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正直言って、韓国のセウォル号転覆沈没事故について、当ブログは消極的にしか扱って来なかった。一つには同事故が海難史上まれに見るような痛ましい事故であったからであり、もう一つには事故発生原因から、事故直後から現在に至るセウォル号運航会社、韓国海難当局、韓国政府、さらには韓国人の対応・対処に「呆れ返っていたから」でもある。
「バカがバカを曝している」のを見るのは、ある種の「愉しみ」があるが、殊更その「愉しみ」を喧伝するのは、どうにもこうにも「下品」に思えたから、「半島の半島たる所以」に「呆れ返り」ながら静観・傍観を基本方針としていた。
が、ここまで来ると、呆れ返り過ぎて、却って一言言いたくなるな。
【中央日報】 <韓国旅客船沈没>船長「事故の瞬間、船員だけは生きなければという考え」
2014年05月16日08時59分
http://japanese.joins.com/article/381/185381.html?servcode=400§code=430&cloc=jp|
article|mainnews
[?中央日報/中央日報日本語版]
【1】 旅客船「セウォル号」のイ・ジュンソク船長(69)を含む船員15人は、約440人の乗客を退船させる場合、自分たちが後まわしになることを知りながら、退船放送をせず先に脱出したことが分かった。イ船長は乗客救護措置を取らずに逃げた「不作為による殺人」容疑の動機について、「船員だけは何とか生きなければいけないと考えた」と述べたことが確認された。
【2】 検警合同捜査本部(本部長アン・サンドン検事長)は15日、セウォル号沈没事故の当日、乗客救助の責任が最も大きいイ船長とカン・ウォンシク1等航海士(42)、キム・ヨンホ2等航海士(47)、パク・キホ機関長(58)の4人を拘束、起訴した。合同捜査本部は確認された犠牲者284人に対する殺人容疑などを適用した。生死が確認されていない行方不明者20人は被害者から除いた。
【3】 生存者152人に対する殺人未遂、業務上過失船舶埋没、水難救護法・船員法違反容疑も追加した。
【4】 また、パク・ハンギョル3等航海士(25、女)と当直のチョ・ジュンギ操舵手(55)も拘束、起訴した。2人は事故当日、復元性問題で操舵角度を5度以上回せば沈没の危険があることを知りながらも、15度以上の大角変針で船を沈没させ、救護措置を取らず脱出した疑い(逃走船舶罪)。
【5】 イ船長には最高刑が死刑の殺人罪が無罪となる場合を考慮し、最高無期懲役の逃走船舶罪も予備的罪名に追加した。検察はソン・ジテ1等機関士(58)を含め、残りの船員9人も最高懲役45年の遺棄致死・致傷罪を適用し、拘束、起訴した。
【6】 合同捜査本部の関係者はイ船長ら4人に対する殺人罪起訴に関し、「海洋警察珍島管制センター(VTS)から30分間ほど『救命リングを着用させて乗客を脱出させろ』という指示を受けたにもかかわらず、『放送・船内移動が不可能』という嘘をつき、9時37分に交信を切り、先に退船したため、殺人罪が成立する」と明らかにした。また「船員が脱出した9時38分、3階の甲板が浸水していないことも確認され、退船放送さえしていれば乗客全員が海洋警察や付近の漁船に救助される可能性があった」と話した。【7】 検察の調査の結果、セウォル号の船長と船員8人は先月16日午前8時52分、操舵室に集まり、脱出を謀議した。船舶の2階の高さの浸水限界線まで水が上がってくると、船を捨てることにした。船員は開閉方式である船舶の扉が水に浸る場合、水圧のために開かないということを知っていた。イ船長らは当時、服や無線機を持ってくるため自分の船室を行き来する間にも、乗客にこの事実を知らせなかった。船体のあちこちに放送設備と電話機、非常ベル、無線機などがあったが、何も使用しなかった。
【8】 数回にわたり乗客の脱出を指示した珍島VTSとの交信内容もすべて無視して偽りの交信をした。一部の船員は救助艦が現れればすぐに脱出できるよう消防ホースを体にくくりつけて待機していたことも新たに確認された。
【9】 船員の大角変針も事故の原因と確認された。事故当日の午前8時48分。セウォル号のチョ・ジュンギ操舵手は操舵角度を135度から150度以上に急激に変えた。「操舵角度を140度に合わせろ」というパク・ハンギョル3等航海士の指示に基づき、さらに10度以上回した。当時運航中だった航路は潮流が速い孟骨(メンゴル)水道だったため、5度以上の変針をしてはならないところだった。急激な変針で右側に急旋回したセウォル号は左舷側に急速に傾き始めた。正常な船なら船体が復元するが、増築過程で復元性に問題が生じたこの船は結局、大きく傾いた。
【10】 適正量を大幅に超過した貨物量と船積み問題も船を沈没させた要因となった。事故当時、セウォル号にはコンテナや車両など2142トンの貨物が積載されていた。韓国船級が許可した適正積載量1077トンの倍だった。一方、船員は船のバランスを取るバラスト水は基準量の1565トンの半分にもならない761トンのみ入れていた。
【11】 無気力な救助活動をした海洋警察に対する捜査も本格化した。検察はこの日、「今後、救助関係者に対する徹底的な捜査を通じて相応の責任を問う」と述べた。
佐久間艇長、広瀬中佐。「伝説としての歴史」を有する有り難さ
さて、如何だろうか。
正直言って、上掲記事の通りの凄まじい惨状を呈しているセウォル号船長に「殺人罪を適用する」ってのも、「首相が辞任する」ってのも「大統領の謝り方が足らないと非難する」ってのも、「どうかと思う」どころか「どうかしてると思う」レベルであり、「どうかしている」が故に「半島らしい」とさえ言える。
而して、引き比べるさえ「畏れ多い」ぐらいであるが、我が国の比較的近い歴史上に、佐久間艇長や広瀬中佐と言う「生きた伝説」「伝説としての歴史」を有する事の有り難さを、新ためて痛感するな。
先人の偉業・偉大さが、子孫たる我らが幾許なりとも「先人の偉大さ」に近づく、助けとなってくれる。何と有り難い事か。
逆に先人の偉業・偉大さ・高潔さ・高尚さが、全く無かったとしたら・・・
大陸には「何をやったのか日本語でちょっと調べたくらいでは良く判らない」雷峰ぐらいしか居ないし、半島には「テロリスト」安重根しか居ない(*1)様では、セウォル号船長みたいな輩が跳梁跋扈するのも、無理からぬところだろうか。
逆に言えば、数多の偉人偉業を擁する我が国とて、「伝説・伝承としての歴史」を失えば、韓国並みに成り下がりかねない、という事だ。
<注釈>
(*1) 反論歓迎。否。むしろ、「反論求む」。Johnkimさんあたり、どうよ。
歴史的補遺
【佐久間艇長】第六潜水艇が訓練中に事故を起こし、乗組員14名全員が殉職した。殉職した乗組員は、ほぼ全員が自身の持ち場を離れず死亡しており、持ち場以外にいた乗組員も潜水艇の修繕に全力を尽くしていた。佐久間自身は、艇内にガスが充満して死期が迫る中、明治天皇に対して潜水艇の喪失と部下の死を謝罪し、続いてこの事故が潜水艇発展の妨げにならないことを願い、事故原因の分析を記した後、次のような遺言を書いた。謹ンデ陛下ニ白ス
我部下ノ遺族ヲシテ窮スルモノ無カラシメ給ハラン事ヲ
我念頭ニ懸ルモノ之レアルノミその後、「左ノ諸君ニ宜敷」と斎藤実を初めとする当時の上級幹部・知人の名を記し、12時30分の自身の状態を、そして「12時40分ナリ」と記して絶命した。
(ウィキペディアから抜粋)
【広瀬中佐】1904年(明治37年)より始まった日露戦争において旅順港閉塞作戦に従事する。3月27日、第2回の閉塞作戦において閉塞船福井丸を指揮していたが、敵駆逐艦の魚雷を受けた。撤退時に広瀬は、自爆用の爆薬に点火するため船倉に行った部下の杉野孫七上等兵曹(戦死後兵曹長に昇進)がそのまま戻ってこないことに気付いた。広瀬は杉野を助けるため一人沈み行く福井丸に戻り、船内を3度も捜索したが、彼の姿は見つからなかった。やむを得ず救命ボートに乗り移ろうとした直後、頭部にロシア軍砲弾の直撃を受け戦死した。(ウィキペディアから抜粋)