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 実は私は読んだ事が無いのだが、ジョージ・オーウェルの政治風刺小説「動物農場」では、動物たちが人間を「革命」で追い出し、「動物たちだけの農場」を始めるのだそうだ。その「革命的農場経営」の下で「ナポレオン」と言う名前の豚が全ての動物は平等だが、ある種の動物は"より平等"だ。」と言うとんでもない屁理屈で以って「独裁政治」を始めるそうだ。この「ナポレオンと言う名の豚」は、スターリンを揶揄したのだそうで、なかなか上手い比喩をするもんだ、と感心してしまう(*1)。
 
 感心してしまうような政治的比喩を含む(と聞き)ながら、読んだ事は無い小説を思い出させたのは、朝日新聞の社説だ

 

<注釈>

(*1) 繰り返すが「そういう小説だ」と伝聞で聞いたきり、だが。
 
 
【朝日社説】路上の民主主義―自ら考え動き出す人たち
2014年5月15日(木)付

変わらなければ。
 変えなければ。

 東日本大震災と東京電力福島第一原発事故を経験した2011年。「第二の敗戦」といった言葉も飛び交うなか、日本社会は深い自省と、根源的な変革を求める空気に満ちていた。

 それを目に見える形で示したのが、震災から約半年後に東京で開かれた「さようなら原発」集会だ。主催者発表で6万人が参加。ノーベル賞作家・大江健三郎さんは訴えた。「何ができるか。私らにはこの民主主義の集会、市民のデモしかない」

 あれから3年近くが経った。

【1】■首相がまく種

 自民党が政権に戻り、原発再稼働が推進され、大型公共事業が復活する。
 何も変えられなかった。

 冷めた人。折れた人。疲れた人。民主党政権への深い失望と相まって膨らんだ諦念(ていねん)が、安倍政権の政治的原資となってきたことは否めない。

 反対意見に向き合い、議論を深める。民主制の根幹だ。しかし首相はどうやら、選挙で選ばれた、最高責任者の自分がやりたいようにやるのが政治で、反対意見なんか聞くだけ無駄だと考えているようだ。

 憲法の縛りさえ、閣議決定で「ない」ことにしてしまおうという粗雑さ。これに対し、与党が圧倒的議席をもつ国会は、単なる追認機関と化しつつある。

 気づいているだろうか。

 首相の強権的な政治手法とふがいない国会のありようが、自ら思考し、行動する政治的な主体を新たに生み、育てていることに。怠慢なこの国の政治家にとっては、幸か、不幸か。

【2】■声を響かせる

 「『Fight the power』、これは権力と闘えって意味で、ちょっと過激なんすけど、まあ英語だから大丈夫かなと」

 憲法記念日に東京・新宿で行われた「特定秘密保護法に反対する学生デモ」。集合場所の公園で約400人が声を合わせ、コールの練習を始めた。都内の大学生らが主催した、党派によらない個人参加のデモ。ネットや友人関係を通じて集まった。

 出発。重低音のリズムを刻むサウンドカーを先頭に、繰り返される「特定秘密保護法反対」「憲法守れ」。堅苦しい言葉がうまくリズムに乗っかって、新宿の街にあふれ出していく。

 大学生たちがマイクを握る。

 「自分らしく、自由に生きられる日本に生まれたことを幸せに思っています。でも、特定秘密保護法が反対を押し切って成立した。このままじゃ大好きな日本が壊れちゃうかもしれないって思ったら、動かずにはいられませんでした」

 「私は、私の自由と権利を守るために意思表示することを恥じません。そしてそのことこそが、私の『不断の努力』であることを信じます」

 私。僕。俺。借り物でない、主語が明確な言葉がつながる。

 社会を変えたい?

 いや、伝わってくるのはむしろ、「守りたい」だ。

 強引な秘密法の採決に際し、胸の内に膨らんだ疑問。

 民主主義ってなんだ?

 
 手繰り寄せた、当座の答え。

 間違ってもいいから、自分の頭で考え続けること。おかしいと思ったら、声をあげること。
 だから路上に繰り出し、響かせる。自分たちの声を。

 「Tell me what democracy looks like?(民主主義ってどんなの?)」のコール。
 「This is what democracy looks like!(これが民主主義だ!)」のレスポンス。

 ある学者は言う。頭で考えても見通しをもてない動乱期には、人は身体を動かして何かをつかもうとするんです――。

 彼らは極めて自覚的だ。社会はそう簡単には変わらない。でも諦める必要はない。志向するのは「闘い」に「勝つ」ことよりも、闘い「続ける」ことだ。

【3】■深く、緩やかに

 5月最初の金曜日に100回目を迎えた、首相官邸前デモ。

 数は減り、熱気は失せ、そのぶんすっかり日常化している。植え込みに座って、おにぎりを食べるカップル。歌をうたうグループ。「開放」された官邸周辺を思い思いに楽しんでいる。
 非暴力。訴えを絞る。個人参加。官邸前で積み上げられた日常と、新しいデモの「知恵」がなければ、昨年12月に秘密法に反対する人々が国会前に押し寄せることも、学生たちのデモも、なかったかもしれない。

 つよいその根は眼にみえぬ。
 見えぬけれどもあるんだよ、
 見えぬものでもあるんだよ。
 (金子みすゞ「星とたんぽぽ」)

 たんぽぽのように、日常に深く根を張り、種をつけた綿毛が風に乗って飛んでいく。それがどこかで、新たに根を張る。

 きょう、集団的自衛権の行使容認に向け、安倍政権が一歩を踏み出す。また多くの綿毛が、空に舞いゆくことだろう。

 社会は変わっている。

 深く、静かに、緩やかに。

 

安倍首相は、正当な選挙で選ばれた「国民の代表」ではないらしい

 さて、如何だろうか。
 
 一読して明らかな通り、朝日新聞がその社説で「民主主義」を絶賛している。例として挙がっているのは、①「サヨナラ原発集会」と②「特定秘密保護法反対の学生デモ」。パラグラフ【3】では「100回目を迎えた、首相官邸前デモ」とあり、さらには「集団的自衛権行使反対デモ」に対する期待も大いに滲ませているが、前後の文脈からすると上記①「サヨナラ原発集会」も②「特定秘密保護法反対の学生デモ」も(*1)「100回目を迎えた、首相官邸前デモ」の一つであるらしい(*2)。
 
 確かに、「首相官邸前デモ」と言うのは、「民主主義の発露」と言い得よう。
 
 では、朝日新聞に尋ねようではないか。「首相官邸前デモが、"原発再稼働賛成"や"特定秘密保護法推進"を掲げていても、やはり"路上の民主主義"と絶賛し、社説に取り上げたか?」
 
 読者諸兄にも尋ねよう。「"原発再稼働賛成"や"特定秘密保護法推進"を掲げた官邸前デモを、"路上の民主主義"と絶賛し、朝日新聞が社説に取り上げる処を、想像出来るか?」
 
 「首相官邸前デモ」に「路上の民主主義」を見出し、称賛絶賛する上で、「デモの主張」は直接関係は無い筈だ。その主張が政府側・政府支持だと「官製デモ」である可能性があるから、「首相官邸前の反政府・政府反対デモ」の方が確実な「民主主義の発露」ではあろうが、「反政府首相官邸前デモでなければ、"路上の民主主義"ではない」なんて事は無い。肝心なのは、国民一人一人が「自ら考える」事だ。その事を、朝日新聞は承知し、上掲社説を書いて居るだろうか。書いて居るのならば、少なくとも「官製では無い"原発再稼働賛成"デモや"特定秘密保護法推進"デモ」に対しては、「民主主義の発露」として賛同出来る筈だ。
 
 賛同出来るかね?
 
 無論、私(ZERO)には、ソンナ事に賛同する朝日新聞と言うのは、想像できない。
 
 冒頭に書いた通り、私(ZERO)が「動物農場に登場する、スターリンを揶揄した豚」を思い出したのは、上掲朝日社説の言う処の「民主主義」が、極めて胡散臭くも怪しいから、だ。そう、「ナポレオンと言う名の豚」が唱えた(と言う)屁理屈「全ての動物は平等だが、ある種の動物はより平等だ。」と同じぐらいに。つまりは上掲朝日社説が「首相官邸前デモ」を絶賛するのは、「反政府・政府反対デモ」だからだと、感じられ、断じられるから、だ。左様考えないと、章題にもした通り曲がりなりにも民主的な選挙で選出された政権与党党首であるが故に首相に就任した安倍首相を「民主主義の敵」として描き出している上掲社説が、説明できない。
 
 如何に、朝日新聞。
 如何に、朝日新聞読者。

 

<注釈>

(*1) 更には、朝日新聞社説が期待する「集団的自衛権行使反対デモ」も。恐らくは。 
 
(*2) ああ、無論、「文言として書いては居ない」処ですな。星の旅様、アワモリ様。