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先行記事「教育勅語は日本の宝である」「続・教育勅語は日本の宝である」は、最近世情を騒がせているらしい「教育勅語擁護論に対する批判」を「日本新聞業界の左半分挙げての反安倍首相キャンペーン」の一環ととらえ、それぞれの社説に反論撃破する形をとった。
が、GHQの残滓恐るべしと言うべきか、「日本新聞業界」では(一応)右と考えられる読売新聞からも、(一応)中立的(ではないか)と考えられる日経新聞からも、「教育勅語擁護論に対する批判」社説が出ていたようだ。
って事は、ほぼほぼ「日本新聞業界挙げての教育勅語擁護論批判」と言う事になりそうである。
ま、「教育勅語は日本の宝である」と断言する私(ZERO)としては、「相手にとって不足なし」と言う処だ。
ま、「教育勅語は日本の宝である」と断言する私(ZERO)としては、「相手にとって不足なし」と言う処だ。
「さぁってとっ、はじめるとするか!」-ラビニア姉御-
①【読売社説】教育勅語 道徳教材としてふさわしいか【読売社説】教育勅語 道徳教材としてふさわしいかl2017年04月06日 06時05分【1】 教育勅語は、大日本帝国憲法と不可分の存在だった(※1)。その事実を忘れてはならない(※2)。
【2】 政府は「教育勅語を我が国の教育の唯一の根本とするような指導を行うことは不適切だ」とする答弁書を閣議決定した。民進党議員の質問主意書に答えた。政府がこれまでに表明していた見解に沿っている。
【3】 答弁書は、教育勅語を「憲法や教育基本法等に反しないような形で教材として用いることまでは否定されない」とも言及した。
【4】 実際、高校の日本史や公民の教科書には、教育勅語の全文や抜粋を掲載しているものもある。日本の大きな転換期だった明治から昭和期にかけての歴史を学ぶ教材として、教育勅語を用いることは、何ら問題がないだろう。
【5】 ただし、道徳などで教育勅語を規範とするような指導をすることは、厳に慎まねばならない(※3)。
【6】 明治天皇が1890年に、君主に奉仕する「臣民」への教えとして示したのが教育勅語だ。
【7】 「皇祖皇宗」以来、連綿と続いてきた「国体の精華」の維持を教育の根源とした。危急の大事には、皇室・国家のために尽くすことを、天皇が国民に求めている(※4)。
【8】 天皇中心の国家観が、国民主権や基本的人権を保障した現憲法と相容(あいい)れないのは明らかだ(※5)。道徳の教材に用いれば、学校での特定の政治教育を禁止した教育基本法にも抵触する可能性がある(※6)。
【9】 戦後、国の教育指針は、現憲法の精神を踏まえた教育基本法に取って代わられた。1948年には衆参両院が、教育勅語の指導原理を排斥し、失効させる決議を採択した。教育勅語は、法的効力を失った史料に過ぎない(※7)。
【10】 国有地売却問題で揺れる森友学園は、運営する幼稚園で園児に教育勅語を暗唱させていた。
【11】 これに関連して、稲田防衛相は国会答弁で、「道義国家を目指すという教育勅語の精神は取り戻すべきだ」と述べている。
【12】 確かに、親孝行や夫婦愛など、現在にも通じる徳目を説いている面はある。しかし、教育勅語を引用しなくても、これらの大切さを教えることは十分に可能だ(※8)。
【13】 菅官房長官が「政府として積極的に教育現場で活用する考えはない」と強調したのは当然だ。
【14】 過去には、建国記念の日に校長が教育勅語の朗読をしていた島根県の私立高校に対して、県が改善を勧告した事例もある(※9)。
【15】 教育現場で憲法や教育基本法の趣旨に反する行き過ぎた指導があれば、是正する必要がある。2017年04月06日 06時05分 Copyright c The Yomiuri Shimbun
左半分の朝日、毎日、沖縄二紙より幾らかマシではあるが・・・
初っ端の根拠すら説明しない前提「教育勅語は、大日本帝国憲法と不可分の存在だった。」からして酷いが、その割にはタイトルも「道徳教材としていふさわしい
か」であるし、結論たる〆も
か」であるし、結論たる〆も
①1> 教育現場で憲法や教育基本法の趣旨に反する行き過ぎた指導があれば、是正する必要がある。
と、「憲法や教育基本法の趣旨に反する行き過ぎた指導」を懸念するだけだから、まあだ、マシである。
それにしたって【パラグラフ14】で、「建国記念日に教育勅語を朗読した私学の校長」に対し「県が改善を勧告した」のを肯定している様だから、「建国記念日に私学の校長が教育勅語を朗読した」のさえ「憲法や教育基本法の趣旨に反する行き過ぎた指導」とされかねないのだから、実に全く、恐ろしい話だ。
【パラグラフ5】では「道徳などで教育勅語を規範とするような指導をすることは、厳に慎まねばならない」と断言しているし、本当に教育勅語全文を読んだのか。全文読んだ上でのこの断言ならば、その凄まじいまでの自信は冒頭の「教育勅語は、大日本帝国憲法と不可分の存在だった。」と言う認識から来るのか。
もしそうならば、「大日本帝国憲法は、絶対悪か?」と問わねばならないだろう。
或いは、「日本国憲法は、絶対善か?」と問うても良さそうだ。
そりゃ大日本帝国憲法は日本国憲法ではない。異なる憲法なのだから、「大日本帝国憲法は、日本国憲法違反」である、少なくともそうなる部分が大いにあろうさ。
そりゃ大日本帝国憲法は日本国憲法ではない。異なる憲法なのだから、「大日本帝国憲法は、日本国憲法違反」である、少なくともそうなる部分が大いにあろうさ。
神ならぬ身の人が為す事に、絶対善だの絶対悪だのは、先ず無いんだがねぇ。
「I love the JOB!
なぁんて楽しい仕事だ!!!」-映画「イン・ザ・ネイビー」-
なぁんて楽しい仕事だ!!!」-映画「イン・ザ・ネイビー」-
②【日経社説】教育勅語は道徳教材に使えぬ 【日経社説】教育勅語は道徳教材に使えぬ【1】 教育勅語を巡る応酬が収まらない(※10)。勅語は大日本帝国憲法の下、天皇を君主、国民を臣民とする国家観を補強する目的でつくられた規範だ(※11)。史実として学ぶ意義はあるが、子供たちの道徳教材として用いることは妥当ではない。
【2】 政府は教育勅語について「憲法や教育基本法に反しないような形で教材として用いることまでは否定されない」との答弁書を閣議決定した。現に中学、高校の歴史、公民などの教科書には勅語の全文、または一部が掲載されている。近現代の史料として勅語の果たした役割を学ぶことに異論はない。
【3】 むしろ勅語が示す家族国家観が戦時の総動員体制とどのように融合したのかなどを、生徒の発達段階や興味、関心に応じ、能動的に学ぶことは、新しい学習指導要領の趣旨にも合致するだろう
【4】 今回、教育勅語が注目されたのは、学校法人「森友学園」(大阪市)が運営する幼稚園で、園児に暗唱させていたことが問題視されたからだ。勅語が説く夫婦愛などの徳目が現代社会でも通じる、と擁護する閣僚の発言もあり、波紋が広がっている。過去の経緯を踏まえ、冷静に議論すべきだ。
【5】 教育勅語は1890年、大日本帝国憲法が施行された年に発布された。親孝行など臣民が守るべき徳目を列挙する一方、「万一危急の大事が起こったならば、大義に基づいて勇気をふるい一身をささげて皇室国家のためにつくせ」(旧文部省の通釈)と説く(※12)。
【6】 個々の徳目の当否以前に、天皇が臣民に説諭する「語りの構造」自体が、国民主権を原理とする現憲法になじまないことは明白だ(※13)。1948年に衆参両院が、排除や失効を決議したゆえんである(※14)。
【7】 その意味では、学校現場を預かる松野博一文部科学相が、「道徳を教えるために教育勅語のこの部分を使ってはいけないと私が申し上げるべきではない」との認識を示したことには違和感を覚える。
【8】 勅語は部分ではなく全体の効力を失ったと解すべきだ(※15)。道徳の教典として復活させてはいけない。
道徳を合憲/違憲で評価するのかね???
そりゃ「科学的社会主義」とか、「自然科学の社会主義性/思想性(※16)」とか称するモノと同じぐらい胡散臭さを感じるんだが。
普通に考えれば、道徳と憲法は「守備範囲が異なる」だろう。自然科学と社会主義=人文科学の一思想とは「守備範囲が異なる」ように。
であると言うのに上掲日経社説はその【パラグラフ6】で、
②1〉 個々の徳目の当否以前に、
②2〉天皇が臣民に説諭する「語りの構造」自体が、
②3〉国民主権を原理とする現憲法になじまないことは明白だ。
と、断言してしまうのだから、凄まじい。この理屈からすると、旧約聖書の十戒も「神が信徒に説諭する「語りの構造」」であるから、「現憲法に馴染まないことは明白」であり、「道徳教材には使えぬ」ことになるし…多分、この世にある古今東西殆どの宗教説話や神話は「国民主権を原理とする現憲法になじまないから、道徳教材には使えない」ことになるんだが、気付いているかね?日経新聞??
さらに、上掲日経社説は、その〆では、
②4〉 道徳の教典として復活させてはいけない。
とまで断言している。と言う事は、上掲社説に「文字として書かれていない(※18)」が、「道徳は、日本国憲法に合憲であるべき」と言う思想。さらには「日本国憲法に違憲である事は、道徳とすべきではない」と言う思想が、垣間見える。
「実に恐るべき思想統制」ではないだろうか。日本国憲法が「国民の道徳の可否を判定する」のだから。そりゃ日本国憲法なら「語ることはしない」のかも知れないが、「国民主権を謳っている日本国憲法ならば、日本国民の道徳可否を判定出来る」のかね?GHQが占領政策の一環(※19)として強制した、日本国憲法が???
日経ってのは、上掲社説からすると、「左」ではないのかも知れないが、バカだな。
さもなければ、「日本国憲法教徒」とでも言う可きかな。
再び総括:日本新聞業界挙げての「教育勅語擁護論攻撃」
とまあ、今回は読売と日経と言う「日本新聞業界の左半分ではない」二紙の「教育勅語擁護論攻撃社説」を取り上げたのだが…何だか、左半分よりも凄まじい惨状を曝していないか。
特に日経はヒドイな。
<注釈>
(※1) 初っ端からして、根拠も示さずに断言かね。よし、それが歴史的事実だったとしても、「かつて不可分だった」と言うだけ、だろう。(※2) 「勝手な前提条件」と言うべきだ。(※3) オイオイ。教育勅語に書かれているのは、正しく道徳であろうが。而して、道徳なんてモノが、百年やそこらで大変化する、訳が無いじゃぁないか。(※4) チョイと違うんじゃないか。教育勅語最後の一文は、「朕爾臣民ト倶ニ拳々服膺シテ」に始まる。「皇室・国家のために尽くす」ことを含めて「天皇陛下ご自身から一庶民まで」これら徳目を身に着ける事を「希う」で〆ている。実際、大東亜戦争に従軍した皇族は、相当数に登ろうが。(※5) Negative.本当に教育勅語原文を読んだのかね?基本、道徳であって、主権が何処にあろうと関係ない。勅語の形式は、形式でしかない。当時としては最も権威ある形式をとった、だけだろうが。ま、権威ならば今も、あるがね。(※6) 本気で言っているの??教育勅語の何処が「特定の政治教育」なんだ???(※7) それなら、何にどう使ったって文句は無さそうなモノだが。「教育勅語の法的効力」なんてモノが、戦前戦中にどれほどあったかすら不明であるが。(※8) 別に教育勅語を引用して教えたからとて、何の問題があるんだ??教育勅語を忌避しなければならない理由は、何だ?大体、左様な主張を為すならば、教育勅語以上の効果ある教育法ナリ教育格言ナリを提案するのが、言論人の責務ではないのかね。大東亜戦争が集結し、教育勅語が「失効」して既に70年も経つが、左様なモノは片鱗すらも無い様だが、どういう訳かね。(※9) 教育勅語を朗読したのは私立高校の校長。これに対して県がしたのは「改善の勧告」。「行き過ぎた指導」でもなければ、県の対応にも強制力はない。この事例が、一体何を証していると言うのか。(※10) そりゃつまり、戦後この方70年ばかりもタブー視されてきた「教育勅語擁護論」が、漸くまともに議論できるようになった、って事だろう。「応酬が出来る」のは結構な事だ。「応酬すら出来ない」より遥かに良い。違うかね?(※11) 「皇運ヲ扶翼」するから、かね??「お父さんお母さんを大切にして」だぞ。(※12) 大日本帝国憲法下では、兵役は国民の義務だ。「旧文部省の通釈」は、大日本帝国憲法下では、極当たり前ではないか。(※13) 「森羅万象皆我が師」なんて言葉すらあるのに、「天皇が語っているから良くない」とは、随分な「天皇差別」じゃぁないか。(※14) そりゃ、その「排除決議/失効決議」が如何にいい加減か、と言う証左でもあるな。大体「現憲法に馴染む道徳」なんて、信用できるかよ。「政治的に正しい道徳」なんてのは、プロパガンダではありそうだが、きっと「道徳ではない」に違いない。(※15) サッパリ判らないな。「教育勅語が全体の効力を失った」とは、一体どんな状態なんだ?「教育勅語を、道徳の教材とする事を許さない」状態か。であるならば、そんな「恐るべき状態」を一体誰が、どのような権限で決め、それが戦後70年以上たつ今日も有効である理由は、何だ。(※16) 嘘のようだが「科学的社会主義」を標榜する(かつての)東側の学会では、「学説の社会主義性/思想性」がある種の評価基準だった。即ち、学説が「社会主義らしい」と高く評価され、「反社会主義的」だと低く評価される…どころか、下手すりゃ逮捕抑留シベリア送りだ。全く、科学的ではない。文字通り「非科学的」だ。(※17) 嘘のようだが「科学的社会主義」を標榜する(かつての)東側の学会では、「学説の社会主義性/思想性」がある種の評価基準だった。即ち、学説が「社会主義らしい」と高く評価され、「反社会主義的」だと低く評価される…どころか、下手すりゃ逮捕抑留シベリア送りだ。全く、科学的ではない。文字通り「非科学的」だ。(※18) いや、書いてあるかな。上掲②3〉と上掲②4〉をつなげれば、はっきりと「文字として書かれている」な。「つなげる」って処に、少々想像力か「短絡」が必要だが。(※19) にして、最大最強のくびき