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【ジュニアアエラ】教育勅語は本当に「今でも十分通じるものがある」のか?
【ジュニアアエラ】教育勅語は本当に「今でも十分通じるものがある」のか?

   グーグルプラス . (更新 2017/5/ 1 07:00)

 【1】 国有地売却問題の渦中にある学校法人「森友学園」(大阪市)が経営する幼稚園は、園児に「教育勅語」を暗唱させる独特の教育方針で話題となった。いまこの教育勅語にあらためて注目が集まっている。教育勅語とはそもそも何なのだろうか? 毎月話題になったニュースを子ども向けにやさしく解説してくれている、小中学生向けの月刊ニュースマガジン『ジュニアエラ』に掲載された、文教大学生涯学習センター講師・早川明夫さんの解説を紹介しよう。 [

  *  *

【2】 教育勅語は大日本帝国憲法発布の翌年、1890年に発布された教育方針で、明治天皇が「臣民(天皇に支配される人民)」に下したものである。ヨーロッパやアメリカの民主主義が普及し、天皇を中心とした日本の国の制度が壊れるのではという危機感から明治政府がつくったものだ。

【3】 内容は、親孝行、兄弟(姉妹は明記されず)仲良く、夫婦仲むつまじくなど、14の徳目が示されている。だがその中核は、「万一危急の大事(戦争)が起こったならば、大義に基づいて勇気をふるい一身を捧げて皇室国家の為につくせ」というところにある。いざというときには天皇のために命をかけて戦いなさい、ということである。

【4】 教育勅語が発布されるとそれを写した文書が「御真影(天皇・皇后の写真)」とともに各学校に配られ、祝日や学校行事のときに読み上げられた。当時の子どもたちは、学校の儀式などを通して、天皇のために忠義をつくす臣民に仕立て上げられていった。(*1)

【5】 ところで、教育勅語の徳目には今でも十分通じるものがあるとして、教育勅語の復活を主張する人がいる。しかし、この見方は字面だけの理解にすぎない。

【6】 たとえば親孝行といっても、教育勅語に書かれた親孝行は今日のような親子関係ではなく、子は父親に絶対服従という大前提があった。夫婦関係についても同様、当時の民法で妻は「無能力者」扱いで、法律上の行為には夫の許可が必要であった。女性には参政権もなく、教育の機会も男女均等ではなかった。こうした女性に対する差別は枚挙にいとまがない。現代の基本的人権に基づく考え方に照らすと「今でも十分通じるものがある」とはとても言い難い方針といえよう(*2)。

【7】 政府は3月31日に教育勅語を教育現場で教材に使用することを認める閣議決定をした。1948年に勅語の排除・失効の確認を決議した国会を軽視した判断と言わざるを得ない。

(解説/文教大学生涯学習センター講師・早川明夫)

【キーワード:大日本帝国憲法】 1889年、明治天皇が臣民に授けるという形で発布された憲法で、略して「帝国憲法」、または「明治憲法」とも呼ばれる。君主権の強いドイツ(プロイセン)の憲法を手本に伊藤博文らが中心となって起草。天皇主権で、天皇は軍隊を直接率いるなど強い権限をもっていた。

<教育勅語などをめぐる動き>
1889年/大日本帝国憲法の発布 1890年/明治天皇、教育勅語を発布
1945年/GHQ、国家神道の廃止を指令 1946年/教育勅語の読み上げ禁止
1947年/教育基本法の公布・施行     日本国憲法の施行
1948年/国会で教育勅語の排除・失効確認 2000年/当時の森喜朗首相「日本の国は天皇を中心とする神の国」と発言
2006年/第1次安倍晋三政権が発足     教育基本法改正。「国を愛する態度」を規定 2012年/第2次安倍政権が発足 2018年/4月から小学校で特別の教科「道徳」開始
※月刊ジュニアエラ 2017年5月号より


<注記>

(*1) 時代背景を説明するならば、大日本帝国憲法下で兵役は国民の義務であったことを、何故説明しない。 

(*2) 「兵役は国民の義務」って時代背景は説明せず、こちらは時代背景を盾に「親子関係と言っても、今日とは異なる」ってやぁがる。凄まじいすり替えだな。ま、ガキ相手なら通じるかもな。 

教育勅語が「今でも十分通じるものがある」か否かは、なによりも「教育勅語自身」にあろうが。


 で、上掲記事に突っ込んだ通り兵役が国民の義務であった」と言う時代背景には全く触れず、「時代背景(*1)」を盾にして「教育勅語の親子関係は、今日の親子関係とは異なるから、教育勅語は今日では通用しない」って主張。

 「親子関係」は「親子関係」で、「父母に考に」の文言を「今日でも通用するか」を議論するのに「昔の親子関係はこうだった」なんて「時代背景」は、関係ないじゃぁないか。

 ま、ジュニアアエラの読者と想定しているであろう子供相手ならば、通用するかも知れないな。だが、そう言うのは、「子供だまし」と言うのだ。

 尤も、そんな「子供だまし」を平気で抜かす大人も数多あるから、ジュニアアエラ誌も「安心」しているのであろうな。

  だ・が・

 子供もいつまでも子供では無い。健全な猜疑心を備えた大人になることを、私(ZERO)としては期待するぞ。
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<注記>

(*1) それも、かなり眉唾な。