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 何しろ、「新聞社の看板を背負っての主張」である筈の「社説」すら、朝鮮ではオッペケペーなモノが数多あるぐらいだ。「寄稿」とか「コラム」なんてモノに至っては、そりゃぁもう大変な事になる、こともあるってのは、弊ブログでも何本か記事にした処。そんな「惨状」は、下掲の通り今も変わりは無いらしい。

 でもねぇ、「WSJ紙+日本人/日系人女性記者=ダメ記事」シリーズなんてのは、WSJ(Wall Street Journal)紙の「品質向上(*1)」によって、「払拭」とは言わぬまでも随分「軽減」されているんだ。半島の新聞だって或いはひょっとして万が一にも「品質向上」しないとも限るまい。その為にも、「朝鮮日報の現状=惨状」を記録することも、意味・意義がある…かも知れない。


<注記>

(*1) それは、少なくともある部分「WSJ紙に於ける日本人/日系人女性記者による(と判然とする)記事の淘汰」によって達成されているのだが。肥田美佐子記者とか、どうしているのかねぇ。まあ、あんな与太記事連発していては、干されて当然、干されなけりゃぁ不思議と言うものだが。

 ああ、平安名純代記者は、沖縄タイムス何て「特殊事情」があるから、あのマンマなんだろう。それはつまり「進歩が無い」ってことでもあるが。

 「向上心の無い奴は、馬鹿だ。」-夏目漱石「こころ」- 



【朝鮮日報コラム】「韓国のランドセルブームと「克日」」  

【1】 このシーズンになると、小学校の新入生を持つ親たちは通学かばん選びに余念がない。子どもに少しでも良いかばんを買ってやりたいという気持ちは、親なら皆同じだ。そこに母親のセンスをそれとなく見せたいという見栄が加わることもある。

【2】 韓国では最近、日本の小学生が使うランドセルが人気だ。インターネット上では、韓国で100万ウォン(約9万円)もする高額なランドセルを日本からの直接購入により半額で手に入れたといった書き込みも目につく。

【3】 祖父母も加勢する。1940-60年代、風呂敷に教科書を包んでいた彼らの世代にとって、皮製のランドセルは羨望の的だった。教科書や弁当がごちゃ混ぜになる風呂敷包みと違い、箱型で教科書がしわくちゃになる心配のないランドセルは、それこそ新世界の品だった。その当時、生活に余裕がなくランドセルなど夢のまた夢だった祖父母たちが、代わりに孫に買ってやろうとポケットマネーをはたくのは理解できる。

【4】 ところで、この小ぶりな皮のかばんには、韓国人にとってはのどに刺さった骨のような「歴史」が潜んでいる。日本かばん協会ランドセル工業会によると、1800年代後半の江戸時代末期、西洋式の軍隊制度が導入された際に輸入された軍人用の背のうがランドセルの始まりという。背のうがオランダ語で「ランセル」と呼ばれていたことから、「ランドセル」という言葉が生まれた。

【5】 軍隊で利用されていたこの背のうが箱型になり、通学かばんに使われるようになったいきさつは、韓国人をさらに驚かせる。1887年、大正天皇(在位1912-26年)が学習院に入学する際、首相だった伊藤博文がお祝いに献上した箱型の通学かばんが、現在のランドセルの原形になったというのだ。伊藤博文とは誰か。朝鮮侵略の先頭に立ち、朝鮮第26代国王・高宗を強制的に退位させた元凶、安重根(アン・ジュングン)義士が狙撃した人物だということは小学生でも知っている。大正天皇の時代、日本は3・1独立運動(1919年)を武力で抑え込んだ。硬い皮のかばんには、このように韓国人なら決して忘れることのできない日本の侵略的な帝国主義の歴史が染み込んでいる。 

【6】 旧日本軍慰安婦をテーマにした映画『鬼郷』と、日本植民地時代の詩人・尹東柱(ユン・ドンジュ)を扱った映画『東柱』が近ごろ話題を集めている。「歴史を忘れずにいよう」という自発的な声が、ともすれば埋もれてしまいかねない2本の映画をすくい上げている一方で、ランドセルブームに沸くのは矛盾しているようにも見える。

【7】 しかし、製品としてだけ見るとランドセルはとても魅力的だ。ちょっとやそっとの衝撃では損傷しなさそうな頑丈な印象があり、しかも品質に定評のある日本製だ。130年前のデザインの原形を保ちつつ、重さや材質だけを少し変えて伝統を固守している、代表的な「タイムレス・デザイン」(時代を超えて愛されるデザイン)だ。韓国にこんな学生かばんがあるだろうか。

【8】 ランドセルに宿る帝国主義の歴史を取り上げたのは、「だからこのかばんを使うのをやめよう」と主張するためではない。私たちが達成すべき「克日(日本を克服する)」課題の中には、日本製品に堂々と品質で勝つことも含まれていると信じているためだ。 金美理(キム・ミリ)文化部記者

で、何を言いたいんだ、このコラムは?



 別に我が国は朝鮮にランドセルを「強制した」訳ではないし、今は曲がりなりにも独立国となって居る韓国に「ランドセルを強制」なんてできる訳もない。

1>  ランドセルに宿る帝国主義の歴史を取り上げたのは、
2> 「だからこのかばんを使うのをやめよう」と主張するためではない。
3> 私たちが達成すべき「克日(日本を克服する)」課題の中には、
4> 日本製品に堂々と品質で勝つことも含まれていると信じているためだ。

…つまりは「日帝支配」が終わった大東亜戦争終戦から70年以上も経つと言うのに、未だランドセル一つ「日本製品に堂々と品質で勝つこと」すら出来ない、って訳だ。
 
 その現状認識は、「半島では珍しい」ぐらいに「正しい・客観的だ・中立的だ」とは言えそうだが、上記1〉~4〉を「〆」とする上掲コラムは、章題にもした通り、「一体、何を言いたかった」のだ?

 【案1】「日帝支配終結後70年にもなるのに、ランドセルの品質で日本に適わない韓国の現状を憂う」

 斯様な事を主張したいのならば、「日本製ランドセルの品質の高さ」と「日本製ランドセルが韓国で博す好評」を記述した、上掲記事パラグラフ【1】~【3】、【7】は有用ではあろうが、「ランドセルに沁み込んだ日本の侵略的な帝国主義の歴史」なんてのは全く意味をなさない。「日本の侵略的な帝国主義の歴史が沁み込んでいるが故に日本製ランドセルは高品質である」と言う事が無い限り。そりゃ「元は軍用」って歴史が「ランドセルの品質を高めている」と言う事はあるかも知れないが、「ランドセルの歴史」はランドセル自身に「沁み込んでいる」モノであって、そのランドセルが日本製だろうが韓国製だろうが中国製だろうが関係あるまい。

 「日本製ランドセルだけに、日本の侵略的な帝国主義の歴史を想起させる」と言うならば、それは感情論・浪花節ではあっても「冷静中立な評価」とは程遠いし、「日本製ランドセルの高品質」とは、「連想として結びつく」だけ。何れにせよ記述し論ずるべきは「日本製ランドセルに太刀打ちできない韓国製ランドセル(*1)であって、ランドセルの歴史、ではない。

 【案2】「日本の侵略的な帝国主義の歴史が沁み込んだ日本製ランドセルが、好評を博す韓国の現状を憂う」

 斯様な主張は、上記2〉と、「矛盾」とは言わぬまでも「齟齬」をきたしていよう上記【案1】とは異なり、今度は上掲記事パラグラフ【1】~【3】、【7】は「従たる主張」である「日本製ランドセルが好評を博す韓国の現状」を記述し、【案1】では不要・無用であった部分が「主たる主張」である「日本の侵略的な帝国主義の歴史が沁み込んだ(日本製)ランドセル」を記述しているが、上記3〉齟齬を来たし、それ故に〆の上記4〉と結びつかない。仮に将来「韓国製ランドセルの品質が日本製を凌駕し、韓国内で日本製ランドセルよりも売れるようになった」としても、「ランドセルは元は軍用品だった」史実・事実に変わりは無いし、日本が韓国よりも先んじて「小学生用通学カバンとしてランドセルを普及させた」史実・事実も変わりがない。

 ああ、そうか。「韓国製ランドセルの品質が日本製を凌駕し、韓国内で日本製ランドセルよりも売れるようになった」暁には、「ランドセルは朝鮮半島の発明だ!」と主張しはじめれば、この齟齬、と言うより矛盾は、回避出来るか。左様な「ウリジナル捏造」も含めた「克日(日本を克服する)」であるならば、一応筋は通る…1984世界も裸足で逃げ出しそうな二重思考だが、半島じゃぁ日常茶飯事なのだろう。良く気が狂わないモノ…いや、既に気が狂っているのか。

 上掲朝鮮日報コラムを読む限り、「金美理(キム・ミリ)文化部記者 」を「キチガイ」と断言出来るだけの材料は無い。

 だが、「韓国における日本製ランドセルブーム」と「ランドセルの歴史」と「ランドセルの高品質」について記述した上で、最後に【パラグラフ8】をくっ付けて「克日」をキーワードに帳尻を合わせようとして…全然帳尻があって居ない。そんな「駄作コラム」に見えて仕方ないんだがね。

 本音の処、「言いたかったこと」は、これではないのか。
 
 【案3】「日本の侵略的な帝国主義の歴史が沁み込んだ日本製ランドセルが高品質で、韓国でランドセルブームを呼んでいるニダ。でも高品質で人気だから、「ランドセルを使うな!」とも言えないニダ。悔しいニダ。」

 以前弊ブログで記事にした「ランドセルには日本軍国主義の歴史が沁み込んでいる」記事と合わせて考えると、上記【案3】が相当有力に思えるのだが。

 「朝鮮日報文化部記者」。大した肩書では無い、とも言えそうだが、署名記事で顔写真入りのコラムが、これである。


<注記>

(*1) なんてものがあれば、だが。「日本の侵略的な帝国主義の歴史が沁み込んだランドセルなんか、作らないニダ!」ってのなら、上掲記事パラグラフ【1】~【3】の惨状は、自業自得であろう。左様な「自業自得な現状」を伝えるのも、メディアの仕事、の筈なんだが。 

補足:どうやら、日本製ランドセルというモノは、凄いらしい


  そういえば、私(ZERO)が小学生使ったランドセルも、六年間の蛮用(小学生の男の子の六年間の蛮用だぞ。)に耐えて、見事に機能を果たしていたな