応援いただけるならば、クリックを⇒ https://www.blogmura.com/
いや、本ブログでも何本も半島は韓国の新聞に掲げられた社説やコラムを記事にして批判して来たが、どうしてどうして我が国の新聞も半島如きに負けてはいない・・・こともある。
例えば、東京新聞なんて「地方紙としては異例なぐらいの大新聞(*1)」ながら、「所詮は全国紙ならぬ地方紙」なんかには、それこそ惨憺たるものも、散見される。
例えば・・・
<注記>
(*1) 中日新聞も同系列なので、東京近郊と名古屋近郊で相応のシェアを持つ。
【私説・論説室から】夢を見る国見ない国Tweet 2015年11月4日l【1】 戦争の「過去の克服」、脱原発、さらには難民の積極的受け入れなどで国際的評判を高めるドイツに対し、独善的などとの批判も相次いでいる。ドイツ通や、ドイツに長く住んだ人たちからのものも少なくない。
【2】 共感できる部分もある。日本人に比べ、ドイツ人は繊細でも丁寧でもなく傲慢(ごうまん)だ。こちらがドイツについて学んでいるほど日本のことを知りもしないのに批判はする。だから、「ドイツを見習え」的な論調が嫌いだった。
【3】 戦後七十年を経た。ドイツと周辺国は、戦火を繰り返さないことを誓い、欧州連合(EU)という運命共同体をつくり上げた。
【4】 脱原発は実現性への疑問も指摘されるが、東京電力福島第一原発事故の深刻さを見れば、人の手に負えないリスクを除去しようとするのは、まっとうな理屈だ。
【5】 メルケル首相が表明した難民受け入れ方針は異論を巻き起こし、難民が通過する周辺国にも混乱を広げる。しかし、その「人道最優先」という大義には、障害を乗り越えても実現させるべきだとの説得力がある。
【6】 「夢」みたいな理念を目指し、猪突(ちょとつ)猛進する。周囲の迷惑を考えず、デリカシーにも欠ける。でも、夢を掲げ、実現しようとする政治には希望がある。夢を描かぬ政治は何も変えない。理不尽な現実と既得権益が固定化する。周辺国とのいざこざも、米軍基地も原発もなくならない。 (熊倉逸男)
おまけに外国から電力を輸入できて、さらにはその原発は未だ稼動中だ
南北朝鮮すら未だ朝鮮戦争続行中である我が国周辺と、なーに同一視してるんだか。 ドイツが夢を見るのは、ドイツの勝手だ。「脱原発の夢」だって、「不足電力は外国から輸入する」事で実現の可能性はあろうさ。単純な話、「フランスの原発に寄生する」だけだ。なるほど、「ドイツ発の原発事故は起こらない」だろうな。無論、現在まだ稼動中のドイツ原発が、その「脱原発」までに事故を起こさなければ、だが。
そんな「ドイツの夢」に東京新聞が共感・共鳴するのもまた勝手だ。東京新聞は政府ですらないから、エネルギー政策も電力の安定供給も眼中に入れずに「夢を語る」余裕もあろうさ。
だが、政府は、為政者は、「夢を語る」以前に「現実に処する」のが当たり前。
1〉 夢を描かぬ政治は何も変えない。
等と東京新聞は熊倉逸男記者が寝惚けた事言えるのは、新聞記者と言うお気楽な立場で何の責任も無いからだ。
上記1〉に続けて、
2〉 理不尽な現実と既得権益が固定化する。周辺国とのいざこざも、米軍基地も原発もなくならない。
と言うのを上掲コラムの「〆」としているからには、上掲コラムとしては「”夢を語る”ことで”理不尽な現実と既得権益を変える”と共に、”周辺国とのいざこざも、米軍基地も、原発も無くせる”」と主張している訳だ(*1)。
その根拠が「ドイツは夢をかたることで、周辺国とのいざこざも、米軍基地も、原発も無くせた(*2)から」らしい。冷戦時代こそ東西ドイツに分かれて対峙していた(*3)とは言え、その後の冷戦終結・EU成立・NATOの東方拡大や、不足すれば外国から電力を輸入出来る西欧の先進的電力網(*4)など、一切合財無視ないし軽視しての「ドイツを見習え」論。それが上掲東京新聞コラムであろう。
何やら上掲コラム前半で
3〉 「ドイツを見習え」的な論調が嫌いだった。
と宣してはいるが、「アリバイ作り」と思えて仕方がないぞ。
「夢を語る」だけで、物書きや新聞記者は「喰える」事もあろうさ。歌手や詩人や芸能人も、それで良いかも知れない。
だが、「夢を語る」事は、政治家の第一要件では無い。
<注記>
(*1) ああ、左様に真っ正直に「文言として書いては居ない」な。だが、他に解釈の余地は無いように思うがねぇ。(*2) 確か9基ある原発の内、1基を止めたものの、残り8基は現役バリバリで発電中だった筈だがね。(*3) 一方で、その冷戦時代にソ連並びに共産圏と言う強大な共通の敵の前に、フランス・イギリスと言う周辺国と同盟関係を築いた。
(*4) と、隣国フランスの原発