応援いただけるならば、クリックを⇒ https://www.blogmura.com/
 
 半島の「反日火病ぶり」を今さら取り上げたとて、沖縄二紙の「普天間基地辺野古移設反対論」を取り上げるのと同じぐらい虚しくも無駄な事であろう。平たく言えば「気違い」であり、「まぁた、馬鹿が馬鹿さらしてらぁ。」で御終いだ。だから随分長い事、沖縄二紙を槍玉にあげていない。
 
 だが、そこはそれ「ウリナラ半万年」の「自称伝統」を誇る半島だ。沖縄二紙に輪をかけた気違いぶりと言うか馬鹿ぶりを曝してくれるものだから、勢い当ブログも取り上げ、槍玉に挙げたくなる。
 
 尤も、今回取り上げるのは「気違いぶり」「馬鹿ぶり」と言うよりは、「明きメクラぶり」と言うべきであろうが。

 
【中央日報コラム】隣国の悲劇、慰労はおろか皮肉る日本
2014年05月12日08時48分
http://japanese.joins.com/article/175/185175.html?servcode=100&sectcode=140
[ 中央日報/中央日報日本語版]
【1】 11日午前、日本の民放局の討論番組に日本政府の山本一太領土問題担当相が出演した。独島(ドクト、日本名・竹島)問題で韓国をしばしば刺激する人物だ。他の問題も議論されたがメインテーマは韓国のセウォル号沈没事故であり、「韓国はなぜ? 安全軽視」という副題もついた。

【2】 司会者を含めた9人がすったもんだする中で発言権を得た山本氏は、「出演したら必ずしたかった話がある」としてとんでもない話を始めた。

【3】 「戦後韓国の経済成長は日本の経済モデルを参考にしたものだ。日本は平和国家としての歩みの中で戦後韓国に非常に大きな経済協力をした。当時の韓国の国家予算より多い5億ドルを提供し、ソウルの地下鉄と製鉄業界の技術協力など各種支援をした。(韓国国民は)日本が戦後韓国の経済成長のためにどれだけ貢献したかわかってほしい…」。一言で「韓国は感謝を知らない」という趣旨の発言だった。

【4】 番組の企画意図はよくわからなかったが、一部出演者の面々を見ると水準の高い討論を期待するのは無理だった。

【5】 『悪韓論』『呆韓論』など嫌韓書籍を相次いで出している元記者の室谷克実氏が代表的だった。韓国に対する悪い話で討論の流れを切った。彼は「韓国は伝統的にわいろが潤滑油になる国だ。パトロールをする警察官は駐車違反せざるを得ない商店からわいろを受け取り、それを上納する」と主張した。司会者が「韓国とどのように過ごすべきか」という趣旨の質問をすると、室谷氏は「韓国は世界中で日本の悪口を言って回っている。普通の隣国と見ることはできない」と答えた。

【6】 室谷氏だけではなかったが武貞秀士客員教授の発言も刺激的だった。韓国の高速鉄道導入過程で日本ではなくフランスのモデルが選ばれたことをめぐり、「トンネルが多い韓国にはトンネルの圧力に強い車両を作ることができ、メンテナンスも世界一流である日本しかなかったが感情的で非合理な決定をした」と主張した。それとともに「日本に頭を下げてなるものかという気持ちはわかるが…」と話した。

【7】 武貞氏は続けて、「朴槿恵(パク・クネ)大統領が慰安婦や靖国神社・教科書問題は別の袋に入れ、危機管理に対しては日本をパートナーとすれば(韓国の安全問題の)大部分は解決できるだろう」と主張した。
 
【8】 ともに出演した韓国人女性教授が単独で孤軍奮闘したが数的な劣勢はどうしようもなかった。隣国の超大型悲劇であるセウォル号沈没事故に日本メディアは韓国メディアに劣らず関心を示している。まだセウォル号関連素材を毎日午後に1時間近く伝える地上波番組があるほどだ。

【9】 だが、一部放送の出演者が韓国政府の対応を批判し、「韓国メディアは政府が圧力を加えると批判ができない」と主張するなどそれとなく韓国を非難する場面も少なくない。隣国の悲劇を慰め反面教師とする水準を超え、ややもするとセウォル号が新たな嫌韓の素材になりかねないと心配になる。
ソ・スンウク東京特派員 .
 
 

セウォル号転覆沈没事故の犠牲者には、御冥福をお祈りする。が・・・・

 先ずは、章題にもした通り、セウォル号転覆沈没事故犠牲者の御冥福を、謹んでお祈りする。弊ブログで同事故は殆ど扱って来なかったが、同事故が近年まれに見る海難事故であり、悲劇である事は、議論の余地が無い。と同時に、同事故犠牲者を揶揄や嘲笑する者を、私(ZERO)は軽侮する。死者、なかんずく事故死者には、その国籍が何処にあれ、一定の敬意を払われるべきである。
 
 であるならば、上掲中央に報コラムタイトルの通り、「隣国の悲劇(セウォル号沈没事故)、慰労はおろか皮肉る」者は、例え我が同胞と雖も我が軽侮の対象となる、筈だ・・・が・・・???
 
 上掲中央日報コラムが槍玉に挙げているのは、日本の民放局の討論番組であり、パラグラフ【1】にある通り「セウォル号沈没事故」をメインテーマとして、「韓国はなぜ? 安全軽視」を副題としているそうだ。このメインテーマで、この副題という事は、「セウォル号転覆沈没事故を題材に、韓国の安全軽視を追求する」意図であったと推定出来る。即ち、「セウォル号事故犠牲者に対する慰労(*1)」は、あったとしても二義的なものだろう。つまりは、当該番組に「慰労」は無くても不思議はない。
 
 更には、上掲中央日報コラムで槍玉に挙げられている当該番組出演者の発言であるが、「韓国政府批判」「韓国人批判」「韓国文化批判」にはなって居ようが、「皮肉」であろうか。
 
 それとも「皮肉」の意味が、半島と日本とでは異なるのだろうか。
 
 もっと踏み込むならば、当該討論番組は「韓国はなぜ? 安全軽視」を副題として討論をした筈なのだから、少なくとも「韓国の安全軽視」は大いに論じられ、またメインテーマが「セウォル号転覆沈没事故」である以上「韓国批判」であった事は、想像に難くない(*2)。また、そうで無ければ「安全軽視に対する反省」も無ければ、再発防止にもならないだろう。
 
 であると言うのに、上掲中央日報コラムの〆は・・・
 
1>  隣国の悲劇を慰め反面教師とする水準を超え、
2> ややもするとセウォル号が新たな嫌韓の素材になりかねないと心配になる。
 
…「セウォル号転覆沈没事故とその後の顛末」が「新たな嫌韓の素材になりかねない」事には私(ZERO)も同意し用。何しろ実際に転覆してしまうぐらい重心位置が高く・不安定になって居た上、その事実を隠したまま外国に転売されようと商談始めていたと言う始末では、「新たな嫌韓の素材」にもなろうさ。尤も、「嫌韓の素材」なんてのはほかにいくらでもあるし、日々増えるばかりの様であるから、今さらセウォル号事故の一つや二つ増えて処で、大勢に影響はなさそうだ。
 
 一方で、「セウォル号転覆沈没事故」を「慰めにする日本人」。これは、居ないとは言い難い。否、きっと「居るに違いない」が、少ないだろうと予想し、期待もする。特にあれこれ人災要因もある事故そのものは未だしも、事故犠牲者を「慰め」とする人非人は、少なかろう。
 
 さらに言えば、「反面」か否かは兎も角、「セウォル号転覆沈没事故」から最も多くを学べる/学ぶべきであるのは、「隣国」たる我が国ではなく、韓国・韓国人自身だろう。そうで無ければ、事故の犠牲となった数多の韓国人高校生たちの例も浮かばれまい…と、考えるには、一定の文化的背景が必要だから、「韓国人には縁が無い」かも知れないが。「学ぶ」事によって再発防止に努めるのが、生き残った者の責任であろう・・・
 
 と、書いて居る傍から、「上掲中央日報コラムを読む限り、こりゃ"再発防止"何ざぁ夢のまた夢。」と感じてしまうのは、当該討論番組で大いに語られたであろう「韓国批判」を、「慰労はおろか皮肉る日本」としか書けない/感じられない上掲中央日報コラムの「お蔭」であろうな。

 

<注釈>

(*1) この日本語、変だよなぁ。「慰霊」なら判るが、普通は事故犠牲者に対し「慰労」したりはしない 
 
(*2) と言うよりも、このメインテーマ、この副題で「韓国を擁護」するとしたら、「セウォル号沈没事故ばかりが韓国では無い」と主張するぐらいしか、私(ZERO)には想像できない。「数的劣勢」も何も、いくら数を揃えたたとて「韓国人女性教授が単独で孤軍奮闘」するのは、道理と言うモノ・・・
 
 ああ、そうか。数が揃えば、横断幕と大声で「反対者を圧倒する」手が、使えるか。
 でもそれって、ちっとも「勝っていない」ぞ。