまざまな議論をよんだ。
【】 即位を宣明する儀式や大嘗祭(だいじょうさい)に知事らが参列したことが、政教分離原則に反するかが争われた訴訟では、合憲判断が確定している。だが、その前提となる社会的・文化的条件は時代によって変わる。安易に踏襲することなく、儀式の内容を一つ一つ点検する姿勢が肝要だ。
【】 裁判にならず、最高裁の見解が示されていないものもある。例えばいわゆる三種の神器のうちの剣と璽(じ)(勾玉〈まがたま〉)が、公務に使う印鑑の御璽(ぎょじ)・国璽(こくじ)とともに新天皇に引き継がれる儀式は、国事行為として行われた。
【】 神話に由来し宗教的色彩の濃い剣璽承継が、なぜ国事行為なのか。政府は剣璽を「皇位とともに伝わるべき由緒あるもの」と説明し、宗教性を否定する。だが、問題を指摘する声は学界などに依然としてある。
【】 また、この儀式に立ち会った皇族は男性だけで、美智子さまをはじめ女性は排除された。政府は当時「昭和天皇が亡くなって早々の間に行われた伝統的儀式なので、出席をお願いしなかった」と国会で答弁したが、どれだけの人が納得するか。
【】 政府は時代にふさわしい姿を再検討し、考えを国民に丁寧に説明しなければならない。
【】 懸念すべきは、旧憲法を懐かしみ、天皇を神格化する空気が自民党内に根強くあることだ。
【】 最近も、天皇や皇太子の成年年齢を18歳と定める皇室典範の扱いが議論になった。天皇が未成年の場合に備え、摂政が公務を代行する期間を短くするための特例だが、18歳から成人とする民法改正案が成立すれば、この規定は不要になる。しかし保守派議員らの反発を踏まえ、典範改正は見送られそうだ。
【】 存廃どちらでも人びとの生活に影響はない。問題は、意味を失った規定を整理するという合理的な考えが退けられ、典範に手をつけるのは冒涜(ぼうとく)・不敬だとする言動がまかり通ることだ。戦前に重なる風景で、国民主権のもとに象徴天皇制があるという基本認識を欠く。
【】 危うい空気が漂うなかで進む代替わりに対し、憲法の原則や理念からの逸脱がないよう、目を凝らし続ける必要がある。
日本国憲法なんざぁ、たかだか70年モノじゃぁないか
一方我らが天ちゃんは、公称で皇紀2678年≒27世紀に及び、大化の改新から数えても13世紀にもなる歴史と伝統を有する。日本国憲法はおろか、大日本帝国憲法よりも遙かに先達・先輩だ。
1> だが、その前提となる社会的・文化的条件は時代によって変わる。
2> 安易に踏襲することなく、儀式の内容を一つ一つ点検する姿勢が肝要だ。
2> 安易に踏襲することなく、儀式の内容を一つ一つ点検する姿勢が肝要だ。
・・・たかだか、戦後ポッと出の「日本国憲法」如きの威を借りて、なぁに頭に乗ってやぁがるんだ、朝日は。
「安易に」もへったくれもない、伝統は「踏襲」が基本だろうが。
「安易に」もへったくれもない、伝統は「踏襲」が基本だろうが。
3> 意味を失った規定を整理するという合理的な考えが退けられ、
4>典範に手を付けるのは冒涜(ぼうとく)・不敬だとする言動がまかり通ることだ。
5>戦前に重なる風景で、国民主権のもとに象徴天皇があるという基本認識を欠く。
そんな「基本認識」は、少なくとも私(ZERO)にはない。たかだか戦後の70年間ほどの間だけ「国民主権のもとに象徴天皇がある」と言うだけだ。現状はそうであっても過去は違ったし、未来が違うことだって十二分にあり得る。
4>典範に手を付けるのは冒涜(ぼうとく)・不敬だとする言動がまかり通ることだ。
5>戦前に重なる風景で、国民主権のもとに象徴天皇があるという基本認識を欠く。
そんな「基本認識」は、少なくとも私(ZERO)にはない。たかだか戦後の70年間ほどの間だけ「国民主権のもとに象徴天皇がある」と言うだけだ。現状はそうであっても過去は違ったし、未来が違うことだって十二分にあり得る。
「天皇制」は、戦前はおろか、江戸幕府よりも鎌倉幕府よりも以前から存続し、それこそ「神代の昔」=有史以前にまで遡る。将来、日本国憲法が完全廃止されたとしても、日本が日本である限り「天皇制」は存続するし、存続しないようならばその国はもはや日本ではない。
かくも日本国と一体不可分である天皇陛下の即位儀式が、たかが70年モノの「日本国憲法の理念」とやらに掣肘されるという主張は、不敬と言うより不遜というべきであろう。
「戦前に重なる」?馬鹿じゃないか?戦前どころか幕府も武士もなかった頃から存続している「天皇制」だ。その即位儀式が伝統的・保守的・踏襲的であるのは理の当然。それが「新しい時代に意味を失った」ならば、それこそ貴重な文化遺産であろうが。
それはさておき、北朝鮮は滅ぼされるべきである。