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そりゃ沖縄二紙を含む「三アカ新聞」なんてのは、私(ZERO)とは「宗教が違う」のだから、発想も着眼点も論理も、違って当然、似てれば偶然、合致したなら奇跡みたいなもんだ。それだけ三アカ新聞の主張は私(ZERO)にとっては異論・異説であり、異端でもあり得るだけに「一読ぐらいじゃ意味が分からない」事も覚悟はしているし、「ついに意味が分からないまま」である事さえ、あり得ると覚悟はしている。
が、この沖縄タイムスの「集団的自衛権行使容認反対社説」は、一体何なのだろうか。
そりゃ沖縄二紙を含む「三アカ新聞」なんてのは、私(ZERO)とは「宗教が違う」のだから、発想も着眼点も論理も、違って当然、似てれば偶然、合致したなら奇跡みたいなもんだ。それだけ三アカ新聞の主張は私(ZERO)にとっては異論・異説であり、異端でもあり得るだけに「一読ぐらいじゃ意味が分からない」事も覚悟はしているし、「ついに意味が分からないまま」である事さえ、あり得ると覚悟はしている。
が、この沖縄タイムスの「集団的自衛権行使容認反対社説」は、一体何なのだろうか。
【沖縄タイムス社説】社説[集団的自衛権容認]抑止力向上は まやかし
2014年7月4日 05:30 http://www.okinawatimes.co.jp/article.php?id=75314【1】 集団的自衛権の行使を容認する憲法解釈変更の閣議決定を受け、共同通信社が1、2両日実施した全国緊急電話世論調査によると、行使容認への反対は54・4%で半数を超え、賛成は34・6%だった。安倍晋三首相が踏み切った行使容認に国民が納得していない実態が浮かんだ。
【2】 行使容認によって抑止力が高まる、との首相の説明に対し、「抑止力が高まる」「どちらかといえば抑止力が高まる」との答えは計34・0%。逆に「戦争に巻き込まれる可能性が高まる」「どちらかといえば戦争に巻き込まれる可能性が高まる」との見方が計61・2%と大幅に上回った。
【3】 「安全保障の法的基盤の再構築に関する懇談会」の報告書の提出を受けた5月15日。安倍首相は会見で、集団的自衛権の行使をめぐって「あらゆる事態に対処できる法整備によって、抑止力が高まり、戦争に巻き込まれることがなくなる」と述べた。
【4】 「戦争のできる国にすることが、戦争に巻き込まれないための有効な術(すべ)である」という、この論は支離滅裂だ。(*1)
【5】 しかし、「抑止力」という実態不明な言葉をまぶされると、何となく納得したような気持ちになる人も少なくないのではないか。抑止力とは、相手国がどう受け止めるかを考えるのが基本だ。
【6】 集団的自衛権の行使容認によって、日本は本当に「より安心」な国になるのか。中国の海洋進出を阻止できるだろうか。「抑止力」という言葉の前で思考停止に陥ることなく、その内実を冷静に問う必要がある。
■ ■
【7】 集団的自衛権の行使を容認する日本の閣議決定を受け、中国外務省の洪磊副報道局長は「日本が戦後長期にわたり堅持してきた平和発展の道を変えるのではないか、と疑問を持たざるをえない」と懸念を表明した。一方、韓国外務省の魯光鎰報道官は「朝鮮半島の安全保障や韓国の国益に影響を及ぼす場合、韓国の要請や同意なしには(行使を)決して容認できない」と慎重な運用をあらためて求めた。
【8】 安倍首相が進める「中国包囲網」に傾注した政策では外交の糸口はつかめない。歴史認識などで韓国との信頼関係を回復しなければ、北朝鮮への対応も制約される。
【9】 敵と味方を単純に色分けする冷戦型思考では、複雑な利害が絡む21世紀の国際秩序の安定は図れない。自国の安全を高めるための措置が、相手国に「脅威」や「挑発」と映り、軍拡競争を招く事態は避けなければならない。
■ ■
【10】 閣議決定は変更されることもある。
【11】 政府は2006年、在日米軍再編に関する日米の最終報告を「的確かつ迅速に実施する」と明記した方針を閣議決定した。
【12】 これに伴い、米軍普天間飛行場の移設先を名護市辺野古キャンプ・シュワブ沖とし「軍民共用」「15年使用期限」などの方針を示した1999年の閣議決定は廃止された。
【13】 政府は今後、集団的自衛権の行使を認める関連法案の全体像を示す考えだ。国民の理解の得られない法整備は、国会審議ではねつけるべきだ。
<注釈>
(*1) これこそ正に,思考停止の見本だろう。
「理解不能」と言いたくなるな
さて、如何だろうか。
「安倍首相の集団的自衛権行使容認に反対している沖縄タイムス社説」とは、一読しただけで判った。だが、その論理・根拠・理由となると、二読や三読くらいでは、サッパリ判らない。それだけ私(ZERO)にとって「異質な思考」であることは、パラグラフ【4】の断言、
1〉 「戦争のできる国にすることが、戦争に巻き込まれないための有効な術(すべ)である」という、この論は支離滅裂だ。
だけでも明々白々な処だが、それにしてもこの「異質な思考」は、本記事タイトルを「発狂」とし、その主張を「支離滅裂」とした所以である。
ついでなので書いておけば、上記1〉「戦争のできる国にすることが、戦争に巻き込まれないための有効な術(すべ)である」とは、同趣旨の主張を弊ブログで何度も繰り返してきた処。「一見”支離滅裂”に見える」のも承知だが、「戦争できない国が、戦争になったら、自動的に敗戦になる(*1)」事を考えれば、殆ど自明である。
「国が戦争できない」状態」は、「戦争しかけられることを誘っている」状態に他ならない。
「国が戦争できる」ならば、仕掛けられた戦争にもそうおいそれとは敗れない。敗れないという事は、戦争仕掛ける側からすれば「戦争目的を達成できない」という事である。そうと判れば「戦争仕掛ける事を考え直す」だろう。これが「抑止力」というものだ。即ち「我が国に対し、戦争仕掛ける気を失くさせる力」。その意味での「抑止力」が「我が国の入念万全な戦争準備」だけでは無いとは、私(ZERO)も認めるが、「第一義的な抑止力」とは即ち国防力・軍事力である。
「国が戦争できる」ならば、仕掛けられた戦争にもそうおいそれとは敗れない。敗れないという事は、戦争仕掛ける側からすれば「戦争目的を達成できない」という事である。そうと判れば「戦争仕掛ける事を考え直す」だろう。これが「抑止力」というものだ。即ち「我が国に対し、戦争仕掛ける気を失くさせる力」。その意味での「抑止力」が「我が国の入念万全な戦争準備」だけでは無いとは、私(ZERO)も認めるが、「第一義的な抑止力」とは即ち国防力・軍事力である。
ところが、上掲沖縄タイムス社説は、上記1〉パラグラフ【4】に続くパラグラフ【5】~【6】で、正にその「抑止力」を取り上げているんだが・・・
2〉 しかし、「抑止力」という実態不明な言葉をまぶされると、
3〉何となく納得したような気持ちになる人も少なくないのではないか。
4〉抑止力とは、相手国がどう受け止めるかを考えるのが基本だ。
5〉 集団的自衛権の行使容認によって、日本は本当に「より安心」な国になるのか。
6〉中国の海洋進出を阻止できるだろうか。
7〉「抑止力」という言葉の前で思考停止に陥ることなく、その内実を冷静に問う必要がある。
3〉何となく納得したような気持ちになる人も少なくないのではないか。
4〉抑止力とは、相手国がどう受け止めるかを考えるのが基本だ。
5〉 集団的自衛権の行使容認によって、日本は本当に「より安心」な国になるのか。
6〉中国の海洋進出を阻止できるだろうか。
7〉「抑止力」という言葉の前で思考停止に陥ることなく、その内実を冷静に問う必要がある。
・・・「支離滅裂」であった筈の上記1〉「戦争のできる国にすることが、戦争に巻き込まれないための有効な術(すべ)である」理論が上記2〉「「抑止力」という実態不明な言葉をまぶされる」と上記3〉「何となく納得したような気持ちになる人も少なくない」と言うのだから、「”抑止力”は魔法の言葉・呪文」か何かでない限り、上記2〉~3〉の沖縄タイムス社説こそ「支離滅裂」と言われるべきだろう。それに続く上記4〉及び上記7〉が、私(ZERO)でも首肯できるような「真面な主張」なだけに、上記1〉~3〉の異様さ・異質さが目立つし、理解し難い。
更には、社説タイトルからして「抑止力向上はまやかし」と言うのだから、続いて「抑止力の内実を冷静に問う」かと思いきや、「■ ■ 」と場面転換が入ってから後のパラグラフ【7】~【9】は、例によって例の如くの「日本の集団的自衛権行使容認に対する中韓の否定的意見」に反応しての「中韓との友好大事」だが、上記6〉で「中国の海洋進出」を「阻止すべきモノ」と認めていると言うのに「友好大事」と主張するのだから、正に訳が判らない。その「訳の判らなさ」の背景が、どうもパラグラフ【9】の前半らしいんだが・・・
8〉 敵と味方を単純に色分けする冷戦型思考では、複雑な利害が絡む21世紀の国際秩序の安定は図れない。
…「複雑な利害が絡む21世紀の国際秩序」で「敵味方が単純に色分けできない」ならば、「外国は基本敵国」と考えるのが安全側であり、次いで「同盟国以外は敵国」であろうに、同盟国ですらない中国共産党政権を「包囲せずに仲良くする」少なくとも「敵と色分けしない」事で、何がどうすると「国際秩序の安定が図れる」のだろうか。「是々非々であり、中国相手でも協力出来る部分は協力する」という事かも知れないが、「核心的利益」とまで抜かしだした主権問題については、協力なんぞしようもあるまいに。
9〉 自国の安全を高めるための措置が、相手国に「脅威」や「挑発」と映り、軍拡競争を招く事態は避けなければならない。
…冷戦とは正に、「 自国の安全を高めるための措置が、軍拡競争を招き、遂には西側自由主義世界がソ連を中心とした東側共産主義世界に勝利した」史実ではないか。「自国の安全を高めるため」ならば、「軍拡競争」ぐらいが、何ほどの事があろう。
第一、その「軍拡競争」の相手である中国共産党政権は、既に過去20年ほども軍事費二桁成長を続ける大軍拡路線驀進中だ。一方的軍拡を放置するよりは、軍拡競争の方が、遥かに我が国安全保障にとってマシである。
再び「■ ■ 」と場面転換が入ってから後の、パラグラフ【10】~【12】は、まだ理解しうる主張だ。要はパラグラフ【10】で「再度の閣議決定による、集団的自衛権行使否認に対する期待」である。つまりは、「目指せ!元の木阿弥」と言う訳だ。言いたい事は辛うじてわかるが、「抑止力向上はまやかし」の内容は上記の通り。これで、
10〉 政府は今後、集団的自衛権の行使を認める関連法案の全体像を示す考えだ。
11〉国民の理解の得られない法整備は、国会審議ではねつけるべきだ。
11〉国民の理解の得られない法整備は、国会審議ではねつけるべきだ。
と、主張出来るのだから、沖縄タイムスとしては上掲社説で「[集団的自衛権容認]抑止力向上はまやかし」と言う主張・論理・根拠には「国民の理解は得られる」と、確信している、らしい。
そりゃまあ、「国民」によっては「理解」するのだろうけれど、ね。
<注釈>
(*1) 「戦争にはなった」のだから、「不戦敗」ではないだろうが。ま、戦争に至る前に「外交的に屈服」すれば、それは「不戦敗」では、あろうな。