応援いただけるならば、クリックを⇒ https://www.blogmura.com/
いや、毎年お盆が近づくこの時期になると日本のサヨクどもは気が違ってしまうのが年中行事な訳だが(*1)、それにしたってよくもまあこれだけ自己矛盾したコラムを「公器」たる新聞に書けるモノだ、掲載できるモノだ。これで東京新聞はこのコラムを含めて商品であり、このコラムに支払われた金が半田滋記者の給料にもなっているのだから、新聞記者ってのは相当「ぼろい」商売だね。
さて、タイトルにした「矛盾と狂気」は当該コラムを一読していただこう。いわば、以下のような「国語の問題」と思って以下の東京新聞コラムを読まれたい。
【問題】 以下の文章を読み、その矛盾点を挙げよ。
さて、タイトルにした「矛盾と狂気」は当該コラムを一読していただこう。いわば、以下のような「国語の問題」と思って以下の東京新聞コラムを読まれたい。
【問題】 以下の文章を読み、その矛盾点を挙げよ。
<注釈>
(*1) お盆とは遠い自機でも別に正気でもなさそうではあるが。
【私説・論説室から】自衛官募集で「赤紙来た」
http://www.tokyo-np.co.jp/article/column/ronsetu/CK2014080602000144.html
2014年8月6日
「平和を、仕事にする」。自衛隊の募集案内が七月上旬、全国の十八歳の若者宛てに一斉に送付された。安倍晋三首相は七月一日、集団的自衛権の行使容認を閣議決定した。このタイミングで自衛官募集のダイレクトメールが届けられたのだ。
インターネットを利用したツイッター上では「赤紙が来た」「召集令状だ」といったつぶやきがあふれた。防衛省は地方自治体が持つ住民基本台帳から適齢者の住所、名前などの個人情報を入手している。政府が自衛隊に入隊してほしいと考えた適齢者(十八~二十六歳)へ、いつでも募集案内を送りつけることができると証明された。
八月一日から十日までは、AKB48の「ぱるる」こと島崎遥香さんによる自衛官募集のテレビCMがオンエアされている。「自衛官という仕事、そこには大地や海や空のように果てしない夢がひろがっています」(半田滋)
AKB48採用の理由を防衛省人材育成課は「親しみやすいうえ、東北復興にボランティアとして活躍している。『人の役に立ちたい』という若者に訴えかける力がある」という。だが、自衛官になって「人助け」をしようとする若者の夢は「戦争参加の可能性」により、打ち砕かれたのではないか。「果てしない夢」はしぼんでしまったのに「夢のある自衛官になろう」と呼びかけるのだからブラックジョークというほかない。
【模範解答】
さて、如何だろうか。
矛盾点という意味では、タイトルからして矛盾だ。日本は志願兵制であり、だからこそ自衛官募集も実施される。徴兵制ならば、「軍人募集」なんて実施される訳が無い。一方で「赤紙」というのは召集令状で、こちらは徴兵制だからこそ「募集」では無く「招集」が「令される」もの。「自衛官募集で「赤紙来た」」と言う反応は、確かに一部ブログで見た覚えはあるが、公器たる新聞のコラムタイトルにしてしまうとは、言論人として恥ずかしい限りでは無いのかね。
ま、その後に縷々述べているとおり、「インターネットを利用したツイッターのつぶやき」として、そんな平和ボケ丸出しのしょうも無い反応があるというのは事実だろう。だが、そんな「つぶやき」をそのまま「新聞コラムのタイトル」に採用したのは半田滋記者であり、それを了としたのは東京新聞デスクだ。「お里が知れる」とは、このことだろう。
「狂気」というのは、上掲コラム全体を通じての「反軍事」「軍事忌避」ではあるが、その最たるは・・・
> 自衛官になって「人助け」をしようとする若者の夢は
> 「戦争参加の可能性」により、打ち砕かれたのではないか。
・・・「戦争=問答無用の絶対悪」であり、「義戦」とか「聖戦」とか言う概念は欠片も無いらしい。そんな「戦争概念欠如」は半田滋と東京新聞の勝手だが、「戦争参加で人助けになる」可能性すら完全否定しているのは、狂気としか言いようがあるまい。
「平和教」と言うより、「平和狂」だね。