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「巧言麗色、少なきかな仁」と言う。「覇権主義反対」などとかつては唱えていた中国共産党政権が、今度は「新安全保障観」などと言い出しているそうだ。「新たなる大国関係」などと称してアメリカとの「手打ち」を主張し始めたかつての「覇権主義反対」者=中国共産党政権が唱える「新安全保障観」である。「お里が知れる」とは、十分予測できるのであるが・・・
【人民日報海外版コラム】全世界に影響を与える中国の新安全保障観
2014年04月17日12:41 http://j.people.com.cn/94474/8601285.html
[1] 習近平総書記は中央国家安全委員会の初会議で総合的国家安全保障観を打ち出した。国民の安全を趣旨、政治の安全を根本、経済の安全を基礎、軍事、文化、社会の安全を保障、国際的安全の促進を拠り所に、中国の特色ある国家安全保障の道を歩み出すというのが柱だ。新安全保障観を基礎に打ち出した大安全保障観であり、安全保障に関する4点について系統立てて答えを示した。(文:王義?・中国人民大学国際関係学部教授、国際問題研究所所長。人民日報海外版コラム「望海楼」掲載)
(1)安全保障の観念
――総合的安全保障観の確立。総合的安全保障は以下を含む。国家の安全は国民の安全、政治の安全、経済の安全、軍事の安全、文化の安全、社会の安全など全方位的内容を含み、伝統的安全保障と情報の安全、生態の安全、資源の安全、核の安全など非伝統的安全保障に共に配慮し、外部の安全と共に内部の安全を重視し、対内的には発展、変革、安定を求め、平安な中国を建設し、対外的には平和、協力、ウィンウィンを求め、調和ある世界を建設し、自国の安全と他国の安全の共同安全、さらには人と自然、国家と国際の総合的安全をも含む。
(2)安全保障の道
――中国の特色ある国家安全保障の道であり、西側の安全保障における拡張という古い道は歩まず、「トゥキディデスの罠」のような歴史的な安全保障上の悲劇を繰り返さず、安全保障分野で道への自信と持続可能な発展を実現する。
(3)安全保障の体制
――国家安全保障委員会。集中的、統一的、効率的、権威的な国家安全保障体制を構築し、国家安全保障の取り組みに対する指導を強化する。(4)安全保障の目標
――運命共同体。一国の安全は他国の非安全を基礎に築かれるという安全保障上のゼロサム思考や対立的安全保障理念を退け、「他国が安全だからこそ自国も安全」という人類の新安全保障観を確立し、人類が共通のふるさとで苦楽をともにする安全保障の新思考を確立する。
【1】 いわゆる時代性とは、安全の主体を国民、国家から国際へと引き上げ続け、安全の客体を政治、経済、文化、社会などから拡大し、環境、ネット、海洋、宇宙などグローバル・コモンズにまで延ばすことを指す。
【2】 いわゆる包括性とは、中国が国際的に早くから認識していたように、中国の安全の夢は世界の安全の夢から切り離せないことを指す。これは第三国を排斥し、仮想敵に的を合わせさえする米国の二国間同盟体制を乗り越え、「安全保障は米国頼み、経済は米国頼み」というアジア・パラドックスを乗り越えるものである。
【3】 利益共同体から運命共同体へ、互恵・ウィンウィンから共通の安全保障へ。安全を共に享受し、共に担い、共に築き、共に栄える理念を提唱する。中国の特色ある安全保障観の世界的意義ははっきりと示され続ける。経験が物語るように、政党の安全、体制の安全なしに国家の安全はない。習総書記が述べたように、国家安全委員会の創設は国家ガバナンスのシステムと能力の近代化を推進し、国家の長期的安定を実現するための差し迫った要請であり、小康(ややゆとりのある)社会を全面的に完成し、中華民族の偉大な復興という中国の夢を実現するための重要な保障だ。
【4】 総合的安全保障観をいかにしてうまく説明するかが、中国の安全保障研究にとって重大な任務となる。総合的安全保障観の提出は、中国の安全保障の思考を豊かにしただけでなく、安全保障分野での中国の国際的発言力づくりにおける新たな重要ステップでもある。将来的に中国は国際的安全の促進を拠り所に、安全保障の国際公共財の供給能力を強化し続け、平安な中国を築き、調和ある世界を建設する。(編集NA)
「人民網日本語版」2014年4月17日
大国とは言え、唯一国さえまともに「安全保障」していないのに、かね?
さて、如何だろうか。
何というか、平和ぼけした自称「平和運動家」やら社民党あたりなら飛びつきそうな「安全保障策」であるな。尤も、大方の自称・平和運動家や社民党ならば、親方五紅星旗の前には即座に全面降伏だから、かような「美辞麗句」さえ不要ではあろうが。
上掲記事が唱える「安全保障策」は、上掲記事自身が唱える通り、広範にわたる包括的なものである。すなわち、冒頭近く(1)にある通り、< 丸数字、[]番号、(A)、(A番号)などは私(ZERO)が振った識別記号>
何というか、平和ぼけした自称「平和運動家」やら社民党あたりなら飛びつきそうな「安全保障策」であるな。尤も、大方の自称・平和運動家や社民党ならば、親方五紅星旗の前には即座に全面降伏だから、かような「美辞麗句」さえ不要ではあろうが。
上掲記事が唱える「安全保障策」は、上掲記事自身が唱える通り、広範にわたる包括的なものである。すなわち、冒頭近く(1)にある通り、< 丸数字、[]番号、(A)、(A番号)などは私(ZERO)が振った識別記号>
1> 国家の安全は①国民の安全、②政治の安全、③経済の安全、④軍事の安全、⑤文化の安全、⑥社会の安全など全方位的内容を含み、
2> [1]伝統的安全保障と[2]情報の安全、[3]生態の安全、[4]資源の安全、[5]核の安全など非伝統的安全保障に共に配慮し、
3> (A)外部の安全と共に(B)内部の安全を重視し、対内的には(B1)発展、変革、安定を求め、(B2)平安な中国を建設し、対外的には(A1)平和、協力、ウィンウィンを求め、(A2)調和ある世界を建設し、(A3)自国の安全と他国の安全の共同安全、さらには(B3/A4)人と自然、(A5)国家と国際の総合的安全をも含む。
となっており、あれこれ大仰に羅列してはいるが、要は、
[Ⅰ] 国と国との関係・対外的なばかりでなく、国内関係・対内的な「安全保証」である。 上記3>
[Ⅱ] 軍事的なばかりでなく、政治的、経済的、環境的な「安全保証」である。 上記3>
の二点が大きな特徴であろう。即ち上記2>で[1]伝統的安全保障 として「主として軍事的・政治的かつ対外的な安全保障」に対し、上記2>[2]~[5]+α(*1)を「非伝統的な安全保障」として追加・拡張している。なるほど、「新しい安全保障概念」であることは、衆目の一致するところであろうし、私(ZERO)もその点は賛同する。
注目・着目すべきなのは、中国共産党一党独裁政権が「伝統的安全保障」に「非伝統的安全保障」を加えた「新しい安全保障」を唱えだした、その意図・背景・真意であろう。
「人類の英知を結集し、その進歩に貢献するため」などと言う性善説は、信ずるに値しない。なにも中国共産党一党独裁政権が「魂の自由の敵」(*2)だからって「常に悪辣非道な悪の組織で、悪意に満ちている」訳ではないが、「国益追求に貪欲」である以上、かかる「新しい安全保障概念」にも何らかの「中国の国益追求」が含まれると、考えるべきだろう(*3)。
一つの考え方としては、章題にした通り、「中国国内が、政治的、経済的、環境的に”安全保障”されていない/されない可能性がある」。少なくとも、中国共産党が左様考えている為に、「新しい安全保障」概念の下、諸外国に「中国共産党一党独裁政権の内政問題=政治的・経済的・環境的安定」を押しつけ、「中国共産党の政治権力延命を図る。そのための「新しい安全保障」概念「提案」と、考えうる。
「中国の経済的破綻」は一部論者に指摘されて久しいながら、未だ「破綻には至っていない」。しかし、さしもの経済成長も陰りが見え始め、中国共産党としては「安全保障」したくなるところだろう。それは「政治的安定」にも「政権維持」にも直結しているのだから、なおさらだ。
PM2.5をはじめとして「中国の環境」もまた、近年ようやく公にされるようになったとは言え、やはり「中国の不安要素」であり、中国共産党としては「安全保障」したかろう。
つまりは、上掲人民日報海外版コラムの唱える「新しい安全保障」概念とは、「中国共産党政権の政治延命策」と考えることができる。これが一つの考え方だ。
さらに一歩進めて考えるならば、この「新しい安全保障」概念が対内的・政治的・経済的側面を含むことに注目すべきかも知れない。即ち、たとえばこの「新しい安全保障」概念に我が国が同調するならば、「我が国の政治・経済状況」も「新しい安全保障概念の中に含まれる」事になる。
それにより、 上記(A1)(対中)平和、協力、ウィンウィン に「反するような政治・経済状況」は「日中(新しい)安全保障に反する」として排撃・制限される可能性をこの「新しい安全保障」概念は示唆している。たとえば、ヘイトスピーチデモであるとか、閣僚の靖国参拝である等が、真っ先に槍玉にあがりそうだ。
再三繰り返す通り、私(ZERO)はヘイトスピーチなんてものは、その「ヘイトの対象」が何であれ嫌いだ。頭の悪さと品の無さを自ら晒すのは自分らの勝手であるが、「頭の悪さと品の無さを自ら晒す主張」なんざぁ同調も賛同も同意もしてやるものか、と考える。
だが、一定の法規に則る限り、「ヘイトスピーチデモを、ヘイトスピーチ故に規制するべきではない」と主張している。況や、「外交的配慮を理由に国内のデモを規制する」なんざぁ論外だ。それはある種の言論・思想弾圧であり、間接侵略でさえありうる。
その「関連侵略でさえありうる」のが、上掲人民日報海外版コラムの言う「新しい安全保障」概念である。
否。それが間接侵略であるからこそ、上掲人民日報海外版コラムは「新しい安全保障」概念を唱えているのであろう。
<注釈>
(*1) 「経済的な安全保障」や「国内的且つ政治的安全保障」が 上記2>[2]~[5]には含まれないので「+α」とした。(*2) これは今の所、ほぼ「自明な事実」だ。(*3) 人民日報海外版コラムに掲載される以上、少なくとも「中国の国益に大きくは反しない」、筈だ。大間抜けなことやれば、この限りではないが。