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 8月15日。日本では「お盆」でもあれば、「終戦記念日」でもある。
 
「お盆」というのは元は大陸の風習なのだろう。年に一度、御先祖様が里帰りして子孫たる我らの様子をご覧になる。日本人の宗教観の一つの特徴は、「万物皆神」とも言うべき一種のアニミズムである、と私(ZERO)は思う。この「万物皆神」観がこうじて、「お盆」に至っては「既に神である死者・御先祖様」が生者・子孫たる我らと一時を共にする宗教行事となっており、「アニミズム以上の一般化法則」が働いているように思える。それほど「日本人の一般化好き」は、徹底している、と。
 
 その一般化法則が、架電や自家用車の大量生産と普及(*1)につながり、人類文明へ貢献している・・・と言うのは、ちょいと我田引水が過ぎようか。だが、通底するモノはあるように思う。
 
 「思うばかりで、実証・証明しがたいのは、人文科学の数多の説・仮説と同様であり、一種宿命でもあろうが。
 
 「終戦記念日」とお盆が重なったのは、「重なった」のであって「重ねた」のでは無かろうが、先人を想起し、その偉功を忍ぶという意味では、好都合であろう。尤も世のマスコミ共(の大半)は、「先人の罪」を言い立て、「正しい歴史認識」とやらを普及なり強制なりしようと躍起なようであるが。
 
 ま、そんなマスコミ(の大半)の奮闘努力が「虚しいモノ」とは言わぬまでも「思ったほど、かつてほどの効果霊験がない」からこその「日本の右傾化」なのであろう。
 
 「日本”軍国主義”党宣言」起草を考えている、「殆ど産まれながらの右翼」たる私(ZERO)としては、頼もしくも楽しいことである。
 
 例えばYoutubeに投稿されている、こんな動画も、「日本の右傾化」と言われる事象の一つだろう。

 

<注釈>

(*1) 大量生産の本家がアメリカはフォード社のT型フォードであることを認めつつ。ああ、ドイツの「国民車」構想・フォルクスワーゲンも、忘れてはいけないな。 
 

大日本帝国関連動画集


(1)残された傷病兵達は仲間を脱出させるため最後まで頑強に抵抗した─日本の南洋戦略9   https://www.youtube.com/watch?v=S1MV6q78QFI
 
 「捨てがまり」と言うのは薩摩の兵法の一つ。殿(しんがり)に選ばれた者が、死ぬまでその場に踏みとどまって戦い、時間を稼ぐ「決死の遅滞戦術」。典型的なのは関ヶ原の退き口だろう。最高指揮官・島津義弘入道維新を薩摩へ逃がすために、島津豊久が採った戦術が「捨てがまり」だ(*1)。
 
 で、その「捨てがまり」を20世紀に再現しているのが、上掲動画の大日本帝国軍。
 
 尤も、ゲーリー・クーパーだって、イングリット・バーグマンを逃がすために、ルイス・マシンガンを撃ちまくって居るではないか(*2)。してみると、「捨てがまり」と言うのは何も島津に限ったことではない、普遍的価値を持つ「犠牲的精神の発露」と考えるべきだろう。
 
 「大佐お一人で行って下さい。我々は、可能な限り此処を支えます。」

 

 「援護射撃の開始は、30秒後で宜しいでしょうか。大佐。」
  
(2)日本とパラオ ~歴史を越えた友情~   https://www.youtube.com/watch?v=cTRfPNEPR-A

 告白しよう。この話を最初に知ったとき、私(ZERO)は涙した。「帝国陸軍将兵が、土人なんぞと一緒に戦えるか!」と一括した隊長さんが、避難する現地人を乗せて岸壁を離れる船に手を振るときに見せた笑顔まで、見えるような気がした。
 広瀬中佐や、木口小平、佐久間艇長共々、「日本人が語り継ぐべき歴史」であろう。先人の偉業・偉功は、民族の財産であり、宝だ。

(3)まだ太平洋戦争と呼びますか?【大東亜戦争に込められた想い】   https://www.youtube.com/watch?v=PzymgZVDPAM
 
 「日本は、太平洋戦争には負けたが、大東亜戦争には勝った。」という説がある。この説が何を言わんとしているかは、上掲動画を見れば、明らかだろう。
 
 「東亜侵略百年の野望」は、ものの美事に「覆った」のだから。
 
(4)インパール作戦は終わらない【果たされたインドとの約束】  https://www.youtube.com/watch?v=4FKyQRmcFqg
 インパール作戦と言えば、「大日本帝国の無謀」の代名詞とされることもままある。だが、視点を変えればこの通り。
 「正しい歴史認識」なんて言葉の、如何に虚しいことか。歴史認識に「善悪正邪」なんて恣意的な基準を持ち込む者は「都合の良い歴史認識を強制しようとしている」と見て、マズ間違いない。
 
(5)米豪軍に一度も敗北しなかった高砂族「特別遊撃隊」─日本の南洋戦略11   https://www.youtube.com/watch?v=q60si81Crjg
 
 こういう話を知るたびに思う。「せめて十分な食糧と、パンツァーファウスト程度の対戦者火器を持たせて、大日本帝国軍を戦わせたかった。」と。
 あんパン地雷の様な「対戦者白兵戦術」は、ドイツ軍にもある程度見られるが(*3)、僅か数十mとは言え射程のある対戦者兵器があれば、我が軍にとってどれほど心強かったことだろう。

<注釈>

(*1) 戦死したはずの豊久が、実は異界に飛ばされて・・・ってのは、「ドリフターズ」だ。 
 
(*2) 映画「誰がために鐘は鳴る」。原作はヘミングウエイ。原作も読んだけれど、映画ほどのインパクトはないなぁ。まあ、クーパー&バーグマン&ルイス・マシンガン のヴィジュアル相手では、小説では分が悪い、か。
 
(*3) 吸着地雷に依る攻撃も、似たようなモノだ。映画「バルジ大作戦」の1シーンにもあったような気がする。 
 

先人かく戦えり

 衆知の通り、戦後日本はその憲法にも「平和主義」を掲げ、上掲動画にあるような戦史や軍事に対する拒否観・忌避観を強調するような教育や報道を実施してきた。戦史や軍事に興味を持つ者や研究する者は、(少なくともある面)異端視された。
 
 そんな教育や報道は今もあまり大差は無い。
 
 だが、国民は、果たしてそんな戦後平和教育・「平和的」報道のまま、平和ボケしており、し続けているだろうか。
 
 我が国民が平和ボケでは困ると言うのが、当ブログ設立の主眼(の一つ)だ。再三繰り返すとおり、曲がりなりにも民主主義体制をとる我が国にとっても、一日本国民である私(ZERO)自身にとっても、「平和ボケした(ままの)日本国民」と言うのは、大いに迷惑であるから、だ。
 
 上掲動画が、「平和ボケした国民」が覚醒する契機となるならば、幸いこれにすぐるは希有であろう。
 
 如何に、国民。(*1)

<注釈>

(*1) この「〆ゼリフ」も、久々かな。