寝言は議論に価しないー【東京社説」】「脱原発基本法案 丁寧な議論あってこそ」とは、無理な注文
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【東京社説】「脱原発基本法案 丁寧な議論あってこそ」
【東京社説】「脱原発基本法案 丁寧な議論あってこそ」2018年1月12日?【】 小泉純一郎元首相らが顧問を務める「原発ゼロ・自然エネルギー推進連盟」の脱原発法案は、原子力政策のあいまいさに投じる一石だ。あいまいさを払拭(ふっしょく)するには国会での丁寧な議論が欠かせない。
【】 原自連の「原発ゼロ・自然エネルギー基本法案」は、運転されている原発の即時停止、再稼働、新増設の禁止をうたい、二〇五〇年までに電力を100%自然エネルギーで賄う目標を明示した。
【】 二十二日に召集される通常国会に超党派で提案できるよう、与野党を問わず、働き掛けを始めている。
【】 法案作成の第一の狙いは、脱原発、省エネ推進を改めて国会の議論の俎上(そじょう)にのせて、さらには国民的議論を巻き起こし、その声を引き出すことにあるという。
【】 原発に関する国の姿勢は、3・11を経てなお、あいまいだ。
【】 政府は「原発への依存を可能な限り低減させる」と言いながら、原発をいまだ「重要なベースロード電源」と位置付けており、三〇年時点で電力の20~22%を原発に依存する方針だ。
【】 今年はエネルギー基本計画改定年。有識者会議が三月をめどに見直し案をまとめているものの、原子力の位置付けが大きく変わる様子はない。
【】 国の方針があいまいだから事業者も原発からの撤退を躊躇(ちゅうちょ)する。安全対策に膨大な費用がかかり、自然エネルギーに回るべき資金が回らない。パリ協定をてこにエネルギー大転換が加速する、世界の流れに取り残されることになる。
【】 そもそも原発推進に関しては、あいまいなことが多すぎる。
【】 原発の法定寿命は四十年。二割強の依存を続けるためには、相当数の新増設が必要だ。どこに、どうやって造るのか。国民がそれを許すのか。
【】 3・11から七年。再稼働は、なし崩しに進んできた。だが誰も安全を保証するとは言っていない。
【】 核のごみをどうするか。国民の過半が反対する中で、なぜ国は推進の旗を降ろさないのか。
【】 国会で丁寧な議論を重ね、国民の疑問に答え、あいまいさをぬぐい去らないと、私たちは未来のエネルギーを選べない。
【】 原自連だけではない。立憲民主党の「原発ゼロ基本法案」、原子力市民委員会の「原発ゼロ社会への道2017」など、年末から新年にかけて、国際社会の流れに沿った具体的提案が相次いだ。
【】 真正面の議論に期待して、国会を見守りたい。
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起きたまま寝言を言う奴ぁ、キチガイだ。その寝言をありがたがる奴もな。
電力安定供給の目処すらない方策は、願望妄想ではあっておエネルギー政策ではない。それをエネルギー政策と称するのは寝言でしかあり得ない。
再三繰り返すとおり、東京新聞は「脱原発原理主義居」と幣ブログでは認定している。原理主義だから。「傍から、異教徒から見れば、キチガイ」なのは、理の当然だな。
さはさりながら、北朝鮮は滅ぼされるべきである。
私の原発推進論&自然エネルギー推進論私の原発推進論&自然エネルギー推進論
① エネルギー政策の目的は、見通せる将来に渡って「電力の安定供給」である。電力を電力需要にあわせた必要充分な電力量を停電させずに安価に安定した電圧で給電する事である。② 現時点においては大容量の電力を蓄電する技術はない。精々が揚水式水力発電の上の方のダムに水として蓄える程度である。また、将来的に大容量蓄電技術が確立普及したとしても、蓄電して取り出す電力には必ず損失が付きまとう。③ 大容量蓄電技術が普及するまで、電力は、必要量に応じて発電し送電しなければならない。④ 必要に応じて発電できる、制御可能な発電力は、火力、原子力、大分落ちて水力である。⑤ 「再生可能な自然エネルギー」太陽光、風力、地熱、潮汐力などは、「態と発電しない」ことしか出来ず、原理的に制御不可能な発電力である。これは、発電コストが如何に安くなろうと変わりようが無い。⑥ 従って、大容量の蓄電技術が普及するまで、「再生可能な自然エネルギー」は発電の主役たり得ない。⑦ 少なくとも大容量の蓄電技術が普及するまで、発電の主役は、火力、原子力、大分落ちて水力である。これに付け加えられるとすれば、バイオマス火力発電ぐらいである。この中で原子力は、制御のレスポンスが鈍い恨みはあるモノの、比較的狭い敷地で大きな発電量を二酸化炭素排出なしで発電できる利点を持つ。また発電コストとしても、「福島原発事故に対する補償や対策を加味して漸く火力に負けるかも知れない」程度であり、水力に対しては依然優位である。⑧ 従って、火力と原子力は共に不可欠な発電方であり、水力以外の「再生可能な自然エネルギー」の発電量は、全体の1割程度とすべきであろう。尚且つ我が国では、水力発電の開発が進んでおり、水力発電の劇的増加は望めない。⑨ 以上から当然ながら、我が国に原発は不可欠である。我が国の現時点での脱原発なぞ、愚挙にして暴挙である。⑩ ドイツやベルギーがお気楽に「脱原発」を実施できるのは、電力が足りなければフランスの原発から電力を輸入できるからである。これら西欧諸国の「脱原発」は、「ナンチャッテ脱原発」と呼ばれるべきであろう。
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