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しばらく更新が滞っているなぁと思っていたが、実質ほぼ2週間ぶりなのか。アクセス数も落ちるわけだ。
何度か書いて居るが、私(ZERO)はハングルは読めないし、韓国語も知らない。中国語は、昔ながらの字体に依る漢文ならある程度何とかなりそうだが、簡字体ではお手上げで、ハングルはもっとお手上げだ。
ハングルについては、「伝説上の名君とされる世宋大王が、無学無教養な女子供の為に作った簡易な表音文字」と言う程度の事しか知らない。「我が国で言えば、平仮名に相当するモノ」と考えているが、これは類推・考察・推定であり、「文字として書かれたモノではない(*1)」。
一方で「哀号=アイゴー」と漢字表記そのままが感嘆詞になってしまうほど(*2)、「朝鮮語には漢字が浸透している」と言う知識はある。さらには、「大東亜戦争後=韓国/北朝鮮成立後、しばらくは漢字-ハングル混合だったが、ある処からハングルオンリーの”ウリナラマンセー・ハングル国粋主義”に陥っている」と言う知識もある。
これらの知識から、「日本語における漢字、ひらがな、カタカナ混合文から推定するに、ハングルオンリーとなった朝鮮半島(*3)では文学・文芸的にも歴史認識的(*4)にも、絶望的な状況とならざるを得ないだろう」と言うのも、以前記事にした処だ。 左様な推定は、「朝鮮語もハングルもろくに知らない」私(ZERO)であっても容易にできるのであるが…ウリナラマンセー・ハングル国粋主義に陥って、ハングルばかり教育し続けて幾星霜。今頃こんな記事が朝鮮日報のコラムになって居る…
<注記>
(*1) これはある種皮肉で冗句なのだが、誰に対する皮肉かは、数少ない当ブログの愛読者にしか判るまい。(*2) 日本人・日本語で「号泣!」と泣きわめく奴は、ギャグでしかあり得まい。つまり「日本語における漢字の浸透率よりも、朝鮮・韓国語における漢字浸透率の方が高い、と判断出来る。(*3) 南北を問わず。まあ、北朝鮮は問題外だが。(*4) 過去の文献が、公文書どころか新聞雑誌から日記に至るまで「専門家にしか読めない」状況では、左様ならざるをえまい。そりゃ我が国でも、行書草書の古文書を読めるのは専門家ぐらいだが、活字になって居れば相当昔の文書まで、さして教養教育訓練が無くとも読めるだろう。世界最古の女流文学( と判明している。もっと古い文学が「実は女性による」と言う可能性は、まだありそうだ。 )「源氏物語」を含めて、ね。
【萬物相】漢字教育こそハングルの力を育てる道【1】 大阪を訪れたときのことだ。空港で入国審査を待つ列で韓国の若者2人が何やら話しながら、しきりに後ろを振り返った。やがて決まりが悪そうに「あのぅ、『卿』という字はどう書くんでしたっけ」と尋ねた。入国書類に自分の名前を漢字で書けなかったのだ。家族はかつて子どもが生まれ、どんな名前を付けようかとあれこれ悩んだはずだが、漢字離れがこれほど進んでいるとは知らなかった。
【2】 文章が上手だとして選ばれた大学生の作文に点数を付けたことがある。こういう文があった。「国軍の将兵がわれわれを『昼撤不夜』献身しているという事実…」「階層を『追越』した共同体意識」。正しくは「不撤昼夜(昼夜問わずの意)」「超越」で、漢字を正しく知っていれば、こんな間違いは犯さなかったはずだ。
【3】 そのさまを見て、最近インターネット上で流行している「綴り間違いネタ」シリーズを思い出した。例えば「日就月将(イルチュイウォルチャン=日々成長・発展する)」という単語をハングルで「イルチオルチャン」と表記するようなケースだ。エアコンの「室外機(シルウェギ)」を「シレギ」と表記した例もそうだ。元の漢字を知らないまま、聞こえるままにハングルで表記すれば、こうなってしまうのかもしれない。しかし、笑ってばかりもいられない。
【4】 学校から漢字教育が消え、漢字ができない人が増えたことで、韓国人の言語生活はますます貧困になっている。韓国語の語彙の70%を占める漢字語をまともに知らないために、語彙力、読解力が低下する。経済協力開発機構(OECD)加盟国を対象に文章理解力を測定した調査で、韓国は最下位だった。漢字を活用した造語力が低下し、英語の専門用語を翻訳できないケースが相次いだ。
【5】 見るに見かねた教育部(省に相当)は、2018年から初等学校(小学校)で漢字教育を復活させる計画を立て、このほど公聴会が開かれた。初等学校で漢字300-600字を覚えることを目標とし、教科書にハングルと漢字を併記する案が検討されている。しかし、漢字教育に反対する団体が公聴会の名称を問題視し、壇上を占拠したため、賛否両勢力の間で口論となり、小競り合いも起きたという。
【6】 漢字教育論者で経済学者だった故・林元沢(イム・ウォンテク)教授はこう話していた。「なぜ人々はハングルと漢字をコーヒーと紅茶のように二者択一しようとするのか。コーヒーと砂糖、紅茶と砂糖のような補完関係とは考えられないものか」。言語生活で漢字を敬遠したことで、ハングルが韓国語をうまく表現できない文字になってしまえば、ハングルの立派な価値がむしろ低下しかねない。今こそ論争から脱却すべきだ。漢字を教えることがハングルの力を育てる道だ、と考えを改めるべきだ。金泰翼(キム・テイク)論説委員
「ウリナラマンセー」国粋主義の、当然の帰結
誠にお気の毒だが、上掲朝鮮日報コラムが期待するような「韓国人の漢字教育復活で、ハングル力育成」と言うのは、達成されないだろう。
何故ならば、「韓国語の語彙の70%を占める漢字語」なんて上掲朝鮮日報コラム自身が認める状況で「漢字教育復活」で高まるのは「漢字力」であるから。その「漢字力」のお蔭で「ハングル表記の誤りを減らせる」可能性は一応あるし、上掲コラムに取り上げられた誤りを回避できる可能性も高いが、それは「漢字力が高まったために、ハングル表記の誤りが減った」のである。それを「ハングル力が高まった」と言うのは、我田引水と言うよりは詐欺。精々が「虎の衣を借りて誇るキツネ」だろう…って、半島の伝統ではあるが。
だが、「韓国人の漢字教育復活で、国語(韓国語・朝鮮語)能力向上」ならば、可能性はありそうだ。大東亜戦争以前から大東亜戦争後しばらくまでの歴史的文献(公文書ばかりでなく、新聞雑誌日記等も含む)を読める国民が増えるだけでも、相当な効果だろう…それらをちゃんと読む気があり、読むならば、だが。
「韓国人・朝鮮人は皆気違いだ。」と言ったら、ヘイトスピーチ扱いされるかも知れない。
だが、少なくとも上掲コラムにあるような現状に於いて(*1)、「韓国人・朝鮮人は、半分文盲だ。」とは、相当な確信・確度・説得力を以って言えてしまうぞ。
それにしても…今年は大東亜戦争終結後70年。という事は、韓国にしてみれば「独立70年」という事。その70年のどの時点で「ハングルオンリー」にしてしまったか知らないが、上掲コラムに描かれたような「韓国・朝鮮語能力の低下」は、「当然予想できたこと」だろうに。
まあ、「当然予想できた筈の韓国・朝鮮語能力の低下にも拘らずハングルオンリーとしてしまった」事よりも、もっとわからないのが、上掲朝鮮日報コラムにある「漢字教育復活に対する相当過激な反対運動」なのであるが。
「韓国人・朝鮮人は、半分文盲のままでいたがっている。」という事かな。
あるいは、
「韓国人・朝鮮人の相当部分は、半分文盲である事に気付いていない。」のか。
あるいは、
「韓国人・朝鮮人の相当部分は、半分文盲である事に気付いていない。」のか。
<注記>
(*1) 上掲コラムに描かれた状況が、どこまで真実か。北朝鮮の平壌放送並みのプロパガンダである可能性も、失念すべきではないだろう。