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「失敗したか」どころか「成功した点が無い」ではないか
さて、如何だろうか。
都合6回。断続的なので、「六日連続社説」ではないが、大凡六千字にわたる「東京新聞の公式公的な主張」である。第1回をイントロと考えたとしても大凡五千字。其の五千字で、
①1〉ドイツの挑戦は失敗なのか。皆さんと一緒に考えたい。
と言うのを、一体どれほど「考えたか」を列挙しても、以下の程度。
(1)再生可能エネルギーはコスト高とされるが、使用済み核燃料の処分や事故の補償などまで考えに含めると原発も賦課金では同程度と言う説もある ②【10】
(2)ウクライナ情勢の不安化は、天然ガスの値上がり程度で済み、「エネルギーの国産化」=「太陽光や風力などの再生可能エネルギーの促進」傾向を推進するだろう③【5】
(3)電力の小規模分散化により、(1)業者の利益(2)労働者の所得(3)税収を合算すれば、再生可能エネルギーはドイツ地方自治体に2.4兆円の経済効果があった、と言う調査もある。③【8】
(4)電力をつくるだけなら、原発が一番安上がり。だが、ドイツ国民が嫌うので、ドイツ脱原発に後戻りは無い。④【3】~【5】
(5)「脱原発」によりドイツの電気料金は上がり、不公平感もあるが、原発ゼロでも豊かな社会に向けて、誰もが納得できるかたちで水平飛行に移れるか。 ④【8】~【11】
(6)核のごみ最終処分場はドイツでも未決定だが、処分量はドイツでは確定している。⑤【11】
(7) 社会民主党(SPD)のジョー・ライネン欧州議員が、「私たちは二十一世紀の世界が求めるものを先取りし、新時代の輸出産業を育てています」と言ったから、「温暖化対策とは両輪で、省エネと技術革新による社会基盤の変革、そして産業革命や新たな輸出戦略の構築にまで及ぶ壮大な構想」が、ドイツにはあるのに違いない。 ⑥【9】~【12】
…いや、列挙するだに脱力してしまうな。何しろ単純に「成功」と言い得るのは、上記(3)だけ。
上記(1)は「使用済み核燃料の処分や事故の補償などまで考えに含めてようやく賦課金が原発と再生可能エネルギーで同等になる、説がある」と言うだけ。それも、上記(4)の前半「電力をつくるだけなら、原発が一番安上がり。」と矛盾しかねない上、「使用済み核燃料の処分」はまだしも「事故の補償」なんてどう算定したのやら。所詮は「説もある」だから、なんとでも言い逃れは出来そうであるが。
上記(2)も酷いモノだ。「ウクライナ情勢は天然ガスの値上がり程度で済む」と「現地の大方の予測」を以って断言した上、それを「再生可能エネルギー普及促進効果(だけ)はある」と断じる。ウクライナ情勢の問題は、「エネルギー危機」だけじゃあるまいに。その上で「再生可能エネルギー促進(にだけ)」結びつけるとは、言語道断と言うべきだろう。
③1〉世界に降り注ぐ太陽エネルギーの総量は、世界のエネルギー消費量の二千八百五十倍になるそうだ。しかも無料。
と、脳天気に抜かすが、その「太陽エネルギー総量」は「地球全表面積510,065,600km2」に降り注ぐエネルギーだ。其の2850分の1で178,970km2とは、オーストラリア大陸のおよそ4分の1。この「浮遊大陸」が大気圏上層部なり衛星軌道上にあって24時間365日太陽光を浴び、尚且つその昼夜を問わぬ発電量を高効率極超大容量に蓄積できたとして(*1)、ようやく実現する話だ。「机上の空論」と言うさえ阿呆らしい。「冷たい計算式/推算式」シリーズに示した通り、我が国に於ける太陽光発電の稼働率は1割であって2割に達しない現実を踏まえれば、尚更だ。
上記(4)は…、「ドイツは勝手にやってくれ」か。原発を嫌い、その為に高い電気料金を甘受するのも、ドイツ人の勝手だ。だが、その「脱原発を宣するドイツ」が今なお原発稼働中である事と、電力が不足すれば隣国から電力を買える「脱原発有利な立場にある」事。その電力輸入先の一つが「フランスの原発」である事は、想起されねばなるまい。再三繰り返す通り、ドイツの「脱原発」は、「ナンチャッテ脱原発」でしかない。ま、それでも自己満足に浸りたいと言うならば、止めはしないさ。
上記(5)に至っては「今後の課題」であって、「成功」では断じてない。
上記(6)は「原発を止めて、核のゴミを増やさないようにする」のが「ドイツの挑戦」ではあろうが、、やはり「成功」ではない。「日本の方がヒドイぃぃぃぃっ!」と、恨み歎じる事は出来ようが、「ドイツの挑戦は失敗なのか」と言う検証に於いては、「成功ポイント」にはなるまい。
挙句の果てが上記(7)の、誇大妄想とも牽強付会とも言いかねる強引な「オチ」。この「オチ」を以って、
⑥1〉 ドイツは失敗したか。答えはノーだ。環境合理主義を奉じて着実に前へ進んでいる。
と結論付けられるんだから、やっぱり原理主義による思考停止、二重思考と言うモノは実に恐ろしいねぇ。上記⑥1〉「環境合理主義を奉じて着実に前へ進んでいる。」と結論付けているが、上記(5)の通り「電気料金値上がりと不公平感」は厳然として存在し、「原発ゼロでも豊かな社会に向けて、誰もが納得できるかたちで水平飛行に移れるか」すら定かでは無い、と、上掲東京新聞連載社説自身が認めている。
この矛盾に気づかないのが原理主義の原理主義たる所以であり、「二重思考」と揶揄する理由である。
詰まる所、「ドイツの成功」は上記(3)「地方自治体への経済効果」と、せいぜいが上記(4)「ドイツ国民の好み=自己満足」でしかない。「環境合理主義を奉じて着実に前へ進」もうとも、「電気料金値上げと不公平感」を「好き好んで」甘受しているだけだ。
ならば、「ドイツの失敗」は、と言うと、イントロにあたる上記①パラグラフ【12】に端的に、「電気料金が値上がりし、国民の不満が高まった」とある。この「失敗の検証」が上掲連載社説の「皆さんと一緒に考えたい。」の筈だが、上記②で正体不明の誰かの「つぶやき」
②1〉 「何が家計にも、やさしいか。結局は風や光だと思う」【11】
があるモノの、上記(5)の通り、「原発ゼロでも豊かな社会に向けて、誰もが納得できるかたちで水平飛行に移れるか。」とあっては、「ドイツで電気料金が値上がりし、国民の不満が高まった」事は検証、実証され、裏書された、という事だ。
つまりは、上記③1〉の東京新聞の脱原発原理主義丸出しの脳天気な放言と、上記②1〉誰とも知らぬが「直接聞いたドイツ人のつぶやき」と、上記(3)「地方自治体への経済効果がある(という説)」以外、「ドイツの失敗」は、冷静に見れば明らかである。
無論、脱原発原理主義者は、原理主義である以上「冷静に見る」なんて事は出来ないだろう。だが、それならば、イントロである上掲①1〉で「ドイツの挑戦は失敗なのか。皆さんと一緒に考えたい。」などと切った大見得は、一体なんだったのだ。
「日本国民(≒東京新聞読者)が、ドイツ人を見習って"原発嫌い"になる事/である事」を期待したのか?
はて、こんな頓珍漢で説得力皆無の原理主義丸出し駄文社説で、どれほどの「原発嫌い」が増えたのだろうねぇ。まあ、「東京新聞読者の相当部分が、ハナッから"原発嫌い"である」可能性は、相応にありそうだがね。
<注釈>
(*1) これに、全世界に供給する送電ロスが加わるが…
私の原発推進論&自然エネルギー推進論
① エネルギー政策の目的は、見通せる将来に渡って「電力の安定供給」である。電力を電力需要にあわせた必要充分な電力量を停電させずに安価に安定した電圧で給電する事である。
② 現時点においては大容量の電力を蓄電する技術はない。精々が揚水式水力発電の上の方のダムに水として蓄える程度である。また、将来的に大容量蓄電技術が確立普及したとしても、蓄電して取り出す電力には必ず損失が付きまとう。
③ 大容量蓄電技術が普及するまで、電力は、必要量に応じて発電し送電しなければならない。
④ 必要に応じて発電できる、制御可能な発電力は、火力、原子力、大分落ちて水力である。
⑤ 「再生可能な自然エネルギー」太陽光、風力、地熱、潮汐力などは、「態と発電しない」ことしか出来ず、原理的に制御不可能な発電力である。これは、発電コストが如何に安くなろうと変わりようが無い。
⑥ 従って、大容量の蓄電技術が普及するまで、「再生可能な自然エネルギー」は発電の主役たり得ない。
⑦ 少なくとも大容量の蓄電技術が普及するまで、発電の主役は、火力、原子力、大分落ちて水力である。これに付け加えられるとすれば、バイオマス火力発電ぐらいである。この中で原子力は、制御のレスポンスが鈍い恨みはあるモノの、比較的狭い敷地で大きな発電量を二酸化炭素排出なしで発電できる利点を持つ。また発電コストとしても、「福島原発事故に対する補償や対策を加味して漸く火力に負けるかも知れない」程度であり、水力に対しては依然優位である。
⑧ 従って、火力と原子力は共に不可欠な発電方であり、水力以外の「再生可能な自然エネルギー」の発電量は、全体の1割程度とすべきであろう。尚且つ我が国では、水力発電の開発が進んでおり、水力発電の劇的増加は望めない。
⑨ 以上から当然ながら、我が国に原発は不可欠である。我が国の現時点での脱原発なぞ、愚挙にして暴挙である。
⑩ ドイツやベルギーがお気楽に「脱原発」を実施できるのは、電力が足りなければフランスの原発から電力を輸入できるからである。これら西欧諸国の「脱原発」は、「ナンチャッテ脱原発」と呼ばれるべきであろう。