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【東京社説】日本の平和主義 憲法主権者ここにあり


Tweet 2017年5月19日

【1】 憲法を改正するに当たっては、主権者たる私たち自身が、将来に負うべき責任の重さをしっかりと自覚しておくことが、まず肝要ではなかろうか。

【2】 とりわけ九条には、この条文をよすがに戦後日本の平和主義が七十年も、脈々と守り継がれてきた重さがある(*1)。それを改めるということは、例えば九条の空文化で、まだ見ぬ将来世代の人々を、戦地へ送ることになるかもしれない。そういう先も見据えての、歴史的な選択の重さである。

【3】 これほどの重大事だからこそ、改憲の選択を国民に求める手続きも、よほど厳重でなければなるまい。そもそも改憲は、憲法の主権者の責任において国民が主体的に判断することだ。手続きの基点には何世代にもわたる議論の末に、国民の過半が改憲を望むような世論の醸成がなければならない(*2)。

【4】 この本筋に立てば、安倍晋三首相が唱えた九条改憲の道筋がいかに無理筋か、見えてくる(*3)。

【5】 二つの側面から指摘したい。

【6】 一つは、立憲主義の本旨に照らして、だ。憲法に縛られる側の権力者が、恐らく縛りを緩める方向で改憲の議論を率いる。しかも自らの政権運営に都合よく議論の期限を切るというのでは、国民主権の本筋に真っ向から逆行する。

【7】 もう一つは、国民投票への国会発議に関して、憲法上「全国民を代表する」国会議員の本分を、はき違えていることだ。

【8】 首相には、改憲派議員が発議要件の「三分の二」を超す今のうちに、発議を急がせたいとの思惑があるのだろう。だが国会は無論、一権力者の意向を代表するだけの多数決機関ではない。国民の代表者である議員は、まず改憲を望む世論の広がりを受けてこそ、その民意を代表して発議にも動く。それが本来の手順ではないか。

【9】 今ある「三分の二」超も、改憲をあえて“争点隠し”にした選挙の結果であって、改憲を望む民意の反映とは到底言い難い(*4)。その国会が発議を先行させ、短時間の議論で国民に重い選択を迫ることになれば、国民は責任ある判断を尽くせず、歴史に取り返しの付かない禍根を残す危険性も高まる(*5)。ここが問題なのである。

【10】 国会発議に向けては、首相の期限切りにも「縛られることなく」幅広い合意を目指している憲法審査会の議論を、粛々と積み上げるべきだ。開かれた議論がいつか、私たちの責任ある改憲判断の素地にもなればと期待したい。


<注記>

(*1) Negative.戦後70年間、日本が平和であった期間に日本国憲法が9条共々存在した、のは事実だ。
 だが、戦後70年間の日本の平和に、日本国憲法9条が寄与した事は、ただの一度も無い
 「寄与した事がある」と言うのならば、その事例を挙げよ。 

(*2) この前提条件は、何処から出て来たのか?少なくとも日本国憲法には記載されていない。 

(*3) 手前勝手な前提を「本筋」に祀り上げれば、大抵の事には「無理筋が見えてくる」だろうさ。
 逆に言えば、上掲パラグラフ【3】「(改憲)手続きの基点には何世代にもわたる議論の末」等と言う前提を持ち出さないと、安倍首相の9条改憲発言に「無理筋すら見出せない」訳だな、東京新聞は。 

(*4) 前の選挙の争点によって、国会の権限が拡大したり縮小したりするのかね?そんな訳ないだろうが。 

(*5) そうだとしても、それは最終的に改憲を承認した国民の責任だろう。
 「歴史に取り返しの付かない禍根を残す危険性も高まる」から、「国会が改憲を発議しない」なんて、ロジックが…有るからこそ「日本国憲法信者」なんだろうな。 


ひたすら「改憲を阻止したい」ためにする議論。

 言うなれば「改憲阻止の自己目的化」。なればこそ、斯様な社説を「東京新聞の主張」として全国全世界に発信している、のではないのかね。

 再三繰り返している処だが、上掲東京新聞社説パラグラフ【3】にある、
 
1〉 そもそも改憲は、憲法の主権者の責任において国民が主体的に判断することだ。
2〉手続きの基点には何世代にもわたる議論の末に、
3〉国民の過半が改憲を望むような世論の醸成がなければならない。

 
等と言う、「国会の改憲発議の前にも国民投票が必要だ」と言い出しかねない(*1)断言を、東京新聞は何を根拠にしているのか?
 少なくとも日本国憲法ではないな。日本国憲法はその「第九章 改正」にて
 
〉第九章 改正
〉 第九十六条  この憲法の改正は、各議院の総議員の三分の二以上の賛成で、国会が、これを発議し、国民に提案してその承認を経なければならない。この承認には、特別の国民投票又は国会の定める選挙の際行はれる投票において、その過半数の賛成を必要とする。
〉○2  憲法改正について前項の承認を経たときは、天皇は、国民の名で、この憲法と一体を成すものとして、直ちにこれを公布する。

「はっきりと文字で書いてある」。上掲東京新聞の主張・上記2〉~3〉「(改憲)手続きの基点には何世代にもわたる議論の末に、国民の過半が改憲を望むような世論の醸成がなければならない。」なんて事は、何処にも書いていない。

 「従って、上掲東京社説・上記2〉~3〉の様な国民の過半が改憲を望むような世論の醸成』を、『改憲の前提とせよ』と言う主張、改憲手続きの日本国憲法からの逸脱であり、日本国憲法違反の疑いさえある」…と言うか「日本国憲法違反でしかない」筈なんだが、以前に取り上げた朝日新聞社説も、上掲含む東京新聞社説も、「現行日本国憲法を変えさせないために、現行日本国憲法違反の主張をしている。」一体、世の憲法学者どもは此の朝日&東京の「現行日本国憲法を変えさせないために、現行日本国憲法違反の主張」をどう考えているのか、じっくり聞かせて欲しい位なものだ。

 ま、「自衛隊は、日本国憲法違反だ。」と涼しい顔で抜かして平気な憲法学者(*2)の意見はとりあえず置こう。今回俎上に上げるのは、上掲東京新聞社説にある東京新聞の主張だ。

 上掲東京新聞社説は上記1〉~3〉の「御大層な(且つ根拠不明な)改憲の前提」を据えた後、パラグラフ【5】「二つの側面から指摘したい。」と言い条、その二つのうち片方は結局上記1〉~3〉「御大層な(且つ根拠不明な)改憲の前提」でしかない。平たく言えば、「国民の過半が改憲を望むような世論が醸造されていない現状では、国会は改憲を発議するな。」って主張。

 パラグラフ【5】で言うもう片方の「側面」は、パラグラフ【6】にのみあるのだが、これが実に難解と言うか不可解と言うか…

4〉 一つは、立憲主義の本旨に照らして、だ。
5〉憲法に縛られる側の権力者が、恐らく縛りを緩める方向で改憲の議論を率いる。
6〉しかも自らの政権運営に都合よく議論の期限を切るというのでは、
7〉国民主権の本筋に真っ向から逆行する。

…これを要約すれば、【要約1】「憲法に縛られる側の権力者が、縛りを緩める方向の改憲議論を、期限を切ってするのは、国民主権の本筋に反する。」と、こうなると思うんだが、もっと短くすると、【要約2】「憲法に縛られる側の権力者が改憲議論するのは、公民主権に反する。となる。

 が、【要約2】はおかしい。ここで言う「憲法に縛られる側の権力者」と言うのは安倍首相の事だろう。安倍首相は自民党総裁でもあり、自民党は国会の最大党で、国会には改憲発議の権限がある。であるならば、「憲法に縛られる側の権力者=安倍首相=国会最大党党首が改憲論議する」のは、出来て当然。出来なけりゃ不思議。従って【要約2】は「明らかな間違い」だ。

 ならば、【要約2】に対し、【要約1】上記4〉~7〉で追加・付加された要素によって「国民主権に反する」事になるのだろう、と、推定するのだが、「追加・負荷された要素」と言うと、①「憲法による権力者に対する縛りを緩和する方向」②「政権運営に都合よく切った期限」しか見当たらない。

 が、上記②はイチャモンに近いのではないか。そりゃ政権は現実なのだから、政権運営の都合を考えるだろうさ。だが、今回安倍首相が切った期限は「2020年の東京オリンピックを改正後憲法で」と言う可也バックリとした期限。国民投票やらの手続き考えると結構タイトではあるが、「国民主権の本筋に真っ向から逆行する」様な期限とは、とても思えない。大体「「国民主権の本筋に真っ向から逆行する」期限ってのは、「今週中に国会決議で改憲発議」レベルではないのか。

 上記①は、先ず「憲法によって縛られる(*3)権力者=首相」と「改憲発議の権利を持つ国会の最大党党首」の二つの立場があることを考慮すべきだろう。「立場の使い分け、まかりならぬ!」って主張もあり得るが、「権力者は、権力への縛りを緩和する方向の改憲を議論すべきではない」と言う言論統制が「より良い」とは私(ZERO)には思われない。まあ、これは私(ZERO)には思われないだけだから、「そういう主張もある」と言う意味では、理解出来る。

 ついで、今回議題となっている憲法9条改正が①「憲法による権力者に対する縛りを緩和する方向」か?と言う疑問がある。上掲東京社説も上記5〉「恐らく縛りを緩める方向と「婉曲表現」しているので、断言し難い、のだろう。

 そこはそれ、「憲法9条では現行認められていない(と解釈の余地がある)自衛隊の明記、集団的自衛権の明記、交戦権の明記が今回憲法9条の改訂の主眼なのだから、日本国首相=自衛隊三軍総司令官の権限拡大であり、憲法によるよる権力者に対する縛りを緩和する方向だ!」とするならば、かなり説得力のある主張である。]私(ZERO)でも充分首肯できるほどの。
 だが、そうなると、そもそも「日本国首相が憲法9条改正を議論することは、上記①『憲法よる権力者に対する縛りを緩和する方向』であるから、国民主権の本筋に真っ向から逆行する。」と、上掲東京社説は主張していることになる…ああ、それこそ、上掲東京新聞社説が主張している事か。ようやく理解した(*4)。
 
 やっぱり、異論・異説は大事(*5)にしないといけないな。
 だが、この①「憲法による権力者に対する縛りを緩和する方向」は、憲法9条改正の本質であるから、不可避だ。而して、憲法9条改正は我が国の存亡にも関わる安全保障上の問題であるから、東京新聞の言う上記5〉「国民主権の本筋に真っ向から逆行する。」のも覚悟するだけの価値があろう。
 
 以上、上掲東京新聞社説パラグラフ【5】の「二つの側面からの指摘」からすると、「安倍首相は憲法9条改正を議論するな」パラグラフ【6】であり、「現状では国会は改憲を発議するな」パラグラフ【7】~【9】である、筈だ。
 ところが上掲東京新聞社説の最終パラグラフ【10】は、
 
8〉 国会発議に向けては、
9〉首相の期限切りにも「縛られることなく」幅広い合意を目指している憲法審査会の議論を、粛々と積み上げるべきだ。
10〉開かれた議論がいつか、私たちの責任ある改憲判断の素地にもなればと期待したい。

と、急に憲法審査会を持ち上げて見せる。パラグラフ【3】上記2〉~3〉で、手続きの基点には何世代にもわたる議論の末に、国民の過半が改憲を望むような世論の醸成がなければならない。」と、断言していた東京新聞が、同じ社説で「憲法審査会の議論」を絶賛しているのである。
 
 これは何故か。
 上掲東京社説からすると、以下の様になりそうだ。
 
<1>「東京新聞は、現・憲法審査会は”改憲手続きの起点”とは考えていない。」

 さもないと、パラグラフ【3】とパラグラフ【10】が矛盾する。

<2>上記<1>とも重複するが、「東京新聞は、現・憲法審査会の議論が相当長期続くだろうと考えている/期待している。」

 上記10「開かれた議論がいつか」と明記しているし、上記2〉~3〉からすると「何世代にもわたる議論」さえ期待している、と推定出来る。

 つまりは、上掲東京新聞社説パラグラフ【10】上記8〉~10〉、「当面の間改憲阻止するための遅滞戦術」と見做す事が出来る。
 
 それも、パラグラフ【3】上記2〉~3〉の様な「現行日本国憲法違反の疑いさえある前提」に基づいた、な。

<注記>

(*1) 否、上記3〉「国民の過半が改憲を望むような世論の醸成がなければならない。」 と断言しているのだから、実質「言っている」な。

(*2) 自衛隊が違憲でも、自衛隊が無くなっても、憲法学者には責任がかからないからね。日本国憲法(それも戦後70年間タダの一字も変更されていない”聖典”)に基づき、合憲だとか違憲だとか判定して居れば良い。ある意味、いい気なものだ。
 政治家は違う、筈だ。
 我が国の主権と、我が国民の生命財産を、守らねばならない、筈だからね。 

(*3) 憲法に「権力者を縛る」側面があることは認めるが、「権力者を縛る」ばかりが憲法じゃなかろう。 

(*4) だが、そうすると…何だって上記5〉で「恐らく」なんて付けたんだろう。 

(*5) 単純に「否定しない」ばかりではなく、「一体、何を言っているんだコイツは?」と「思って」も良いが、「考える」事。
 言い換えれば、「コイツ、キチガイじゃないか?」と思えるような相手の主張も、吟味すること。
 その結果は、「あ、やっぱりキチガイだ。」か、も知れないが。