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 今もあるのかどうか知らないが、昔のニュース番組に良くあった街の声を聴いてみました」って奴ぁ、胡散臭くて適わない。大抵は時の政権に関わるようなニュースについて「街頭インタビュー」と言う形で「街の声」を報じるのだが、十中八九「現政権に批判的な声」しか報じず、あたかも「街の声を聴けば、現政権に対して世論は非常に否定的である」と言わんばかり…否、「現政権を批難するために、批判的な”街の声”を集めて報じている」と考えるのが、「正しい解釈」であろう。「街頭アンケート」ですらないのだから、現政権に対し世論が批判的か肯定的か、数例の「街の声」だけでは、判る訳が無い。「判った」と考えるのは、早計浅慮と言うモノだ(*1)。
 
 無論、「現政権を肯定するために、肯定的・称賛的な”街の声”を集めて報じている」よりは「マシな状態」ではあろう。少なくとも一定の言論の自由が確保されている証左なのだから。
 
 これが中国共産党一党独裁政権下ともなると、報道と言うのは須らく「中国共産党のプロパガンダ」に他ならないから、「街の声」なんて報道がもし仮にあったとしても「現政権を肯定するために、肯定的・称賛的な”街の声”を集めて報じる」事になろう。

 実際、そうなっているらしい、ってのが、後掲人民網記事だ。

 

<注釈>

(*1) 既に報道機関が外国勢力に乗っ取られ、現政府に対する非難批判をプロパガンダしているなどの「現政権に対する非難を目的とした言論統制下に無ければ」で、あるが。 
 

 
【人民網】中国の南京大虐殺犠牲者国家追悼日をアジア諸国が高く評価
人民網日本語版 2014年12月15日13:23
http://j.people.com.cn/n/2014/1215/c94474-8822939.html
【1】 中国は13日、初の南京大虐殺犠牲者国家追悼日を迎えた。国家追悼日の制定について、近隣国の専門家や平和を愛する人々はどう見ているのだろうか。

【2】 タイで発行されている中国語紙「亜洲日報」の銭豊副社長は新華社の取材に「中国の南京大虐殺犠牲者国家追悼日には歴史的意義と現実的意義の双方がある。中国が第2次大戦の残酷な歴史を忘れることはなく、日本政府による歴史の否定、曲解も断じて認めない」と指摘した。

【3】 マレーシア・マラヤ大学中国研究所の林徳順高級講師は「中国政府による国家追悼日の法制化は世界を手本にしたもので、賞賛に値する。戦争での民衆殺害に対する厳正な抗議とともに、戦争で命を落とした人々への思いを表明するものだ」と指摘した。

【4】 韓国・北東アジア歴史財団の車在福首席研究員は「中国が今年、中国人民抗日戦争勝利記念日と南京大虐殺犠牲者国家追悼日を制定したことには重要な意義がある。これは周辺国に波及効果をもたらし、共通の『歴史の記憶』を喚起し、深めるとともに、歴史を忘れず警鐘を鳴らし続けるよう世界の人々に注意を促すものだ」と指摘した。

【5】 インドネシアで発行されている中国語紙「印華日報」の李卓輝編集長は新華社の取材に「日本侵略者はかつてインドネシア、中国を含むアジアの人々に深刻な災禍をもたらした。中国による南京大虐殺犠牲者国家追悼日の制定は、日本の軍国主義と右翼勢力に対して警戒を保つよう効果的かつタイムリーに注意を促すものであり、地域の平和・安定維持にプラスの役割を果たす」と指摘した。

【6】 シンガポールの歴史学者、柯木林氏は「第2次大戦時、日本は中国で大虐殺を行っただけでなく、フィリピン、シンガポール、マレーシアでも無辜の民をむやみに殺した。中国のやり方は、近隣国の人々にとっても啓示となりうる。前事を忘れず、後事の師とする。われわれは安きに居りて危うきを思い、平和が容易に得られたものではないことを認識する」と述べた。(編集NA)
 「人民網日本語版」2014年12月15日
 
 

賛同者が、余程少ないんだな

 と言う訳で…まあ見出しの通りだね。
 
 南京大虐殺犠牲者国家追悼日ってのを、中国共産党が「南京大虐殺とやらから70年以上を経た後に初めて」制定した事に対し、近隣国の専門家や平和を愛する人々が高く評価している」と言う提灯記事(*1)。だが、その近隣国の専門家や平和を愛する人々ってのが・・・
 
① タイで発行されている中国語紙「亜洲日報」の銭豊副社長 パラグラフ【2】
 
② マレーシア・マラヤ大学中国研究所の林徳順高級講師
 
③ 韓国・北東アジア歴史財団の車在福首席研究員
 
④ インドネシアで発行されている中国語紙「印華日報」の李卓輝編集長
 
⑤ シンガポールの歴史学者、柯木林氏
 
 いずれ劣らず、中国共産党のプロパガンダそのままの「宣伝文句」を口にしているのだが名前からして、中国人・中華系ばかり。
 
 そりゃまぁ上記①~⑤にしても「朝鮮系と言う可能性」はまだ残っているし、日本人でも「南京大虐殺犠牲者国家追悼日を絶賛してしまう」輩は掃いて捨てるほどあろうが、「身内で固めた近隣国の専門家や平和を愛する人々」って処に、章題にした通り「南京大虐殺犠牲者国家追悼日絶賛者の少なさ」を「読み取る」のは、「穿ち過ぎた考え方」であろうか。
 
 ああ、無論「明白に文字として書いては居ない主張は、主張していない!」と言うアワモリさん/星の旅さん流「条文教条主義」に従えば、「文字として書いて居ないのだから、そんな主張はしていない!」という事になるのだろう(*2)。「文字として書かれている」のは「南京大虐殺犠牲者国家追悼日に対する絶賛」なのであるから、上掲記事見出しの通り、「アジア諸国は南京大虐殺犠牲者国家追悼日を高く評価しているぅぅぅぅぅぅぅ!」としか、読めない/読まない/解釈しない/解釈できない(*3)。
 
 さて、読者諸兄は、私(ZERO)流「穿ち過ぎた考え方」を取るだろうか。或いはアワモリさん・星の旅さん流「条文教条主義」を取るだろうか。
 
 「両者の中間の何処か」と言う考え方もあろう。
 
 肝心なのは、「自分の頭で考える」事だぜ。

 

<注釈>

(*1) それを言うなら、中国の報道で中国共産党に対する提灯記事でない方が、珍しいのだが。 
 
(*2) こう言う「別の視点」を教えてくれた、両氏には、あらためて感謝だな。 
 
(*3) 「筈」だ。
 「筈」と言うのは、アワモリさんなり「星の旅」さんなりが、「文字として書いて居ない事は主張していない!」と心底信じているとは、限らないから。