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「君主は、何をやっても悪く言われる。」と喝破したのは、確かキケロ。ってぇ事は、古代ローマが共和制から帝政に変わろうと言う頃の話だから、2千年以上昔の話だ。ではあるものの、この喝破「君主は、何をやっても悪く言われる。」ってのは21世紀になろうとも相当に通用するのだから、人間のやることにゃ進歩が無い部分は進歩が無い、って事だろう。
「君主は、何をやっても悪く言われる。」と喝破したのは、確かキケロ。ってぇ事は、古代ローマが共和制から帝政に変わろうと言う頃の話だから、2千年以上昔の話だ。ではあるものの、この喝破「君主は、何をやっても悪く言われる。」ってのは21世紀になろうとも相当に通用するのだから、人間のやることにゃ進歩が無い部分は進歩が無い、って事だろう。
であるならば、現在の「君主」=為政者たる安倍首相/安倍政権に対して東京新聞が「悪く言う」のは、異とするには足らず、「二千年以上前の古代ローマと変わらぬ風景」という事になりそう、ではある。 一般論としては、ね。
さはさりながら、古代ローマの雄弁家・キケロのお墨付きを以ってしても…この悪口は、酷くないか?
【東京新聞コラム・私説・論説室から】地球儀を俯瞰(ふかん)しない外交
2015年1月21日
http://www.tokyo-np.co.jp/article/column/ronsetu/CK2015012102000167.html【1】 十年前の「悪夢」が頭に蘇(よみがえ)った。ローマ法王ヨハネ・パウロ二世の葬儀を、パリ支局からバチカンに出張取材した時のことだ。
【2】 元法王は東欧の民主化を支援し、ソ連崩壊-冷戦終結の「陰の功労者」といわれた。カトリック教会という一宗教の指導者を超えた存在であり世界平和に偉大な足跡を残した。
【3】 葬儀には百カ国以上の大統領や王族らが顔をそろえた。イラク戦争をめぐり法王の制止を振り切って開戦したブッシュ米大統領は、どの要人よりも先に駆けつけ、法王の遺体の前に跪(ひざまず)いたほどである。大国で元首級が出席しなかったのはバチカンと反目したロシアと中国の「共産国」、そして日本だけだった。
【4】 歴代三人の大統領が出席した米国とは対照的に、バチカンの影響力を理解していない外交オンチぶりを露呈、弔問外交という貴重な機会を生かそうとの戦略もなかったのだ。
【5】 悪夢の再来は、フランスで反テロの連帯を示す各国首脳のデモ行進。日本は駐仏大使の出席で済ませた。米国も首脳が参加しなかったが、批判が集中し、ホワイトハウスは「外交上の失敗だった」と判断ミスを謝罪した。
【6】 しょせん世界が見えていない「井の中の蛙(かわず)」なのである。「地球儀を俯瞰(ふかん)する外交」と大仰だが、単に原発や武器を売る相手国探しだろう。「積極的平和主義」とは戦争には積極的だが、平和裏に行う連帯デモなど無関心なのだろう。まさに悪夢だ。 (久原穏)
で、日本は非難されたか?精々が「好機を逸した」だけだろうが
上掲東京新聞コラムを、縦から読もうが横から読もうが「日本外交の悪夢」として挙げられているのは①「ローマ法王ヨハネ・パウロ二世の葬儀」と②「フランスで反テロの連帯を示す各国首脳のデモ行進」のみ。何れにも「消極的であった日本外交」を、
1> しょせん世界が見えていない「井の中の蛙(かわず)」なのである。
2> 「地球儀を俯瞰(ふかん)する外交」と大仰だが、単に原発や武器を売る相手
国探しだろう。
3> 「積極的平和主義」とは戦争には積極的だが、平和裏に行う連帯デモなど無関心なのだろう。
4> まさに悪夢だ。
2> 「地球儀を俯瞰(ふかん)する外交」と大仰だが、単に原発や武器を売る相手
国探しだろう。
3> 「積極的平和主義」とは戦争には積極的だが、平和裏に行う連帯デモなど無関心なのだろう。
4> まさに悪夢だ。
とまあ、「言いたい放題」だ。 だが、章題にもした通り、①「ローマ法王ヨハネ・パウロ二世の葬儀」と②「フランスで反テロの連帯を示す各国首脳のデモ行進」に「消極的であった」としても、それで日本は非難糾弾されたか?
5〉 米国も首脳が参加しなかったが、批判が集中し、
6〉ホワイトハウスは「外交上の失敗だった」と判断ミスを謝罪した。
6〉ホワイトハウスは「外交上の失敗だった」と判断ミスを謝罪した。
と、恨みがましく上掲東京新聞コラムは書くが、日本の安倍首相安倍政権には、少なくとも「批判は集中していない」から、「”外交上の失敗だった”と謝罪する」気遣いは無さそうだ。
仮に「安倍首相・安倍政権が外交上の好機を逸した」としても、批難するのは「外交上の好機を逸した事による国益の損失」ではなく、上記1〉「しょせん世界が見えていない「井の中の蛙(かわず)」なのである。」と言う「大所高所に立った断言」。さあるならば、「ローマ法王ヨハネ・パウロ二世の葬儀を利用した弔問外交の好機を逸した当時の日本政府」に対し、さぞや10年前の東京新聞は大糾弾したのであろう、と、想像はするが、確信はしない(*1)。
ではあるが、果たして東京新聞は、「ヨハネ・パウロ2世法皇の葬儀に元首級を我が国も出席させ、弔問外交すべきだった」とし、「フランスで反テロの連帯を示す各国首脳のデモ行進に日本も駐仏大使で済ませるべきでは無かった」とする東京新聞・久原穏記者は、果たして、「世界が見えている」のか?
再三弊ブログで東京新聞を「脱原発原理主義」と槍玉に挙げ、批難糾弾して居る事は、とりあえず(敢えて)忘れよう(*2)。その上で、上掲東京新聞コラムだけ取り上げたとしても、だ。上掲冒頭パラグラフ【1】とパラグラフ【5】、〆のパラグラフ【6】でキーワードとなって居る「悪夢」とは、「誰の、どんな悪夢」だ?
「誰の」は、「東京新聞 久原穏記者の」であろうし、上掲コラムを掲げる以上ある程度は「東京新聞の」でもあろう。だが、「どんな悪夢?」となると、怪しくなってくる。
【Case1】「日本政府が世界を知らず、為に国益を損ねる悪夢」
この【Case】が一番「素直な解釈」であり、また共感も呼び易かろう。私(ZERO)自身、「日本政府が世界を知らず、為に国益を損ねる」事を「悪夢」とまでは断ぜずとも、「良くないこと、避けたい事」である事には大いに賛同する。
だが、そうすると、上掲東京新聞コラムが「悪夢」の事例とする上記①「ヨハネパウロ2世葬儀で弔問外交しなかったこと」と上記②「フランスで反テロの連帯デモ行進に駐仏大使しか出席させなかったこと」によって「日本が被った国益損失」と言うのが説得力に欠ける。そりゃ弔問外交も反テロデモ行進も、首脳会談の好機ではあろうが、それだけでは「国益を稼ぎそこなった」だけだろう。葬儀やデモへの首脳級不参加が非難糾弾されたと言うなら兎も角、10年前も今回も、批難糾弾された覚えが、トンと無いのだから(*3)。
【Case2】「日本政府が平和よりも戦争に関心がある悪夢」
これは主として〆のパラグラフ【6】、上記2〉~4〉に依っている。なるほどこれは東京新聞や久原穏記者にとっては、大いに「悪夢」でありそうだが、「戦争と平和は表裏一対のもの」である事は別にしても、上記①「ヨハネ・パウロ2世葬儀の弔問外交」と殆ど結びつかない(*4)。10年前のヨハネ・パウロ2世葬儀に日本の首脳級が出席しなかったのは、「原発の売り込みに忙しかったから」では無いだろうし、「日本製武器の売り込みに忙しかったから」ではもっと無い。それも今回の件に関わる安倍首相の「地球を俯観する外交」が「単なる原発と武器のトップセールスである」(*5)と仮定しても、だ。
【Case3】 「10年前の上記①を想起し「蘇った悪夢」が【Case1】で、今回上記②の悪夢は【Case2】も兼ねている。」と言う、少し複雑な解釈も、可能ではあろう。この解釈ならば、上記【Case2】の疑問点は解消できる。 だが、それよりも単純な解釈は…冒頭のキケロの至言を想起して、
【Case4】「安倍首相・安倍政権を批難する目的で、”悪夢”と称している。」
である。これが上記【Case3】よりも単純であり、【Case1】【Case2】に見られた疑問点を解消していることに、異論・異説はあるだろうか
。
どうも私(ZERO)の見る処、「オッカムの剃刀(*6)」を持ち出すまでも無く、【Case4】が「正しい」様に思われる。
どうも私(ZERO)の見る処、「オッカムの剃刀(*6)」を持ち出すまでも無く、【Case4】が「正しい」様に思われる。
上記の通り「安倍首相・安倍政権を批難する目的で、東京新聞・久原穏記者は”悪夢”と称しているのではないか?」と言う疑義を、審らかにする質問がある。即ち、【質問】「日本政府が首脳級をフランスで反テロの連帯デモ行進に参加させ、その機会に日本の原発や武器売り込んだならば、これは日本の国益であるから、東京新聞コラムはこれを激賞した筈であるな?【Yes or No?】」
尤も、この質問に、東京新聞なり久原穏記者なりが回答する可能性は、皆無に近いな。
<注釈>
(*1) 否、寧ろ、逆の想像、即ち「ヨハネ・パウロ2世葬儀に元首級を出席させなかった当時の日本政府を、当時の東京新聞は、大して批難していなかっただろう」と言う想像が、極めて容易に出来てしまうのだが。こりゃ偏見だろうか。(*2) 冷静な目で世界を見れば「脱原発」なんてのは、趣味でしかない。それも、特に工業国では「贅沢な趣味」。であり、島国にして工業国であり、対岸の半島大陸は電力不足(且つ原発大増設計画中)である我が国にとっては「途轍もなく贅沢な趣味」である。(*3) さらに言えば…脱原発原理主義者である東京新聞が、さほどに我が国の国益を大事に思ってくれるとは、全く思えない(*4) 狂気に近い、或いは狂気そのものの理屈付けならば、可能だ。「平和の象徴であるヨハネ・パウロ2世法皇の葬儀を蔑にする事で、戦争的・好戦的意思表示をしたことになる」とか何とか・・・・(*5) 即ち、上記②がこの【Case2】に”ピッタリ当てはまる”としても、だ。(*6) 同じ事象を説明できる論理が複数あるならば、単純な方が心理であるとする、「科学史上の経験則」。