ま、毎日新聞論説委員とはこの程度だ―【毎日社説】「社説:視点・安保転換を問う 抑止力=論説委員・倉重篤郎」の、平和ボケと言うより平和狂
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  いやまぁ、世の中には「日本国憲法9条が最大の抑止力」なんて素面で抜かせる方があり、そんな方々が一政党(*1)と、あろう事かあるまい事か「政権与党」になってしまう事もあれば、もっとあろう事かあるまい事か「日本国首相」まで配してしまう事があるのだから、「毎日新聞論説委員」なんて御大層ではあるが中身はあまりなさそうな肩書をお持ちの方が「この程度」とて「異とするには足らない」と、言えそうではある。言えそうではあるのだが…まあ、御一読の程を。

<注釈>

(*1) って事は、国会議員5人以上を擁して、「山本太郎と生活の党と仲間たち(失笑)」よりも大きな政党を為している訳だ。 


【毎日社説】:視点・安保転換を問う 抑止力
=論説委員・倉重篤郎毎日新聞 2015年06月29日 02時30分

 ◇歴史認識もその一助に

【1】 新安保法制の目的は、抑止力の向上だ。安倍晋三政権8月の最大のイベントは戦後70年談話に示す歴史認識だ。一見別物だが、一緒に論じたらどうか。

【2】 歴史認識とは、戦前の日本のあり方に対する総括と発信にある。天皇陛下が新年に「満州事変に始まるこの戦争の歴史を十分に学び、今後の日本のあり方を考えていく」と述べられたことがまさにその作業となろう。

【3】 1931年に起きた満州事変については、70年談話懇談会の座長代理を務める北岡伸一氏が6月3日付本紙オピニオン面のインタビューに答えている。「他国に軍隊を送り込み、人を殺傷し、財産を奪い、主権を制限することが侵略であり、満州事変は明白な侵略だった」

【4】 この基本認識を国民が改めて共有し、政治指導者が真摯(しんし)に繰り返し発信することが、戦争を抑止する力になる、と思う。

【5】 なぜならば、第一に、それは戦争に対する日本国の自制力として働く。あの戦争の原因と惨状を学び、侵略と植民地支配の加害者側にいたことを再認識することは、戦争一般への否定のみならず、二度と近隣諸国に迷惑をかけてはいけない、という国民意識面での歯止めを作り出す。それは、今最も危惧されるナショナリスティックな排外主義に対しても抑止的に働く。

【6】 第二に、それは同時に相手国政府、国民の自制をも促す。95年の村山富市首相談話が、日本の対アジア外交を悪化させぬ最後のとりでとしていかに役立ってきたか(*1)。もし、現政権が侵略という歴史的事実を曖昧にするのであれば、相手国政府のみならず国民世論全体を敵に回す。それは見えないところに蓄積され、時を見て爆発し、相手国政府の政策をしばる。共産党一党支配の中国でもそれは同じだ。

【7】 第三に、それは現行の抑止力論議の足らざる点を補完する。植木千可子早大教授によると、抑止力は軍事力のみでは実現できず、自国の能力、意図を相手国に正しく伝える意思疎通と、状況についての共通認識、つまり対話力が不可欠だ。その対話力は、歴史認識という土台部分がしっかりと建造されていないとうまく機能しない、と思う。

【8】 第四に、歴史認識は効果的なソフトパワーだ。ドイツではブラント首相がユダヤ人追悼碑にひざまずき(70年)、ワイツゼッカー大統領が「過去に目を閉ざすもの」を批判した(85年)。政治指導者の節目での所作と発信が膨大な軍事費に匹敵する歴史和解力を持つこともある。

【9】 それは政治指導者が「戦争は断じてありえません」と叫ぶ以上の抑止効果を持つだろう。

   .        

<注釈>

(*1) Reeeeeeeeeeeally?! 正気かね??? 

馬鹿は死ななきゃ治らないと言うが平和狂ってのはどうだろうね。


…さて、如何だろうか。

 主張は明白だな。「従来通りの歴史観」たる大日本帝国悪玉論」=「自虐史観」が「抑止力であると言う主張。その為にパラグラフ【2】で天皇陛下まで担ぎ出し、パラグラフ【5】~【8】「”従来通りの歴史観”が抑止力である理由」を4つ挙げている…一言で言えば、「酷いモノ」だな。

 まずは天ちゃんから行こうか。
 
1〉 歴史認識とは、戦前の日本のあり方に対する総括と発信にある。
2〉天皇陛下が新年に
3〉「満州事変に始まるこの戦争の歴史を十分に学び、今後の日本のあり方を考えていく」
4〉と述べられたことがまさにその作業となろう。

と、我田引水している上掲毎日新聞社説・倉重論説委員殿だが、上記3〉天皇陛下のお言葉と、安倍首相唱える「戦後レジームからの脱却」を合わせて考えれば、少なくとも上記3〉「天皇陛下のお言葉」には「両義性がある」。即ち「戦後レジーム=従来通りの”大日本帝国悪玉論=自虐史観”を脱却し、未来指向の”日本のあり方”を考えるるべきだ」とも解釈できる。陛下の赤子たる私(ZERO)としては、是非とも万世一系の大君に我が解釈通りの「御言葉」を期待したいところである。が、これもまた「天皇陛下の政治利用」たりうるから、「両義性のある御言葉」を賜った事で、十分以上と言うモノだろう。

 逆に言えば、上掲毎日社説の「天皇陛下の御言葉解釈」は、「”大日本帝国悪玉論=自虐史観”であり続けろ」と主張する根拠にはならない。

 それでも「天皇陛下の御言葉」は、上掲毎日新聞社説が挙げる「”大日本帝国悪玉論=自虐史観”であり続ける可き理由」即ち「”大日本帝国悪玉論=自虐史観”が我が国に抑止力として資する理由」よりは幾らかマシである。

 パラグラフ【5】第1の理由「戦争に対する日本国の自制力」つまりは「我が国が、戦争を起こす可能性を抑止する」と言う理由。

1〉 今最も危惧されるナショナリスティックな排外主義に対しても抑止的に働く。

と、来たモンだ。ま、占領憲法万歳野郎ならば、そんなモノだろう。

 だが、読者諸兄、毎日新聞、倉重論説委員に問おうではないか。我が国が、我が国民が、「ナショナリスティックな排外主義で戦争を始める」なんて事が想像できるのか、と。

 無論、上記1〉に「今最も危惧されると明記しているのだから、少なくとも倉重論説委員には「想像出来る」のだろう。だが、だとしたら、「”大日本帝国悪玉論=自虐史観”で”ナショナリスティックな排外主義で戦争を始める”のを抑止する」のは、思想統制言論統制レベルの規制ではないのか。 それこそ、特定秘密保護法なんざぁ裸足で逃げ出すような。

 ナショナリズムには確かに牙がある。だが、その牙も含めてナショナリズムだ。「”ナショナリスティックな排外主義で戦争を始める”のを抑止する」ために「”大日本帝国悪玉論=自虐史観”であり続ける」事は「牙を無くす/小さくする」心算かも知れないが、「健全なナショナリズム」さえ萎縮させてしまう。ま、委縮させ続けたのが「戦後70年」ではあるが、かくてはならじと言うのが安倍首相の言う「戦後レジームの脱却」であろうと、私(ZERO)は期待している。

 それでも「第1の理由」が4つの理由の中ではマシな方だ。パラグラフ【6】第2の理由は「相手国政府、国民の自制をも促す。と来たもんだ。「平和を愛する諸国民の信義に我らの安全を付託」出来ちまうような輩でないと出来ない発想だな。あまつさえ
 
2〉 現政権が侵略という歴史的事実を曖昧にするのであれば
3〉相手国政府のみならず国民世論全体を敵に回す。
4〉それは見えないところに蓄積され、時を見て爆発し、相手国政府の政策をしばる。
5〉共産党一党支配の中国でもそれは同じだ。

、「共産党一党独裁支配下の民意」にまで縋る始末だ。「大東亜戦争は、日本の侵略だ!」として「国民世論全体を敵に回す」ような国が、中華人民共和国と韓国と北朝鮮以外に、何処があるか。繰り返すが、上記3〉「相手国政府のみならず国民世論全体を敵に回す」国だぞ。

 而して、中華人民共和国、大韓民国、朝鮮民主主義人民共和国は、長きにわたる「反日教育」の宜しきを得て、「侵略という歴史的事実を曖昧に」しようがするまいが、関係なさそうだ。事実、戦後70年に及ぶ「大日本帝国悪玉論=自虐史観」にも拘らず今日の体たらくだ。それは、安倍首相・安倍政権が「侵略という歴史的事実を曖昧にした」からではない。「大日本帝国悪玉論=自虐史観」バリバリだった民主党政権末期からこの惨状であった事を、忘れたとでも言うのだろうか。

 ああ、本文にも突っ込んだが、
 
6〉 95年の村山富市首相談話が、
7〉日本の対アジア外交を悪化させぬ最後のとりでとしていかに役立ってきたか

とは、失笑モノどころか爆笑モノだな。一体いつ、どんな状況で「役立った」と言うのだろう。河野談話共々「新たな強請りネタ」になっただけだ。

 第3の理由「現行の抑止力論議の足らざる点を補完する。」に至っては、最早私(ZERO)のような異教徒には意味不明だ。「抑止力を働かせるには対話が必要であり、対話の基本は共通の歴史認識」と言う主張らしいんだから、呆れるしかない。抑止力が上手く働いた一例は東西冷戦であろうが、資本主義の大家アメリカ合衆国と、共産主義未だバリバリだったソビエト連邦の間で、どれだけ「共通の歴史認識」があったろうか。「対ファシズム戦勝史観」かぁ?「ファシズム諸国=ドイツ・日本」が共に西側自由主義陣営に属していると言うのに??

 大体、異教徒たる私(ZERO)は「思想信条言論の自由が一定程度確保されている社会では、歴史観は人の数だけある」と思っているから、隣人はおろか隣国とは言え外国と「共通の歴史認識」なんて「持てる訳が無い」。事実、日中だの日韓だのの「歴史共同研究」は、惨憺たる失敗に終わっている。そりゃ曲がりなりにも学問の自由が在って異説異論を認める我が国と、歴史観に関する限り国家統制下にある中韓の「歴史学者」が、真面に「共同研究」出来る訳が無い。無論「歴史認識の共有」なんざぁ求めるだけ無駄である。以前にも書いたが、「中国、韓国、北朝鮮共通の朝鮮戦争認識」を出す/出せる目途が在ってようやく「歴史認識共有の可能性」が見えてくると言うモノだ。

 第4の理由「歴史認識は効果的なソフトパワーだ。」と言うのも訳が判らない。毎度おなじみのドイツを引き合いに出して、
 
8〉政治指導者の節目での所作と発信が膨大な軍事費に匹敵する歴史和解力を持つこともある。

とぶち上げ、返す刀の〆のパラグラフで、

9〉それは政治指導者が「戦争は断じてありえません」と叫ぶ以上の抑止効果を持つだろう。

と、安倍政権現政権を批難しているが、例に挙げている「ブラント首相のユダヤ人追悼碑にひざまずき(70年)」や「ワイツゼッカー大統領の「過去に目を閉ざすもの」批判(85年)」が、「歴史和解力」はまだしも、どれぐらいのどんな抑止力になったと言うのか。

 特に、1970年と言えば東西冷戦もたけなわの頃で、ドイツは東西に分割された東西冷戦の最前線だったのだから、抑止力と言うなら対共産圏・対ソ連の「対独開戦を抑止する力」が最重要課題だった筈だ。「ユダヤ人追悼碑にひざまずいた歴史和解力」とやらが、核弾頭何発分の抑止力になったか、論理的に説明されて然るべきだろう。「膨大な軍事費に匹敵する」とまで、断言する以上は。

 で、一体「ブラント首相のユダヤ人追悼碑ひざまずき(70年)」は何メガトン相当なんだね。

 そりゃ上記9〉「政治指導者が「戦争は断じてありえません」と叫ぶ」のと、抑止力としては良い勝負だろうが、広島級原爆1発20ktにも遠く及びそうにないぞ。

 大体、「政治指導者が「戦争は断じてありえません」と叫ぶのは、歴史和解力の為でも抑止力の為でもあるまい。抑止力となる/なりうるのは、「政治指導者が「戦争は断じてありえません」と叫ぶ」事で成立させようとしている安保法案の方だ。安保法案自身と「歴史和解力」の抑止力を比較すると言うのなら未だしも、「安保法案の援護射撃」でしかない「「戦争は断じてありえません」と言う叫び」と「歴史和解力」を「抑止力の点で比較」して、優劣を断じて、何一人悦に入っているんだ、倉重論説委員。自己満足・自己陶酔も大概にするが宜しかろう。

 「毎日新聞論説委員」なんて肩書きを持つ者が、斯様な悲惨な「論説」を「公言公開」してしまうのは、推察するに「歴史認識が抑止力となって欲しい/抑止力であるべきだ」と言う願望・希望・妄想・独断と偏見故では無いのかな。

 偏見は、差別と同様、ある種の思考停止であるから、「壺に嵌れば」トンデモ無い事になるんだぜ。とくと己が惨状をごろうじるが良かろう。毎日新聞。毎日新聞社説。倉重論説委員。